第30話:(過去編)砂垣 間八の葛藤



「それでは砂垣君、こちらに来て自己紹介をしてください」


 と、児島先生に呼ばれて教室に入った。


 教室に入った瞬間、わいの目は一人の女子に釘付けになった。

 一番前の列、窓際に座る、なんとも可愛らしい女子じゃった。


 目が合った途端、胸がぎゅっと縮んだ気がした。なんでじゃろ、理由は分からん。ただ――目を離せんかった。


 これを一目惚れいうんじゃろか。


「かんちゃん、よろしくね」


 その女子から、そう言われたんじゃ。


 女子が「かんちゃん」言いようる。どげなつもりかいな。この女子は、わいに好意を持ってくれとるちゅうことじゃろか。


 そいだらその女子が「僕は女子じゃないよ」言うて、クラスのみんなして笑いよる。

 しまいにゃ昼休みにまで追いかけて来よる。


 どげ見たって女子じゃ。しかもごっつう可愛ええ。


 わいは、女子が居らん分校から転校してきたもんやけ、女子と話したことなんかありゃせん。


「どげ見たって、お前は女子やろが! クラスみんなで、わいを笑い者にしよって、覚えとけよ!」


 何でそんな事言うてしもたか、自分でもよう分からん。胸がぎゅうぎゅうなるけ、適当な理由ば付けて、やり過ごそう思ったんかもしれん。


 わいのことを覚えて欲しかったんかもしれん。


 そいだらその女子は、わいが駆け出した途端に追いかけてくるんじゃ。


 恥ずかしゅうて、全速力で逃げたわい。渡り廊下の手すりを飛び越えて逃げたわい。


 そいだら向こうの鉄棒で、逆上がりの練習ばしとう坊主頭の男子がおったんじゃ。

 わいと同じ坊主頭じゃ。嬉しゅうなって駆け寄ったわい。


 駆け寄ったら、にこぉと笑ろうてきた。

「君って、今日転校してきた砂垣君だよね。僕は田中、よろしくね」


 色白で金色の髪じゃけど、ひょろっとしとって人なつこい男子じゃわい。

 逆上がりのコツば教えちゃると、すぐん出来るようなって喜んどった。


 そいで、一番前の窓際の子はなんちゅう名前か聞いたら、砂場に大きゅう「奈和」ちゅう漢字を書いて、「なおって読むんだよ」て教えてくれた。


 ほいでわいは、奈和っちゅう女子は、好きな男子とかおるんじゃろか聞いたら、「なおちゃんは男子だよ」て言いよんじゃ。


 聞き間違いか思うて、もう一度聞いたんじゃ。


「なおちゃんは本当に男子だよ。プールで着替える時も、修学旅行でお風呂入った時も、ちゃんとオチンチン付いてたよ」


 わいはどうかしちょるんじゃろか。


 どがいもならんほど、奈和ちゅう男子を好きになってしもうた。

 一目惚れしてしもうた。


 学校が終わって家に帰っても、奈和の顔が頭から離れん。

 考えりゃ考えるほど、どんどん好きになってきてしもて、気持ちが抑えられん。


 ◇


 そして間八はその日の夕方、「好きになってしもうた子がおるんじゃ」と、唯一の身内である祖父に打ち明けた。


 祖父は「奈和っちゅうのか。可愛らしい名前のお嬢ちゃんじゃなぁ」といったが、間八は「相手は男子だ」と、付け加える。


 途端に祖父は、まるで人格が変わったように表情が豹変した。


「そん奈和っちゅう男子ば、オカマいう人種やけ、やめとけえっ!」


 祖父は厳しい口調でそう言ったが、間八には「オカマ」という言葉がまったく理解できなかった。


 多様性を重視するこの時代。この言葉を知っている、或いは使う人はいない。


 この祖父と間八が引越し前に住んでいたような、閉鎖的な集落に住む高齢の人が、たまに仲間内で使うだけのスラングだ。


「オカマ? なんぞそれ、わからん」


 すると、祖父は眉を吊り上げた。

「オカマっちゅうのは、男んくせして女の姿しちょる妖怪じゃ! 気色悪いだけの妖怪じゃ!」


 祖父の言葉に、間八はますます混乱する。


 爺ちゃんは奈和を見たことないのに、どげして妖怪じゃ言いようるんか。


「奈和は妖怪じゃなか! ごっつう可愛い人間じゃ! 好きになってしもうたんじゃ!」


 間八が言い終わる刹那――パシッ!

 乾いた音が響く。


 老いても筋骨たくましい祖父は、間八の頬をビンタで打つと、耳たぶを引っ張り、仏壇の前まで連れて行った。


「痛い痛い、爺ちゃん、痛いよ!」

「よう見い、これは誰ぞ?」


 更に耳たぶを引っ張って、間八の顔を仏壇に向けさせた。


「――痛っっ……か、母ちゃんじゃ」

「ああそうじゃ。わしの大切な一人娘のあおいじゃ。あおいが死んだ理由は分かっちょるか?」

 そう言って、耳たぶから手を離した。


「母ちゃんは事故で死んだんじゃ」


「お前はほんにあの忌々しい男そっくりじゃ」

 祖父が、憎々しいと言わんばかりの目を向け、付け加える。

「あおいは自殺したんじゃ」


「嘘じゃ!」


 祖父は、壁に立てかけてある竹刀を手に取った。

「あおいが何故自ら死を選ばないけんかったか、今から話しちゃるけ正座せえ!」


「もうええ、そんな嘘ば聞きとうない。爺ちゃんはわいの気持ちばなんも――」


 ――パシッ!

 祖父が、間八の腿を竹刀で打った。


「――痛っ」

「間八! 正座せえ!」


「か、勘弁じゃ! せっかんは勘弁じゃ!」


「お前の父親はのう、わしの娘を捨てて愛人と逃げたんじゃ! 男の愛人とじゃ! わしにとって、どいだけの屈辱か!」


 竹刀で腿を打ち、押さえようとした腕を打つ。

 祖父はそのたびに、自分がどれだけの屈辱を味わったかを口にする。


「あおいはな……あの男に捨てられて……男の愛人ば選ばれた事に耐えきれんかったんじゃ……」

 祖父は仏壇の写真に目を落とし、かすかに手を震わせる。


 ぐっと竹刀を握り直す。

「正座を崩すなや! 腕が邪魔だろうが! 姿勢が悪かろうが!」


 祖父は一言を発する毎に、竹刀で間八を打ち据える。


 数十分に渡る摂関。摂関というより体罰だ。


 祖父は仏壇奥の壁に、いつも竹刀を立てかけている。


 竹刀で打たれる時は、痛くて声を上げようものなら余計に打たれる。口答えも許されない。

 度々摂関と称した体罰を受ける間八には、それが分かっている。


 歯を食いしばり、ただただ耐える。


 私怨のこもった祖父の言葉と暴力は、間八の心に何も響かない。


 痛みに耐える間八の脳裏に浮かぶのは、奈和の姿だった。


 ……そうじゃ……奈和はあがな髪型じゃけ、可愛ゆう見えるんじゃ……。


 わいが男らしい髪型にしたるけ……そいだら、普通に男友達でいられるけえ……


 間八を散々痛めつけた祖父は、「もう二度と、男を好きなどとほざくな」と、吐き捨て、何処かへ出かけていった。


 しばらく床に転がっていた間八は、痛みが薄らいでくると、教えてもらっていた田中の携帯番号へ電話を掛けた。


「お前んち、床屋やて言うとったな?」


 ◇


 間八は、田中に充電式バリカンを持ってくるよう頼み、奈和を旧体育館に呼び出してもらった。


 自分が奈和を説得し、バリカンで頭を刈ってあげるつもりだった。

 ただ、奈和を眼の前にすると、心が激しく揺さぶられた。


 どう扱って良いのか、分からなくなった。


 ◇


 咄嗟に奈和の襟首を掴んだはええが、どうやってん目を合わせれんかった。


「砂垣君、丁度良かったよ。僕、砂垣君にあやま――」

「気安く呼ぶなや! オカマのくせに!」


「お、オカマって……何?」


 ぐっ……。

「爺ちゃんが教えてくれたわい! 女みたいな格好した男んことをオカマ言うんじゃてな! 気色悪い妖怪じゃてな!」


「それはお爺ちゃんが言ったってだけだよね? 砂垣君はどうなの?」


 痛みが残っとう腕に、そうっと手を添えてきよった。じんわりと温こうなった。

 いけん――胸がぎゅうっとなる――。


「――お前っ、手ぇ離せや――あ……」


 ――目が合ってしもうた。


「どう? 僕は本当に気持ち悪い?」


 鼓動が跳ね上がるのを感じたわいは、すぐに目を逸らした。

「わいも爺ちゃんの言う通りじゃ思っとる!」


「何で目を逸らして言うの?」


 どういう事か、奈和は体を寄せ、見上げるように視線を合わせてきた。

 ――奈和の目がまっすぐに向かってきよる。


 頭が真っ白になった。心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。


「可愛いても男に言うわけないけ――ちがっ、思っとらんけ!」


「可愛いって言ったよね?」


 何でわいの……いつもいつも正面から来るんじゃ――

 いけん――奈和ん目を見ちゃいけん。自分がよう分からんようなる――。


「言うとらんがぁぁぁ!」――自分への否定――。


 衝動を抑えられんかった――。

 母親が自殺したことも、父親が男の愛人と出ていった事も。

 ――祖父の言葉も。全部否定したかった。


 どうにかせんと……このわいがどうにかせんといけん――。


 わいは何かを振り切るように――


 ――無我夢中で奈和を蹴った。



 ◇ ◆



 砂垣間八による、七浜奈和と田中ジョルジュに対する暴力行為が発覚し、午後からの授業は自習となった。


 学校内には重苦しい空気が漂い、教師たちは対応に追われた。


 放課後になり、ようやく担任教師とカウンセラーによる慎重な話し合いが行われた。

 砂垣間八の供述をもとに調査が進む中、祖父の日常的な虐待行為が明るみに出る。


 砂垣間八の身体には、最近できたと思われる腫れを伴う打撲傷も含め、長年の体罰による痣や古傷が残されており、その事実に教師たちは驚愕した。


 最終的に、砂垣間八は心療的なケアが必要とされ、そういった子どもたちを専門に扱う施設で保護されることとなった。


 転校も決まり、祖父は虐待行為を理由に法的措置を受け、今後一切、間八との接触を禁じられた。



 ここからは余談だが。


 祖父の束縛から解放されたことで、間八は初めて自分がどれほど閉じた世界にいたかを知った。


 事実として間八が育った集落に、小学児童は間八ただ一人だけだった。


 保護施設に引き取られた間八は、同年代の子どもたちと共同生活を送りながら、新しい友人との遊びや学びを通じて、色々なことを吸収していった。


 理不尽な抑圧から開放された事を実感するようになると、物事に対して正面から向き合うようになった。


 都市生活にもすぐに慣れ、転校先の学校では間もなくクラスメイトの信頼を得る。


 中学に進学した間八は、訛りさえ取れていて、率先して発言したり、困っている友達を助けたりする姿が評価され、クラスメイトの誰からも頼られる存在となり、リーダーシップを発揮する。


 本人曰く――。


 奈和は俺を、呪縛から解放してくれた大恩人さ。

 もしも許されるなら……謝罪と恩返しをしたいんだ。


 今は無理でも、いつか――必ず。






















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