帝国時代

相川美葉

第1話


 沖縄戦とは、第二次世界大戦末期の一九四五年(昭和二十年)に沖縄諸国に上陸した米軍と英軍を主体とする連合国連と日本軍との間で行われた戦いの総称である。連合国軍側の作戦名はアイスバーグ作戦。琉球語では【ウチナー(沖縄)戦】ともいう。組織的な戦いは三月二十六日から始まり、六月二十三日に終了した。


 スマホの解説ページを見ながら、じーじの話を思い出す。

『みんな戦地なんか行きたくないんや。でも、自分達が行かな家族とか友達とか、そういう大切な人達を守れん』

じーじは小さい時に戦争を経験したらしい。沖縄生まれ沖縄育ちのじーじがよく話すのは沖縄戦のこと。

私は、生まれて十六年間のうち一度も戦争なんか経験したことはないけれど、小学校の修学旅行は広島の原爆ドームに行ったし、中学校では兵庫の鶉野飛行場に行った。

 なんて考えながら歩いていると、不注意だったのか思いっきり電信柱にぶつかった。

(いったぁぁぁ)

ズキズキと痛む頭を押さえて座り込む。

痛みは増すばかり。

あ、これ絶対にダメなやつだ、、、。

そう思った時には遅く、意識を手放してしまった。


 『痛いよぉー!』

燃え広がる炎の中で子供が泣いている。

『文雄!佳子!何処に行ったんだぁ!父ちゃんが帰ってきたぞ!』

片腕を失った男性が泣きながら子供を探して歩いている。

「ひ、、、!」

周りを見渡せば沢山の人がいた。走っている人、瓦礫に埋もれて身動きが取れない人、地面に座り込んでいる人、体の一部を失っている人、泣いている人。それらを包み込むように炎は勢いを増す。

それらは、まるでーーー

「地獄絵図、、、」


  「ーーーっ!!」

目を覚まして一番最初に見た物は茶色の天井だった。

体を起き上がらせると、額から少し湿ったタオルがするりと落ちる。

「此処は一体、、、」

もしかしたら誘拐されたんじゃ、、、。

数ヶ月前、ニュースで見た『男子高校生行方不明事件』を思い出す。犯人も動機も不明。学校帰りにパッと消えたという証言があるが、行方不明になった子はまだ見付かっていないらしい。

「あっ、起きた」

「ひっ!!」

心臓が飛び出るかと思った。

 声をかけてくれたのは六歳くらいの男の子だった。白いシャツに薄い茶色の半ズボン。

「誰、、、?」

「俺は真田宗一、国民学校の二年だよ!」

何故か得意げになりながら自己紹介をした真田宗一くん。

「コラ、宗一!あまり騒ぐんじゃありません!」

奥から現れた割烹着を着た若い女性は宗一くんのお母さんとみた。宗一くんが「母ちゃん!」って言ってたから。

宗一くんのお母さんは私の側に座り、体調は大丈夫か、お名前は、何処から来たのなど質問を投げかける。

「母ちゃんの方が五月蝿いじゃん、、、」

 

 「本当に良いんですか?家族団らんの時間なのに、、、」

「良いのよ、宗一も喜んでいるみたいだし。なにより、身寄りのない子供を放っておけないわよ」

なんと、夜ご飯をご馳走されることになった。ついでに家長である政吉さんに家族のことを聞かれて咄嗟に「いません」って答えたら、居候させてもらえることになった。

ご飯と言っても僅かなお米とお芋が混ぜ込まれてお粥のようにしてある。宗一くんが採ってきたであろう山菜とお漬物もちょっぴり添えてあった。

 唯でさえ少ない食料を私の為に自分達の量を減らしてくれていることに深く感謝し、頂いた。

「あの、美和子さん。今って何年ですか?」

変なことを聞いたと自分でも分かっているが、どうしても確かめたかった。

「今は一九四五年よ」

 柱に掛けられたカレンダーに目をやると、一九四五年三月一日と書かれている。

不思議と納得してしまった。これがアニメの世界なら主人公は取り乱したりすると思うが、残念ながら私は落ち着いていた。

何故なら、薄々感じていたのだ。家の内装も宗一くんの話すことも、現代とは似ても似つかない光景だったから。

 奥では宗一くんが政吉さんに向かって音読をしていた。

「十、兵隊さんへ。

兵隊さん、僕のかいた絵や字を見て下さい。下の子供達にも、見せてあげて下さい。日の丸の旗は、全地を占領なさった時、これを振って、万歳を唱えて下さい。兵隊さん、元気で働いて下さい。私達はーーー」

現代では中々お目にかかれない、ごってごての戦争意識を高める内容に、少し顔が引きつってしまった。

しかも教科書を見せてもらった時、カタカナだらけで読むのに頭を使った。ひらがなが恋しいよ、、、。

 そんな心情が顔に滲み出ていたのか、美和子さんはふふふと笑った。「分かるわ、その気持ち。私達が宗一と同じ年齢の時はこんな内容じゃなかったもんね」その口調は笑っているが、何処か悲しそうな声色だった。

まだこの地域で出征された人はいないらしい。地方から出征されるよりも東京、大阪、名古屋などの大都市から出征されるんだそう。

「未明、欲しがりません、勝つまでは!だよ!」

音読を終わらせた宗一くんは柱の陰からひょっこり顔を出して言った。

 『欲しがりません、勝つまでは』

第二次世界大戦一週間記念の企画として国民決意の標語が募集された時に三十二万人の中から入選したものだ。で、この標語は当時十一歳の少女が作ったとされていたけど、実は父親が考えたものだったらしい。

そんなこと誰も知らないから、少女がそんな思いをしてまで戦争に備えるのは素晴らしい!と称され、あれよあれよ歌になり、ポスターになり、広く知られるようになったんだって。


 翌日、宗一くんに連れられて防空壕やガマの場所、配給所や駅まで色々な場所を案内してくれた。

「此処が俺の通う学校。空襲が来た時は近くの山に逃げるんだけど、先生ったら天皇陛下の写真を背負って走っているんだよ!凄いよねー」

「うん。凄いね、、、」

宗一くんが通う国民学校までの道のりには、数メートル間隔で子供が横たわって入れるくらいの穴が沢山あった。

「この穴って、何?」

そう聞くと、しれっとした顔で答えてくれる。

「通学途中に敵の爆撃機が来た時にその穴に入って身を守るんだ!俺は使ったことは少ししかないけど、、、。未明は知らなかったのかよ」

「うぐぅ、、、」

煽り口調の宗一くんに心を抉られた。そりゃ、宗一くんに比べたらこの時代のことは詳しくないけどさ、、、私だって小学と中学の九年間で平和学習はしたからね!?

 そんな言葉を言いかけたが、喉のところで突っかかる。

言えない。言える訳もない。この子は信じているんだ。日本が勝つと、信じている。

数十日後に迫り来る沖縄戦。

沖縄戦は、軍人さんよりも住民の犠牲数が多かった戦いらしい。

 少し暗いことを思い出しながら、駅に行くと沢山の人だかりが出来ていた。みんな手に持っているのは日の丸の国旗と旭日旗。

人だかりの真ん中には、敬礼をしながら軍服に身を包んだ一人の若い男性。

宗一くんは何処から取り出したのか分からない小さな旭日旗をぶんぶん振っている。

「御国の為に殺して来ます。それじゃあ、元気に征ってきます」

ビシッと敬礼し、列車に乗る男性。どうやら職業軍人の人らしい。数日前にお葬式の為、帰省していたとのこと。

殺すのは、敵か、自分の気持ちか、果たしてどちらだろうか。

 素直に喜んで良いのか分からない。

戦地に行く人は怖くないのだろうか。恐怖を知り、それでも逃げるという選択肢がないなか、また行かなくてはいけない。

もし自分があの男性と同じ立場だったら逃げていただろう。でも、逃げれば『非国民』と言われ、責め立てられて非難される。

ーーー第一条、大日本帝國ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治スーーー

完全なる天皇主権。

ーーー第三条、天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラスーーー

臣民は天皇を慕え、大日本帝國憲法。

ーーー第二十条、日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有スーーー

国の為に死ぬ?戦う為に生まれた訳じゃないのに?

ーーー第二十九条、日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有スーーー

これじゃ、言いたいことも言えない。

 大日本帝國の国旗として扱われた旭日旗は、現代でも海上自衛隊の自衛艦旗として使われているらしい。


 それから数日後の午後十一時頃。玄関扉がけたたましく叩かれる音が聞こえて目が覚めた。

(こんな夜に訪問者、、、迷惑極まりない。翌日に持ち越しは出来ないのかな?)

就寝していても叩く。起きてくるまで叩き続ける。

、、、嫌がらせの類?

政吉さんと美和子さんが玄関扉を開けると、郵便配達員らしき人が何やら紙を広げて差し出し、政吉さんに向かってお辞儀をしている。

「召集令状を持って参りました。おめでとうございます!」

政吉さんはそれを受け取り、何時もの優しい声で「ありがとうございます」と感謝の気持ちを述べる。

美和子さんも「、、、良かったわね、あなた。光栄なことですね」と述べた。

赤紙を持ってきた男性は敬礼をし、帰って行った。

 赤紙は郵送ではなく、専門の赤紙配達員という町役人が夜に手渡しに来るという。

国からの至上命令であり、責任持って対象者本人に届けられる。

かける言葉を探していると、宗一くんと共に呼ばれた。

 宗一くんは眠たい目を擦っているが、机上に鎮座している赤紙を見た途端、これでもかというくらい目をかっぴらいた。

赤紙という名前なので真っ赤なのかと思ったら、桃色に近い色だった。そして半紙のように薄い。桃色の紙に黒字で『臨時召集令狀』と書かれている。

 召集令状には赤、白、青の三色があるらしく、色によって用途が違う。

赤紙:陸軍省による充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵招集、補欠召集。

白紙:教育召集、演習召集、閲覧点呼。

青紙:防衛召集。

 「すげぇよ父ちゃん!父ちゃんが戦地に行ったら百人力だよ!絶対、日本が勝つよ!」

心の底から喜ぶ宗一くん。

美和子さんは作り笑いを貼り付けていた。

 我慢は美徳。戦った末での死も美徳。

数十年前なのに、こんなに価値観が違うのは少し怖さを感じる。

でも、赤紙を受け取ったからといって、すぐに直接戦地に送り込まれる訳ではないらしい。一度招集された後、それぞれの兵種ごとに分けられ、実践の為の厳しい訓練を受けてから戦地に送り込まれるのだと。

「未明ちゃん、配達員さんを恨まないであげてね」

ずっと、赤紙を睨み付けていた私の肩に手を乗せる。

「どうして、美和子さんは恨まないんですか?」

「、、、御国からの命令だもの、仕方ないわよ。それにあの人達だって正義を信じているからよ」諦めたように言った。

 この戦争が、御国の為に死ぬのが正義なら、悪より正義の方が怖い。

だって、それが正しいと信じて疑わないのだから。

いや、命の価値など時代によって変わる。人の命より動物の命の方が価値が高かった時もあったくらいだし、、、。

赤紙は何枚発行されたのだろう。その発行枚数だけ沢山の人が戦地へ行って、五体満足で生きて帰ってこれなかったり、亡くなったり、家族は赤紙をどれだけ恨んだのだろう。

深入りしたくないのに、そういう時代だからで割り切らないといけないのに、、、溢れんばかりの涙は止まることを知らない。

私に採寸を合わせてくれた美和子さんから貰った赤色の着物は涙を吸い込んでいく。

 政吉さんに赤紙が届いたと知った近所の女性達はせっせと千人針などを作っている。子供達は絵を描いていた。

私も縫わせてもらったが、赤い糸をひと針縫うだけなのに、とても悲しい気持ちになる。

「未明ちゃん、一ノ瀬未明ちゃん」

「え、、、」

 背中まで伸びた髪をおかげにした同じような年齢の子が話しかけてくる。手には濃い赤色の防空頭巾が握られていた。

「これ、あげる。手作りだから下手でごめんね」

防空頭巾を私の方に差し出す。そこには『一ノ瀬未明、A型』と書かれた布が縫い付けられている。着物に付いているのと同じだ。

「良いの、、、?」

「うん。こんなご時世だもん、困った時はお互い様だよ」

その子は『佐々木幸子』と名乗った。近くの女学校に通っている十六歳、同い年だった。

「あとは、この髪留めもあげる!私とお揃い!」

幸子ちゃんは小ぶりの梅の花が付いたヘアピンを私の髪に付ける。

可愛い。

「未明ちゃんは何処に住んでいたの?」

「大阪」

幸子ちゃんは大阪という単語を聞いて「大空襲、、、疎開してて良かったね」と遠慮がちに言う。

 大阪大空襲。

大阪府大阪市を中心とする地域への大空襲。

一九四五年の三月十五日深夜から翌日未明に行われた空襲。

隣の家のラジオで流れていたのを聞いた。

被害家屋は十三万六千戸を数え、約四千人の命を奪ったーーー。

「あ、ごめんね。嫌なこと思い出さてちゃったね」

黙り込む私を何とかフォローしてくれようとしているが、その心遣いが有り難い。

「、、、大丈夫。くよくよ立ち止まってられないからね」

「うん、そうだね」

伸びをしながら幸子ちゃんは小声で呟いた。

「鬼まんじゅうが食べたいな、、、」

「え?」

ハッと我に返った幸子ちゃんは、顔を赤くして照れながら「あ、聞こえてた〜?何でもないよ〜、アハハ、、、」と笑い飛ばす。

「私は、キャラメルが食べたい」

「美味しいよね。でもそれ、日本兵さんの前で言っちゃ駄目だよ」

「え、何で?」

「敵性語だから、使ったら怒られるよ」

「あ、、、厳しい」

 政吉さんが出征する前日に食卓に並んだ大福は、とてもとても美味しかった。

大福などの甘い物は中々手に入らなくて、結婚式や出征のような特別な日にしか食べられないという。

なくなってしまうのがもったいなくて、ちびちび食べていたら宗一くんに取られそうになったので、取られないように胃袋の中に隠した。喉に詰まらせそうになったが、美味しかった。

政吉さんは「ありがとう、ありがとう」と涙を流して大事に食べていた。きっと、本心では戦地に行きたくないんだろう。

「宗一、未明さん、俺から言えることは少ないが、、、明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」

最期に私達に言ったその言葉は、とても重く感じた。


 政吉さんが出征する日になった。

軍服に身を包んだ政吉さんは駅で沢山の人達に囲まれている。

宗一くんは背の高い男性に肩車をされて旗を振っている。

みんな、作り笑い。

中には宗一くんみたいに笑顔の子もいるけれど、作り笑いや泣いている人の方が多かった。それでも、「真田政吉、万歳!」という言葉を狂ったようにみんな叫んでいた。

手に持った旗は、どうしても振ることが出来なかった。

「交通費って大丈夫なんですか?」

井戸水を汲み上げながら美和子さんに交通費のことを聞くと、赤紙が目的地までの切符代わりになるんだって。

 それから沖縄戦が始まるまで時間はかからなかった。宗一くんは久米島に疎開し、時々手紙を送ってくる。

『母チャン、ミ明ヘ。今日ハジョウキュウセイノ人タチトイッショニ、畑ヲタガヤシマシタ。シンドカッタケド、少シハナレテ日本ヘイサンヲ見レテ、ウレシカッタヨ。コンド、ミンナソロッテ三年生ニナルカラ、ガンバロウト思イマス。(母ちゃん、未明へ、今日は上級生の人達と一緒に、畑を耕しました。しんどかったけど、少し離れて日本兵さんを見れて、嬉しかったよ。今度、みんな揃って三年生になるから、頑張ろうと思います)』

拙い字で書かれた手紙。読むのに一苦労な手紙。

それなのに、生きてるって実感できる。

美和子さんは手紙を握りしめて、静かに涙を流していた。

 今日も、沖縄に砲弾の雨が降る。

沢山の民家が壊れる。

住民はガマへ、防空壕へ身を隠す。「日本臣民として恥ずかしくない死を」と言われ、日本軍から渡された手榴弾。

外に出れば死ぬ。

 そういや国際法で住民や負傷者、降伏者や病院を攻撃目標にするのはタブーとかなんとかあったけど、一度戦争が起こればそんなの関係ない。だって、たかが軍と軍の戦いでも、民間人は必ず巻き込まれる。

防空壕で背中に背負った赤ちゃんが泣いた。足を負傷したおばさんから託された子だ。

怖いのだろう。壕の中は暗くて、暑くて、狭い。そのくせ土埃が舞うので呼吸しにくい。

泣き声に気付いた日本軍が、泣き声で米軍に見付かるので赤ちゃんを外に追い出すように命じる。

 渋々、赤ちゃんを抱いて外に這い出ると、そこは焼け野原だった。

建物は焼かれ、屋根や木材などの瓦礫に埋もれている人。道に倒れている人の中には住民と日本軍、そして米軍の人達。

赤ちゃんはまだ泣いている。あやして泣き止まそうとするが、泣き止んでくれない。

しばらく立ち尽くしていると、米軍と思わしきガタイの良い男性が此方へ来た。手には武器を持っている。

(嫌だなぁ、死にたくない)

やりたいことだってあったし、甘い物だって食べたかった。キャラメルが食べたい。

 そんなことを考えていると、米軍の人が目の前に立っていた。

首が痛い、、、。

「Please give me a little bit of the baby you are carrying(その背負っている赤ちゃんを少し渡して下さい)」

何か言っている。

英語の成績五段階評価三だよ!?分かる訳ないじゃん!せめてローマ字で言ってよ!!

「あーダイジョウブ、ダイジョウブ」

(日本語、喋れるじゃん、、、)

カタコトだけど、聞き取れる。

「ソノ子供を少しコチラに渡してクダサーイ」

、、、何を言っているんだろう?

無意識に一歩あとずさる。

めげない米軍。無理無理怖い怖い。

「お願いシマース」

「、、、」

しぶしぶ渡すと米軍の人は優しく抱き上げ、近くの川で涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を洗った。洗ったというより、水をかけたという方が正しいが、赤ちゃんは泣き止んでいた。

(え、凄い)

泣き止んだ赤ちゃんを私に返して「お守りデース。皆さんで食べてクダサーイ」と数個、新聞紙に包んだ駄菓子をくれた。

グゥーーーー。

「、、、」

お腹が鳴った、、、、、、、、、私の。

久々にサトウキビ以外の糖分を摂取出来る喜びと、少ない食事で常日頃から空腹だったこともあり、大きな音を立ててお腹が鳴ってしまう。

米軍の人は「子供がお腹を空かせるのは良くアリマセーン」と笑う。否、口調は笑っているが、目は真剣な、悲しそうな目付きだ。

この人にも、母国に子供がいるのだろうか?

その時、米軍の人が持っていた無線機から「ー・ー・ ・ー ー・ ・ー・・ ・ーー ー・・ー ・・ーー ー・・ ・・ ーーー」という途切れ途切れの音が聞こえた。その言葉を聞いた米軍の人は表情を一瞬にして変え、何処かへ走って行ってしまった。

「お礼、言えなかったな、、、」

(それにしても途切れ途切れの音を聞いた瞬間、顔色を変えたけど、どうしたんだろう?電波塔が壊れたのかな?)

しばらく突っ立てることしか出来なかった。

日中になると空襲は止む。

背負っていた赤ちゃんはおばさんに会わせることが出来たが、おばさんは病院におり、退院するまで面倒を見ることになった。

それから近所の子供達に昨日貰った駄菓子を渡すと、みんな良いの、、、?みたいな表情を浮かべたが、誰かがいただきまーす!と言った声を聞いてみんな口に運んだ。

私と幸子ちゃんはお互い顔を見合わせ、クスクスと笑った。

どの時代の人も、子供達の笑顔には癒されるらしい。

この時代を生きている幸子ちゃんも、この時代を生きていない私も、、、。

私も食べようと思い、包み菓子の一つを口へ入れた。菓子には新聞紙にあったらしい、石油のインクが染み付いていた。

久々の甘い物。

口の中がとても幸福感に包まれる。

あの人から貰ったお菓子は、何処にでも売ってそうな黒糖の駄菓子だったけれど、今まで食べたどんなお菓子より美味しかった。


 夜はまた空襲が来るかもしれないので、八時までにはご飯とお風呂などを終わらせておく。

「何だか、小春が戻って来たような感じだわ、、、」

赤ちゃんを寝かしつけていた美和子さんが呟く。

「小春ちゃん?」

「宗一の妹でね、肺炎で一ヶ月生きれるかどうかってお医者様に言われてて、、、生まれて一ヶ月も経たずに向こうへ逝ってしまってね。その時は宗一もまだ小さかったし覚えていないと思うんだけれど、、、。ごめんね、暗くなっちゃったね。ご飯食べようね」

「、、、手伝います」

 この日の夜ご飯は、、、

お水とかぼちゃを大量に入れて玄米一合の量が三倍に増えた『楠公飯』

昆布だしに塩を少々入れた汁に、小麦粉に水を加えて団子にしたやつと大根の葉っぱが入った『すいとん』

さつまいものツルで作った『きんぴら』

保存可能な『お漬物』

味は薄味だったり、そもそも味すらしなかったり、お世辞にも美味しいと呼べる物ではなかったけれど、お腹が満たされていくのであれば味なんかどうでも良かった。

お漬物のたくあんはシャキシャキした食感で、味もよく漬かっていて美味しかった。

 肺炎と結核。

どちらもこの時代では治療法がなく不治の病と言われており、死者数も多かった病気。

何て声をかけてあげたら良いんだろう。

(でも、、、私に出来ることはないのかも、、、)

 何も知らない知ったかぶり。この時代の、この人達の苦しみは全て分からない。

どうして天皇陛下万歳と言いながら命を捨てる覚悟で戦地に行けるの?

どうして待ち受けるのは辛い現実だと知りながら、大人は子供に嘘を教えるの?

どうして、国の為に死ねるの?

どうして自分の意志を押し殺してまでーーーー。

分からない。だって、私はこの時代に生きていないから。

そっと、持っていたすいとんを飲み干した。


 今日も沖縄の地は火の海になる。

今は夜だというのに明るい。照明弾か、火が燃えているからだと思った。

木造建築の家の大半は焼かれ、ガマに逃げていた人達も米軍の火炎放射器で焼かれ、日本軍から渡された手榴弾で集団自決したりして死んだ。

ゴウゴウと野太い声を上げて逃げ場をなくす炎。子供達の泣き声。沢山の悲鳴。爆発音。

耳を塞ぎたくなる。

 「幸子ちゃんは一体、何処から来たの?」

「え、、、」

「もしかして未来から?」

「!!」

どきりと、心臓が跳ねる。

「当たった。、、、ねぇ、未来ってどんな感じ?平和?」

幸子ちゃんの口振りから、薄々気づいていたようだ。

「うん。平和だよ」

幸子ちゃんはパァっと幸福そのものの笑みを浮かべた。

それから少し考えて、幸子ちゃんは「聞きたかったことが聞けて良かった」と、鞄から何かを取り出した。

それは、日本軍から渡された手榴弾だった。

何をするつもりなのか、簡単に想像が出来てしまった。

「だ、駄目だよ!」

最悪の事態を止めようと伸ばした手は、何も掴むことが出来なかった。

「未明ちゃん、ごめんね、、、」

「ーーー!!」

もう、止めることは叶わない。

 幸子ちゃんは申し訳無さそうに私から数十メートルの距離を置いて、思いっ切りピンを外す。

「幸子ちゃーーー」

 それは、本当に一瞬の出来事だった。

大きな爆発と共にやって来たのは砂の弾。砂が体にぶつかる。

痛い、痛い、痛い。

抵抗しようにも抵抗の余地なく、爆風で体が後ろへ飛ぶ。地面に体を数回打ち、木にぶつかって転がる。

全ての情報が頭まで届かない。

景色。音。自分の状況。

 分かるのは、黒煙が真っ直ぐ上がっているということ。

「あ、あぁ、、、」

すぐに駆け寄りたかった。

駆け寄って、幸子ちゃんの安否を確かめたかった。だが、私が実際にしたのは地面の上をもがいているだけだった。

立ち上がれない。

手足が千切れるような強さだった。動かせる視線を精一杯動かして自分の手足に向けた。まだ付いている。なくなっていなくて本当に良かった。

喉の奥から血の味がした。


 意味のない映像が頭の中を駆け巡る。

井戸周り、家の庭、配給所、駅。

ぐるぐると白黒の映像が目まぐるしく回る。まるで昔の写真や映画を観客席で見ているような感覚に陥る。

体は動かない。言葉も出ない。何も出来ない。

 上下も左右も定かではない場所。自分が立っているのか座っているのか分からない場所。一秒と一時間の時間も曖昧で、寒いのか暑いのかも分からない。

その場所で、私はずっと音のない白黒の映像を見ているだけ。

 皆に愛される英雄にだってなれやしない。

闇を暴き、答えを導き出す探偵にだってなれやしない。

孤独も恐れず、異端に立ち向かう勇者にだってなれやしない。

ただの、凡人。

『そんなの、ただの結果論でしかないのだよ』

私と同じように映像を見ていた誰かが落ち着いた口振りで言う。

まるで、私の心情を察したような話し方だった。

目の前の青年は図書館で司書でもやっていそうな物腰をしている。

誰なんだろう?

『僕は、、、何者なんだろうね』

なぞなぞのような返し方だと思った。私の反応を見て楽しんでいるのだろうか?

『そんなこと思っていないさ』

そうなんだろうか?そうなんだろう。

 息がしたい。

酸素、酸素が欲しい。

血液巡れ、細胞動け。

頭を使え、武器を握れ。

私は、息をするんだ。生きる!生きろ!

『それが君の道なのだよ。証明してみせ給え』

青年の声が、温かい手が背中を押した。

『何度だって』


 「ーーーっ!!」

勢い良く目を覚ました。体中が痛すぎて、身動きひとつもろくに取れない。

呼吸もしにくいが、空気は不思議と澄んでいた。冷たい酸素が肺を満たす。

腕を動かそうとすると、骨が、肉が、神経が、ぎりぎりとそれを拒否するかのように軋む。

「っぁ、、、」

声にならない小さな悲鳴を上げた。

此処は何処だろう?

 誰かのうめき声が聞こえた。病院だろうか?

窓の外からミーンミーンとセミの声が五月蝿い。

隣で寝ていたのは体中包帯で巻かれた人だった。顔はよく見えない。

今日は何日だろう?

何日、気を失っていたのだろう?

「未明ちゃん!未明ちゃん!!」

 美和子さんが泣いている。

何で、泣いているんだろう?

「み、わこ、、、さ、、、ん。どうし、、、て、泣いて、、、るんですか?」

上手く声が出ない。喉が焼かれたように痛い。

「良かった。目が覚めたのね、、、!今日は八月二日よ」

八月?

約二ヶ月間、気を失っていたのか。

「幸子、、、ちゃんは、、、?」

夢だと思いたかった。

気を失ったことで見た悪夢だと思いたかった。

 でも、神様は私達に意地悪なようで、そんな淡い期待は美和子さんの沈黙で潰れた。

頭がカッと熱くなる。

「うぁ、、、、、、」

涙が溢れて頬を伝う。

声を殺して泣きたいのに、こんな姿見られたくないのに、幼い子供みたいに大きな声を上げて泣いた。喉が痛くても構わずに泣いた。

「う、うわぁぁぁぁぁ!!!!」

死。

絶対的な死。

 何で。

 何で。

 何で。

幸子ちゃんは何か悪いことでもしたの?

私が知る限りそんなことしてない。

我慢すれば日本は勝つ。そう信じて食べるものもなく、どんなに今日を耐え抜いたとしても明日がある保証なんかないのに、、、。

世の中はそう上手くはいかないようで、何も悪くない人が死んでいく。

 ーーーあれ?

じゃあ、悪い人って誰だ?

軍のお偉いさん?天皇?米軍?

一体、戦争は誰のせい?

誰のせいでこうなった?

誰を叩けば死んでいった人達が報われる?

 ねぇ。

誰か、教えてよ、、、。

自分の意見を言えば『非国民』と叩かれるこの時代に生きる人達が、千の個性を引きちぎってまで国の為にすることって、しなければいけないことって何?

 それでも、悲しいことばかりが戦争ではないと思う。

少しの間だったけれど、幸子ちゃんと友達になれて楽しかった。

裁縫が得意な幸子ちゃんはよく破れたモンペや防空頭巾を入れる鞄、救急袋などを余りの布で縫ってくれた。たまに刺繍も教えてくれた。料理だって、一緒に鬼まんじゅうやタンポポのお浸しも作った。

幸子ちゃんは確かに生きていた。例え、それが現代では死者数の数字の一人だったとしても、彼女は確かに存在した。

笑って、泣いて、怒って、そんな人間らしい表情をしながらこの戦争期を生きた。

決して、忘れてはいけない。

忘れ去られたら、その人は二度も死んでしまうから。

 六月に組織的な戦いが終わってから宗一くんは疎開先の久米島から帰ってきており、卵を抱えて海岸にいた米軍のところに行ったらしい。美和子さんが言うには、卵を持っていくと缶詰などの保存食と交換してくれるから。

ギブミーチョコレートは知っていたが、缶詰などの保存食が貰えるとは知らなかった。

リハビリをして家に帰る。久々に描いた水彩画の空は澄みきった青色ではなく、淀んだ灰色になっていた。

幸子ちゃんの件は、未だに受け入れられていない。受け入れるべきなのに、今にも”なんちゃって”と言いながら出てきそうだ。

数日後、戦地に行った政吉さんの死亡報告を上司の人から受けた。


 それから十五日の終戦日までは、あっという間だった。

『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、、、』

難しい言葉をつらつら並べた玉音放送が流れるラジオを沢山の人が囲み、静かに聞く。

誰かがぽつりと呟いた。

「戦争が終わった、、、?てことは、息子帰ってくるんかいな、、、」

涙を流しながら「やったぁぁ、、、」と、その人は泣いて万歳をした。

 この時、この放送を聞いていた国民全員、地面に突っ伏して泣き崩れていた。

戦争終結による安堵の涙なのか。はたまた、敗戦による悔し涙なのか。

きっと多くが、戦地に行った者の帰還を喜んでの涙であっただろう。

しかし、いや当然、帰還出来た者は少なかった。

得たモノはない。失ったモノは途轍もない。

 これが戦争である。

「に、、、日本は負けてないんだ!!負けるはずない!きっと、絶対、だって学校の先生も言ってた『日本は強い』んだって!もし負けたんなら、、、戦争で死んだ父ちゃんはどうなるんだよ!返せよ、父ちゃんを返せ!!」沖縄の地で目に涙を浮かべた一人の少年は訴える。

その訴えは、父親を笑顔で戦地に見送ってしまった、戦争とは何なのかを理解していなかった自分にも向けられていた。

それを、ひと言で表すなら『後悔』

 子供は純粋無垢である。人を、与えられた情報を疑うことを知らなかった。しかし、それゆえの悲惨。

子供の無垢な心は、それこそピナイサーラの滝のように清々しく思われていたのに、だ。

勝てば官軍、負ければ賊軍。

勝てば正義を語れる。勝てば自国に都合の良いように歴史を捻じ曲げることが出来る。

 これが戦争である。

これが人である。

望まれかざした刃は、手の平を返して自分に向くのだよ。

殺らなければ自分の大切なモノが殺られる。だから銃剣の先を揃えて戦地に行く。中には、自分から志願して征った者も少なくなかった。

翼の先を塗り直し、あどけない新兵も敗戦を前に動揺を隠せずにいる。

善を為すには努力が必要だけど、悪を抑えるにはもっと努力が必要なんだ。と、誰かが言っていた。

誰かに言われなくても、人は本能的にそれを知っているのだよ。

 それでも、争いはなくならない。

格差はなくならない。

差別もなくならない。

歴史に平和が記されることもない。

そんな世の中に、誰も終止符を打とうとしない。

水が溢れた器に水を流し込む無駄な行為の為に、命が粗末に扱われていく。

天国も地獄もないのなら、こんな泥をこねた現実を誰が裁けるというのだろうか。

どれだけ泥が泥をこねたって、泥以外作れやしないのだよ。

「彼女はどうやら、上手く”生きられた”ようだね」

悲しみは、痛みは、絶望はなくならない。

憎しみは、恨みは、消えない。

狂ってる。

敵も味方も狂ってる。

勿論、僕もだ。

 死者の数を数えて、犠牲の数、指を折る。あぁ、手が何本あっても足りないのだよ。

何時かは大東亜共栄圏、なくなるのだろう。

花びらに黙祷を、憐れみから礼拝を。

「見えていたものが全てあるとは限らない」

戦争から無辜でいる民を遠ざけるのは、敗戦。

難しいものだね、忘れるということは。

 八月六日の広島県、八月九日の長崎県にて投下された二つの原子爆弾。

その日、日本は四千度の高熱と大量の放射線を浴びた。

何もかもが突然、何の予告も忠告もなく、自分達が消えるのだという恐怖さえ与えられることなくーーーある瞬間、さっと消滅した。

無数の人々が。

無数の人生と共に。

その放射線を浴びて、思い出や後悔や生活や絆や約束や記録や願いを丸ごと飲み込んで、それでいて、そんな諸共の人生など最初から存在しなかったかのように、黒と白の灰になって消滅した。

消滅する瞬間に誰かが何かを呟いた。だがその声を伝えるはずの空気も粒子化し、何処へも届くことなくかき消された。

 奇術師が見せる手品のように。

手品と違うのは、二十四万人に近い人々が、奇術師の思わせぶりなウインクと共に再び姿を現すーーーなどということはなく、そして今後二度と元に戻ることがないということだった。

二つの都市を爆心地として、高熱はほとんど何も残さず、あらゆる物を持ち去ってしまった。決して帰ってくることの出来ない遠い何処かへ、永遠に。

「今、目にしているものが君にとっての現実なのだよ」

 だが、それでも確かにあったのだよ。忘れないでほしい。

そう遠くない記憶。

揺れる木漏れ日。

人々の笑顔。

触れた手の温度。

、、、小さな、幸福。

それすらも全て奪ってしまうというのか、戦争。


 神よ、教え給えよ。



 「ーーー!?、、、、、此処は、私の部屋?」

次に目を覚ました場所は正真正銘、自分の部屋だった。

自分の服を見るが、パジャマ。体に傷跡は一切残っていなかった。

(やけにリアルさのある夢だった、、、)

本当に過ごしたような感じが今も残っている。

脳裏にこびり付いた夢。

髪を触ると、何か冷たい金属のような物に手が当たった。

それは、小ぶりな梅の花が付いたヘアピンだった。

夢じゃなかった。

「幸子ちゃん、、、」

教科書にも、歴史書にも載らなかった友の名前を呼ぶ。

それでも、あの子が生きた十六年は本物で、嘘偽りのない現実であった。

 それから本棚の本をひっくり返して、その物音に驚いて部屋に上がり込んできた涙目の母に「十日間、何処に行ってたのよ!!」と泣きつかれた。

言っても、信じてくれないだろう。

 その後、夢のような現実のような戦争の体験をじーじに話すと、「あの女学生は未明だったのか!覚えてる覚えてる。急に現れて急に消えた女学生、あの子は未明だったのか。え、トリップでもしたのか?」とのこと。

相変わらず、ライトノベルをよく読んでいるじーじである。

それから敗戦後のことを聞いた。

 米軍の人の無線機から聞こえたのはモールス信号というらしく。当時の日本の暗号は全て米軍側に筒抜けだったらしい。

私が聞いたのは『ニイタカヤマノボレ』

意味は、奇襲を開始せよ!という攻撃開始の合図だったらしい。そりゃあの人も表情を変えて走っていくよね、、、。

卵と缶詰では、卵はタンパク質の塊なのだが、腐りやすいし保存加工もしにくい。だから米軍は現地から調達することが多い。だからいって、ただむしり取るだけでは良心が痛む。だから、自分達が持ってきた缶詰と交換したとじーじは話す。

缶詰の中身は主にソーセージなどだったらしいが、当時は中々手に入りにくい。

卵を持っていき、ポケットや服に抱えて缶詰を貰う。卵より、缶詰の方が腹持ちはするからだ。

組織的な戦いが終わると、じーじは近所の子供達と一緒に、山に放置された壊れた戦車を見付けては遊んでいたという。戦後、それらは全て日本政府と米軍によって撤去された。


 夏休み。私は沖縄の地面を踏んだ。じーじの実家に帰省中なのだ。

居間の仏壇に飾られている二枚の写真には、二人の姿があった。

仏頂面の政吉さんと年老いた美和子さん。

外に出ると、もうあのような光景の面影はなく、国際通りでは活気な雰囲気で溢れかえっていた。

数日後にお母さんに無理言って平和祈念公園にも連れて行ってもらった。お父さんは最初反対したが、ついて来た。

白く大きな塔。何枚もの礎には数えていたらキリがない程の死傷者や行方不明者の名前が刻まれている。

幸子ちゃんもその中にいたが、見付けるのに苦労した。

彼女から貰ったピンは大切に使っている。勿論、今も髪に付いている。

何処からか心地よい風が頬を撫でた。

 建物の中は資料館だった。現地の小中学生がかいた平和を祈る絵や詩。沢山の千羽鶴。

沖縄戦のクイズにタッチパネルで答える。私は五問中四問正解。

沖縄戦以外にも、今も内戦や紛争が続いている国の資料などが展示されていた。

 私が見たなかで言葉を失ったのは、椅子に座らされている薄汚れたクマのぬいぐるみだった。

内戦が起こった地域で、爆弾が埋め込まれていたぬいぐるみ。

卑怯だと思った。こんなことが出来てしまうなんて、、、。

ぬいぐるみというふわふわして、可愛くて、あたかも平和の象徴のような存在が、知らず知らずのうちに人の命を奪う兵器に変えられてしまったと思った。

 出口付近のガラス床の下には沖縄に今も埋められている約一メートル程の不発弾の展示。家を建てる時やリフォームする時には地中に不発弾がないか調べ、見付かれば撤去するとお母さんが話していたーーー。

 色々な展示品を見て回って、日本とアメリカの大きな違いに気付いた。

アメリカは第二次世界大戦の際、自分達の兵士の命を出来るだけ脅かさないで戦うことを重視している。自国の兵士の命を大切にするのは勿論のこと、なるべく効率的に戦うのがモットーとされていた。その考えを究極まで追い求めたのが、広島や長崎に落とされた『原爆』だったかもしれない。

 その一方で、日本では自ら命を捧げて国を守った人々が多くいた。出征した兵士も特攻隊もそのひとつだった。何故、彼らは死にたくないのに戦地に行ったのか、改めて考えてようやく分かった気がする。

ーーー自分の命よりも大切な何かを守る為ーーー

その何かは国かもしれないし家族かもしれない。または、好きな人かもしれない。

 そっと礎に手を合わせ、冥福を願う。そして、戦争で亡くなった全ての人達に対して敬礼をした。涙は出なかった。これで良い。

ふと思う。あの時代で私が過ごした半年は暗闇の中で出会った青年の仕業だったのではないか?戦争の体験などない私を意図的(半ば強制的)に体験させたのではないか?

真相は誰にも分からない。

でも、それでも、私達は今を生きていく。

道は長く、何処までも続いている。


 テレビのニュースを見ていた。

「怖いね。まだ見付かっていないらしいよ」

お母さんが呟いた。見ていたのは『男子高校生行方不明事件』

背中に何か冷たいものが滑り落ちた。

 それと同時に、一つの仮説が頭に浮かんだ。

ーーーこの男子高校生が私と同じ体験をして、もし、戦争で帰らぬ人となってしまったら?ーーー

室内の気温が数度、下がった気がした。

気のせいだ、考えすぎだと自分に言い聞かせた。


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帝国時代 相川美葉 @kitahina1208

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