第2話 システィル・アミラ

「お姉ちゃん、綺麗……」


 キミニと呼ばれた6つになる女の子は、頭巾を解いた私の赤い髪に見惚れていた。


「キミニ、失礼ですよ。修道女様マテルと」

「構いませんよ。アミラとお呼びください」


「アミラ?」

「ええ、アミラと。――髪は精油と刷子ブラシで手入れしているのです。キミニの髪も手入れしてあげましょう」


 わぁ――と顔を綻ばせる少女。私は早速、荷物から香膏と刷子ブラシを取り出す。そして前に立ったキミニの麦の穂のような髪をき始めた。傍に居たひとつ上のヴァトも興味があるのかキミニの様子を眺めていた。


「システィル・アミラ……ありがとうございます……」

「よいのですよ。修道院では幼い子たちの面倒もよく見ていましたし、清めは修道士の仕事です」


 彼女――ユリアの家は村からは少し離れた丘の上に在った。この辺りでは珍しく、石灰の白さが美しい漆喰の壁の平屋の屋敷だった。古くはあったが、元々は名家の家系なのかもしれない。


 肌寒い外と違って屋敷の中は思ったよりも暖かい。部屋には泥炭によくある独特の匂いが染みついていたが、その通り、暖炉には干された泥炭が赤々と燃えていた。


「失礼ながら……こちらにはユリアとお子様二人だけ?」

「いえ、ヴァトは娘の幼馴染で、私が引き取りました。それから足の悪い父が居りまして……。少し気難しいのもあって、失礼があってはいけませんし、お会いになられない方がよいかと……」


「足がお悪いのですか?」

「ええ、戦争で足を痛めてそのまま」


「よければ私が診ましょう。これでも施術を学んでおりますので」



 ユリアはその父親――ソルール家の家長の所へ私を通してくれた。ベッドで寝そべる父親へ、彼女は私を修道女マテルだと紹介してくれるが――


「古傷には治癒魔法は効かん。望みのない施療なども無用だ。私には寄付できる金も無い」


「お金がなくとも寄付は頂けますよ。私が二三日ここに泊まれるだけの宿代を。もちろんそれなりの施術は施しましょう」


 おそらくはかつて戦士であったであろうその男の脚は瘦せ衰えていた。両膝を傷め、確かにこの足では歩くことも難しいだろう。ひと通りを診終えた私はユリアに告げる。


「乾燥させた焚き木を何本か頂けますか? できれば樫か、水楢ミズナラの端材があれば良いのですが」

「えっ…………ですが……」


「焚き木? 焚き木なんぞ何に使うのだ」


 ユリアの父がそう問いかけたのは私ではなく、ユリアへだった。


「それは……」

「まあまあ。ともかく、焚き木を見せてください」


 訝しむユリアの父を尻目に、ユリアを部屋の外へと促し、案内してもらった。

 私は適当な焚き木を見繕い、鉈を借りて荒く形を切り出した後は手持ちのナイフで削り出していった。その様子を興味深そうに眺めるヴァトとキミニ。


「それをいったい、何に使うんだ?」


 ヴァトが問いかけてくる。


「何でしょうね。わかりますか?」

「ん…………」


 二人とも頭を振った。


「まだすぐにはできませんから、当ててみてください」


 その後、しばらくの間そうやって三人で過ごしていると、ユリアが食事の準備ができたというので木屑を片付けて夕餉ゆうげをいただいた。簡素な食事ではあったが、塩漬け肉に喜ぶ子らの様子を見るとユリアが奮発してくれたのは分かったし、またバターの香りを楽しんでくれたことが嬉しく思えた。



 ◇◇◇◇◇



 翌朝、私は井戸の水を頂いて身を清め、村へと向かった。広場は相変わらずの様子だったが、村人たちはその中央の広場を避けるように生活してるのが見て取れた。広場には時々見回りの兵士がやってきているようで、広場の誰かしらの前で立ち止まる村人たちに睨みを利かせていた。


 私は広場で彼らにひとりひとり、祈りを捧げていった。


 ――主神あるじがみの祝福があらん事を。


 ――戦いに傷ついた魂が癒されん事を。


 ――再び立ち上がり、魂の輪廻へと歩き出さん事を。



 ◇◇◇◇◇



 昼近くまでそうして祈りを捧げていると――


「熱心ではないか、システィル・アァミラ」


 ねぶるような口調で声を掛けてきたのはディールオ卿だった。


「修道士としての務めですゆえ」


「祈りなど捧げずとも、必要な人数を寄こしてくれれば十分なのだがな」


「(不快ならば火葬にすれば宜しいでしょうに……)」


 私が小さく呟くと――


「焚き木と言えど馬鹿にならん。そのような余裕があるなら刃と鎧を打つ」


 聞こえていたのかそう返したディールオ卿。


「――吾輩が次に村を訪れる時までに片付けておけよ」


 そう言い残してディールオ卿は供の者と共に去っていった。



 その後、屋敷の方で昼食をいただいた。どうやら、この屋敷自体はディールオ卿の物ではなく、最初に私へ声を掛けてきた鎧の男、ルーク卿サー・ルークの物だったようだ。最初の印象からか、あまりよく思われていなかった私は、例の狭い部屋で程々にご馳走と言える食事を頂いた。ただ、環境が環境であっただけに、ソルール家で戴いた食事の方がおいしく感じられた。



 ◇◇◇◇◇



「ええい! 触れるな愚か者!」


 昼食を終え、十分な昼寝の時間を取ってから広場へ戻ってみると、何やらただならぬ様子でルーク卿が吠えていた。そしてそのルーク卿に殴られたのか、ぬかるんだ地面に手を着くのはユリアだった。さらにその後ろにはヴァトとキミニが。


「何をしているのです!」


 足早に近づきながらそう声を上げるが、ルーク卿は私を一瞥しただけ。


「この女を鎖に繋げ!」

「お待ちください、彼女が何をしたと言うのです!」


 割って入るもルーク卿の部下たちが強引にユリアに手を掛け、私から引き離そうとする。ユリアはひたすらにキミニたちにこの場を離れるよう叫んでいたが、そのような母親の姿を見てキミニたちが素直に言うことを聞くわけがない。二人とも動転して動けないでいた。


「この女は禁忌に反して疫病に侵された病人に触れたのだ。罰としてここへ繋ぎ止める」


 ルーク卿は冷めた目で淡々と私へ告げた。


「その程度ことで彼女に厳しい罰を!? 残される二人の子供はどうなるのですか!」


「ガキなど知った事では無いわ。疫病を広げぬための処置だ」


「何をいいかげんな! 疫病は魔法でもう効果が――」


 バンッ!――目の前でルーク卿の腕が振るわれた。

 逆手の平手だったが、覆うのは金属製の篭手ガントレットだ。頬に鋭い痛みが残る。


「余計な事を喋るな……」


 ルーク卿は睨みを利かせてきた。ただ――


「うわぁぁあん! お姉ちゃぁああん! パパぁ、パパぁ!」


 振り返るとキミニが泣き叫んでいた。視界の端に自分の頬から垂れた血が見えたが、私の流血に怯えて感情が溢れたのだろう。


 キミニは座り込んだのひとりを揺さぶっていたが、それはぐらりと横に倒れる……目を伏せたくなるような光景だった。ユリアはというと、泥まみれで地面に押さえつけられ、鎖の付いた手枷を嵌められつつあった。


「ヴァト! キミニを父親から離してやって!――ルーク卿、このような横暴、修道会として見過ごすわけには参りません。今すぐ彼女を解放なさい」


修道女システィル風情が、俺に命令するつもりか?」


「ええ、聖堂は貴方どころか、ディールオ卿にも命令する権力がありますよ」


「フンッ! そのガキどもを鎖で繋げ! ついでにこの小娘もだ!」


 その言葉に全身の毛がぞわりと逆立つような感覚を覚える!


 ――子供たちを何だと思っているのか!


 ルーク卿が命じると兵士たちが私たちを囲うように迫りきた。


 取り巻きの兵士はユリアを取り押さえている者も含め7名。門番もこちらへやってくればさらに増えるだろう。村人たちは遠巻きに様子を伺っていたが、関わるつもりは無いようで身を潜め始める。そもそもが女や子供、老人ばかり。


 私は覚悟を決め、兵士らに向かって身構えたのだ。






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