統合失調症で入院したらいろんな人に出会えた話

みな

統合失調症で入院したら病棟でいろんな人に出会えた話

私は統合失調症になった。いや、正確には「なった」ときには自覚はなかった。自分ではただ、現実と幻想が入り混じったような感覚に悩まされていたに過ぎなかった。幻聴を聞くことがあっても、それがただの自分の思い込みや一時的なものだと思っていた。それが幻聴だなんて、想像すらしていなかったからだ。だって、実際に耳に聞こえてくる声は、確かに私に向かって話しかけていたから。


私が統合失調症を発症したきっかけは、受験勉強にあった。あの頃、私は高校三年生で、毎日遅くまで机に向かい、模試の成績を気にしながら、ただひたすらに勉強に没頭していた。家では、朝から晩まで参考書に囲まれ、ノートに鉛筆を走らせている自分が当たり前だと思っていた。しかし、次第にそれが次第に無理をしていることだとは気づかずに、身体と心は疲弊し、焦りの中で自分を追い込み続けていった。


その頃、勉強に集中できなくなり、目の前の問題がなかなか解けないことに苛立ちを感じるようになった。最初はほんの些細なことで、たとえば静かな部屋で頭の中に誰かの声が響くことが増えてきた。声はだんだんとリアルになり、私はそれに気づくことなく、ただ「勉強の疲れだろう」と考え、無理に勉強を続けていた。


しかし、次第にその声は私の内面からだけでなく、周囲の空気にまで広がっていくような感覚を覚えるようになった。誰かが私の悪口を言っている。否、私を嘲笑っているのだ。家にいても、外に出ても、何かの音に紛れて、時折耳元で声が聞こえてきた。私はその声が現実だと思い込んでいた。あまりにもリアルに聞こえる声だったからだ。


その頃、私はまだ自分の精神状態が正常でないことに気づいていなかった。ある日、両親にその異常さを指摘され、病院に行くことになったが、そのときの私はすでに病院に行く気持ちは全くなく、「自分には病気なんてない」と強く思っていた。


しかし、病院に着くと、すぐに医師に診断され、その場で即日入院が決まった。私の中で、すぐにでも治療を始めなければならないという状況だということは理解できた。しかし、納得できなかった。


「私は病気ではありません」と問診票に書き、病院を出ようとしたが、結局病院のスタッフに無理に連れて行かれ、閉鎖病棟に入院させられてしまった。私にとって、病院に入るという行為は、人生の中で最も屈辱的な出来事の一つだった。自分が精神的に病んでいるなどとは、思いもしなかったのだ。


「いや、私は病気じゃない、帰りたい!」と叫びながら、病室に連れて行かれる私の体は、看護師たちに抑えられ、無理に押さえつけられた。入院初日の私は、まるで何かの罰を受けているような気分だった。その瞬間、病室に一歩足を踏み入れた私は、ひどく情けなくなり、涙が止まらなかった。


病室に入ると、病気ではないのに入院させられてしまった、という事実に私は声を上げて泣いた。無理矢理閉じ込められたことが本当に屈辱だった。

「みなさん、泣いてたでしょ」

看護師は私の鳴き声に気づき、病室に入ってきて背中をさすってくれた。そうすると気持ちが落ち着くような気がしたのだ。


病室に入って数日経った頃、少しずつ、入院生活に慣れ始めた。最初は自分が「病人」だとは認めたくなかったが、次第に、ここにいる患者たちがどれだけ重い症状を抱えているのかを目の当たりにすることになった。


病室には、さまざまな患者がいた。毎日泣き叫んでいる人もいれば、終始無言でじっとしている人もいた。中には、ずっと歩き回りながら、何かをつぶやいている人もいた。それぞれの病気の症状は異なり、入院している人たちはそれぞれに自分の抱える問題を抱えているようだった。私が初めてその場所に足を踏み入れたときは、病院にいること自体が信じられなかったが、少しずつ、他の患者さんたちとのやり取りを通じて、心の中に少しだけ安堵が生まれた。


患者たちとの交流を重ねる中で、私も少しずつ心を開いていった。特に印象に残ったのは、私と同じ年頃の女性だった。彼女は、うつ病と診断されており、日々の生活の中で精神的に追い込まれていたようだった。彼女と話をしていると、自然と心が軽くなった。彼女は、自分がどれだけ追い詰められていたのか、そして、どうして自分をそんなに追い込んでいたのかを語ってくれた。


ある日、私はその患者さんに「どうしてそんなに自分を責めてしまうの?」と尋ねた。すると、彼女は小さく笑って答えた。


「だって、期待に応えなきゃと思ってたから。でも、今思うと、別に無理に頑張らなくてもよかったんだよね。」


その言葉は、私の心に深く残った。私はその瞬間、初めて「無理をしてはいけない」ということを実感したのだった。


ある時、私は他の患者さんとトランプをして遊んでいた。

「皆さん社会人ですか?」

私はそう尋ねると、とある患者さんは

「うーん……まぁ人とだけ答えておきます」

と言った。私は不用意な質問をしたかな、と思った。

そこに、双極性障害で入院している、と言う方が

「私は神です、誇大妄想で入院したので」

と言った。今はもう妄想も出てないけどね、と笑っていたので、そこにいるみんなもつられて笑った。


入院生活の中で、私は少しずつ自分を見つめ直すことができた。毎日のように過ごすうちに、次第に焦りとプレッシャーから解放されていったのだ。無理に大学に合格しなければならないという強迫観念から、少しずつ自由になったように思う。


私が受験に向けてひたすら勉強していたのは、他人の期待に応えるためだった。親や学校の先生が示す理想に、自分が追いつこうとして必死になっていた。でも、その過程で私は自分を犠牲にし、心を無視していたのだ。受験という目標が、私の心を押し潰していたのだと今、振り返って気づく。


私はその後、主治医に勉強をしても良いかどうかを尋ねた。そして、少しずつ病室で勉強を再開した。今思うと、無理をしないようにしながらも、勉強を再開することが、私の回復への大きな一歩だったのだと感じる。


私は今まで自分に無理をして走り続けていたことに気づいた。

私は親しかった年上の入院患者に、受験のストレスで病気になってしまったことを話した。

「べつにエリート校に入らなくても人生は終わらないよ」

そう言ってその患者さんは笑った。


入院生活の中で、私は多くの人と出会い、そして自分を見つめ直すことができた。それと同時に、自分の病気に対しての偏見も少しずつ解消されていった。私は以前、精神科の患者たちに対して何らかの偏見を持っていた。どこか怖い、危険な存在だと思っていた。しかし、実際に入院してみると、そこにいる患者たちはみんな、普通の人々と同じように、ただ病気に苦しんでいるだけだった。


私は退院後、再び学校に通うことになったが、以前のように無理に勉強し続けることはなくなった。受験に対する焦りも少しずつ薄れ、自分のやりたいことを見つけることができた。それは心理学だった。私は、この病気に対する理解を深めるためにも、そして将来、心理職に就くためにも、心理学を学ぶ道を選んだ。


私はこれからも無理をせず、ゆっくりと自分のペースで生きていきたいと思っている。受験というプレッシャーから解放され、今では、自分のペースで心地よく勉強し、生活している。これからも、無理をせず、自分に正直に、周りの期待に流されずに生きていこうと決意した。


そして、入院経験が生かせる仕事、つまり心理学を学び、心のケアに携わる仕事を目指して努力を続けていきたいと考えている。

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統合失調症で入院したらいろんな人に出会えた話 みな @minachancute

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