第4話 元覚醒剤で少年院出のかおるの覚悟
かおるは決心したような表情で言った。
「そうですね。今日の命は今日だけのもの、明日はどうなるかわからない。
だから私は今、告白をします。
しかし、ただの過去の告白ではなく、キリストを信じて変わったという告白でもあります」
ふと、せいかは我が事を振り返ってみた。
せいか自身、デビュー当時よく言われたことである。
「芸能界は片道切符、決してやり直すことができない。
だから常に前を向いて、新しいことにチャレンジしなければ、すぐ乗り遅れてしまい、半年もすれば忘れ去られてしまう」
失礼ながら、元犯罪者もそうではなかろうか。
刑務所から出るとき、刑務官から決して後ろを振り返ってはならないという。
振り返った人は半数以上、刑務所に逆戻りするが、振り返らず「なんとかなるわよ」と楽天的思考の人は、本当になんとかこの世を渡って生きている。
そして世の中の流れに沿って、情報のアンテナを張り巡らし、新しいことにチャレンジしていくと、不思議と世の中になじめるものだという。
もちろん、芸能人とは異質のというより、次元の違う勇気が必要だろう。
前科というのは一生残るものであるが、一世を風靡した芸能人も人の記憶に残ることがある。
残念ながら、芸能人から犯罪者になってしまうケースもある。
人気が落ちて来ると、今までチヤホヤしていた人が、手のひらを返したように去っていく。いや、そんな人は、あくまでも金ヅルに利用していた人だろう。
金ヅルの蔓というのは、植物の細い蔓のように、塀や柵などに捕まらなければ、生きていくことはできない。
要するに、金ヅルというのは、金持ちに依存して生きていってる人のことである。
むしろ、そんな人はいなくなってくれた方が幸いだろう。
いくら表面的にチヤホヤされ、いい気分になっても、陰では舌を出して笑っているに違いない。
いや、それどころか、悪事や犯罪に利用されかねない。
この人は金ヅルか、そうでないかを見抜く洞察力が必要である。
幸い、せいかの場合は家族がついていたので、そう悪事をはたらく輩に出会わなかった。
これも、決して復讐や意地悪をしない、せいかの人間性が産んだ恵みであろう。
せいかは、芸能界に入ってから、この世界はどんなに見えない努力が必要かを痛感させられた。
この見えない努力というのは、歌やダンス以外でも、人間性であろう。
お笑い芸人から政治家になった横川ノック氏は
「芸能界、最後の勝つのは人間性」と言ったが、やはり人間性はいくら表面は優等生を取り繕ってみても、どうしても顔つきや目つきにあらわれるものである。
人間性とは赦すことであろう。
せいかは、今までスキャンダルに見舞われ、意地悪もされたが、赦すことができたのは、母親のおかげであろう。
デビュー当時、共演した男性アイドルのファンからは、仲良くしないで、隣に座らないでと言われ、階段から突き落とされたこともある。
「ギャッハッハー 真っ逆さまのバカせいかめ」
階段の上から見下ろすような彼女らの嘲笑を、せいかは哀れなものとして受け止めていた。
せいかは仕事が終わると、他の芸能人のようにストレス解消に、夜通し隠れ家的なバーに通うことはなかった。
どんなに遅くなっても待っていてくれる母親の家に帰宅し
「今日、〇ちゃんにこんな意地悪をされちゃった」と語るのであった。
母親の答えは、どんなことがあろうといつも一つだった。
「それじゃあ、あなたがそんなことをしなければいいでしょう」
誰を恨むのでもなく、誰の悪口を言うのでもなく、答えはいつも一つであり、変わることはない。
せいかが、コンサートで暴漢に襲われ、頭に軽いケガを負わされたときも、母親は、いつもと変わらず
「でも、その子の親も辛かろうに」
一人娘が軽傷とはいえ、ショックで寝込んでいるにも関わらず、加害者を一切責めようとしない。
せいかはここに、母親の本当の強さを見た思いだった。
いや、母親はせいかがこんなことに負けるような、弱い女性ではないと見抜いていたのかもしれない。
せいかは毎週、罪人寄り添いイエスキリスト教会に通うようになった。
最初はせいかの知らない世界ばかりで、戸惑うことも多かったが、不思議とそれに嫌悪感を感じることはなかった。
たとえば、昨日少年院から出て来たばかりの男性。罪状は覚醒剤です。
また非行少年を子供にもつ親。
藤堂牧師自身の話もでてきた。
藤堂牧師は小学校の頃は、野球少年だった。
しかし、担任からヒール役になれと言われ、傷ついたという。
中学入学から、非行に走るようになった。
タバコ、シンナー、
原因は、母親が水商売にでかけ、家にいないことが原因だった。
「ネオン街で生きる母子草」
日が暮れる頃 母は濃いピンクの口紅を塗り
僕の知らない 別の女へと変身する
艶めいたつくり笑顔で 男性を魅了し
金を引き出すためのものなのか
僕はその金で生きている いや生かされている
僕の日課である、母のドレスの背中のファスナーを上げたあと
母は振り向きもせず去って行く
後ろ髪ひかれる母の背中が
そのまま僕のじんましんとなる
すがりつくようなネオンの光が
母と僕の淋しさをかすかに包むよう
せいかは、まるで鳩が豆鉄砲を食ったように、ポカンとしていた。
その表情は、芸能界の荒波を渡ってきたせいかとは違い、まるで世間知らずの温室育ちのお嬢様のように見えるのだった。
自分から挨拶をし、自ら教会の信者にお茶を入れるせいかには、元ビッグアイドルだったという天狗の影はみじんも感じられなかった。
マスメディアに掲載されているせいかの記事とは全く違って、せいかは親しみやすくサービス精神旺盛だった。
信者のなかには、せいかの歌声同様、せいかの声には幸せを感じると言う人もいるくらいだった。
礼拝の後の食事会では、せいかは率先して信者にお茶を配ったり、ときにはせいかの手作りの肉じゃかやポテトサラダを持ち込んだが、せいかの料理は薄味で煮干し味が利いていてどれも好評だった。
教会員からはせいのニックネームで親しまれるようになり、すっかり溶け込んでいた。
この罪寄り教会には、いわゆる少年院出や刑務所出の人が更生を目的に礼拝にやってくることで有名である。
幸か不幸か、芸能界以外の世界を全く知らないせいかにとって、いわゆるめくら蛇に怖じずで、普通の人が震え上がってしまうような前科〇犯の人に対しても、嫌悪感や恐怖を抱くことなく、皆と同じように気さくにふるまうのが、かえって滑稽であった。
まるでガラスケースから出てきた人形のように、目をパチクリしながらも、平静を保っていたが、その表情が新鮮で、常識外れでもあった。
せいかはよくマスコミから、常識では考えられない判断をするのがせいかの特徴と言われていたが、まさにその通りであった。
せいかは教会に通って二か月後、洗礼を受けていないにも関わらず、なんとピアノ奏楽を任されるようになった。
このことは、せいかが藤堂牧師を始め教会員から信用された賜物でもあった。
せいかが、罪人寄り添いイエスキリスト教会に行き始めてから、三か月たったとき、ある四十歳後半の中年女性ー悠子が現れた。
聞くと、八年前に当時中学一年だった息子を刺殺されたのだという。
このニュースは、マスメディアでもそうとう話題になり、世の中を震撼させた事件である。
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