一人ぼっちだったから 1

 夜。見上げれば大きな月と沢山の星が煌めいている。

 キラキラ輝いて、とても綺麗だ。――いつも通り。

 私は足元を見る。


 見えるのは燃えるような紅い髪。

 投げ出された白い腕と、ピクリとも動かない瞼。

 倒れている女の子が一人。――……いつもどおり。


 彼女はきっと多分、絶対、異世界からやって来た子だ。

 善の神様が、生の神様が、私を殺す為だけに送り込んで来た刺客。

 どうせ甘い囁きで騙されて連れて来られたのだろう。


 自分達は困っています。助けて下さい。なんて。泣きついて。

 自分達の世界には言いようのない《悪》がいます。なんて。――ああ、これは本当ですね。

 助けてくれたらなんでも願い事を聞いてあげるとか抜かしたんでしょうか。簡単な願い事なら叶えられるでしょうから嘘は言っていませんが……。

 全く。呼んでおいて、返せないくせに本当に身勝手な奴。


 そんな事を、考えながら私は彼女に手を翳した。

 なんてことはない。善の神が居るのなら、悪もいるということ。生の神様がいるなら死の神様もいる。

 異世界から人を呼ぶ神が居るのなら、帰す神もいるという事。反対の神様は必ず存在する……。


 なに簡単だ。少しだけ思えばいい。

 元の世界に帰れますように。そう、ただ簡単に願うがけで良い。


「…………っ!」


 けれど、私の手は彼女に触れる直前で止まった。

 

「なんで……」


 思わず言葉が零れる。

 唇を噛みしめ、私は震える手を抑えた。

 紅い彼女を見ながら思った。


 どうしてこの子は、何を望んでこの子は此処に来たのだろう。

 誰も居ない夜の帳の中で私は考える。

 翳していた手はいつの間にか降りていた。


 この子は、まだ私の正体を知らない。

 どうして彼女が選ばれたか分からないけど。なんで彼女がアイツの手を取ったかは分からないけど。

 私の正体を知らないのならば、彼女なら、怖がらないで、私の側に居てくれるんじゃないか……。


 一人ぼっちだった私の中に、今まで忘れていた願いが、それもドス黒い願いが溢れ出た。

 頭の中では駄目だと声がする。心ではいけない事だと理解している。

 でも、けれど、だって、この子は可哀想だから――。

 

 だったら、私が貰っても良いんじゃないか……なんて。


「……」


 そう浅はかな願いが私を染める。

 どうしようもなく、途方もなく甘い誘いは、私には抗えないモノだった。

 

「……タルタロス」


 私はその名を呼ぶ。

世界の色が変わる。綺麗な星空は赤く血のように染まり、あたり一面に紅いヘドロの様な塊が溢れ出る。

 そんなヘドロは人の形を取る。髪は無い。異様に長い手足。骨と皮だけの身体がドロリと溶けて、あばらだけが露わとなる。目が飛び出し、歯茎が溶け出る。そんな異様な慣れ果て達。そんな彼らは長い手足を使い足元の泥を掴むと私にめがけて、投げて来るのだ。……これも、いつも通り――。


 そんな彼らを追い払ってくれる存在がいる。

 それは地面からはえて来る。白い子供の腕が一本。それが十になり百になり、千を超える。万に近づいたころ、数多の手は重なり合って繋ぎ合って固まって、大きな手となった。それが二本。

 何時の頃か私の側に居て、声を掛けると出てくるようになった化け物だ。

 それでも私の命令は忠実に聞いてくれるので文句は言わない。


 コレが私の世界。

 もう、どうだって良いけど……。


 手の一本がヘドロたちを押し潰す。

 もう一本に命令すれば、彼は一度地面に潜り込むと少女の下から再び、その姿を露わにした。

 そのまま、壊れ物を扱うように優しく拾い上げる様に持ち上げる。

 後ろで暴れ回る音を聞きながら、私は歩き出した。


 何処に行くかはもう決まっている。

 とりあえず人が居ない所で落ち着きたい。


 大きくため息を付いて、再び少女を見る。

 風に吹かれてゆらゆらと紅い髪が揺れていた。

 彼女を見て今一度、思う。彼女には本当に何もない。


 この《世界》で、異世界人は《》の力を何かしら与えなければ生きていけないという盟約がある。

 突然新たな力を与えられても彼らが困惑するだけだろう。だから私は彼らが慌てない様に、元から持っている力を与える様に決めているのだけど。

 困った。困った。彼女には何もない。何の力も無いのだ。

 

 何の力を与えれば良いのか。

 残された時間は短い。


「はぁ。この子、本当に何も無いな……」


 だから今一度溜息を付いて、私はその場を離れるのだった――。


 

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