とかく神の愛は復讐心を超える
すどう零
第1話 元ビッグスターの教会礼拝
皆さんは、梅田せいかを覚えているだろうか?
一世を風靡した、アイドルいやアイドルの枠をはるかに超えたビック歌手を。
日曜日の朝、私梅田せいかは黒づくめのファッションに身を包んで、毎週キリスト教会の礼拝にでかけるの。
くるぶしまであり、一切足の見えないロングスカートは、もちろんキリスト教会専用であるが、このスカートを履いて教会に行くと、なんだか神に包まれているような厳かな気分になるわ。
このキリスト教会の藤堂牧師は、十五年前まで反社だった。
関東ナンバー1の知名度をもつ反社組織でナンバー2にまで昇りつめたが、自ら麻薬中毒になり、破門という出口を辿ることになってしまった。
破門になると、他の反社組織からも関りをもってはならないという、極めて厳しく孤独な処分が下される。
そのとき、聖書の御言葉を読んで、やり直せると決心したのだった。
「しかし、たとい罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、私のすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことはなく、必ず生きる。
彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる。
主である神は仰せられる。
私は、たとい罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。
彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ」
(エゼキエル18:21-23現代訳聖書)
聖書の言葉は骨をも刺すというが、藤堂牧師は、その御言葉を読んだとき、不思議と力がわき、希望の光が見えるのを感じていた。
藤堂牧師の生まれ育った地域は、大都市の隣にあり、当時は離婚女性の働く、キャバレーやスナック、風俗営業の多い地域であった。
藤堂牧師の母親も例外ではなく、夕方五時前には、ドレス姿のままでキャバレーに勤めにいった。
当時、子供が水商売の母親にしてあげられることは、化粧品を買うことと、通勤前に背中にドレスの背中のジッパーを上げることだった。
藤堂牧師は、淋しさから同じ境遇にいる少年達と、タバコやシンナーにふけるようになった。
小学校のときは、野球少年だったが、それも辞めてしまった。
ようやくの思いで入学した私立男子高校は、一年の一学期、ケンカで相手の鼻をへし折ってしまい、退学のレッドカードとなってしまった。
一方、梅田せいかは田舎で、門構えのある大きな家に両親、兄という家族四人で家族の愛を一身に受けながら幸せに暮らしていたわ。
父親は、公務員で母親は専業主婦、兄は医学部を目指して勉強に励んでいたという恵まれた家庭で生まれ育ったの。
中学受験に失敗した私せいかは、近所の公立中学に通うことになったわ。
ときおり、友人を家に招き、母親の料理をふるまうというきわめて平和な中学生活をおくっていたの。
猛勉強の末、カトリックの女子高に進学し、人望があるので女神に選ばれたこともあったほどよ。
一方では、歌が好きだったので、漠然とした歌手へのあこがれがあり、オーディションを受けたが、落選通知という悲しい結果。
しかしそれにも関わらず、オーディションを受け続けたのがついに実るときがやってきた。
私の声に惚れこんだというレコード会社から、スカウトが来たの。
もちろん、家族は頭ごなしに大反対で家庭内戦争の始まり。
私は父親から溺愛され、高校へは父親の車で送ってもらっていたの。
そのときは、よく小遣いをねだったけどね。
「そんなに歌手になりたかったら、この家を出ていけ」と言われ、
私は初めて父親から頬を殴られ、親戚中からも縁を切ると言われたが、それでも歌手になる夢はあきらめなかった。
結局、私の熱意に負け、カトリック高校を中退し、十六歳で単身上京することになった。
上京先は、芸能界でも紳士的だといわれる大手プロダクションだったわ。
藤堂牧師は高校一年の一学期で、傷害事件をおこして高校を退学になったのを機に、暴走族を飛び越えて、反社世界に入ることになった。
それまで、風俗店のボーイをしていたが、スカウトされ反社世界に入った。
生きるか死ぬかというよりも、殺すか殺されるかという殺伐とした世界に飛び込んだのである。
藤堂牧師は、覚醒剤の売買で大儲けし、組長代行まで昇りつめたが、いいことは長くは続かない。
いつしか、自ら覚醒剤に溺れるようになり、刑務所送致になってしまった。
刑務所でいちばん難しいのは、人間関係だという。
「こいつとだけは、同じ空気を吸いたくない」
という囚人と一緒の部屋になるのが、何よりのストレスだったという。
刑務所から出所してきた藤堂牧師を待っていたのは、組からの破門状だった。
昔は刑務所から出所すると、反社世界でははくがついたといわれ、出世したものだが、そんな時代遅れの考えは二十年程昔から通用しなくなっていた。
一方、梅田せいかはデビュー後、ドラマの端役やCMのテーマソングを歌うという極めて地味な活動をしていた。
ドラマの端役のときは、ラ行がうまく発音できないため、舌の手術をするという熱心ぶりだった。
せいかは、有名コメディアンからも「田舎のお嬢さんという感じで、これは売れる筈もない」と思われていたのだった。
デビュー曲のジャケットは、いかにも田舎のお嬢さんが突っ張って上京してきたという、根性と痛ささえ感じられた。
しかし、二曲目からは、オリコンで一位になり、あれよあれよという間にアイドルスターになっていった。
白いドレスで張りのある声で歌うせいかに、マスコミの攻撃の矢がささり始めたのもこの頃だった。
週刊誌には、可愛い子ぶりっ子、せいかは嘘泣き、過去には非行歴があるなどという記事が出回り始めた。
せいかは、心の中で抵抗したが、その記事を消すわけにはいかない。
しかし、出す曲はすべてヒットチャート一位。
映画やドラマ、バラエティーまでこなし、押しも押されぬトップアイドルに昇りつめた。
六年間で、なんと二十四曲一位という金字塔を打ち立てたのである。
このことは、歌謡界の歴史でも極めて異例のことだった。
藤堂氏は、所属していた反社の組ではナンバー2にまで昇りつめた。
しかしちょうどそのとき、暴対法が施行された。
反社は、いわゆるシノギがやりにくくなり、そこから逃れるように、藤堂氏は自ら麻薬に溺れるようになってしまった。
藤堂氏は二十五歳のとき、離婚した元妻に、一人娘ゆりやの養育費を送ろうとしたが、「反社のつくった汚い金など受け取れない」ときっぱりと拒否された。
しかし、娘ゆりやが可愛いことには変わりはなかった。
幸い、ゆりやは健やかに育ち、高校は進学校に通うことになったが、少々の精神疾患を抱えていた。
藤堂氏は、刑務所に入る前から、つきあっていた女性にプレゼントされた聖書だけが唯一の救いだった。
藤堂氏は、聖書のこの御言葉が心に突き刺さった。
「しかし、たとい罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、私のすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことはなく、必ず生きる。
彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる。
主である神は仰せられる。
「私(神)は、たとい罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。
彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ」(エゼキエル18:21-23)
藤堂氏は、この御言葉を何度も読み返した。
そうか、世間は自分を見捨てても、神はどんな罪人でも救って下さる。
神の律法を守ると、公正と正義の人になれるに違いない。
藤堂氏は、この御言葉が骨に突き刺さるようだった。
非行や犯罪に走った人は、反省は一人でもできるが、更生は一人でもできないというが、神と共にならやり直せるに違いない。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)
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