第27話 無駄な抵抗

「今すぐ王城を破壊しよう。ラリアは知らないだろうけど、今の俺は遠隔魔法も得意なんだ」

「ちょーっと待った! そんなことしちゃダメだって!」

 真顔で物騒な台詞を吐くエリックを慌てて押し留めた。冗談なんかではなく、この男ならやりかねない。


――なぜ、エリックがこんなことを言い出したかというと、本日が第二王子殿下に招待された、件のお茶会だからだ。 馬車の外はいいお天気でお茶会日和である。それなのに、エリックの周りだけが大荒れだった。

 

 前後不覚の状態だと失われているはずの記憶の断片を口にできることに気付いたエリックによって、ひと際激しく愛されたのが数日前。翌日、彼は用事ができたと朝早くから出かけていったらしい。私はその日の殆どをベッドの上で過ごす羽目になったから、メイドのサリィに聞いた話だけど。彼の体力は一体どうなっているのだろうか?

 帰ってきたエリックは機嫌が良さそうに、時間経過とともに筋肉痛で全身が悲鳴を上げている私を甲斐甲斐しく世話をしていた。何かあったのかと訊ねても「そのうちに分かる」と、教えてくれないから、全く意味が分からない。考えて分かるようなことではないし、あまり問い詰めてお茶会当日にベッドの住人にされるのも困るので、大人しく口を噤んだ。その甲斐あって、今に至る。

 

「……分かってる。今更どうしようもないってことくらい」

「なら、いいんだけど。エリックが横にずっといてくれるんでしょ? だから何も変なことを言ってこないって」

「当然だ。あいつらに余計な気を持たせないよう、とっとと茶を飲んで帰ってこよう」

 先ほどから不敬な発言が何度もエリックの口から飛び出している。今は二人きりだから構わないけれど、エリックは一向に気にしないからこっちがヒヤヒヤさせられてしまう。普段は私を窘めてくるくらいに常識人なのに。

「まぁまぁ。私も長居はするつもりないから、それには同意するわ。ケイシーも多分それで了承してくれるはずよ」

「あいつにも分からせてやらないとな」

「ん? 私としては少しでも味方が多い方が嬉しいけどね」

「いいか、ラリアはあまり俺以外を信用しすぎないほうがいい」

「そんなこと言わないの。そうだ! 本を見たいから帰りに少し城下町を見て回ろうよ。せっかくサリィが可愛くしてくれたんだもの」

 ふんぞり返るエリックの隣に移動して、ポンポンと軽く腕を叩いて宥めた。そっと頭を凭れ掛からせてきたものの、私がいつもより着飾っているからか遠慮がちだ。

 昨晩はさすがにくっついて寝るだけにしたけれど、やはりというか、身体中に付けられた痕は完全には消えていない。それでも薄くはなっているのでレースの上からでは分からなくなっていた。そう、今日私が着ているのは首元と袖がレースになっているロング丈のシフォンワンピースだ。これは新しく仕立ててもらったものだけれど、基本的に『私』のワードローブは露出が多いわけではないのに、隠すのに適したデザインのものがなかった。エリックの扱いに長けていて、上手く誘導していたらあまり必要なかったのだろうか? そう考えると自分のことながら、少しだけ妬けてしまう。

 

「……だからこそ寄りたくないんだが」

「ん? 何か言った?」

 真横なのにあまりにも声が小さいのと早口だったので聞き取れず。聞き返しても「別に」とはぐらかされてしまったが、およその見当をつける。見せびらかしたくないと思われているのは嬉しい。それでも私の意見を尊重してくれるのだろう。エリックの優しさだ。分かりにくいけれど。

「ふふ、そういうところが好きよ」

「そこだけ?」

「もう! 意地悪ね。言葉のあやだから。そういうところ『も』好き……わっ!」

 答えるが早いか、腰に手が回って引き寄せられる。元々隙間なく座っていたから、エリックの膝に乗り上げるような形になった。

「不安なんだ……」

「え?」

 呟きが聞き取れずエリックの方へ向けば、顔を俯けてきたので額同士が優しく合わさった。眼鏡の隙間から覗く睫毛が微かに震えているのが分かって、声を掛けあぐねる。

「ラリアが魔法の研究を餌に唆されやしないか、不安で仕方がない。数年の記憶を失っているから余計に」

「そんな……唆されるだなんて!」

「本当に言い切れるか? ここ最近で開発が進んだ新しい術式について、なんて言われたら気になるだろ? 話くらいは聞いてみたくならないか?」

「う……た、確かに……」

 それは、うん。ものすごく気になる。

「でもエリックを悲しませてまで、知りたいものではないよ」

 幼馴染でありライバルだと思っていた時ならまだしも、彼を愛する今の私にとってこれだけはハッキリと伝えておきたい。エリックの視線が持ち上がり、私のものとぶつかった。ふと甘く緩む瞳に照れくさくて逸らしたくなるけれど、意思表示のためにジッと見つめ返す。

「……その言葉は嬉しいが、つい悪い方に考えてしまうんだ」

 小さく瞬いたエリックの目は言葉と共に翳っていく。

「エリック……」

 元々の気やすい関係だった感覚がまだ強いけれど、私なりに気恥ずかしさを抑えて態度でも言葉でも愛情表現をしているつもりなのに、エリックの不安を取り除くには至っていないらしい。脳天気な私と違って慎重なエリックは、昔からあれやこれやと口うるさい方ではあるが、ここまで心配性だっただろうか?

「エリックが思ってるより私は愛されてるって、ちゃんと分かってるよ。それに私だって……あ、愛してるし……」

 声が尻すぼみになってしまうのは許して欲しい。なんせこっちは目が覚めたら、日頃から軽口を叩いたりしてきた幼馴染と結婚していて、さらには今までの彼とは想像もつかないくらい甘くてドロドロに愛されているという、衝撃の展開に振り回されたのだ。そんな中で想いを自覚したとはいえ、『好き』ならまだしも『愛している』と言葉にするのは恥ずかしくて仕方がないわけで……。

 羞恥のあまりに目を閉じたら、唇に柔らかくて温かな感触が。すぐにキスをされていると分かるくらいにはエリックと日々、何度もその行為をしている。恥ずかしいのに一瞬にして多幸感でいっぱいになる。知らないのに馴染んでいる、その感覚。記憶にない間だって数え切れないくらいしてきたのだろう。

 でも、そういえば初めての頃は互いに固くって、勢いがつきすぎてしまったり、離すタイミングが分からなかったりと色々とあった。今となっては懐かし――って。まただ、エリックに聞いて欲しくて声を出すも、唇で塞がれているから不可能で。

  

「っはぁ……ねぇ」

「君がいないと俺は生きていられない。分かってるだろうが、ラリアの思っている以上に深刻なんだ」

 漸く唇が離れたのも束の間、思いつめたようなエリックの声と表情に、すぐに膜が覆ってしまったように懐かしい記憶は曖昧になってしまった。

「やっと心も身体も通じ合えたと思ったのに。生きていても眠っているだけの君を見つめるしかない日々は想像以上に辛かった。当たり前のようにあると思っていた未来があんなにも脆く崩れるなんて。気がおかしくなってしまいそうだった」

「エリック……」 

 逆の立場だったらと想像しただけで眩暈がしそうだ。そう考えればあの冷静なエリックが、ここまで心配性になってしまったのも仕方がないだろう。

「ごめんね。分かっていたつもりだったけど、理解できていなかったわ。これからはあまり無茶しないで、ずっと一緒にいるから」

「だったら……」

「それとこれとは別よ。もうすぐ王城についてしまうもの」

 じっとりとした視線を向けると、エリックは大げさに舌打ちを落とした。危うく上手く丸め込まれるところだった。そうこうしているうちに馬車は王城の敷地内に入ってしまっている。

「お茶を頂いてさっさと帰りましょう。夜、寝室で一緒に食べるお菓子を選びたいの」

「分かった。馬車を下りたらすぐに引き返して街に行こう」


「もう!」

 分からずやのエリックの頬を両手で挟んで、聞き分けのないことばかり言う口を塞いだ。一瞬息をのんだエリックだったが、すぐさま唇の隙間から舌が侵入してきた。

 

「……んっ、ふぅ」


 ベッドの上と錯覚しそうな深いキスが始まりかけた瞬間、唐突に唇は離され二人に距離ができた。無理やり押し上げられた熱を持て余し、吐息交じりの声が漏れる。

「はぁ~。名残惜しいが、これ以上は抑えが効かなくなりそうだから我慢する。それにこんなラリアを見せるなんて、他の奴らの目を潰してしまいそうだ。いや、その手があったか……」

 確かに頬に手を当てれば確かに少し熱い。物騒なことを口にしているが、息の上がったエリックのほうがよっぽど色気があると思うけれど。

「だってエリックが、あんなキスするから……ち、ちょっと待って!」

 私を抱えたまま窓を開けようとしたエリックの腕をパシパシと叩く。嫌な予感がする。

「ラリアこそ少し待っててくれ、御者と話がある。ああ、見られないように俺の肩で顔を隠しているといい」

「引き返すように言うつもりよね!? いい加減に観念しなさいってば。もう車止めまで来ちゃったのに」

「関係ない」

「あーー! もう! 分かった! このまま大人しくお茶を頂いて帰ったら、何でも言うこと聞くから! ね?」

 思わず出た言葉は、昔からなにかをエリックに頼むときに使っていた台詞だ。「仕方がないな」とため息をつきながらいつも叶えてくれるので口癖になっている。対価も一緒に出掛けたりとか授業のペアを組むことだったり、嫌なことを要求されたことがなかったから。

 心なしか眼鏡が光ったように見えて、エリックの表情がスンと無になる。いつもと反応が違うのは気のせい?

「何でも?」

「う、うん! あ、絶対に不可能なこととか痛いことは止めてよ」

 眼鏡の奥の瞳から圧を感じて少し怯んでしまうが、女に二言はない。どうしてだろう、まだなにも提示されていないのに嫌な汗が出てくる。

「ふむ。屋敷から一歩も出ないでほしいのが本意だが……そのためにはやはり……」


「旦那様、奥様、到着いたしました」

 

「ほら!エリック!諦めて行くわよ」

 外から御者の声がかかり、顎に手を当ててブツブツと何か呟いているエリックの手を引いた。

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