第7話 ゲイゼル

 ドサリ――と音がした。


 ハッ――と我に返ると、そこは先程までの村の広場だった。黒い泥濘の上に死んだ黒妖犬ブラックドッグ。そして倒れた魔族、ルキ。ルキの肢体は急速に輝きを失い、まるで黒い炎が燃えるかのように塵へと帰っていった……。


「魔石ダ」


 男は滅びゆく魔族の身体から黒い塊を引き抜くと、私の前に見せた。


「今のは!? いま、ここに沢山の死体があった! 見たでしょう!? 貴方もで!」


 我慢していた言葉が溢れ出し、その勢いで彼へと問いただした。あんな恐ろしい場所に独りだけで居たなんて考えたくなかった。せめて共感してもらえればとすがりついたのだ。…………しかしおよそ表情など伺い知れないその鉄塊の前で、徐々に私は冷静さを取り戻し、自分自身の正気を疑った。


 何を話しているのか。白昼夢のようなものを見たが、それはほんの一瞬の出来事で、だんだんと記憶が曖昧になっていく。ただ、冷え切った身体にあの温もりがあった感触だけは強く残っていた……。


「……魔石があデば、魔剣を打デる」


 男はまるで興味が無いかのように話を続けた。

 ふぅ――と諦めて溜息を吐き、彼の話の相手をする。


「貴方、魔剣を打てるのですか?」


 鉄塊の男は首を傾げたのか僅かに頭を傾かせた。


「鎧鍛冶が魔剣を打デるわけがないだろう。それよりも腕を止めデくれ……」


 止まれストースヴァ――と古王国の言葉で命じると、彼の腕は再び背中へと戻って行った。


「貴方、いったい何者なのです? さっきの……私の力が無くても自分でどうにかできるのではないですか?」


 ガン!――と、突然自分の腕で自分の頭を殴る男! 私が話しかけているのに!


「――なに!? いったい何事!?」


 ボタリ――と面頬ヴァイザーを僅かに上げて吐き出されたものが、地面に落ちる。小さくとも何か重そうで黒い物。


「思った通り、が詰まっていて声が出なかったのだ。――お前さんの力が無かったらどうにもできなかったよ。それに腕を同時に四本も扱えるわけが無いだろう。人間にはもともと腕は二本しかないのだから。当たり前だ」


 急にベラベラと喋り始めた男に呆気にとられる。


「あ、あなたのような非常識な存在に言われたくはありません!」


「ゲイゼルだ」

「はい?」


「名前だ。思い出した、ゲイゼルだ」


 いくらか枯れた低い声で返した鉄塊の男はしかし、先ほど面頬ヴァイザーの奥に一瞬見えた口元は、その声の印象とは全く異なり、白く、そしてぞっとするような美しさを覗かせていたのだ。



 ◇◇◇◇◇



 私は人形ひとがたを操って兵士たちを退避させ、介抱させていた。幸い、泥で息を詰まらせて死んだ者は居なかった。兵士たちの中には人形となった村人の遺骸にすがりついて感謝する者や、涙して地に伏せ謝る者も居た。



「ゲイゼルは何故この村に居たのですか? 村人では無いでしょう?」


 ゲイゼルはというと、鎧も脱がず、自らの手当てもせずに佇んでいた。こちらが心配しても――勝手に魔法の力で治るから気にするな――と。


 ――気にしない訳がないでしょう!


 結局、あれだけの出血も今は止まっているようなので口を出せないでいた。


「待っていたのだ」

「さっきも聞きましたが何を? 私ではないでしょう?」


 ゲイゼルはいくらか黙り込む。


「…………いや、もしかするとお前さんなのかもしれない」

「さっきも言いましたが、お前さんではなく、アミラと」


「もしかするとアミラを待っていたのかもしれない」

「システィルを…………まあいいです。――私に何か用があったのですか?」


「いいや。だが、お前さ……アミラを待てと言う事だったのかもしれない」

「誰かから指示を?」


「オレを救ってくれた女神からだ。だから浮浪者たちに交じってここで待っていた。最初はあの魔族デオフォルだと思っていたのだ、待つべきは」


 ゲイゼルは神々からの啓示を授かったのだろうか。神から祝福や啓示を授かることは稀だが確かにあった。神は祝福で勇者を選ぶし、どのような祝福でも、もたらされることで若い頃であれば成長が著しく早くなり、また成人後は長く不老にもなると言う。だから信仰の厚い王国の民は神の祝福を受けるべく、善人たろうとする。


「浮浪者ではありません……あれはここの村人です」

「そのようだな」


 ゲイゼルは兵士と人形ひとがたとなって動く村人たちを眺める。その中には広場の様子を伺いに来たのか、家々から顔を覗かせ、集まってきた村人たちが居た。彼らもまた、人形ひとがたに話しかけていた。


「残念ながら我々には彼らの魂を呼び戻すことはできません。いま身体に入っているのは魔法的な仮初かりそめの魂なのです。私には彼らを修道院へ連れ帰り、焼いて埋葬することくらいしかできません」


「ここで火葬すれば良いではないか」

「統治するディールオ卿がそれを許さないでしょう。木材は薪と言えど管理され高騰し、村人には容易に手に入らなくなっています。私が世話になった家のように、亡くなった夫を火葬するため、僅かずつの薪を買い貯めている妻さえ居るのです」


「この村はそんなことになっていたのか……」

「貴方はこの近くの人ではないのですか?」


 そう問うと、逡巡……しているのかは表情が見えないためわからないが、答えに詰まるゲイゼル。


「生まれはともかく、ここへ来るのは久しぶりだ。そもそも人と話すのも何十年ぶりか。お陰で声まで錆びついていた。フフッ」


 ゲイゼルはそんな冗談を言って笑う。



 ◇◇◇◇◇



「アミラぁ! アミラ!」


 通りの方から女の子の声。

 見ると、キミニが駆けてきていた。しかも裸足で。


「キミニ! ママの言うことを聞いてくださいとあれほど……」

「申し訳ありません、修道女様マテル。大きな音で心配した娘が私を振りほどいて裸足で駆け出して……」


「アミラぁ、よかったぁ」

「心配してくださったのですね、キミニ。ありがとう。――ヴァトはどうしました?」

「先に帰して父にあらましを告げに……」


「そうですか。ルーク卿は……居なくなりましたからおそらく大丈夫。旦那さんを家に帰しましょう。領主は我々の方で説得してみます」

「ですが……」


「弔いもせずに争いばかり続けている方がおかしいのですよ、ええ」


 私は自分に言い聞かせるようにそう言った。ゲイゼルの言う通りだ。彼らをここで弔う方が彼らのためにも、村人のためにもなる。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る