第11話 十六歳の気持ち
「ぴゃっ!」
エリックの色気に喉が引き攣ってしまい、声というよりも変な音が出た瞬間、切れ長の目を見開いてエリックが固まる。一瞬の沈黙のあと、ブハッと吹き出すと肩を震わせて笑い出した。確かに怪鳥の雛のような変な声が出たけれども! そんなに笑うことはないだろう。じとりと半目の私に構うことなく笑っている。
「コ、コカトリス……! ハハハッ!」
「やっぱりそんなに似てた?」
「もう一度鳴いて?」
「いやよ。そう言われてすると全然似てないのよ。それでさらに笑うつもりなの、分かっているんだから」
「はは、残念」
こんなやり取りは今まで何度もしてきた。もしかして私の緊張をほぐすためなのかもしれないと思ったけれど、それにしては本気で笑っているようにも見える。だからいつものように机の下でコッソリとエリックの脛を蹴ってやった。オーバーに痛がる素振りが白々しい。
エリックは普通によく笑うと思っていたら、どうやら他の人の前ではそこまででもない。
『エリック君って、あんまり表情が変わらないのね』
と、クラスメートから聞いて、瞬時に『ウソでしょ!?』と返してしまったことがある。
『普通に挨拶や会話とかはしてくれるし、質問とかにも真面目に答えてくれるけど、あんまり喜怒哀楽を見せないのよね。でもラリアと一緒にいる時に笑ったり口喧嘩をしているの見て驚いたのよ』
彼女だけではなく、男女問わず、先生にまでそう言われたのを、目の前で未だ笑いが収まらない様子のエリックを見ながら思い出していた。
「そこまで変な声じゃなかったってば。エリックって私のことだとすぐ笑うの、どうして?」
「ああ、もちろんラリアの顔と声が面白かったってのもあるけど……」
「どういう意味よ!」
先ほど愛おしさを滲みだしていたとは思わない台詞が吐かれる。けれど少し安堵した。私の知っているエリックが垣間見えたからだ。昨日から溺れるほどの愛を与えてくれたのも、幼馴染の彼本人であると理解はしたが、どうしても信じられない思いのほうが強かったから。
「やっぱりラリアはラリアなんだな、って安心した。結婚して五年以上経って少しは慣れたみたいだけど、未だに俺が不意に愛を囁くとそんな風になるんだ」
「……私って成長していないのね」
「いいんだよ。それもひっくるめて愛しているんだから」
「……あ、ハイ」
気を抜くと息を吸うように放たれる愛の言葉に、心臓は暴れっぱなしだ。その言葉の意味を理解して心臓が跳ね、落ち着く暇もなくまた放たれる繰り返しだ。鎮静作用のあるお茶でも飲んだ方がいいかもしれない。徐々に慣れていった二十四歳の私でもまだ不意打ちを食らっているのだから、耐性のない私には刺激が強すぎる。
騒がしい心臓を抑えながら、深呼吸をして落ち着かせているとエリックが「でも……」と声を落として話し出した。
「正直不安もある。俺の手を取ってくれて、夫婦として歩んできた年月を忘れているなら、いつかどこかで他の男につけいる隙を与えてしまうかもしれないだろう。知り合いじゃないのに知り合いの振りをしてくる男が出てきたら? そしてそいつを本気で好きになったらと思うと……」
「ち、ちょっと! そんなことにはならないわ」
捲し立てるエリックの背後から怪しげなオーラが立ち昇り始めて、慌てて言葉を遮った。闇の上級魔法が放たれる直前のように、じっとりと嫌な汗が流れる。そんな予想でしかないものに本気で怒るなんて。ブンブンと手も首も振って否定を露わにする。
「絶対とは言い切れないだろ?」
禍々しい気配はそのままで、縋るような視線が向けられた。
私の記憶では、エリックは堂々とした自信家でそれに裏付けされた実力も持っている、頭も舌も回るので、憎たらしいけれどもとても尊敬できる人物だ。さらには努力も惜しまないから、周りからも完璧な人間だと思われている。実際私のフォローや尻ぬぐいをしてくれていたし、何度も助けてくれた。
それなのに私に向けられる、この今のエリックの感情を知らなかった。
……でも、本当に?
彼がこれを表に現わさなかっただけで、確かに片鱗はあった気がする。
「もしかして、魔法学のペア授業でいつもエリックと組むことになってたのって……」
「気付かなかったラリアが悪い。例え女子だとしても、ラリアのペアは俺だけだ」
「ひえ……」
にっこりと輝く笑顔を向けられて、情けない声が漏れる。知らなかったけれど心当たりは沢山ある。もしかしてあれも、これも……。
「全部仕組まれていたのね……。それなら好きだと言ってくれれば良かったのに」
「そんなこと言って嫌われたり避けられたら元も子もないだろう。それに今の俺なら上手く立ち回れるだろうが、当時は俺だって十六歳だったんだ。感情に振り回されてしまうこともある」
完璧なはずの幼馴染は、彼なりに思春期だったのだ。鈍感な私には随分とやきもきしてきたのだろう。けれどずっと一緒にいてくれたのは素直に嬉しい。
「なんか、ごめんね。気付かなくって。でも言われてもエリックのこと嫌いになんてなるわけないよ。ほら、私だって気付いたのは今だけど、ちゃんとエリックが好きだったわけだし」
恥ずかしさを誤魔化すように、食後の紅茶を流し込む。久しぶりに胃に食べ物がしっかり入ったからか、エリックの本心を聞いたからなのかは分からないが、非常にお腹がいっぱいだ。手をお腹に当てて撫で摩る。
「ラリア……」
「わっ! ちょっと、立って!」
音もなく立ち上がったエリックは私の前まで来ると跪いた。そしてお腹に当てた手を取ると、その甲に口付け頬を摺り寄せたのだ。慌てて立つように促すも、聞き入れてくれる気配はない。
「……俺もラリアと結婚する以外は考えられなかったけれど、それでもそう言ってもらえてすごく嬉しい」
「今の私がエリックにどんな態度なのか分かんないから、もどかしいよね」
「大丈夫。今のラリアは俺の態度に少し慣れたくらいだから。それにこれから俺たちが生きていく年数を思えばこの数年なんて些末なこと。それでも色々調べてみるし、ゆっくり思い出していけばいい」
「うん、ありがと」
そうだ、エリックはそういう奴だ。頑固だし口煩いけれど、私のことを一番に考えてくれている。それは結婚した今でもそうだなんて、嬉しくて無意識に口角が上がってしまう。
「私は幸せだね。エリックと結婚できて良かったと絶対に思ってるよ」
「……ラリア!」
「ぎゃっ!」
突然の浮遊感に情けない声を上げる。漸く立ったエリックは、何故か私を抱えながらだった。所謂お姫様抱っこをされた私は、首筋に顔を埋めてくる幼馴染……じゃなくて旦那様の後頭部を撫でた。
「やっぱりもう一回ベッドに……」
「行かないよ! 街でデートしたいもん。その手には乗らないから! それに、まだ明るいし!」
顔中にキスを落とされ、首筋を舐められてしまいゾクゾクと昨晩の余韻が広がる気がした。しかしそれを何とか踏ん張って耐える。今日は絶対に外に出てみたい。
「そうか、残念。ではまた外が暗くなった頃にでも」
そう言って顔を上げたエリックがニヤリと笑う。その洩れ出す色気に中てられて頬が熱くなった。口をパクパクさせる私に今度は唇に軽くキスをすると、食堂の扉に向かって歩き出した。
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