第31話:(過去編)ゲーミングノート
僕は後藤先生に父さんの面影を重ねていたのかもしれない。
そばにいてくれるだけで、とても心が落ち着いた。
ただ、お腹にできている二つの痣を、見せてはいけないと思った。
思い出すのが怖いから、僕もなるべく見ないようにした。
でも、痛みは残ってる。体に残る痛みもあるけれど、それ以上に、胸のずっと奥の方が、ズキズキと痛むんだ。
だって僕は、砂垣君とは初対面なのに、まるで友達のように、「かんちゃん」なんて呼んでしまったから。
僕は後藤先生に背を向けて、体を洗ってシャワーで流し、後藤先生に背を向けて湯船に浸かった。
後藤先生は黙ったまま、両手でお湯をすくって、出ている僕の肩にお湯をかけてくれた。
広い湯船だけれど、後藤先生と一緒に浸かっていると、心まで温まってくるのを感じた。
だから、自分が悪かったところも見えてきたんだ。
それに、お腹の痣を見られたら、砂垣君だけが悪いように取られてしまう。そう思ったんだ。
お風呂から上がると、脱衣場には僕と後藤先生の着替えが置いてあった。
◇
僕の父さんの身長は、後藤先生と同じくらいだったけれど、痩せていた記憶がある。
父さんのサイズで買っていた服は、後藤先生が着るとぴっちりとしていた。
リビングで、母さんと後藤先生が、担任の児島先生とカウンセラーを交えた、モニター通話を始めた。
全然怖くないといえば嘘になるけれど、体も温まった僕は、家の中に後藤先生がいると思うだけで、安心感に包まれた。
大人同士の話し合いだと思った僕は、
「自分の部屋に行っておやつを食べてるね」
と、声を掛ける。
「なお君。怖くなったらすぐに来るんだぞ。俺はまだ当分ここに居るし、黙って帰ったりしないからな」
そう言って、母さんが綺麗に刈り揃え、ニット帽を被せてくれた僕の頭に手を添え、小さくぽんぽんと叩いた。
◇
リビングを出て、自分の部屋に向かっていると、父さんが使っていた部屋から明かりが漏れているのに気付いた。
父さんが亡くなってからずっと鍵が閉まってたのに、少しだけ開いている。
母さんが着替えを取り出して、閉め忘れているみたいだ。
中を覗いてみると、クローゼットが開いていた。
なんとなく記憶に残っているコートとか、丈の長い服が掛けられている。
その中でも、はっきりと記憶に残っているのは白衣。
父さんはいつも遅くまで仕事をしていて、白衣で帰って来ることが多かった。
僕は思わずクローゼットに歩み寄り、白衣に触れる。
いつもポケットにつかまって、遊んで欲しいとせがんでいたのを思い出した。
すると、指先に何か硬いものが当たった。
白衣のポケットを探ると、それは小さな鍵だった。
何の鍵なのか――すぐに分かった。
◇
「ははは、こら奈和、そんな所を引っ張るな。分かった分かった。それじゃ奈和の部屋で遊ぼうか……」
父さんは必ず書斎のデスクに鍵を掛けて部屋を出る。
どんなに急いでいても、ロックしてるか確認をする。
――僕はその引き出しを開けたんだ。ゆっくり、ゆっくりと。
「これって……ノートパソコン?」
授業で見慣れてるノートパソコンよりも大きくて、けっこう重量感がある。
そのノートパソコンの上には、小さなガラス瓶が置いてあるけれど、そのガラス瓶には「No.00021サンプル」と書かれたラベルが貼ってある。
ガラス瓶の横には一枚のメモ。
『nao forever 8318 fr asahi』
とりあえず僕はガラス瓶を手に取った。中には凹凸のある小さな物体が入ってる。
瓶を振ると、カラカラと硬そうな音がする。
どう見てもこれって金平糖だ。色違いの金平糖が、全部で5粒入ってる。
父さんは、お菓子を隠していたの?
蓋を開けて匂いを嗅いでみると、確かに甘い香りがする。
やっぱり金平糖だ。
蓋を締め直して、自分の足元に置いた。
メモの方はよく解らない。
でも、僕の名前と父さんの名前が書いてある事だけは分かった。
書かれてる文字は暗記したので、メモはデスクの上に置いた。
次はノートパソコンを引っ張り出してみる。
随分とずっしりしていて、抱えるまでが大変だった。
床に置いて電源を入れてみたけれど、二年間も放置してたせいか、バッテリーが切れていて起動しなかった。
電源アダプターも同じ引き出しに入ってたから、コンセントに差し込んで、もう一度起動してみた。
自動でWi-Fiを拾った父さんのノートパソコンは、オペレーティングシステムの更新を始めた。
僕はノートパソコンを挟むように足を開いて座り込むと、横に置いた瓶の蓋を開け、中に入ってる金平糖を一粒取り出すと口に入れた。
最初は甘かったけれど、途中から苦みも出てきた。
でも、少し不思議な味。苦いのと甘いのが混ざってて、これが大人の味なのかな、なんて思った。
◇
僕の家は、お客さんやスタッフが同時に使っても大丈夫なように、ネット環境も良くしてあるのは知ってるよ。
3分ほどで更新が終わったから、溶け切っていない金平糖をガリガリと噛み砕いて飲み込んだ。
PIN入力の画面に切り替わったから、学校でもデフォルトで使う4桁の数字を入れてみた。
ディスプレイに『Wonders 17』という、学校でも見慣れてる文字が浮かんだ。
よかった。きちんと立ち上がったみたい。
ディスプレイの左上に、1つだけアイコンがあった。アイコン自体は黒いけど、赤い稲妻が走ってるような絵が書いてあって、なんか格好いい。
アイコンの下には、「SPARKS ONLINE」と、書かれていた。
フラットポイントのタッチパッドを使って、カーソルをアイコンに持っていき、左ボタンをカチカチッと2回押す。
パスワード入力のポップアップが出た。
何かに気付いた僕は、さっき暗記した文字を入力してみた。
『ゲームランチャーを更新中。しばらくそのままでお待ち下さい。』
……やった、当たった。
僕は再び瓶を取り、今度は水色の金平糖を取り出すと口に入れた。
大人の味は癖になるね。
金平糖を口の中で転がしていると、ランチャーの更新が終わったみたいで、ディスプレイに大きな文字が浮かんだ。
『SPARKS・ONLINE』
[PUSH ENTERKEY]
プッシュって英語の意味は僕にも分かるよ。
エンターキーを押すと、どこかで見たことあるような顔の、制服を着ている高校生のお姉さんみたいなキャラクターが出てきた。
高校生のお姉さんの頭上に文字が浮かぶ。
『このキャラクターでゲームを始める』
◇ ◆ ◇
これは二年ほど前。
循環器系の重い病に侵されている七浜旭は、自分の命が間もなく終わる事を悟っていた。
病室のベッドの上で、小学三年の息子、奈和へ思いを馳せる。
旭が入院している病院の近くには、都立高校があった。
朝の通学時間帯に、病室の窓のカーテンを開け、通学する学生たちを見ていた旭は、ふと思う。
奈和が高校生になったら、どんな姿なんだろうか。
サイドテーブルに手を伸ばしてタブレットを取ると、妻の美容院のブログを開く。
そこに載せられている沢山の奈和のフォト。
その中で更新が一番新しいフォトを選び、画面一杯まで拡大した。
笑顔がとても眩しい。しかしまだまだ小学三年生。
「奈和が高校生になった姿なんて想像できないな……」
旭は寂しそうな笑顔でフォトをしばらく見つめたあと、フォトを閉じた。
再びブログのトップページに戻ると、ある広告が目に付いた。
『世界最高のグラフィック! 世界最高のアクション! 世界最高のキャラクリエイト! ――今こそ、世界最高のストーリーへ旅立とう!』
どうやら、本日サービスを開始したばかりの、ネットゲームの広告のようだ。
高校生になった奈和の姿を思い描こうとしていた旭は、「世界最高のキャラクリエイト」という言葉に興味を惹かれた。
「世界最高? これはまた、随分と大胆な……」
どんなものか確認したい衝動に駆られ、ゲームの公式サイトにアクセスした。
『フォトデータを元にしたキャラクリエイトも可能。アバター年齢を設定すれば、画像生成AIで年齢通りの姿に!』
「ほぉ……最近のゲームは凄いなぁ……」
動作可能スペックを確認すると、どうやら持っているタブレットでは、全くスペックが足りないようだ。
そこで旭は、現状最高スペックの、ハイエンドモデルのゲーミングノートをネット注文した。
翌日には届いたが、看護師が度々様子を見に来る病室では、流石にネットゲームでキャラクリエイトなど出来そうにない。
そこで担当医に相談する。
最終カテゴリーまで病が進行している旭は、担当医と三名の看護師が同行するという条件で、翌日の朝9時から、6時間の外出許可をもらった。
旭は自宅に戻る前に、自分が所長を務める研究施設へ寄った。
車の中で白衣を羽織り、体格の良い男性看護師に支えられながら、車を降りて施設のロビーに入ると、研究員たちがずらりと並んで出迎えた。
前もって連絡を入れてある。時間がないので言葉での挨拶は不要と。
進み出てきた研究室長が、旭に透明な小瓶を手渡した。
「なんだ。金平糖みたいだな」
旭がそう漏らすと、室長が口を開く。
「ええ、七浜博士。糖分による安定を図ると、どうしてもこのような形状になってしまうんです」
ふむ、といった表情を浮かべる旭。
「それぞれ色が違うのはどうしてだ?」
室長が頭を掻く。
「見た目がそのような形なので、シャレのつもりで……」
「あはは、君らしいな。確かに受け取ったよ。病院へ戻る前に、プロヴィタメディクスのラボに寄って、私から直接、木場君に渡しておくよ」
室長が姿勢を正し、深く頭を下げた。
「木場博士なら、七浜博士が研究してこられた、老化抑止薬の研究を引き継げるでしょう。私達では力不足で……」
旭が室長の肩に手を置く。
「君たちがいてくれたからこそ、この試薬が完成したんだ。もっと誇りを持ちなさい」
全員が姿勢を正し深く頭を下げた。肩を震わせ、涙を零す研究員も多数いた。
旭はあえて振り向かず、再び男性看護師に支えられながら、ロビーを後にした。
◇
奈和は通学中だ。旭はあえてこの時間を選んだ。
出迎えたのは妻のしおり。
ひと時だけ、目で語り合うと、気の済むまでハグを交わした。
そして旭は男性看護師と共に書斎へ入る。
旭は白衣のポケットから小瓶を取り出し、デスクの上に置くと椅子に座った。
男性看護師はデスクの上にゲーミングノートと電源アダプターを置くと、その横にタッチ式のリモートスイッチを置いた。
「具合が悪くなったら、これをタッチして下さい」
男性看護師はそう伝えたあと、一礼をして退室した。
充電や、OSとゲームランチャーのインストールを、前もって病院で済ませている旭は、忘れないようにと書いていたメモを見ながらパスワードを入力し、スパークスのゲームランチャーを起動して、キャラクター作成へと進む。
奈和のフォトデータを読み込ませ、「制服を着た17歳の高校生」という設定で、作成を実行。
ところが、どういう訳か男子高校生ではなく、女子高校生のアバターが出来上がる。
ああ、そうか。
性別を指定してなかったから、見た目で判断されたんだと気付いた旭が笑みをこぼす。
「ははは、うちの子らしい……制服がよく似合ってる」
これを保存しておきたいが……。
キャラクターネームを決めないと、データ保存できないみたいだな。
そうだな……
ミリア、無数の。ルクスフロー、光あふれる。
ミリア・ルクスフロー。
……うん。
息子の未来は、光に満ちあふれていることを願う。
――その時、激しい目眩が旭を襲う。
旭は目眩に耐えながらデータを保存し、ゲーミングノートを折りたたむと引き出しに入れ、電源アダプターをその横に、そして試薬の入った小瓶とメモをゲーミングノートの上に置き、引き出しを閉めて鍵をかけた。
鍵を白衣のポケットに入れ、リモートスイッチに手を伸ばし、触れた直後に意識を失う。
居間で待機をしていた主治医と、二人の男性看護師、一人の女声看護師が書斎へ駆け込む。
デスクに伏せている、意識のない旭の白衣を早急に脱がし、気道の確保をして酸素マスクを取り付け、脈を取り血圧を測る。
応急処置を施し、この時は一命を取り留めたが、病院へ搬送後も意識は戻らず。
この二日後に旭は――帰らぬ人となった。
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