第28話:(過去編)僕の罪
小学六年になっても、僕はクラスメイトの誰からも「なおちゃん」って呼ばれてる。
うん。男子からも女子からも『君』ではなくて『ちゃん』付けで呼ばれているんだよ。
その理由はね、僕の顔付きと髪型が、女の子にしか見えないからなんだ。
僕は、母さんが経営する美容院のブログに、カットモデルとしてフォトを載せられているんだけど、母さんがブログに僕のフォトを上げる度に、訪れるお客さんが増えていった。
増えたお客さんの大半は、女子小学生や女子中学生、それと、女子高校生。
でもね、女子大学生や社会人の女子でも、来てくれるようになっていったんだ。
もちろん、僕の髪型を真似したい男子や若い男の人も来ていたよ。
母さんの美容院を訪れる女子や男子は、店内に置かれているタブレットPCで、数十枚も撮られた僕のフォトの中から、気に入った髪型を選ぶんだ。
「この髪型にして下さい」とかね。
それか、ブログのフォトには番号が振ってあるから、
「なおちゃんの21番でお願いします」とか。
前もって決めてから来店するお客さんもいるよ。
僕の基本的な髪型は、前髪は顎下くらい、横と後ろは肩にかかるくらいでカットされてるよ。確か、ロングボブっていうらしいよ。
そこから伸びるたびに、母さんがアレンジ? しながらカットしてくれるんだ。
カットの方法も毎回変えてるから、何ていうのかな、フワッとした感じだったり、シュッとした感じだったり。
だから僕の髪型は、週に一度の割合で変わっていたよ。
ううん、もっと細かく言えば、毎朝母さんがドライヤーとヘアアイロンを使って、僕の髪をセットしてくれてたから、ゆるいウェーブが付いてたり、外ハネになってたり、毎日変化してたと思う。
だから登校日は休憩時間になると、僕の席には必ず女子が集まってくるんだ。
多い時で20人くらいかな。少ない時でも10人ほど。同じクラスの女子だけじゃなくて、他のクラスや下級生の女子が来ることもあるよ。
◇
――母さんが、伸びてきた毛先を、外ハネにしてくれた月曜日。
登校して教室の席に着くと、すぐに女子達に取り囲まれた。
「今日のなおちゃんすっごく可愛い!」
「ほんとだ、可愛い!」
「私は先週のなおちゃんで切ってもらった」
「先週のも可愛いよねー!」
「あたしは来週のなおちゃん見てから決めるー!」
これは、全部違う女子の発言だよ。
朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴って、女性担任の児島先生が教室に入ってくるなり、ぱんぱんと手を叩いた。
「はい、みんな席に着く!」
僕を取り囲んでいた女子達が席に着くと、児島先生が黒板に文字を書き始めた。
『砂垣 間八』そしてその横に『すながき かんぱち』と、ふりがなを連ねた後、小島先生が口を開いた。
「今日は新しくこのクラスのお友達になる転校生を紹介します。それでは砂垣君、こちらに来て自己紹介をしてください」
教室のスライドドアが開けっ放しだった事に気付いていた僕は、児島先生がドアを閉め忘れる筈がないと思っていたので、ちょっとだけ得意な気持ちになっていた。
悪意とかそういうのではなくて、もっと単純に考えていたんだ。
児島先生に声を掛けられた転校生が教室に入ってくるなり、
「かんちゃん、よろしくね」と、僕は転校生に声をかけてしまったんだ。
憎々しいと言わんばかりの目付きで、転校生に睨まれた。
「女子んくせに、わいをちゃん付けで呼ぶとは、どげなつもりかいな!」
女子と勘違いされるのはいつもの事なので、全然気にならなかった。
「僕は女子じゃないよ」
すると、クラスのみんながくすくすと笑い始めた。
その笑いは、僕に対してではなく、僕を女子だと勘違いしてしまったことと、聞き慣れない言葉のなまりに対しての笑いだっていうのは、脳天気な僕にも分かった。
でも、勘違いさせたのは僕のせいだから、転校生に謝らなきゃいけない。そう考えていたんだ。
だから、お昼休憩に教室から出ていく砂垣君を見かけて駆け寄ったんだ。
「砂垣君! 今朝は……」
「どげ見たって、お前は女子やろが! クラスみんなで、わいを笑い者にしよって、覚えとけよ!」
振り向くなり激しい口調でそう言ったんだ。そのあと、砂垣君は校舎の外へと駆けてった。
追いかけたけど、クラスで一番体が小さい僕は、中学生くらい体が大きい砂垣君に追いつけなかった。
砂垣君が、校舎の先にある渡り廊下の手すりを乗り越えたところで見失っちゃったんだ。
砂垣君を探すために、渡り廊下を進んでいると、僕を見付けたクラスの女子が声を上げた。
「なおちゃん見っけ!」
別の女子も駆け寄ってくる。
「何やってんのなおちゃん。お昼休みは三つ編みにリボンを編み込む方法を教えてくれる約束でしょ?」
最初に声を上げた女子と一緒に、僕の両手を引き始め、僕はそのまま教室まで連れて行かれた。
結局その日は、午後の授業が一限だけだった事もあって、謝る機会は訪れなかった。
◇
そして……その翌日のお昼休み。
相変わらず女子に取り囲まれてる僕に、クラスメイトの田中君が声を掛けてきた。
「な、なおちゃん。こ、児島先生がさ、用事があるから来るようにって……言ってたけど……あっ、す、すぐに来るようにって……」
「うんわかった」と、田中君に返事をし、「じゃあちょっと行ってくるね」と、女子達にも声を掛けた僕は、教室を出て職員室に向かった。
「あ、こっちだよ、なおちゃん」
「え、職員室じゃないの?」
「う、うん。旧体育館に来るようにって……言ってたから」
「そうなんだ。でもさ、どうして田中君も付いてくるの?」
「ぼ、僕も一緒に、呼ばれてるから」
「そうなんだ。でもさ、何で旧体育館なんだろうね」
「……さ、さぁ……どうしてだろうね」
なんだか言葉がしどろもどろになっている田中君だったけど、僕は深く考えないで旧体育館に向かったんだ。考え始めるときりがないからね。
「あれ? 誰も居ないけど……児島先生は?」
「あ、えっと……えっと……トイレだと思う」
「じゃあすぐに戻って来るよね」
「あ、でも、うんこだったら、ちょっと長いかも……」
「あははっ、そうだよね」
「寒いから、ど、ドア閉めとくね」
僕の学校には、体育館が二つ有る。
お昼休みに解放されるのは新館の方で、旧館は来年解体される予定になっている。
今は隅っこの方に、少しの体育用具が置いてあるだけなんだ。
「何か手伝って欲しいのかな……。でも、それって体育係に頼めばいいと思わない?」
「た、体育係は……用事があるらしくて……」
「体育係の鈴木さんなら、さっき僕と話をしていたけど?」
田中くんは突然、僕の背後の少し上に視線を逸らした。
「――あ……ごめんね、なおちゃん。騙すような事をして」
田中君の視線の先――そう、僕の背後から声がした。
「田中、お前はドアをちっとだけ開けて、外を見張っちょれ!」
声の方へ振り向いた瞬間に上着の襟を捕まれた。
――転校生の砂垣君⁉
「砂垣君、丁度良かったよ。僕、砂垣君にあやま――」
「気安く呼ぶなや! オカマのくせに!」
何故そんなに怒っているのかわかんない。それに、
「オカマって……何?」
砂垣君が眉を吊り上げた。けれど僕の足元が気になるのか、視線を下に向けていた。
「爺ちゃんが教えてくれたわい! 女みたいな格好した男んことをオカマ言うんじゃてな! 気色悪い妖怪じゃてな!」
気色悪い妖怪? 僕が?
襟をつかんでいる砂垣君の腕に手を添えた。
「それはお爺ちゃんが言ったってだけだよね? 砂垣君はどうなの?」
「――お前っ、手ぇ離せや――あ……」
そこで初めて、僕と目があった。
「どう? 僕は本当に気持ち悪い?」
砂垣君は頬を染め、再び目を逸らした。
「わいも爺ちゃんの言う通りじゃ思っとる!」
「何で目を逸らして言うの?」
僕は砂垣君の両腕を掴んで体を寄せ、見上げるように砂垣君と視線を合わせた。
砂垣君の顔は更に赤くなり、耳まで染めた。
「可愛いても男に言うわけないけ――ちがっ、思っとらんけ!」
「可愛いって言ったよね?」
砂垣君が視線を落とす。
「言うとらんがぁぁぁ!」
ドスッ――!
鈍い音と同時に――
「――あぐっ……ん……んん……」
思わず口からそう漏らしてしまうほどの激痛が、僕のお腹に走った。
◇
僕は、誰かに暴力を振るわれた経験が無い。
小学校の入学式で撮ったフォトを『我が家のなおが一年生になりました』と、母さんがブログにアップしたのがきっかけで、僕はそれ以来、母さんに髪をカットされる度、母さんの美容院のブログにフォトをアップされるようになった。
小学校の高学年を迎える頃には、近所ではちょっとした有名人になっていたので、誰もが笑顔で接してくれていた。
郊外のショッピングモールなんかへ出掛けた時も、僕は特に目を引くようで、立ち止まったり振り返ったり、中にはフォトを撮ろうとする人まで居たけれど、そういう場合は母さんが丁寧に断っていた。
僕は「可愛いね」って言われるのが嬉しくて、女の子みたいな髪型が嫌だとは、一度も思った事は無かった。
恋愛の対象として気になる女子も居るし、男子に恋心を抱いた事も無い。
だけど友達としてなら男女の隔てなく、みんなを好きだった。
――だから今起こった事が、しばらく理解できなかったんだ。
ただ、お腹を襲う激痛に耐えきれず、床に膝をついてうずくまった。
「……んんっ、んんん……」
息も出来ないし涙も溢れてくる。痛い、苦しい、凄く悲しい。
目を閉じて苦しさにもがいていても、声だけは聞こえている。
「お前は田舎んもんを馬鹿にしとうだけじゃ!」
古い体育館に響く砂垣君の声。それ以外には何も聞こえない静けさの中。
どこかから吹き込んでくる風が、ひんやりと僕の頬を撫でた。
「おい田中! 持ってきたもんよこせ!」
再び響く声。
「え? こ、これで何するの?」
田中君の声は緊張を帯びていた。
「こいつの髪型が悪いんじゃ! こがいな髪型しとうけ可愛ゆう見えるんじゃ!」
「だ、駄目だって!」
「殴られたいんか、田中!」
「は、話をするだけって約束――」
――ゴツッ!
「――うぎっ……」
田中君も暴力を振るわれたみたいだ。
「おい妖怪、そのままじっとしとけ! 動いたらまた蹴り入れるけ、分かったら返事せえ!」
返事をしようにも息が出来ない。
すると今度は髪をつかまれ、そのままぐいっと上に引っ張られた。
顎が上がったからか、息が吸い込めるようになった。
「ひゅぅぅ……ひゅぅぅ……」
「うわっ、よだれと鼻水垂らしとる、ほら、やっぱし気持ち悪いけ、爺ちゃんの言うた通りじゃ」
「ひゅぅ……ぼ、僕は、ひゅぅ、妖怪じゃな――」
――ドスッ!
「喋ってええとか言うとらんけ! 返事は、はいかいいえやろが。分かっとるか?」
再び襲ってきた激痛に身を丸めると、砂垣君の白い上履きが僕のお腹にめり込んでるのが見えた。
「――あぐっ……ん、んんー……」
再び僕は床にうずくまる。
怖くて怖くてたまらない。
僕の頭の中は、真っ白になっていた。
もう蹴られまいと、僕はお腹をかばうように小さく丸まった。
これ以上蹴られたら、息ができなくて死んじゃうと思ったから。
笑顔で囲んでくれる女子たちの顔が、ぼんやりと浮かんだ。
床に付いてるおでこが、とても冷たかった。
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