-第18話- ニューヨーク
三日後、ニーナは地球のジョン・F・ケネディ国際宇宙港へ降り立っていた。
あれからすぐにバーリッツへ地球への調査出張申請を出し、書類を見て一瞬目を丸くした彼女だったが何も言わずに承認してくれていた。
ただしバーリッツからは、地球では「同業者」に注意しろと不穏な事を伝えられた。
どうやらバーリッツにも上から独自の捜査を止めるよう圧力が掛かり始めたようなのだが、今のところ彼女がのらりくらりとその要請を躱しているらしい。
とは言え、最早のんびりとはしていられないだろう。
「もうそろそろ待ち合わせの時刻なんだけど……」
ニーナは第十ターミナルの到着ホール内で、背を伸ばしてグルっと周りを見回した。
するとコンコースの奥の方から、微笑んで手を振りながらやってくる少年の姿が見えた。
「ニーナさんお久しぶりです、また会えて嬉しいです!」
「シリル君、こちらこそ会いたかったわ」
久しぶりの再会に、お互いに顔を綻ばせながら握手した。
「急に呼んでしまってごめんなさいね」
「いいえ、実は自分も数日前から地球に来てましたんで」
実際のところシリルは、父親の地球研修に伴ってほぼ無理やり地球に連れてこられたのだが、こうしてニーナに再会出来たのは僥倖だった。
とはいえ、この後で寄宿舎付きの学校に放り込まれる予定にはなっていた。
「そうだったのね。でもシリル君がこっちに来るっていうのをサキちゃんから聞いたんで、せっかく私も地球に降りるのだからと声を掛けたのだけれど……迷惑じゃなかった?」
「気にしないで下さい。自分も管狐……サキちゃん経由で、ニーナさんが地球のすぐ近くに転勤したって分かったんで、出来れば会えたら良いなぁって……」
シリルが浅黒い肌にも関わらず顔を赤らめたのが分かったニーナは、破顔して頷いた。
「あらあら、私もシリル君に会うのを楽しみにしていたのでお相子ね」
「よっニーナ!」
「アンソニーちゃんも一緒なのね」
ニーナの鼻先に乗ったノッカーに顔を綻ばせた。
「じゃあウィルちゃんも……」
「コンニチハ、オ久シ振リデス」シリルが首から下げた巾着袋の中からウィルがニーナに挨拶した。
「ウィルちゃんは少し言葉が流暢になったんじゃない?」
「そうなんですよ、ウィルはすごく勉強熱心なので感心してます」
「あらまあ。ともかく三人とも、元気そうで何よりだわ。でもシリル君は地球へは初めてなのよね、地球酔いとかはしてなかったかしら」
「今のところ大丈夫みたいです、出発前に処置した体内の代謝ナノボットも順調ですし、それに地球重力に慣れる為にあっちこっち出歩くようにしてるんです」
シリルはニーナの荷物を持ちながら、ターミナルの外に出てオートモーヴを拾った。
オートモーヴは二人を乗せるとふわりと浮き上がり、ターミナルを取り巻くように接続されたスカイウェイの空中表示に沿って飛行し始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「お客さん、ニューヨークは初めてで?」
オートモーヴに取り憑いたミイラ姿のスプライトが二人に訊いた。どうやら乗客を飽きさせない為にと観光案内役を兼ねているようだ。
昔はオートモーヴを運営する企業が独自のAIキャラクターを載せていたのだが、そのモチーフとなる妖精や動物などに近しいスプライトが憑依してしまうので、それならばと最初からスプライトを起用するようになったという。
そうした傾向はどこの業界でも似たようなもので、今やAIやロボットの大半にスプライトが憑依して活動している。
「え、ええそうね」ニーナが肯く。
「ここいらも最近は例のワケアだかのお陰で、警察やら何やらが慌ただしくなって来てるみたいでねぇ。お陰で毎度検問に引っかかるわ、観光客もあまり来なくなっちまうしで、こっちゃ商売上がったりでさぁ」
ミイラの愚痴を聞き流しながら窓の外を眺めていたシリルが、空に浮かぶ禍々しいほどに黒く大きな毛玉のようなものを見つけた。
「あれは何だろう?」
「お客さん、アレをあまり見つめないようにして下さいよ。ありゃバックベアードでさ。あまり見つめるか向こうに見つめられるかすると、強烈な目眩を起こしやすんでね」
「うおっ怖っ、あんなのも地球にいるのかよ」
「知ってるわ。バックベアードは元々ここら辺の妖怪じゃなくて、どこか別の国のフィクションだったそうなのだけれど、その作品が世界中に知れ渡ってしまうと本当にいるのだと信じてしまった人達のお陰で、群意識場に存在が確立されたという典型的な例ね」
「へぇー、でも何かに追いかけられてるな」
猛スピードで空中を逃げ回り始めたバックベアードの後を、どうやらスプライト・ハンターのスカイモーヴが数台追いかけているようだ。またその後方を警察のパトモーヴが追従していた。
「あのバックベアードは野良らしいんでさ。多分どっかで自然に生まれ落ちて、そのまま存在登録もしないままのらりくらりと暮らしてたんでしょうや」
バックベアードが逃げていく方角の先に、マンハッタンの巨大な超高層群によるシティスケープが見えてきた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
マンハッタンのミッドタウンにあるホテル屋上にオートモーヴを停めさせて二人が降り、ニーナが宿泊手続きを済ませた後で二人はマンハッタンの街へと踏み出した。
「うわぁ……すげぇ」
シリルは首を痛くするほどに周りをぐるぐると見回した。
マンハッタンの街路は地球温暖化の影響でこのミッドタウンとロウアーマンハッタンの辺りほぼ全てが冠水して久しく、それでも逞しいニューヨーカー達はビルというビルの低層部分に防水処置を施して住み続けられるようにし、それどころかランドモーヴの代わりに小型のアクアモーヴを水路化した街路で走らせられるようにしていた。
アクアモーヴはビルの低層部分に増設した桟橋から乗り降り出来るようになっており、また桟橋は各ビル群を繋ぐ歩道橋の役割も果たしている。
そしてビルの中間層から高層部に掛けてにも歩道橋が張り巡らされ、そちらはスカイモーヴやスカイトラム等が発着出来るようになっているようだ。
ビル自体も歴史的建造物以外は改築や増築が頻繁に行われ、今では全高一キロを超えるようなスカイスクレイパーが至る所に建っていた。
こうした都市構造となったお陰で、ニューヨークはありとあらゆるタイプのモーヴ群が、立体的かつ縦横無尽に走り回っていた。
いずれもこぢんまりとしたカリストの植民都市しか知らなかったシリルの目には、あたかも巨人が群れ集っているがごとく映った。
それより更にシリルの目を奪ったのは、そのモーヴ群やビルの間を掻い潜るようにして動き回っているスプライトの群れだった。
ドローンに乗ったフェアリーやノームやコロポックル達、何かを運んでいるグリフォンやポイニクスや羽民、馬のように人が操縦しているファフニールやワイバーン等の竜類、背中に付けたゴンドラに観光客達を乗せて飛ぶフライングダッチマンやヨルムンガンド、けばけばしい宣伝広告を纏った飛頭蛮やチョンチョニーやペナンガランといった、世界中から流れてきた様々なスプライト達が飛び回ってそこかしこで働いていた。
下に目を向ければ、こちらでは水属性のスプライト達が水路を自在に泳ぎ回っていた。
やはり背中に観光客用のゴンドラを括り付けたレビアタンやクラーケン、泳いで宅配物を運ぶ半魚人、警備灯を点けてサイレンを鳴らすシーサーペント、幻の代わりにCMを波間に投影する蜃、そして浮き桟橋の下に隠れて戯れる色とりどりの人魚達。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あっちの人魚さん達にちょっと訊いてみましょう」
そう言うが早いか、ニーナはこちらの歩道橋から桟橋までぴょんぴょんと跳ねるようにして渡ると、くるっと桟橋の下を覗き込むようにしながら人魚達に声を掛けた。
「ねえ貴方達、ちょっといい?」
「あら、私達に何か用? それとも眠りの唄でも聴きたいのかしら」
セイレーンの一人が尾びれでパタパタと水面を叩きながらクスクスと笑った。
「それは結構よ。貴方達は『メリュジーヌの占い館』を知ってる? 今はどこにあるかが分かる人はいるかしら?」
なぜわざわざそんな事を人魚に訊かねばならないかというと、事前にNRで確認していたサイトには住所が記載されていなかったからだった。
裏社会に属する店舗の常として、出来る限り場所や規模などを周囲に知らせないというルールめいたものが存在する。
大体がNRにサイトを設けていなかったり、あったとしても複雑な検索手順を踏むか特殊なアプリを介してでないと出てこない隠れサイトだったりする。
そうしたサイトですら、明確な住所や最新動向などを載せたりするケースは稀だった。
ただし信頼のある仲介役や情報通を介したり、あるいはこのように地道に訊きまわる事で場所の手掛かりが掴める場合もある。
「そうねぇ、分からなくは無いけどぉ」
「タダで教えるつもりは無いと?」
「まぁねぇ……」
と思案するセイレーンの近くへ、少し遅れてシリルがやってきた。
「ニーナさん、向こうの方に露店みたいなのが一杯あるみたいなんですけど、ちょっと向こうに行ってみても良いですか?」
「シリル君……ちょっとはしゃぎ過ぎじゃないかしら」
「そ、そうですか……すいません」
「良いのよ、その代わり犯罪に巻き込まれないよう気をつけてもらえればね。ここら辺はスリとか窃盗とかも多いから、荷物に注意して……」
そうニーナが言ったそばから悲鳴が聞こえて来た。
「ちょっとその人間を捕まえてぇ! 私のバッグが!」
どうやらその露店街を散策していた人魚の一人が強奪犯に襲われたらしい。
その犯人はニーナ達の脇を一瞬にしてすり抜けて走り去っていった。
シリルはすかさず懐からワラカを出し、たまたま足元にあった石を拾い据えてから勢い良く犯人の頭へ向けてぶん投げた。
バシン!
投げた石が犯人の頭に命中し、彼は前につんのめってそのまま転んだ。
わぁっと近くまで追いかけていた人魚の仲間達がその犯人を押さえつけ、バッグは無事に持ち主の所にまで届けられた。
「シリル君、やるじゃないの!」
「ははは、まぁ投石だけは少しだけ自信がありますし、以前にもウクサッカ市でもこんな風にして窃盗犯を捕まえた事がありましたから」
パチパチと手を叩いて喜ぶニーナの横で、セイレーンが興味深げにシリルを見つめた。
「ふぅん……それじゃあねぇ、私達の仲間をいま助けてくれたっていうのもあるしぃ、その少年君が私達と少しだけ付き合ってくれるっていうならぁ、貴方に教えてあげても良いけどぉ」
「え、いきなり何なんですか?」
セイレーンに指を差されたシリルが目を白黒させた。
「……良いわ。それでいきましょう」
「ちょっと待って下さい、どういう事なんです?」
「シリル君、心配しないで。あの人達はそんな変な事はしないと思うから。ちょっとの間だけ付き合ってあげて。何かあったらサキちゃんで連絡を取ってくれればいいから」
ニーナはポンポンとシリルの肩を叩いて微笑みながら諭した。
「えっ、ええーっ?」
困惑するシリルを背にしてセイレーン達から「メリュジーヌの占い館」の現在地を訊き出したニーナは、そのままセイレーン達が指し示す方向へと向かった。
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