第20話:俺が一番欲しいバフ



 サクラが小学生だと思うのは次のような理由があるからだ。

 ああ、覚えてるだろ田中。俺達が17歳だった頃。


 そう、2077年から始まった出来事を。


 ◇


 俺が17歳の時、ポールシフトが発生し、不運にも、同時期に太陽の異常活動が報告された。


 ポールシフトによる地磁気の低下と太陽の異常活動が重なり、地表には通常の数十倍もの放射線が降り注ぐ事態となった。


 その影響で、高緯度地域では生命の営みがほとんど絶たれる結果となった。


 多くの地域で大気の放射線防護機能が限界を超え、地上は宇宙空間と同等といえるほどの危険な環境と化した。


 そう。あれだけ人間の生活に密着し、環境適応力の高かったG虫様でさえ、今から十五年前に始まった地下移住計画により、住処も餌場も失い、計画の実施からおよそ三年後には絶滅していたとされている。


 地下移住計画は、東京、埼玉、山梨の境界にある雲取山の内部を切り開き、二千五百万人が居住可能な完全空調の巨大な地下都市を建造する事から始まった。


 今ではそこが新たな首都となっている。


 勿論、雲取山に限らず、日本各地に地下都市が作られたわけだが、俺も筑波山の内部に建設予定の核融合炉施設と、各地への送電設備や通信インフラに関わる多くの企業に、俺の個人資産の九割にあたる68兆円の投資をした。


 潤沢な資金のお陰か、新たな核融合炉と各地への送電設備、および通信ケーブルなどのインフラ整備は、地下移住計画が発表されてから僅か一年で完成した。


 供給できる電力量が増えれば、人間の代わりに様々な建設作業を行う『自律型アーキビルダー』の、稼働率が上がる。


 雲取山をはじめ、日本各地の地下都市建造の大きな支えとなった。


 もちろん今でも、筑波山の内部に作られた核融合炉により、国内全域へ十分な電力が供給されている。


 だが、廃墟となった地上の旧市街地や、立ち枯れした各地の森林のどこかで、ひっそりと昆虫たちが生き延びていると信じたい。


 ◇


 話を戻そう。


 虫が怖くないとすれば、サクラの中身は虫に触れたことが無い小学生だという可能性が高い。


 だが、中身小学生が、こんなわがままボディアバターで大丈夫なのか?


 随分と立派なバスト……まぁ、背伸びしたい年頃って事で納得しておこう。俺だってパターンは逆だが、似たようなもんだし。


 すると、丘の向こうから、重たい足音を響かせて駆け上がってくる男がいた。ぽっちゃりとした体格で、動くたび揺れる腹が目を引く。


 その男がサクラに声を掛ける。

「サクラたーん。お待たせだよぅ」


「何やってたのよエドガワ。あんたが来なかったせいでパーティが全滅するところだったのよ?」


「ごめーん。オイラ大ぢ主だから、ウンコするのに時間かかちゃうんだよぉ」

「ウンコ言うな! 馬鹿エドガワ!」


「あれあれぇ。ご機嫌斜めみたいだからぁ、マッサージしてあげるぅ。さぁ、胸をオイラに突き出して」

「自分のお腹でも揉んでなさいよ!」


「じゃぁサクラたんが揉んでくれるぅ?」

「うっせ! ハゲ!」


「おーい禿げてる人ぉ、何か言われてるよぉ。ところでサクラたん、今日の下着は何色ぉ?」

「この変態! もう知らない!」


 こいつ……とんでもない変態野郎だ。

 サクラ、それでは奴がつけあがるだけだ。もっと厳しく抗議するべき……


「もっとぉ、もっとオイラを罵っておくれよぉ……はぁっはぁっ」

「こっち来ないでよエドガワ。またエアモミモミするんでしょ!」


 エアモミモミ? ううむ……ちょっと待て。


 この変態も大概だが、男を挑発しているようなサクラの服装もどうかと思うぞ。


 大きな胸にとどまらず、スカートのスリットだって、紐パンの紐まで見えてしまう位置から入っている。


 スパッツくらい履きなさい。そんな格好お父さんは許しませんよー!


「サクラたん、オイラのキャラ名はエドガーだぞぉ。本名のエドガワって呼ぶのやめてくれよぉ。特定されたらリアルはスリムなイケメンだってバレちゃうだろぉ」


 と言いながら、サクラの胸の前で、両手の指をモミモミと動かしてみせた。


 エアモミモミってこれか。1メートルくらい離れててもセクハラだぞそれ。


「分かったからそれ以上近寄んないでよエドガー」

「オイラはサクラたんの近くでエアモミモミしたいんだよぉ」


 ……ふむ、エドガワだからエドガーか。

 しかし、発音的にはエドガワもエドガーもたいして変わらないだろ。


 このエドガーという変態が、スリムなイケメンというのは眉唾だな。


「こっち来んなっ、この変態ブタ!」

「うほぉ。もっと……もっと罵声をぉ!」


 エドガーは神官のような白装束に、ハンマー型のメイスを携えているので、ヒーラー系のジョブだと思われる。


 それにしても、こんなド変態を野放しにしているとは……。

 このゲーム、大丈夫なのか?


 いや、その前に……。


 そもそも、登録時のキャラクリエイトで、どんなイケメンアバターにだって出来るのに、敢えてキモデブアバターにしているところが、コアな変態だという事を物語っている。


 この男がリアルの容姿をそのまま反映している可能性も否定できないのだが……だとすれば――


 ――なんという大胆不敵な変態だ。


 だが……どこか愛嬌があり、なぜか憎めない感じの男だ。この男がBANされないで生き残っているのは、そういう雰囲気が有るからだろう。


 そして気になるのは、このエドガーが、Aクラスのアークビショップであるという事だが……。


「[メガホン:リュート]皆さん、タイムアップまで残り18分です。見ての通りビートルキングは攻撃ができない状態ですからまだまだチャンスはあります。アークビショップのエドガー先輩にバフをもらってから、攻撃を再開してください」


「[メガホン:エドガー]みんなぁ、バッキバキなバフを撒くからぁ、大至急オイラの近くに集まれぇー! オスは尻、メスは胸をオイラに向けて集まるんだよぉ」


 何言ってんだこの変態は……ん? 集まるの早いな。俺以外、みんな駆け足で集まったぞ。


「ムラムラムラムラーアッハァーン! シリムネフリフリパーリィナーイト! ダブルスコア、トリプルアビリティ、ムンムンサークルぅぅ!」


 だから何言って――お!?


 この場にいる全員の体から、ゆらゆらと、ピンク色の湯気のようなものが立ち昇る。


 どうやら、ダブルスコアというバフに、トリプリアビリティというバフを重ね掛けしたようだ。


 ムラムラとかムンムンとか要らんだろ、この下ネタ全開ド変態野郎め!


 そして、サンドバッグ状態のビートルキングへの攻撃が始まった――


「アルティメットシュート!」

 ――1090

「スターダスト!」

 ――1120

「ウインドカッター!」

 ――1210

「ハンマーパンチ!」

 ――1330


「サンダーアロー!」

 ――3950

「セクハラスマーッシュぅ」

 ――16400


 そして俺の――

「ファイアボール!」

 ――108

 レベ1メイジの俺……弱っ!


 それにしても凄い攻撃支援バフだな。

 ビートルキングの傷口を狙って攻撃しているとはいえ、俺のよわよわファイアボールでさえ桁違いの数値を叩き出している。


 恐らく、メリットの方が遥かに勝っているので、あの程度の発言では通報されないという事だな。


 ビートルキングの傷口を集中的に狙い、思い思いの攻撃を繰り出すプレイヤー達。


 何をやっても1ダメージしか与えられなかったのが、まるで嘘のようだ。


 外殻が破壊された部分にスキル攻撃をヒットさせてるとはいえ、与ダメ量は、エドガーのバフが掛かった状態なら千を超えるようだ。


 その中でも、サクラの放ったサンダーアローの与ダメ数値は3950と、他のプレイヤーよりかなり高い数値を叩き出している。だが、なにより驚いたのはあの変態の火力だ。


 エドガーは腰に下げている小さなメイスとは別に、背丈ほど長さのある錫杖しゃくじょうのような武器を背負っていた。


 その錫杖を頭上でくるりと一回転させてから叩き付ける『セクハラスマッシュ』とかいう、自分で名前を付け替えたであろう打撃攻撃の与ダメ量が、16400という桁違いの数値を叩き出している。


 ふうむ。あの変態のジョブはAクラスらしいが、奴がリアルでトイレに行っていると聞いたサクラが「ほんと使えないわね」と言った意味が理解できた。


 エドガーはこの戦闘に於いて、主戦力になりうる存在だったということだ。


 だがウンコは仕方ないだろ。ログアウトしたら漏らしてたなんて悲惨すぎるからな。


 まぁその話は一旦置いておくとして、物理職でも魔法職でも、スキルを使用する毎にMPは減っていく。


 一応、MPを回復するポーションも有るには有るが、これには最上級MPポーションでも30パーセントのみ回復で、しかもクールタイムは一時間という、HPポーションよりも厳しい使用制限が掛けられている。


 そのポーションも使用し、MPが尽きてしまったプレイヤーは通常攻撃をするしか無くなるが、通常攻撃だと与ダメージ量が極端に下がる。


 その上、まとめサイトにも書いてあったが、只でさえ硬いのに50万ダメージ入れる毎に、益々硬くなるのだ。


 攻撃を再開した時点で、既にビートルキングは一段階硬くなっている。

 うむ、俺がアデプトで与えたダメージは約70万だったからな。


 合計ダメージは間もなく100万に届きそうだが、

 ビートルキングの全体的な防御力が上がってしまうと、いくらエドガーの攻撃支援バフが掛かっていても、時間内に倒しきる事は不可能だろう。


 これはもう諦めた方がいいと思うのだが、少し心が痛む。


 なにせ、この場に居る全員が、まだまだ諦めていないようだからな。無理だと分かっていても最後まで戦う……ああ、やっぱ心が痛い。


 すぐ近くに居るサクラが、スタビライザー付きの弓で矢を放ちながら俺の方をちらちらと見てくるが、その理由は分かっている。


 先程の戦いっぷりを、ポータルに転送されるまで見ていたのだからな。


 だがスマン。期待されても困る。


 さっきはリュートを守りたい一心でぶっ叩いたが、今はあの虫の近くに寄るという行為自体が無理。


 破壊した羽が気持ち悪くてひっくり返していたが、それが仇となった。


 攻撃されれば、生きているので必死にもがく。

 微妙に色の違う縞模様にも見える腹部の節が、グネグネと動いているのに加え、千切られた脚の根本も、虹色モザイクの体液を垂らしながらウネウネと動いている。


 見てみろよ俺の膝を。距離を取っていても、こんなに震えてんだぞ。


 サクラが声をかけてきた。

「ねぇあんた。なんでさっきの棍棒使わないのよ?」


「あ、あの……あれは棍棒じゃなくてロッドなので……」


 サクラは眉をひそめる。

「ロッド? なに訳の分かんない事言ってんのよ。あたし、あんたが一撃で8万ダメージ入れたのを見てたのよ? 出し惜しみなんかしてないで早く叩きなさいよ。エドガーのバフがあるんだから、30万ダメージも余裕でしょ?」


 くっ……DEAD状態でも、顔がこっちを向いた状態であれば、空中に表示される与ダメ量も見える仕様だったか。


「わ、私の事はミリアと呼ん……」

「あたしはサクラ。はいミリア、分かったらさっきの棍棒でさっさと叩いて。時間無くなっちゃうから」


 サクラはそう言って俺から顔を背けると、矢をヒュンヒュンと放ち始めた。


 ああ、できれば気持ちに答えてやりたいさ。


 スキルをぶっ放す事も考えたが、安全性が確認できていないので危険すぎる……確かに物理でぶっ叩くのが正解だ。


 全アビリティ600の能力を以て胴体を全力でぶっ叩けば、一撃でぺちゃんこすることも容易だろう。


 だがな。この俺が虫を潰せるわけがないだろぉぉぉ!


 グチャッとかなって、中身もブチッとか飛び出してくるんだぞ!

 虹色モザイクとか関係無い! 一生トラウマになる! 絶対夢に出てくる!

 ガクガクガクガク……


「わ、わ、私、虫が怖くて……近寄れないんです」


「ミリアだってCG図鑑でしか見たことないでしょ。あんなのどこが怖いのよ……っていうか、あたしをからかってる?」


 そして再び矢をヒュンヒュンと放つ。


 やっぱサクラは小学生で確定だ。てか、俺の事も、見た目通りの小学生だと思っている。


「こ、怖いものは怖いんです」

「じゃあ、何でさっきは攻撃したのよ?」

 そして矢をヒュンヒュン。


 それを言われては……仕方ない。

「か、カニ食べた事あります?」


「……カニって、カニカマの事?」

 そして矢をヒュンヒュン。


 くっ……サクラの年代だと、本物のカニを食べたこと無いのは当然だった。

 この際だ、カニカマでも構わん。


「カニカマ美味しいですよね」

「話を逸らさないで早く叩いてよ」

 そして矢をヒュンヒュン。


 頼む、一言でいいんだ。

「カニカマ食べたいって言って下さい」


 サクラがギリっと歯を鳴らす。

「――っざっけんなミリア! もう時間が……」

「だから言って下さいっ!」


「やだ!」

 矢をヒュン。


「お願いします!」

「やだ!」

 矢をヒュン。


「お願いします」

「やだ」

 矢をヒュン。

「お願いし……」

「やだ」

 ヒュン。

「お願……」

「やだ」

 ヒュン。

「おね……」

「やっ」

 ヒュン。

「お……」

「や」

 ヒュン。


 ……不毛なやり取りが続くうちに、

 タイムアップまで5分を切った。








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