-第3話- ワラカとワカ

 門を通り抜けてから十数分ほどでシリルの自宅があるアパートメントに着き、彼はランドモーヴを地下の駐車場に止めさせた。




 物陰に隠れていたブラウニー達が整備キットを携えてやってくるのを見計らった彼は、そっとダッシュボードの隅にお礼のお菓子を置いておいた。

 そうすればブラウニー達は、喜んで彼のランドモーヴを点検整備してくれる事だろう。


 いったん自宅へ入って着替えてから、玄関脇で待機していたサルクスを引き連れて自宅の横に建てられている作業用ガレージに入った。


 電気を点けると、そこかしこの空中に下等な蟲妖ちゅうようの群れが微かながらもチラチラと漂っているのが見えた。

 恐らくウクサッカ市当局の下水処理作業で漏らした下水溝内の蟲妖が、すぐ真上の層にまで逃げ出したのだろう。このアパートが産業インフラ区画の真上にある格安物件なので、こういう事はしょっちゅうだった。


 シリルはいささかウンザリするように溜息を吐きながら、ガレージ内の壁に備えた結界装置の電源を入れる。

 すると、蟲妖達はヴゥンという結界装置が起動する音が鳴ると同時に雲散霧消するようにして逃げ出していった。


 それから整備途中の機械装置やら工具やらで散らばった一角へサルクスを停めさせ、上に載せていた隕石を脇の台車に下ろしてから台車ごと隣の保管庫に突っ込ませた。


 保管庫に潜む別のゴーレムがロボットアームを使って自動で隕石を分類器に掛け、計量を終えた隕石はケースに入れられて保管棚に置かれた。


 ここに保管されている隕石や鉱物達については、集め始めた当初は資源ギルドにまとめて売り払うつもりだった。




「なぁ、この調子で貯めてたらもう少しでこの保管庫一杯になっちまうぞ。いつになったら売りに出すんだよ」

 保管庫の中をドアの窓越しに眺めるシリルの頭を、アンソニーがぽこぽこと叩いた。

「その内、いずれな」


「そんな事言っちゃってさ、実は石達に感情移入し過ぎなんじゃねーの? 基準以下の意識しか持たないような石コロなんてさ、痛覚だとか生存本能があるわけでもないんだし、むしろ加工されたがってると思うけどなー。だいたい最初は石投げ用にも拾ってたわけだし、もう今更だぜ」




 図星だった。


 スプライトセンサーを手に入れたばかりの頃のシリルは、石投げに「同意」してくれそうな石を探し出すために、それと石の「声」を聞く事で希少な隕石を選別出来るので小遣い稼ぎが出来るだろうとも考えて鉱物狩りを始めた。


 しかし石の様々な「心」を徐々に知るようになってからは、段々とその石達を売りに出すのが可哀想になってきてしまったのだ。


 石や鉱物は、別に人間や普通の生き物と同じように「生きて」いるわけでは無いのだし、ましてや連合政府のスプライト存在登録法に定める登録基準以下の微小な意識しか宿ってはいない。

 それでも鉱物狩りを通じてスプライトの事を知れば知るほど、妙な方向に嵌まり込んでいくのを彼自身も自覚してはいた。


 何しろ毎日のようにこのガレージや保管庫に篭っては、収集した石達を眺めては彼らの声にならない声に耳をそば立てていて、その都度アンソニーに呆れられる始末だった。


 宇宙空間に住まうアールヴ達や、彼らと仕事を共にしている航宙士達の一部では星々の「囁き」に耳をそばだてるのが流行しているという話だが、もしかしたらそれに近いものがあるんじゃないかとシリルは思う。




 それに……とシリルは脱いだ宇宙服のポケットから美しい染織の組紐で編まれたワラカを取り出し、それをジッと眺めた。


 この石投げ用の道具であるワラカは亡き母親から譲り受けたもので、本来なら十五歳の成人式の時に貰うべき物らしかった。しかし彼が十二歳の頃、母が病気で亡くなる直前にこれは特別だと言って渡されたのだ。

 どうやら母は入院中にこのワラカを編んでいたらしい。


 中央アンデス出身で古代インカ人の血を受け継いでいた母は、このような儀式について先祖代々受け継ぐべき大切なものとして考えていた。

 そしてこのワラカにはワカまたはファニカという精霊が宿っていた。


 ワカというのはこの世界にあまねく存在する不可思議な力の事でもあり、アンソニーのような明確な形をまとったスプライトとはいささおもむきが異なっていた。

 例えばワカは、アンソニーのようにうるさく喋ったりはせず物静かだが、いざという時はそれを所有する人間に力を宿させたりする事もあるという。




「シリル、いつか貴方も苦難の時を迎える事があるかも知れません。そんな時にはこのワカの霊力を借りなさい。ワカはいつでも貴方の味方になってくれます。またその時に備えて、いつでもワカを使えるように準備しておきなさい。精霊を蔑ろにしてはなりませんよ」


「わかった。でもそのときっていつなの?」

「それは私にも分かりません。でも、その時は自ずと分かるでしょう」

母はそう言って、病室の壁に掲げてあったインカ遺跡の絵を見つめた。




 シリルは母から教わったワカの力を実際に行使した事はまだ無い。

 だが母が亡くなってからこのワラカの使い方を覚え、それから何となく石投げをやり始めるとメキメキと上達していって、今では百発百中に近い腕前になっていた。


 とはいえアンデスの山中ならいざ知らず、このカリストでは石投げ祭りがあるわけでもなく、その腕を振るう機会は大して無かったのだが。


 ともあれ母の事や、母が生前に何度も話してくれていたワカの話を思い出しつつ、スプライトの事を義務教育の範疇だけでなく独学でも勉強していくにつれ、彼のスプライトに対する興味や想いはどんどん深まっていった。


 結局、この集めた鉱物群を最終的にどうすべきかについては未だに考えあぐねていて答えは出ないままだ。


「ははは、まあね」

 今はとりあえずアンソニーにそう応えるだけだった。




 他の荷物を下ろして普段着に着替えたシリルは作業テーブルに向かい、NRを限定起動してホロマップを机上に展開させた。

 マップはズームアウトしてウクサッカ市周辺の地形を表示した。


 マグカップにインスタント茶のカプセルを入れ、脇にある年代物の電気ポットからお湯を入れた。

 このポットは二世紀ほど前に製造された骨董品で、付喪神が憑いているお陰で今でもお湯が飲めるが、機嫌が悪いと時々カキ氷が出たり塩水になったりする。




 マグカップから立ち上る湯気を顎に当てながら、ホロマップを眺め回した。

「ほーら、やっぱり少し手前の辺りだったろ」

 アンソニーがホロマップの上でぴょんぴょんと飛び跳ねた。


 ホロマップには先ほど宇宙服のスプライトセンサーで計測した例の強い反応があった方向のデータと、少し離れた所でランドモーヴに搭載していたスプライトセンサーでの計測データを合わせて三角測量した結果の位置が表示されていた。


 そこはオレステウス・クレーターよりは近いが、それでも予想通りここから五十五キロは離れた場所にあった。

 マップ上では、そこにも結構大きめなクレーターがあるらしい。


「あれ……ここは」

 彼が訝しんだのは、なぜかその付近だけが企業の所有地になっていたからだ。その周辺地域はほぼ全てカリスト自治政府による国立公園となっているので、その点で奇妙と言えば奇妙だった。


 登記名を確認すると『マークスZ』とだけ記してある。


「マークスZだって?」

 その名前は言わずと知れた、世界で最も有名な星間企業のものだった。というかシリルはさっきその企業の屋外広告を見たばかりだ。

「マジかよ……そんな企業の所有地内にあるのだとすると、迂闊うかつに侵入したらバッチリ捕まっちまうだろうな」


「いや、よく見ろよ。反応がある場所はギリッギリで所有地の外だぜ」

 アンソニーがホロマップに潜り込むようにしながらそこを指差すと、確認したシリルも目を丸くした。

「おおっ、確かにギリギリだな……けど、これなら所有地内にもしセンサーが張り巡らされていても多分大丈夫じゃないかな」




 それから彼は、アンソニーと共にその場所までの往復ルートを検討した。


「おっし、楽しみだぜっ」

「そうだな、アンソニー」




◇ ◆ ◇ ◆ ◇  




[VEGドライヴ・超電導スピンドルユニット及び辺縁量子制御系に物理的異常を検知。

 直ちにサブユニットに切り替え試行……切り替えに成功。故障の原因は現在不明、インシデント・レポートを航宙管制局に送信します]




 カリストの極軌道を飛行していた貨物宇宙船が、ある宙域に差し掛かったところでメインエンジンの異常を起こした。


 直ちに宇宙船の『ファントムTN-6-17』がリカバリを行ったので事故にはならなかったが、そのファントムから送られたインシデント・レポートを確認した航宙管制局の担当職員が、これはスプライト事案であるとの簡易解析結果を携えて連合政府統合保安局へ調査申請の提出を行った。




 調査申請は受理され、保安局のスプライト事象部はカリスト警察に出向している担当官に対して調査指令を発した。

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