第27話:ピッツア・マルゲリータ



 ユキの葛藤を思えば、心の底から何かが込み上げてくる。


 怒りなのか、悲しみなのか、或いは悔しさなのか。それは何に対して向けられたものなのか。


 アスドフを恨んでいないと言ったユキに、ここで涙を見せる訳にはいかない。


 両手を握り締め、ぐっと堪える俺。

 俺は色々なものに、背を向けていたんだな……。


「もうこの話はおしまいにするね、ミリア」


「うん……ぐすっ、分かった」

 ああ、涙腺はとっくに崩壊してた。


「それよりさ、ミリアを驚かせたい事があるんだよ」

「ん? ぐすっ、俺を驚かせたい事?」


 ユキが椅子から立ち上がる。

「みんなが待ってるお店に行こ? 行けば分かるからさ」

「お店って?」

 俺も立ち上がった。


「アンデルセンの打ち上げ会でよく利用してるレストランの事だよ」

「れ、レストランって、もしかしてオフ会なのか? それ、俺行けないんじゃ……」


 ユキは「くすっ」と、白い歯を見せたあと、

「オフ会っていう言葉も古典用語だよ。今はNPCが経営するゲーム内の飲食店で打ち上げ会をするのが主流だからね」


 ……な、なるほど。

 全てがリアルに作られているから、わざわざ外でオフ会をする必要は無いという事か。


 まぁ、サクラのように、中身は現役小学生も居るわけだし、逆に俺のようにリアルを晒したくないプレイヤーだって居るだろうから、それは理にかなっている。


 ユキの後に続いた俺は、宿屋の女将に客室の鍵を返却した。

 すると、女将が声をかけてきた。


「おやおや、兄妹喧嘩でもしたのかい? ほら、涙を拭いてあげるからもう泣かない。お兄ちゃんも妹を泣かせるんじゃないよ?」


 今度は兄妹設定になっている。そして女将は俺の前でしゃがむと、着用しているエプロンで涙を拭ってくれた。


「……あ、ありがとう」

「はい。行っといで」


 宿屋を出ると、ユキが通りの向こうを指をさした。


「レストランはあそこだよ。宿屋から西方向って覚えておくといいよ」


 成る程。いかにもレストランっぽい看板が見えてるけど、あれの事だな。近いから、西も東も無いな。


 あ――待てよ?

 何か俺、重要な事を忘れてないか……


 ――そうだ。ユキは何故、俺が少女になっている件について、何も言及しないんだ?


 しかも宿屋で二人きりだったにも関わらず、俺の事を「父さん」とは呼ばず、まるで当たり前のように「ミリア」と呼んでいた。


 いくら俺がなりきりプレイヤーだとしても、礼儀をしっかりとわきまえている俺の息子であれば、先程のように打ち明け話をする時は、父さんと呼ぶ筈だ。


 という事は、俺が少女になっている件には触れたくないのだろう……


 ――いや、もしかしてユキは、俺がリアルマネーに物を言わせて異性アバターを許可してもらってたとでも思っているのかもしれない。


 それだけは無いからな。絶対無いからな!


 作れちゃったんだよ、まじで。それに異性アバターは作れない仕様だって知らなかったし!


 ここは誤解を解く事が先決だろ。仮想レストランで仮想飯食ってる場合じゃない……あ、もう到着しちゃった。


 ユキがレストランのドアを引く。


 アンティークな趣のあるドアに付けられたカウベルが、カランカランと素朴な音を響かせた。


「ミリアー、こっちだよー」

 広めのテーブル席でサクラが手を振っている。


 テーブル席には、サクラ、アラタ、リュート、エドガー、それと、ビートルキング討伐時に、リュートのパーティに入っていたメンバーを加えた、合計十名が席に着いていた。


 ユキは俺の手を引き、テーブル席までまで来ると、残った手で二つ空いている席のうちの一つを引いた。


 すると既に立ち上がっていたアラタが、俺の脇を抱え上げ、その椅子に座らせてくれたのだが、俺の椅子だけ背が高かった。


 ……これって俗に言うお子様椅子というやつでは?


 ――くっ、中身はおっさん年齢なのに、お子様椅子に座らせられるなんて……。

 これはなんてプレイ?


 アラタがレストランの店員と思しき、赤いスーツを着た男性NPCに声を掛ける。


「メンバーが揃ったので、早速、頼んでおいた料理を出してくれないか」


「かしこまりました。只今お持ちします」


 男性NPCが丁寧なお辞儀をして間もなく、クラシカルなロング丈のメイド服を着た女性NPCが、料理を運ぶサービスワゴンを引いてきた。


「お待たせしましたお客様」

 とても上品な会釈付きだ。素晴らしい。


 ふうむ。やけに早いが、予め作っていたという訳ではなく、調理という手順を省いているのだろう。


 料理データの引用な訳だから、注文イコール完成なのだと思われる。


 現に、焼き立てのような芳ばしい香りが……

「こちら、マルゲリータになります」


 ――⁉

 俺は自分の目を疑った。何だこの完成度の高さは!


 自分の目の前に置かれた、八等分にカットされているピッツァに、思わず手を伸ばす。


「熱っ――」


 メイジのままでは、熱さも痛覚として再現されるようだ。


 ――だが、これが良い! 本物ならではの、この熱さが良いのだ!

 それに、素手が無理ならナイフとフォークを使えば良い。


 ああ、これほど本格的なピッツアを目にするのは何年ぶりだろうか。


 ひりひりとする指先にふぅふぅと息を吹きかけてから、置かれているナイフとフォークを持つと、再びピッツァへと両手を伸ばしながら声を上げる。


「い、いただかせていただきます。いただきます!」

 最早日本語になってないが、激しく気持ちが高ぶっている。


 周りが見えなくなるほど、夢中でピッツアに手を伸ばす様子を見たアラタが、咄嗟に口を開く。


「さぁ皆んな、ビートルキング討伐成功のお祝いだ。まだまだ料理が出てくるからどんどん食べてくれ。あははは、みんな、ミリアちゃんに遅れを取るなよー」


 勿論、聞こえているが――ああ、それどころじゃない。


 ナイフとフォークを使い、熱々のチーズが垂れないよう、とんがった中心部から手前に向かってくるくると丸め、一口サイズにカットしたやつをフォークでぶっ差す。


 糸を引くチーズをナイフで絡め取り、フォークでぶっ差した部分に乗せると口へと運ぶ。


「――あふっ、はふっはふ……もぐ……はふっ……もぐ、はふ……もぐもぐ……ごっくん」


 う……ん……まぁぁぁぁぁい!!


 あまりの美味しさに両手で頬を押さえ、お子様椅子でのたうち回る俺。

 これは本物だ。本物のピッツァの味だ。


 湯気さえ上がっていて、熱々な筈のピッツァだが、それを直接手に持って食べているサクラが俺に顔を向けた。


「フィールドで走った時もそうだけど、ミリアってほんと大袈裟で面白いよね。でも、凄く可愛いからあたしは好きだよ」


 ……これが普通の反応なんだよな。

 痛覚自体が5パーセント未満に抑えられているのだから、見た目は熱々でも、常温より少しだけ熱い程度に感じるのだろう。


「お、美味しかったので……つい」


 サクラは、ふぅん、といった顔付きで咀嚼を続け、ごくりと飲み込んだ。

「ミリアって、ピザが好きなの?」


「はい、昔からピッツァが大好物で……」

「ピザとピッツァは違うの?」


「同じですけど」

「じゃあピザで統一しようよ、言いやすいし。でも、ピザが好きなんて、ほんとミリアって変わってるよね」


 ……うむ。小学生なら本物のピッツァを食べたことが無くて当たり前だった。


 ポールシフトと太陽の異常活動が重なり、それにより引き起こされた大災害の話は以前に話した通りだ。


 優先すべきもの以外は生産する余裕が無い。

 バジルを育てるスペースが有るなら、より栄養価の高い作物を育てるべし。


 現在、一般的に流通している合成チーズや合成トマトソースでは、この味は出せない。


 かといって本物のチーズは、1グラム当たり10万円はするし、本物のトマトも一個3万はするし、本物のバジルに至っては、日本国内では栽培されていないので、入手する事さえ困難となっている。


 因みにバジルを保護栽培しているのは、現在は平均水深36メートルの海底都市となっているイタリアの新しい首都、ノヴァローマ内の、僅かな区画のみである。


 新しく出来たイタリアの首都は、海水の天井で太陽から降り注ぐ強烈な放射線を遮っているという訳だ。


 余談が入ってしまったが、サクラが話し掛けてくれなければ、俺はこの場で泣き崩れていただろう。


 このピッツァが本物に劣らないほど完成度が高いからではなく――


 ――本当に食べたことのある、思い出のピッツァそのものだったからだ。


 ◇


 同じマルゲリータでも、生地の厚みや大きさ、トマトソースの分量や塗り方、モッツァレラチーズのカット方法や配置、バジルの葉のおおよその枚数や並べ方。

 これらは作る店や人、或いは素材の産地によっても違ってくるものだ。


 ところが、どれを取っても寸分と違わぬ、いや、具材それぞれの味や質、そして焼き加減までも、俺の記憶に深く刻まれているイタリアンレストランの、ピッツァ・マルゲリータそのものなのだ。


 そのピッツァは忘れもしない。


 いや、忘れることの出来ない思い出のピッツァだ。


 そのピッツァに出会った経緯を説明するには、俺がヒキコモリを始める原因となった、小学六年の時に起こった出来事から語らなければならない。


 話は逸れてしまうが、


 ――その出来事を話しておこう。





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