第3話水球

「遅い」

「いや呼び鈴鳴って5秒ですけど」

扉の先には、女の子が立っていた。僕とお父さんと同じ真っ黒な髪が、陽の光を受けて白く光っている。瞳孔が縦に細く伸びた金色の瞳は、細めた瞼の間から僕の目を睨んでいた。彼女が口を開く。

「違う。今日遅く来たのに、まだ寝間着」

「確かに。着替えてくるわ」

寝起きの僕は、薄い下着とゆるい短パンを履いていた。最近暑い夜が多く、まぁこのまま出ても変に思われはしないだろうという寝間着だが、動くとずり落ちて邪魔そうなので僕は踵を返した。水浸しの床をジャンプで通り抜け、自分の部屋に歩いて向かう。隅に畳んである服から適当に白いTシャツと黒い短パンを掴み取ると、その辺に寝間着を脱ぎ散らかした。普段なら丁寧に畳んでお母様に進呈するのだが、今は仮にも人を待たせている。これは許されて然るべきだろうと自分を納得させ、ゆっくりと戻る。途中でお母さんにご飯食べちゃいなと言われ、残った朝ご飯を口に詰め込んで玄関に歩いた。

扉を開けると、金色の光が目に飛び込んできた。

「ナイちゃんも、ワンピース着たい?」「きたい!」「今度持ってくる」「わっしょーい!」

そこはやったーか、せめてよっしゃーだ。お祭り男かお前は。

ナイラとヘルがおしゃべりをしていた。

僕らの周りにわっしょーいなんて言うやついたかなぁと首をかしげつつ、話しかける。

「ヘル、行くよ」

ヘルは小さくうん、と言うと、ナイラに両手を振って歩き出す。僕達が少し歩いたところで、後ろから高い声が聞こえた。

「いってらっしゃーい!」

僕らは振り返ると、そこそこの声で返事をした。

「「行ってきまーす」」


石畳の街道を歩きながら、僕はヘルに話しかける。

「なぁヘル、こんなぐらいの水魔法みたことある?」

そう言って、さっき見た巨大な水球の大きさを腕で表す。ヘルは少しその腕を見つめて、ない、と言った。それを聞いた僕は、意気揚々と話を続ける。

「さっきさぁ、お父さんがまじでこんぐらいの水の塊出してきてさぁ。まっっじですごかった」

ヘルが腕を僕と同じように広げる。

「こんなの?」「こんなの!」

いやむしろ、もっとでかかった気すらしてくる。これを2個!と言うと、目がくっと開き、真ん丸な金色の瞳が白目の中に浮かび上がる。

ヘルはへーと腕を眺めると、

「わたしもやってみたい」

と言った。僕もやってみてーわ、と空に手をかざした後、ヘルに振り向く。

「しかもさ、でかいだけじゃなくて、めっちゃ丸かったんだよね。全然動いてなかったし」

お父さんの水球は、波がほどんど立たず湖のように澄み切っていた。そして、信じられないほどに綺麗な球形をしていた。今思い出しても、もう一度見たいと思ってしまう。

と、ヘルが左手を前に出す。すると手の平から水のようなものが湧き出て、ぷくんと浮かび上がって少し上で小さな球になった。ぷくんぷくんと液体が浮かび上がるたびにその球はどんどんと大きくなり、手の平と同じぐらいの大きさで止まった。

二人で顔を近づけてその球を眺める。そして、うーんと唸った。球はうねうねと波打っており、向こうの景色も無茶苦茶になっている。

「あんまり綺麗じゃない」「なんか揺れてるな」

ヘルの出した水球を批評すると、自分もやってみたい気持ちがうずうずと湧いてくる。

右手を出すと、頭にくっと力をいれ体の中に冷たい水のようなものを流す。腕の中がひやりとしたところで、手の平の真ん中を緩める。すると、ヘルと同じように手の平から液体が湧き出てくる。ただ、ヘルのように湧き出た液体がちぎれることなく、砂時計のように球が液体を吸い上げていく。

すぐに球は手の平大になり、僕は水を流す意識をするのを止めた。手の平からの液体が止まり、水球だけになる。だが、手の平の真ん中は緩めたままだ。これを止めると、途端に水球は重力に引っ張られて落っこちる。水球を維持するのは、それだけで魔力を使うのだ。

これだけなら子供もみんな知っているが、前にうちの家で勉強会をやっていたときに、なんでそうなるのかお父さんに聞いたことがある。お父さんが大喜びで教えてくれたのは、実はこの水球の状態では液体はまだ水ではなく、水になる魔力らしい。この水魔力は少しの間空気に触れることによって水となるので、新しい魔力を供給し続けると古い水魔力が包まれ、水魔力の状態で維持できるということだ。ちなみにこれは12歳に学校で習うことらしい。

「タクマ、見せて」

ヘルにつつかれて、僕は右手を少し上げるとまた二人で水球の値踏みにはいる。

全然違う。ヘルの水球と大きさはほぼ同じだが、明らかに揺れが少ない。それどころか、水球を通してある程度何があるか判る程だ。僕たちはさっきと打って変わって、おぉー!と目を輝かせる。だが、僕はお父さんの作り出した水球を思い出すと、首をかしげた。

「うーん、でもお父さんのはもっとピタッて感じだったんだよなぁ」

ヘルのへたくそな玉と比べればまあよくできてはいるけど、なんか違う感があるんだよなぁ。宝石みたいな引き込まれる魅力がないというか。どうすればできるんだろう。魔力の出し方?魔力のイメージ?いやそもそも大きさが足りない可能性も・・・・・・。

「ひてて」

「口にでてるよ」

右頬を引っ張られて、思考の森に踏み入ろうとしていた頭がすっと現実に引き戻される。

「あれ、でてた?」

「うん。最初から。しっかりと。へたくそで悪かったね」

どーりでいつもより痛かったわけだ。

ヘルは自分の水球を少し眺めていると、こっちの水球をちらりと見た。

そして、

「えい」

と水球をこっちの水球にぶつけてきた。

「あっ」

2つの水球はぷにょんと潰れると、お互いを押し合って跳ね返った。手の平から落っこちることはなかったものの、水球は形を大きく崩して横に揺れ動いている。

それを眺めてつい一言。

「あー、ヘルの水球になっちゃっ」バッシャンッ。

・・・・・・すぐ横で力強く水が叩きつけられる音がした。

僕は怖くて音の鳴った方を振り向けなかった。追いかけるように、僕の水球も地面に落下する。まずい、完全に余計な一言だった。

あわわわわわわわとあわてふためく僕の耳に、小さな声で何かが聞こえる。

「え?」

途端に胸ぐらを信じられない速度と力で掴まれ引き寄せられる。

咄嗟に目を閉じ、体が急停止したのを感じて目を開けた。

前髪が触れ合うほどの距離だった。

透き通るような肌。

金色の宝石に埋め込まれた細長い瞳孔が、ほんの僅かに膨らむ。

散りばめられた金の欠片が、影の中でもちらちらと光を反射していた。

吸い込まれそうな感覚に陥る。

そんな僕を、一文字一文字に圧の籠もった怜悧な言葉がぶった切った。

「お ・ し ・ え ・ て」

「・・・・・・はい」

僕はか細い返事をした。

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