第32話:(過去編)ミリア・ルクスフロー
『このキャラクターでゲームを始める』
その文字の下には、制服を着た女子高校生のキャラクター。
右手には小ぶりの剣。左手には小さな盾を持っている。
ふわりとした
顔付きも、なんだか僕に似てる。
襟のしっかりした白いブラウスには赤のリボンタイ。
紺色のブレザー。
膝上丈のスカート。
紺色のハイソックス。
焦げ茶色のローファー。
そのキャラクターが立っている直方体の台の正面には、少し大きな文字。
『ミリア・ルクスフロー』
この高校生のお姉さんの名前かな。父さんが付けた名前……だよね。
僕は、名前の響きがとてもいいと思った。
お姉さんの雰囲気も、顔が僕に似ているせいか、なんだかすごく気に入っちゃった。
僕が一人っ子だから、僕のお姉ちゃんでも想定して作ったのかな……。
よく分からないけど、僕は父さんが、お姉ちゃんを作ってくれてたんだと思って、なんとなく嬉しい気持ちになった。
父さんは、これを見られたくなくて、いつもデスクに鍵をかけてたんだろうか。
僕に内緒でゲームをやってたの?
口の中の金平糖が溶けきったので、今度は黄色の金平糖を口に入れ、瓶の蓋を閉めた。
僕は立ち上がると、再び引き出しを覗いてみる。
ノートパソコンで押されていたのか、奥の方に書類が詰まってた。
引っ張り出してみたんだけど、何かの資料みたいだ。
……これは英語? それに数字だらけ。だけど、表紙の「試薬」という漢字は読めたよ。
大事な書類なんだと思った僕は、全部で4冊ある資料をデスクの上に並べ、書棚にある表紙が硬くて厚そうな本を選び、資料に出来てるシワを取るため、それぞれの上に乗せた。
金平糖やノートパソコンを隠してたんじゃなかったみたい。
低学年だった頃の僕は、なんでも引っ張り出したがる癖があったから、書類を散らかされないように鍵をかけてたんだね。
過去の自分を反省し、父さんの面影を頭に描く。
きっと何か大事な資料なんだね。後で母さんに伝えておこう。
僕は着ているパーカーのポケットに、2粒残っている金平糖の瓶を入れると、ノートパソコンの充電ゲージが少し回復しているのを確認したので、電源アダプターをコンセントから抜いた。
シャットダウンしないで折り畳むと腕に抱え、電源アダプターのコードを引きずりながら、書斎の明りを落として廊下へ出ると、コードを挟まないよう注意しながら、お尻で押してドアを締めた。
開けたままだった自分の部屋に入ると、ノートパソコンを学習机の上に置いて、電源アダプターを手繰り寄せ、学習机に付いてるコンセントに差し込んだ。
天板を開き、スペースキーを押すとスリープが解除され、再び女子高校生キャラがモニターに映された。
部屋のドアを閉めると、椅子に深く腰掛ける。
カーソルが消えていたので、タッチパッドに指を触れる。
ゲームを始める、の所にカーソルが付いたので、エンターキーを押した。
初めて観る、ネットゲームのオープニングムービー。
――とても綺麗なグラフィックで、言葉では表せないような雄大な世界――。
――エルフ族、ドワーフ属、獣人族、人間を含めた様々な種。色とりどりな格好をしたキャラクターたちが、中世のような町の市場を行き交っている。
向こうには、石造りの立派なお城が見える。
カメラが城門に寄っていくと、隊列をなした騎士たちが一斉に左右に分かれ、剣先を真下に向け、直角に曲げた肘を肩と水平にし、こちらへの敬意を示した――。
――重厚な音を響かせながら開かれる城門。
大きな文字が浮かび上がる――。
『SPARKS・ONLINE』
ムービーはまだまだ続く。
城門に入ったカメラは上へと引いて、荘厳な石城を見下ろしたあとターンする。
カメラはまるで鳥になったように、街の景観を映し出しながら港へと向かった。
帆を張った船団が見えてくる――
「――うわぁ~凄い……海賊船だ!」
色々な場所、それぞれの風景、その世界観に僕は夢中になってムービーを観た。
何度も……何度も。
◇
その日の夕方遅く、あと一週間で冬休みに入る事もあって、僕はそのまま学校を休んでるようにと、母さんから言われた。
隣にいる後藤先生も了解している様子で、うんうんと頷いた。
こんな時間まで、僕のために色々としてくれた後藤先生を、これ以上引き止めてはいけない。
僕は精一杯の笑顔を浮かべ、玄関で母さんと一緒に、学校の方へ歩いていく後藤先生を見送った。
◇
――僕は夕食を済ませたその日の夜から、父さんが作っていた『ミリア・ルクスフロー』という名の女子高校生キャラクターで、スパークスというゲームを本格的にやり始める。
◇ ◆
冬休みに入ったクリスマスの夕方。
コンッ、コンコンッ。僕の部屋のドアに、ノックが響いた。
「どうぞー」
赤地に白い星マークがいっぱいプリントされた、三角のパーティハットをかぶった後藤先生が、僕の部屋に入ってきた。
「メリークリスマス! なお君」
「あははっ、メリークリスマス後藤先生」
後藤先生は、僕がかぶってるニット帽の上から、いつものように僕の頭を軽くポンポンと叩くと、僕の机の上に目を留めた。
「なお君、凄いゲーミングノートだね。プレゼントで買ってもらったのかい?」
後藤先生は、冬休みでも毎日夕方になると、僕の様子を見に来てくれる。
いつもは、後藤先生が来る時間帯には、ノートパソコンをしまっているけれど、この日は、スパークスの『バトルアリーナ』に、エントリーできる最低条件をクリアしたので、どのジョブで初挑戦するか、悩んでいたんだ。
「後藤先生、ゲーミングノートって?」
「高性能パーツを組み合わせた、ハイスペックなノートパソコンの事だよ」
と、言いながら、後藤先生は自分用に置いてある椅子を、僕の横に並べて座った。
「へぇー、これはゲーミングノートの中でも、特にゲームに特化させたハイエンドモデルだね……本当に凄い――お、なお君もスパークスやってるのか」
……も?
「後藤先生もこのゲームやってるの?」
後藤先生が、少しだけ照れたように微笑む。
「ああ。休日なんかに時々ね……この間、バトルアリーナのランキングが120位に上ったんだ」
120位というのはピンとこなかったんだけど、少し照れたような表情から判断して、時々というのは抑えた言い方だと思った。
見ただけでハイエンドモデルだと言ったり、見ただけでゲームの名前を言い当てたりしてるんだもの。
だから、それなりにやり込んでるんだと思った。後藤先生は独身だし、母さんより若いからね。
それなら遠慮しなくていいかと思った僕は、
「これからバトルアリーナに初挑戦するんだけど、ジョブは何がおすすめ?」
と、聞いてみた。
後藤先生は、僕が習得しているジョブ一覧を眺める。
「そうだな……俺はナイトがメインだけど、う~ん……なお君は近接ジョブのレベルをあまり上げてないんだな……」
身を乗り出してる。けっこう乗り気なんだ。
後藤先生が話を続ける。
「プリーストがレベル23で一番高いけど、回復職だからバトルアリーナには向いてないな……そうなると……」
「じゃあ僕、プリーストでやってみる!」
NPC相手に何度か練習したからね。僕としてはプリーストが一番動かしやすかったんだ。
「……そ、そうだな。何でもチャレンジするのは大事だ。あれ、なお君、コントローラーは持ってないのか?」
後藤先生が少しキョロキョロとする。
「そんなの持ってないよ?」
「……確かにキーボードでも操作は出来るけど、割り当てが複雑だから、操作が難しくないか?」
「でも僕、これで慣れちゃった」
「……そうかそうか。必要になったら俺の持ってるフィンガーフィット式のコントローラーを貸してあげるから、いつでも言うんだぞ?」
「わかった。ありがとね、後藤先生」
――ハンデなし。ジョブ指定なし。レベル制限なし――
対戦相手は、レベル82のウォーロック(上級魔道士)。
「――いや、なお君! それは流石に無理だよ。せめてハンデをもらっ……」
「あ、もう決定をクリックしちゃった……」
カウントダウン――3……2……1――
――FIGHT!
対戦相手が詠唱を開始――
――タタンッ、Dキーを2回、右ステップ――
タタタンッ、Zキーを3回、左斜めバックステップ――
――タンッ、TABキー、体反転――
タンッ、再度TABキー、再び正面からの――
――タンッ、ファンクション8キー、武器の装備解除――
体の回転による遠心力で手放された僕のメイスが、対戦相手目掛けて飛んでいく――
――計算通りだ――詠唱中断成功!
タタタタタンッ、Wキーを5回、武器の投げつけで一瞬ひるんだ対戦相手の懐に飛び込む――
タンッ、Sキー、しゃがむ、タタンッ、Wキー2回、ダッシュ――タックル成功――
タ――ッ、Sキー長押し、低い体勢のまま、タタンッ、Wキー2回、尻餅をついた相手と位置が重なったところで、すかさずA、S、Dキーを同時に押しこむ――対戦相手に馬乗りになった――
――ここまで、3コンマ6秒――
タン――タタタタタタタタタタタタタタタタタタタ……
Sキーを押したまま、上部数字キーの2と8を交互に連打――
――ボコボコと対戦相手をタコ殴り――
身を捩って逃れようとする相手に、Sキー押したまま2と8キーの連打をキープ。更にAキーとDキーを合間に叩いて体位を微調整――マウントポジションを維持。
――僕の気力が続く限り――Sキーを押したまま――
2と8を連打連打、連……打?
――カーンッ! カーンッ! カーンッ! カーンッ!
ゴングが鳴り響く――
『――WINNER! ミリア・ルクスフロー!!』
「――あ、やったぁー! 僕、勝っちゃった!」
「――ここまでレベル差がある相手に……それで勝っちゃうのか!? ……嘘だろ……武器を放棄して素手で戦うとか……なお君の指の動きも速すぎて、なにがなんだか……」
後藤先生が、ポカーンとした顔で呟いた。
僕、なんかおかしな戦い方してたのかな……
◇
これが、僕の連勝記録の始まりさ。
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