第2話 元反社藤堂牧師の神による生き直し
一方、梅田せいかはアイドルからの脱皮を図っている最中、映画で共演した俳優まさしと結婚し、料理上手な専業主婦としての生活をおくっていた。
せいかは、まさしの要望で和洋中の料理をつくっていたが、なんとまさしはせいかの料理を食べすぎて太ってしまったほどである。
しかし、せいかはアイロンかけにおいては、まさしのセーターを焦がしてしまったというミスを犯してしまったが、まさしはいつまでも怒ったりはしなかった。
マスコミはせいかの娘さあやを、シャッターチャンスの対象としていた。
小学校二年の運動会のときは、なんと三百人のマスコミが押し掛けたほどである。
このままでは、さあやが壊れてしまうかもしれない。
せいかは、さあやに対するマスコミからの関心をそらすため、単身でアメリカに歌の修行に渡米することになった。
さあやは私の命半分、さあやがいるから私は頑張れる、どんなことがあっても守り抜くという固い決意を決めていた。
藤堂氏は、覚醒剤で大儲けし、組のナンバー2である組長代行にまで昇りつめたが、なんと自ら覚醒剤に手を出し、とうとう所属していた組を破門になってしまった。大儲けしたはずの金も、みな酒とクラブに消費してしまっていた。
しかし、これからどう生きていったらいいのか、見当もつかなかった。
藤堂氏にないのは、学歴、職歴、右手の小指、あるのは、前科、刺青、覚醒剤歴、一般人にはあってこまるものが存在し、なかったら生活していないものが存在しているのだ。
しかし、神はそんな自分をもお見捨てにはならない筈だ。
反社から牧師になったという男性を頼り、教会に住み込み、クリスチャンとしての修行をすることになった。
幸い、祈りが功を奏して庭師という仕事も見つかり、第二の人生を送ることになった。
しかし、藤堂氏は神様のことを学び、自ら教師になりたいと希望をもつようになり、神学校に入学した。
神学校で元反社というのは、当時は藤堂氏くらいのものであるから、感じのいい人と思われるように努力した。
藤堂氏のほかには、有名反社の男性がいたが、なんとその男性も藤堂氏と同じ、後に牧師になったのだった。
まさに神の奇跡である。
「あなた(人間)が私(神)を選んだのではない。私があなたを選んだのだ」
(聖書)
の通りである。
まさに神のなさることは、人間の想像をはるかに超えている。
一方、梅田せいかはアメリカでの生活が長くなっていた。
その間、年下のボーイフレンドができたり、また映画監督から見込まれたりもした。
夫まさしは、アメリカに渡米するわけにもいかず、マスメディアからは仮面夫婦だと呼ばれ始めた。
十九歳のモデルと手をつないで歩いている写真も掲載され、夫婦の溝は埋まることはなかった。
もし、せいかがスター歌手の道を引退して専業主婦になれば、良き夫婦でいられたかもしれない。
しかし、せいこはジャズに挑戦したりして、スター歌手の道をまい進し続けていたのだった。
夫婦は別々の道を歩むことになったが、元夫まさしは、決してせいかをけなすことはなかった。
「彼女は人間はいい人だった。だから僕は今でも彼女の悪口を聞くと腹がたちますよ」
また、ヒット演歌が流れていると
「この歌、彼女が好きだったんですよ」
今でもまさしは、せいかに未練があるのだろうか。
娘さあやの親権は、夫婦お互いで持つことになった。
せいかは、娘は絶対に芸能人にはさせたくなかった。
せいかは、生まれ変わっても歌手になりたいが、その裏には心身共の苦労やスキャンダルに悩まされていたのも事実だった。
スキャンダルというのは、せいか本人だけではなく、家族親戚にまで及んでくる。
しかし、売れれば売れるほどマスメディアは、情け容赦なく襲ってくる。
娘さあやには、間違っても自分と同じ苦労を味わわせたくなかった。
しかし、やはりせいかの背中をみて育った娘せいなは、アイドルとしてデビューした。
歌手からドラマの脇役を経たあと、引退して飲食業の正社員になるつもりだった。
しかし、ミュージカル女優に見込まれ、努力を重ね、ミュージカルで主役を務めるスターとして昇りつめていった。
せいかは、娘さあやが誇らしかった。
さあやに若い感覚を教えてもらい、お揃いのファッションをし、親子というよりはなんでもわかりあえる親友のような関係だった。
せいかは、還暦の直前、これからは娘さあやだけが頼りであり、さあやはせいかを超えるミュージカルスターへと昇りつめていった。
せいかとさあやは、親子というよりも良きライバルであり、お互いを理解しあえる親友のような関係だった。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
なんとさあやはミュージカル公演の前日に、謎の飛び降り自殺を図った。
この事実は、せいかのディナーショーの直後に知らされた。
せいかは最初、どっきりカメラのようなジョークでしょうと一笑した。
さあやが、自殺する原因などどこにも見当たらないからである。
しかし、事実だとわかった途端、卒倒するのをかろうじてこらえていた。
このことは、大スターのプライドであった。
一方藤堂氏は、念願かなって神学校を卒業し、牧師の按手を受け、自らの故郷である関東地方の地区に「罪人寄り添いイエスキリスト教会」をおこし、牧会をするようになった。
教会の場所は、実母の経営するスナックだった。
最初は友人以外に、信者は誰も来なかったが、十年後には十人以上集まるようになり、元反社牧師ー闇の世界から光の世界へとーテレビ出演や著書を出版するほどの有名人になっていた。
藤堂牧師は、元前科者や不良と呼ばれる人を、教会に招き入れ、分け隔てなく接し、更生活動をしていた。
やはり犯罪の第一位は麻薬、第二位は窃盗である。
藤堂牧師は、そういった過去を持つ人を更生させていた。
しかし、その矢先、二十歳になった一人娘ゆりやが、練炭自殺をはかるという悲劇に見舞われた。
ゆりやは、やはり実父である藤堂牧師に似た顔立ちで、アイドル並みの容姿であった。
藤堂牧師の元妻は、決して慰謝料や養育費を受け取ろうとはしなかった。
「反社のつくった汚い金など受け取れない」
藤堂牧師は、反社時代は娘ともあまり会うことができなかった。
娘ゆりやは、もともと統合失調症の傾向があったが、進学校を卒業した十八歳のときには、一緒に家族旅行をた。
またときどき礼拝にも来るようになり、これでハッピーエンドと思っていた。
不思議としか言いようがなかった。
それとも、ゆりやはハッピーエンドの状態で、天国へと旅立ったのだろうか?
自殺は誰のせいでもなければ、まわりの環境のせいでもない。
先進国こそ自殺は多いが、一見環境に恵まれている金持ちの秀才が殺人を犯すように、自殺も本人が選んだ道であろう。
人の悩みは、健康・金銭・人間関係だという。
これらはスパイラルのように影響を及ぼしている。
たとえば病気で働けなくなった人が、借金を抱え、これまでの人間関係も崩れてしまうように。
しかし、それらがすべて揃っているようにみえる恵まれた人が自殺を図ったり、また難病もちで借金を抱え、一見世界中を敵に回しているような人でも、たくましく生き抜いている人もいる。
藤堂牧師も梅田せいかも、お互い経歴も違うし、過去も現在の環境も全く違う。
いわばお互い別世界、異次元の者同志であったが、我が子が自殺したという共通点では同じ心境であった。
急に宙に消えてしまうように、ふっと命を断たれた。
このことは、急激に襲ってくる悲しみと同時に、親である自分が至らなかったのではないかというふがいなさと人間としての無力さを痛感させられるのであった。
特に梅田せいかは、親友のように思っていたさあやが、この世から永遠いいなくなったということは、身体の一部を切り取られたような痛みと、狂うほどの悲しみと喪失感に憔悴してしまった。
まるで喉の奥になにかが詰まったみたいになり、今までのようにスムーズに声がだせず、音程も狂ったようになり、翌年の仕事はすべてキャンセルしてしまった。
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