第2話
「27CLUBって知ってるかい」
父がそう訊いてきたのは、遠い昔のことだった。幼い俺は首を振る。平成の幼稚園児は、基本的にその言葉を知る手立てを持っていない。
一方父の方も、俺に好意的な返事は期待していなかったようだった。それはあくまでポーズとしての質問だった。物語の語り部がするみたいな。
「そういう名前のクラブがあるんだ。入会条件はただひとつ。天才のまま死ぬこと。音楽の天才。分かるかい、天才は二十七で死ぬんだよ。ブライアンもジミヘンドリクスもジムモリソンも。皆二十七で死んで、27CLUBに入会したんだ。それが天才の証明になるんだ」
その頃の父は、もちろん二十七をとっくに過ぎていた。音楽の天才でもなかった。二十七で死ぬことに何よりも憧れていた、四十代の凡人だった。父は居間のテレビを指さす。画質の悪いその画面の真ん中で、ひとりのブラック・インディアンがギターを抱えていた。
「ごらん、あれがジミヘンだ。かっこいいだろう。彼もこの後二十七で死ぬんだ」
彼は青色のストラトを下向きに構え、リフを奏で始める。心地良く歪みの掛かった音。左右の指を器用に動かしながら、丁寧に、かつ感情的に。歌声みたいな音色だった。
あの頃の俺はギターのことなんて分からなかった。歌も、詞が英語だから何を言っているのか全く理解できない。それなのに、なぜだか目の前の映像から目が離せない。
彼は、命を燃料に才能の火を燃やしている。
俺は直感的にそう気づいていた。というより、ほとんど視覚的にその火が見えていたように思う。それはただの幻覚かもしれないけれど。でも、確かにあの頃の俺は、彼の胸の辺りに透いて見える火に見とれていた。命という薪をくべられて、その火は爛々と光を放っていた。彼の生命力、残りの寿命を犠牲にした光。彼自身をうっかり燃やし尽くしてしまいそうなほどの、明るい光。あるいは、俺の網膜に焼き付いて離れないほどの、強い光。
俺はギターを背中に抱えながら、春の宵を歩いていた。俯きながらも、脳裏にはあの記憶が浮かぶ。俺がギターをはじめるきっかけとなった記憶。ジミヘンのライブ映像。ここ最近はずっと思い出さないでいた。あの光は、今の俺にとってあまりにも眩しすぎるから。それなのに。これも全部、藤本が余計なことを言ったせいだ。今更、あんな言葉を。
「27CLUB」
思わずそう呟いたとき、左肩に何かがぶつかる感触があった。顔をあげる。同い年くらいの女が、向かい合うようにこちらを見ていた。彼女のほうも左肩を軽く押さえている。
「えっ……、あ、あの、あのすみません」
そう言い終わらないまま、彼女は俺が来た道を小走りに駆けていった。すれ違いざま、肩まで伸びた明るい茶髪がふわりと膨らんで香った。シャンプーの匂いに、微かに煙草が混じっていた。その匂いに違和感と既視感を覚えたときには、もう彼女の背中は夜に溶けて見えなくなっていた。
次のライブは三ヶ月先だった。それまでは、バイト以外何もすることがない。バンドメンバー(とはいってもベースもドラムも、ビジネスライクなサポートメンバーだ)も、そんなに先のライブに練習のモチベーションはないようだった。そうなると必然、俺はとてつもなく暇になる。いい加減新曲を書こうと思った。
六畳一間の下宿でギターを抱えて、適当なコード進行を弾く。そこに載せるメロディーを、自分の脳の中から見いだそうとする。目を閉じて、湧き水みたいに自分の身体の内奥から溢れ出す音楽を待った。
目蓋の裏の暗闇に、紫煙で朧になった月。藤本。火。どうしてこうなっちゃったんだろうね。死にかけのR&B 。27CLUB 。ジミヘンドリクス。ストラト。父の憧憬。女の匂い。夜。夜。煙草。
目を開けた。ギターを爪弾く手が止まる。あの夜のイメージが、連想ゲームのように頭に溢れ出してきた。それらがノイズになって、新曲のメロディーを掻き消してしまった。ふうと息を吐く。最後に浮かんだイメージ、あの女の髪の色と煙草の匂いは、まだ脳裏に残っていた。それらの背景に、ジミヘンの音楽が鳴る。そのふたつが次第に重なり合う。やはりあの女は、俺の音楽に何かしら連関を持っているような気がしてならなかった。
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