-第13話- ツングースカ

「まさか『フッ化ジェネヴィウム』が……?」




 それは人体に影響がないレベルで僅かに検出されていた天然のプルトニウム244よりも更にごく微量だったが、その測定値は明らかにこの極めて希少な原子番号126の超重元素ちょうじゅうげんそが存在する事を示すものだった。


「こんなのがウィルの中に存在するなんて……あっ、もしかして」

「一体何がどうしたんだ?」

 アンソニーの疑問に応えるべく、シリルはNRを限定起動して情報検索した。


「これを見てくれ。十数年前に地球のシベリア地方にあるツングースカという場所で、昔に隕石が落下したポイントを再調査したところ、フッ化ジェネヴィウムの痕跡を発見したってんで当時大ニュースになったんだ」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇  




 この発見を伝える記事によると、もとよりこのツングースカでは一九〇八年の六月末に謎の大爆発が起こり、その当時も全世界的なニュースとなって騒がれていた。


 それから断続的に探検家や調査隊がその場所を訪れては付近を調べて周ったのだが、原因を示す証拠がなかなか見つからなかった。


 そこで爆発の原因を隕石や彗星類に求めるのみならず、地下のガス田噴出や反物質やマイクロブラックホールや異星人の宇宙船に至るまで、数多くの仮説と議論を産んでいた。

 その後二十一世紀初頭になってようやく隕石の痕跡を発見された事で、議論には終止符が打たれたはずだった。


 しかしそれからシンギュラリティや宇宙時代の到来を挟んで科学技術が更なる進歩を遂げ、世界中の様々な「謎や神秘」(スプライト関係も当然含まれる)に新たな観点を加えようとする動きが盛んになるようになった。

 そういう意味においては、ツングースカ大爆発という「メジャーな神秘」についての再調査はやや遅れ気味だったのだが、それについては余りにも有名どころ過ぎるから逆に手を付けようとする人間がなかなか出てこなかったのだ、とも考えられる。




 ともあれこのフッ化ジェネヴィウム発見の報は、全太陽系中の科学者達を心底驚かせる事となった。

 なぜかと言うと、この原子番号126の超重元素は天然には極めて存在しにくい物質とされていたからだ。


 そもそも原子番号93以降の超重元素は基本的に全てが原子炉や粒子加速器等で人工的に作り出さないとならず、ごく僅かなネプツニウムとプルトニウムの同位体以外は天然で発見された事は無かった。


 こうした超重元素は旧来のウランやプルトニウムを用いた原子炉よりも遥かにコンパクトで高効率な原子炉の燃料や、たった数マイクログラムだけでも手榴弾程度の核爆発を引き起こすチップ爆弾に転用出来る事から、二〇世紀頃より世界中の科学者や研究者達が見つけ出そうとして躍起になっていた。


 しかし今までは月面にある超高速粒子加速炉施設ちょうこうそくりゅうしかそくろしせつで超重元素同士を核融合させてどうにか生み出していたジェネヴィウムが天然で存在し得る、というニュースを受けた科学者達は大慌てで原子物理学の再検証を進める事となった。


 その後判明したのは、発見されたフッ化ジェネヴィウムはバストネサイトと呼ばれる炭酸塩鉱物の一種に含まれていた事だった。

 バストネサイトはフッ素化合物を多く含有し、また極めてごく微量だが天然のプルトニウム244同位体も含んでいる。この事からフッ化ジェネヴィウムは、バストネサイトの特殊な環境下でのみ安定的に存在出来る事が証明された。


 ところが、こうしたフッ化ジェネヴィウムを含有するバストネサイトは地球どころか太陽系を探索してもまず見つからなかった。


 この事からツングースカで大爆発を引き起こした隕石の正体は、この太陽系由来ではなく恒星間天体である可能性も取り沙汰されるようになった。




◇ ◆ ◇ ◆ ◇  




「推定されているツングースカ隕石の成分は、今ここで調べたウィルの成分と極めてよく似ているんだ」

シリルは、分析結果の表とウィルを交互に見遣りながら説明した。


「更には、ウィルの前に調べたこの氷底洞サンプルの形成年代もまたツングースカ隕石が地球に衝突した時期と同じく、二〇世紀初頭なんだよ。だからもしかしたらウィルの正体というか起源は、ひょっとするとこのツングースカ隕石と同じところから来ているのかも知れないな」




「うひょーっマジかよ、ようやく本格的に手掛かりが得られたってわけじゃんか!」

「ツングースカ……ハジメテキク……デモ、ナカマカモシレナイ」


 ウィルの欠片が嬉しそうに呟くのを微笑みながら眺めていたシリルが、そこでハッと気づいた。

「あっそういえば、ウィルは小さな破片になり過ぎると、意識が保てなくなるんじゃなかったっけ」


「ソウダネ……グタイテキニハ、イマノボククライガ、ギリギリカモシレナイ」

「となるとこれは……もしかしたらダメかも知れない」


「えーっ、どうしてだよ?」アンソニーがシリルの髪を引っ張った。

「イッテテテ、これを見てくれ」


 シリルが示したのは、そのツングースカ再調査での試料分析の様子を示した動画だった。

「これによると、ツングースカ爆発後の周辺で発見されたのは砂みたいにごく僅かな石の破片ばかりだったって事らしいんだ。そうなると……」


「……イシキガ、タモテナイ」


「マジかよ……」

「そうだ、だからツングースカで発見された破片にはもう、何者も取り憑いていないのかも知れないのかも……いや、待てよ」


 シリルがNRの歴史系サイトを色々と流し見していると、あるニュースに目が止まった。




「そう言えばスプライトが持つ特徴の一つとして、何らかの媒介物を通して自己の情報を人間の群意識場に投入して影響をもたらす事で、スプライト自身の存在を確定させるっていうのがあったよな」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇  




 スプライトに関する意識理論については、その中でも「群意識場ぐんいしきば」という一種の仮想的なフィールドの概念が特に重要視されている。




 人間の意識に関する研究については二〇世紀に本格化したが、かなり早い時期から物理主義的一元論ぶつりしゅぎてきいちげんろんが主流となっていた。

 つまり意識の全てが既存の物理理論のみで説明可能であり、古典的な意味での「自意識」は単なる幻覚に過ぎないとする考え方である。


 しかし二〇世紀末頃より、それに反対する意見もまた改めて注目されるようになった。

 例えばクオリアやアウェアネスとは何か? 経験を感じる現象的意識げんしょうてきいしきなどというものは、どこからどうやって何故生起されるのか? という問題である。これは既存の物理主義的な考え方では説明が極めて困難か、あるいは無視されていた事項だった。


 これらはまとめて「意識のハードプロブレム」として定型的概念化され、世界中の科学者や哲学者達によって幅広い議論を巻き起こした。




 その中でも当時最も急進的な意見として、斉一性せいいつせいの原理に従えば意識というのはどんな所だろうと情報を処理する過程で必ず立ち現れてくるものだとする考えがあり、また規模や質的な差はあるものの、基本的な意識を構成する属性(クオリア・アウェアネス・現象的意識など)はどんな意識であっても備わっているのだとする哲学者もいた。


 それを極限まで推し進めて考えていくと、万物には意識の元となる性質が最から存在していて、それらが徐々に組み上がっていくと具体的な意識となるのだという仮説も立てられるようになった。

 これを「汎経験説はんけいけんせつ」(またそれを支持する立場は自然主義的二元論しぜんしゅぎてきにげんろん)という。


 汎経験説に従えば、原子や岩石や家電や天体等にも、人間のそれとは異なるものの意識が存在する事になる。




 しかしここで問題となるのが、だとすると人間のような統一された意識と他の「意識」との差は何か、それが他と融合せず区別されているのはどうしてなのかという事だった。


 それを解決するために、意識の情報統合理論じょうほうとうごうりろんが提唱された。

 つまり、情報処理が行われる場において一定の情報量を持つグループ同士の結合と活性度が強いほど、意識としての統一性と他を区分する境界が生じるというものである。


 もちろん従来から物理主義を推していた科学者や哲学者達からは、これは疑似科学であるとの激しい批判を浴びせかけた。

 しかし彼らがその代わりして提唱した仮説はいずれもハードプロブレムを全て解決出来る程ではなく、逆に汎経験説が意識に関わる問題の幾つかに解決の糸口を与える事から、自身の信条を変えてしまう人も出始めた。


 特に注目していたのはAIを開発する一部の技術者達で、AIに意識を与えようとする彼らにとっては心強い考え方となった。


 そして最終的に、当時まだベンチャー企業にすぎなかったマークスZが「ファントム」と呼ぶスプライトを憑依させたAIを発表した事で、物理主義的一元論は完全に息の根を止められてしまったのである。




 話を戻すと、汎経験説と情報統合理論は群知性ぐんちせいのような一見して個々が独立してバラバラに活動しているような個体の集団における相互的な情報処理作用にも適用され、当然そこに仮想的な意識の場が付随すると考えられた。


 それを「群意識場」と呼び、例えばアリやハチといった高度な組織を形成する集団のみならず、鳥や魚の群れから植物や粘菌のコロニーなどにも存在する。

 そして人類の集団にもこの群意識場が存在し、個々の人間の意識と相互作用をもたらしている事が明らかになっている。


 更にこの群意識場へは同質の意識(人類なら人類同士)のみならず、時には「異質」な別種の意識もそこに入り込んで、群意識場内で相互作用をもたらす事が分かってきた。


 基本的にはこの群意識場の中では様々な概念がやりとりされるのだが、その中へ入り込んだ別種の意識もまた概念として定式化される。

 その意識が入り込む為の条件として、まず人類が認知可能なある程度以上の規模を持つものであり、かつ人類にとって特別な認識や概念が予め付与されているものとなる。


 例えば動物や植物のような生物のみならず、機械や道具などの人工物から岩山や河川等の自然物、更には嵐や潮流や火などの自然現象でも構わない。

 しかしそれが人々の信仰や畏怖いふや親しみ等の対象であるという条件を満たす事によって、その自然現象自身に備わる意識は人類の群意識場へと入り込みやすくなるという。




 そして、それがスプライトと呼ばれる存在に変容するのである。

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