第12話 慣れない視線

「あー! 疲れた!」

「無理はするな。回復したとはいえ、ずっと寝ていたんだから」

「ありがとう。んー、でも大丈夫、歩き疲れただけだから」

 ミルクがたっぷり入ったカフェオレを一口飲めば、ほぅっと溜息が零れた。遅れてジンジンと足裏が痛くなってくる。いくら健康状態を完璧に管理されていたとしても、運動不足からの筋肉の衰えはどうしようもない。疲労は治療できても、疲れやすい状態になってしまっているのだ。これは地道に運動して、鍛え直すしかないだろう。

 

「歩いただけでも、やっぱり身体を動かすのはいいね。気持ちがいい」

 こっそりと靴を脱いで、足指をほぐして再び履き直す。それだけで随分と疲れが取れたような気がした。

「それは良かった」

 私の行動に気付いたのか、途端にフワッと足全体が軽くなる。向かい合って座るエリックの片眉が少し上がったのを見て、回復させてくれたのだと気付いた。今までは「行儀が悪い」など一言、いや二言三言と口煩かったエリックだけれど、現在はただただ甘やかされている。

 

「はしたないとか言わないの?」

 思わずそう口にしてみれば、

「ラリアを甘やかしてもいい存在になったからな」

 と答えるエリック。分かるような分からないような。ハテナを飛ばした私の表情にエリックが気付かないわけもなく。

「ほら、卒業までは我慢してたから。口が滑って有り余る愛をぶつけそうになるのを」

 テーブルに肘をついて瞳を細める表情は艶があり、今の私には刺激が強すぎる。

「……んー。えっと」

 まさかの直球で返されて、言葉に詰まった。記憶にあるエリックを思い出してみても、愛おしそうな表情には見えなかった。しかし一番『らしい』表情といえば……。

「もしかして、溜息を吐いたり、眉を顰めたりしてたのって我慢してたの?」

「そうだ。愛おしくて胸が何度も締め付けられて、いつか止まってしまうんじゃないかと心配になるほどには」

「わぁー……」

 どうしていいか分からず、間抜けな声を上げてしまった私はおかしくないはず。難しい顔をしながら小言を落とされるのに、実は愛しさを我慢してましたなんて、そんなこと分かるわけがない!

「仕方がないだろう。俺の気持ちを知る由もないラリアが、ライバル視して度々挑んでくるなんて、可愛い過ぎたのがいけないんだ。それに一度吐露してしまえば箍が外れそうだったからな」

「……ま、まぁ、そういう話を聞くと、エリックも普通の男の子だったんだなって思えるわ」

「だからその反動で俺のしたいように、思いっきり可愛がって甘やかしているわけだ」

 揶揄いがなりを潜め、私を見つめるエリックの瞳がトロリと蕩ける。

 

「でも……」

 熱の籠った眼差しはそのままに、突然眇められた。

 

「え? でも?」

「俺の眼の届かないところで危なっかしいことをしたり、他の男に目を向けるようならその限りではないけど」

 一瞬下がった温度に、つい背筋が伸びる。他の男、とかは想像もつかないが、危なっかしいなんて子どもみたい、と思いつつもやりかねないと思っている自分がいるので、曖昧に頷いておく。それも全て理解されているのだろうけど。

「分からなくてもいい。俺が知るようにすればいいだけだから」

 テーブルについていた腕が伸び、エリックの甲が頬をするりと撫でた。喉をヒクリと鳴らして固まった私を見てクスクスと笑うエリック。

 

 面白がる視線から逃れるように、テラス席から辺りを見渡す。彼とともに何度となく訪れたこのカフェ。思い出すのは難しそうな顔で本を読んでいたり、魔法や宿題について話したり。それがヒートアップして小声で討論に発展することもあったというのに。

 

「ここは全然変わってないね」

「そうだな。この店の辺りに変化はなかったと思うよ」

 話題を変えた私に、エリックが小さく笑って答える。文句を言いたいけれど、ただでさえ口では勝てないのに、今の彼に言い返すなんて以ての外だ。言い負かされるだけでなく、甘い甘い、蜂蜜の瓶に突っ込まれそうな予感しかしない。

 

 テラス席と店内を仕切るガラス窓に視線を移すと、そこに映る私たちの姿は頭の中に思い浮かべた姿よりも大人びていて、現実のものとは思えない。

 瞳に映る大人のエリックは何とか見慣れたけれど、こうして大人になった私自身の姿を目の当たりにすると不思議な気分で、夢でも見ているようだ。

 

 ――いつかは慣れるだろうか? それとも記憶が戻るほうが先? だったら今の私の思考はどうなっちゃう?

 

 不意に足元にポッカリ穴が開いたかのような気分になる。

 

「寒い? それなら中に移動するか?」

 

 堂々巡りになってしまう思考は、エリックの言葉によって引き剥がされた。知らずにガラス窓を見つめていたようだ。店内には忙しそうにしている店員さんがいるだけで、ガラスを隔てたすぐ傍のテーブルは空席で安心した。ジッと見られていたら不審に思われただろう。

 

「あ、いやそういうわけじゃなくて……。なんでもないよ」

「なんでもないなんて……」

 

 

「エリック! ラリア!」

 

 眉間に皺を寄せたエリックが言いかけた途端、歩道から女性の声で名前が呼ばれた。そちらを見れば……。

 

「えっと、誰……?」

 

 知らない女性が手を振って近付いて来るところだった。

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