死鎧の騎士

あんぜ

第1話 栄光の町

「ヴァト、待ってよぉ」


 泥道を、若草色に染めた大きめの外套クロークまとった小さな女の子が駆けていく。黒い土を跳ね上げながら。

 追う先には同じくらいの年の上着コットを身に着けた男の子。


「しょうがないなあ、キミニは。ほら」


 男の子が手を差し出すと、女の子はその手を取り、歩き出す。女の子が悪路に足を取られても、男の子はしっかりと繋いだ手でその子が転ばないように支える。

 私がその二人に気を取られていると――


「もし」


 振り向くと、二人の母親だろうか。乾いた唇と荒れた肌を頭巾フードから覗かせ、薄く、そして擦り切れた外套を纏った女性が声を掛けてきていた。


「――この先の村はあまり村ではありません。戻って南に迂回された方が宜しいですよ。貴女のような若い方は特に」


 その忠告に私は微笑みを返す。


「ありがとう。ですが私はこの先の村に用があるのです」


「そう……ですか」


 女性は残念そうに俯き、歩き始めようとするが――


「お待ちを。これをお持ちなさい」


 私は提げ鞄から焼しめたパンやバターの塊が入った包みを差し出す。


「施しは受けません……」

「いえ、これは施しなどではありませんよ、やさしい人。それに村で買い足せば、私にはもう不要になります」


 ね?――と首から下げたメダイユを胸元から出して見せると、女性は納得したように頷く。


「――そのままで。荷物に入れてさしあげましょう」


 女性の両手は薪で塞がっていたため、彼女が肩から提げた籠に包みを入れた。

 こんな大荷物を持っていながら、わざわざ私のために足を止めてくれたのだ。



 女性と別れ、を進むと、やがて狭いほりと簡素な土塁に囲われた村へと入る。出入りを誰かが見張るわけではないが、やぐらがあるのは見えていた。


 村の中はえた臭いが漂っていた。ただ、貧民街のような汚物の匂いだけではない、異質な臭いもその中に混じっていた。


 歩を進め、村の中心へ近づくにつれてその異臭は強くなってくる。それなりの大きさの村だと言うのに足元はぬかるみ、健脚をうたうはずの自慢の脚も歩みが鈍る。



 ◇◇◇◇◇



 村の中央の広場へ入ると、そこには打ち捨てられた荷車や手押し車と、それらに寄りかかり、身を寄せ合うようにして座り込んだ多くの人影があった。それらは皆、文字通り息を殺したように動かなかった。


 ――酷い。


 だけど今の世に於いて、こんな光景は珍しくも無かった。


 座り込んだ人影は下穿きブレー襯衣シュミーズといった服装に、せいぜいが簡素な上着か外套を纏っているだけ。近くに落ちている武器も大鎌サイズ二叉フォーク、板を合わせただけの盾といったもの。ほとんどが農民なのだろう。凡そまともな鎧や武器というものを身に付けていなかった。


 ――ただの農民兵というわけでもなさそうだ。


 部分的に鎧を身に付けていたり、兜だけ被っている者も居たが、どれも中途半端で役に立ったようには見えなかった。おそらくは戦場で拾い集めたのだろう。こういった物を拾い集めたり、金に換えたりする者は珍しくない。さらには身を護るためか、体中に鎧をでたらめに重ねて縛りつけた者まで居た。


 ――これではいざという時に動けまい。


 重そうな、まるで金属の塊のように見えた。

 私は主神あるじがみへの祈りを捧げる。



 ◇◇◇◇◇



「――おいっ、聞いているのか! 何をしている!」


 ハッ――と気が付いて振り返ると、板金鎧を身に纏い、馬に乗って取り巻きを連れたいかつい男が居た。領主に仕える騎士というやつだろうか。最近はどこの領主も、この男のような屈強な従僕に小さな領地や役職を与え、自分に従えさせていた。それらは騎士クネヒトと呼ばれていた。


 祝祷に集中し過ぎていた。何度か呼びかけられていたようで、苛ついたのかその男の取り巻きに乱暴に肩を掴まれていた。


「わ、私はセナト=ロクウィム修道会より派遣されて参りましたアミラと申します」


 慌てて修道会の身分を証明するメダイユを引っ張り出して見せると、取り巻きも手を離してくれた。


「それならば早くそう言え! 閣下がお待ちかねだ。それからに勝手に触れるな。村人に示しが付かぬ」


「示し――とは? 彼らは村へ攻めてきた他領の者ではないのですか?」


「これらは全てこの村の者だ」


「なんと……」


 理解が及ばなかった。


 領地同士の争いは珍しくもなく、戦場では多くの死人が放置されることも多い。しかもその死人は埋葬されるまでは死人として扱われない。小休止しているだけだ――と。どのような言い訳かと思うかもしれないが、かつて現れた死人を操る魔族デオフォルは、聖別され、埋葬された死体を好んで配下に加えたのが大きな理由だ。


 そういった死人の処理を修道会に任されることは珍しくなかった。戦場を片付ける余裕さえないとは、どれだけ争いが好きなのだと呆れかえるくらいだった。


 かつてこの広大な土地は帝国の一部だった。千年の栄華を極めた豊かな土地だったのだ。それが今はいくつもの領地に分かれ、互いに争っている。今から40年以上前、王国に見いだされた勇者が魔王を討ったにも拘らず――だ。



 自領の者が村の中で大勢亡くなり、その上触れるなとは如何なる理由があってか。問いかけたがその騎士は答えてはくれなかった。



 ◇◇◇◇◇



修道女システィル! ようこそ栄光の町ディールオへ」


 その眉の無い、色白で痩せてはいるが背の高い、まるで蛇のような印象の男は言った。


「アミラとお呼びください、閣下」


「システィル・アァミラ……遠い所をご苦労。吾輩わがはい栄光の町ディールオを治めるエルミトス・スッラーラ」


 ゆっくりと落ち着いた様子で、しかし一音一音をねぶるように口からこぼした男、スッラーラ卿。彼は謁見の間で、黒い犬を4頭連れていた。それらはただの犬ではなく、黒妖犬ブラックドッグと呼ばれるこの世ならざる存在だったが、彼の臣下たちは気にした様子も無かった。


栄光の町ディールオ……ですか?」


「そう。スッラーラ領と呼ぶのはみやびさに欠けよう? かつて勇者ドバルが魔王を討ち取った最後の地、栄光の町ディールオだ。勇者教からの評判も良い」


 彼の言う通り、魔王はこの地で打ち取られたが、この村かどうかまでは知らない。聞いた話では王国が勇者の像を建てたというが。……そして彼の言う勇者教についてはあまり良い噂を聞かなかった。


「して、システィル・アミラ。修道会の本隊の到着は明日か? 明後日か?」


「本隊……でしょうか?」


「ああ、システィル・アミラ。君は先触れなのだろう? それに見たところまだ若い」


「……いえ、私ひとりですが……年は今年で13になります」


「なんと! いまだ調査か何かか? 13というとまだ子供ではないか。こちらとしては早くあの病人どもを片付けて欲しいものなのだが……数え終わったら早々に人を寄越していただきたい」


「ああ、いや……」


 スッラーラ卿……いや、この場合はディールオ卿ロード・ディールオになるのだろうか? 彼は私を部下に任せて、退室を命じた。ただ私は気に掛かったことがあり、発言の許可を求めた。


「あの、ディールオ卿……宜しいでしょうか」


 そう問うと、苛立ちさえ見せていた彼が得心したように微笑む。


「なにかね、システィル・アァミラ」


「広場の村人、あれは何にのでしょう?」


疫病プレイグの魔法だ。安心せよ、もう十分に時間は経っておる」


 疫病プレイグの魔法というのは神の御業みわざとされるような魔法だ。だが土地神の地母神がそのような力を寄越すとは考えにくい。となると力のある魔族デオフォルか……。



 ◇◇◇◇◇



「これは……」


 口を外套で塞ぎながら呆れ気味に呟いた。

 通されたのは狭く、埃だらけの屋根裏部屋のような歪な間取りの部屋だった。ベッドにかかる毛布もえた臭いがし、清めるのも容易ではなさそうだった。



 諦めた私が旅装束のまま、ベッドの上に寝転んでいると使いの者がやってきた。


 使いの者に言伝ことづてられて、屋敷を囲う壁のその門のところまでやってくると、屈強な門番の前に、街道で出会った女性が立っていた。


修道女様マテル、先程は……」


 そう口篭くちごもった女性は、門番に怯えているのか上目遣いでかしこまっていた。私は門から少し離れたところへと女性を促す。


「ここなら気兼ねなく話せますよ。何かありましたか?」

「先程はありがとうございました。それで…………こちらを籠の中へ落とされませんでしたか?」


 彼女は提げた籠の中から銀貨を1枚取り出して私に見せた。


「お持ちになってくださって構わないのですよ。私が入れた物なのですから」

「さすがに銀貨まではいただけません……」


 銀貨一枚。それなりの職に就いた働き手の日当ではあったが、この女性は受け取れないと言う。ただ、この高潔でまた親切でもある彼女には、子供らのためにもぜひ受け取って欲しくあった。


「では、どうでしょう。銀貨の代わりに私を貴女の家に一泊させていただくというのは。実は用意された部屋にノミとネズミの死骸が……」

「まあ!……そうですね、そういうことであれば、どうかお泊りください、修道女様マテル


 ノミはともかくとしてネズミは本当だった。となればノミくらい居るだろう。

 得心した私はにこりと返す。


「アミラと」

「ええ、システィル・アミラ」






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