第24話 雨の日

 ぱたりと「月光教の興廃こうはい」と書かれた本を閉じた俺は右手で眉間を揉んだ。

 指先に魔力を込めると、活字を追って疲れた目が癒えていく。

 俺の最近のマイブームは回復スキルの鍛錬であった。


 アンバーが強すぎるせいで最近、俺の出番がまったくない。

 俺がEランクの雑魚パーティーでコツコツ積み上げてきた火力職としての自信は、連日のパワーレベリングですっかり失われてしまった。

 仕方がないので便利スキルを沢山覚えることでアンバーの支えになろうと考えた俺は、本屋に行って回復スキルの専門書を買ってきたのである。


 今はまだ初級のヒーリングしか使えないが、いずれはリジェネレーションも使えるようになりたいものだ。

 あれは習得方法が口伝で伝えられてたせいで、アザゼル事件以降使用者が居なくなって遺失スキルとして登録されちゃってるんだよな。

 当然、リジェネレーションの魔杖まじょうも作れない。

 まったく、最期までロクなことをしない宗教だこと。


 俺が酒場の席から窓を見ると、窓の外はざあざあと激しく振る雨に打たれていた。

 この雨が降り始めて、もう10日目にもなる。


 アクアマリン市のあるチューブ荒野は、年に数度も雨が降らない乾燥帯だ。

 だからこういった日は不要な外出などせず、仕事も休んで家でゆっくり過ごすのがこの街の慣習だった。


 最初の数日は台風がきた時のようにワクワクしていたものだが、それが2週間ともなると気が滅入ってくるというものだ。

 親父さんに聞いたところ、ここ数十年で一番の記録的な長雨だという。

 暇を持て余した俺は、アンバーから借りた本を机の上に山積みにして何度も何度も読み返していた。


 ボーっと天井を見ていた俺は、雨音に紛れるようにカリカリという音がしていることに気が付いた。

 左を向くと、アンバーが隣の席に座って何やら書き物をしていた。

 どうやら俺が本を読んでいる間に、酒場まで降りてきていたようだ。


「アンバー、何書いてるの?」

「ん-とのう、暇じゃから原稿でも進めようかと思ってのう」

「ああ……アレね。アレ」

「うむ、アレじゃ」


 自伝風小説「わしとこん棒6」の執筆活動中らしい。

 テーブルの上には没になったであろう沢山の紙が散乱している。

 一枚を拾い上げて見ると、何やらダンジョンの中でパジャマ姿の不審な男を助けたシーンのようだった。


 つーか、これ俺じゃん。

 俺の危ない秘密をうっかり書かないように、後で釘を刺しておく必要があるな。

 そんなことを考えていると、いきなり厨房の方から大きな泣き声が聞こえてきた。


『びえええええええん!!!』


 モモちゃんの泣き声だ。

 どうやら、また料理中に何かしらの失敗をしてしまったようだ。


「おおーい! ハルト、きてくれー!」

「お主、親父さんが呼んでおるぞ、早く行ってやるんじゃ」

「そうだな……」


 俺が席を立って厨房まで行くと、モモちゃんが左手を抑えて泣いていた。

 厨房の床にぽたりぽたりと、鮮血が落ちていく。

 誤って、包丁で指を切ってしまったようだった。

 俺はしゃがみ込んでモモちゃんに目線を合わせると、優しく語り掛ける。


「モモちゃん、怪我したところ見せてみな。またお兄ちゃんが治してあげるから」

「ひっぐ、ひっく……うん……」

「そうそう……大丈夫、すぐ治るからね。……痛いの痛いの飛んでいけ、ヒーリング!」


 モモちゃんが差し出した左手の指先に俺の魔力が青い光となって流れ込んでいく。

 あっという間に治療が終わると、親父さんから受け取った綺麗なタオルで手に着いた血をぬぐい取ってあげた。


「ハルト、いつもありがとうな。ほら、モモもお礼を言いなさい」

「ありがとう、お兄ちゃん……」

「モモちゃんの作るお昼ご飯、楽しみにしているから。めげずに頑張ってね」

「うん!」


 俺の励ましの言葉にモモちゃんもすっかり元気を取り戻したようだった。

 ぶっちゃけ6歳の幼女の好感度なんていくら上げたって意味はないんだけど、こういうのも将来子供ができた時の予行演習にはなるからな。


 それに相手がガキだからといって舐め腐った態度を取っていると、いずれ大きなしっぺ返しがくるものだ。

 俺はモモちゃんの報復で宿から追放された客の末路を思い出して身を震わせた。


 仕事が終わったので、元の席に戻った俺はまた天井をボーっと眺め始めた。

 俺の回復スキルは練習を始めたばかりだから、まだ切り傷くらいしか治せない。

 自傷するのも何だからこうやって怪我人を見つけては治していたわけだが、なぜだか知らないが解毒スキルの熟練度の方がぐんぐん上がっていく始末だ。


 ちょっと可哀想だが、プレーリーラットでも捕まえて練習台にするか?

 流石の俺も、ハムマンをモルモット代わりにするのは良心がとがめたのだった。



 それからしばらく経ち、モモちゃんの手料理で昼食を終えた俺達がお茶を飲みながら余韻よいんに浸っていたその時。

 いきなりバン、という音とともに店の扉が勢いよく開いた。

 様子をうかがうと、両開きの扉から一人の少女が入ってきた。

 金魚鉢のような形をした白い浮遊するポッドに乗っている。

 なんかデジャブだな……。


「アンバー、いる!?」


 そう叫んだエクレアは血相を変えた様子でこちらにやってきた。

 雨に濡れた全身から滴る水に、床が水浸しになろうともお構いなしだ。

 普段の彼女からは想像もできないほどの焦りを見せるエクレアの姿に、俺とアンバーは顔を見合わせた。

 何やら大変なことが起きたらしい……。

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