第19話:美味しいカニのイメージ
硬い鎧のようであり外殻でもある背中の前羽を開いたビートルキングが、その中に折りたたまれている薄い後ろ羽を広げた。
――虫が大の苦手な俺にとって、普段は羽を畳んでいる昆虫が飛びたつ時の姿ほど、おぞましいものはない。
特に、黒光りしているG虫様が、部屋の中でブゥーンとか飛翔なされるお姿を見ると、気絶しそうになる。
羽を広げられた恐怖にガクガクと膝を震わせる俺は、涙さえ浮かべながら無我夢中でレッドクリスタルロッドSを取り出して装備し、まるでそれがお守りであるかのように抱き締めた――
――刹那――ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ――
不気味な羽音と共に後ろ羽から円形波状に放たれた衝撃波が丘を飲み込んでいく――
――バギバギバギバギバギバギバギバギ――。
音速で拡がる衝撃波は轟音と共にプレイヤー達を薙ぎ倒し、あっという間に丘全体の草木まで刈り尽くした……
この場に居るプレイヤー全員、防御姿勢を取ってはいたようだが、放たれた範囲魔法により無慈悲に切り刻まれ、その場に倒れていた。
無事だったのは、全ステータス600のアデプトにジョブチェンジしていた俺だけのようだ。
しかも俺はダメージを一切負っておらず、痛みさえ全く感じなかった。
このゲームはリアルさを追求しているが、流石にグロテスクな部分には自動的に虹色のモザイクが掛かる仕様になっているようだ。
だが、それでも生々しいのには変わり無い。
ある者は虹色の血液にまみれ、ある者は虹色の臓物を撒き散らし、ある者は白目を剥き、またある者は光を失った空虚な瞳で倒れているのだ。
虹色モザイク以外でリアルとの違いが有るとすれば、倒れている者の上の空間に、DEADと表示されている部分だろうか。
吐き気を催した俺は、地面にうずくまった。
「……おーい! 君は無事だったんだね! ……良かった!」
――⁉
振り絞るような声の上がる方向を辿ると、向こうの方で所々に虹色の血液を滲ませているリュートが、フラフラと立ち上がるのが見えた。
たが、HPゲージは真っ赤になっている。ゲージが赤というのは、HPが残り1しか無い事を示している。
恐らく、DEADとなる致命傷を食らっても、一度だけHP1で踏みとどまるという、タンク特有のパッシブスキルのお陰だろう。
「――羽を畳もうとしている今のうちに、リンク範囲から外れる位置まで逃げて下さい! 心細くても、皆がポータルで復活して戻ってくるまでの辛抱です!」
リュートはビートルキングの後方に居る俺に向かってそう叫ぶと、上級ポーションの小瓶を取り出して一気に飲み干した。
そのポーションでHPゲージが半分程度回復したようだ。
因みに、全回復するポーションは無い。
そしてポーションは、あくまで応急処置アイテムなので、五分経たなければもう一度飲めないないというクールタイムまで設定されている。
この仕様はマゾいと思うだろうが、これはパーティプレイに於いて、ヒーラーに役割を持たせるための仕様なのだ。
リュートが再び声を振り絞る。
「早く行って下さい! バフが切れているので、僕もそう長くはもちません!」
……くっ。こんな俺を逃がす為に、犠牲になろうとしているのか。
サクラもそうだが、リュートは一緒に駆けつけた連中とパーティを組んでいた。
リュートがここで倒れれば、パーティは全滅してしまう。そうなれば、レベルダウン系のデスペナが重くのしかかってくるだろう。
通ってた攻撃も、レベルダウンにより通らなくなる可能性だって有る。
……こんな俺の為に。
薄い後ろ羽をたたみ終え、外殻でもある前羽を閉じたビートルキングが、再び両前脚を振り上げ始める――
それを見たリュートは、両手で盾を構えると深く腰を落として身構えた。
「時間が有りません! 早くそこから――なっ⁉」
瞬間的にリュートの眼前に移動した俺は、リュートの頭に手を乗せ、そのままくしゃくしゃと撫でた。
「格好良かったぞ、リュート君」
「――え、瞬間移動したような……」
リュートの頭から手を離し、くるりと体を返した俺は、深紅の光を帯びるロッドを握り締めて叫ぶ!
「この節足動物がっ!」
そして突進――からの跳躍――
ブンッ――バギィィンッ!
このロッドの固有スキルが危険というならば、そのまま物理で殴り倒すまでだ――
――振り下ろそうとしていたビートルキングの左前脚を、その巨大鎌もろとも弾き飛ばした。
ATK600の威力は伊達じゃ無い。
弾かれた左前脚は根元から千切れ、巨大鎌と共にブォンブォンと回転しながら飛んでいった。
落下地点に誰も居ない事を祈ろう。
――続けて振り下ろされた右前脚も、同じようにロッドでぶっ叩いて千切り飛ばした。
これで前足での攻撃は出来まい!
千切られた付け根の部分から、虹色の体液がドロドロと流れ出す。
……虫じゃない、これは虫じゃない。カニだと思え、カニだと思え。カニなら怖くない、カニなら美味しい。カニカニカニカニ、これは甲殻類のカニさん、大きなカニさんだ……と、心の中でブツブツと呟く俺。
すると、ビートルキングはかぎ爪の付いた左中脚で攻撃をしてきた。
――させるかぁぁ!
「ヤキガニブレイク!」
――ボキンッ!
「カニナベブレイク!」
――ベキンッ!
「カニパラダイス!」
――バキンッ!
「カニタベホーダイ!」
――ゴキンッ!
俺は、残っていた四本の脚を全てロッドで千切り飛ばすと、今度はビートルキングの背中に飛び乗った。
脚を失ったら、羽の衝撃波しか攻撃手段が無い。
――そうはさせんっ!
カニに羽など必要無い!
「カニミソブレイク! ブレイク! ブレイク! カニ! カニ!」
――ガスッ! ドゴッ! バシッ! ゴギッ! ベキッ!
硬い外殻の前羽もろとも、中に畳まれている薄い後ろ羽をも徹底的に破壊した。
どうだっ、羽が無ければ範囲攻撃魔法も放てまい。この虫けらめ!
――いや、カニめ!
全ての攻撃手段を失うどころか、移動手段さえも失ったビートルキング。
背中からは、竜巻に巻き込まれたビニール傘の末路みたいな後ろ羽が垂れ下がり、わずかにピクピクと動いている……。
「きゃあああぁぁぁっ――虫ーーー!」
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……
ぼろぼろになってなお痙攣する後ろ羽を見た途端、我に返り目眩を覚えた俺は足元をフラつかせ、ビートルキングの背中から落下――
――落下地点に素早く駆け込んだリュートが、盾を投げ捨てると両腕を伸ばし、俺をしっかりとキャッチする。
「――え⁉ アデプト……Sクラス……」
俺をお姫様抱っこしたままではあるが、目を丸くして囁いた。
くっ……ジョブがバレてしまったようだ。
「お、降ろしてもらってもいいですか?」
リュートは俺を地面に降ろすと、ガバッと頭を下げてきた。
「短時間でビートルキングを攻撃不能にしてしまうなんて……尊敬します! ミリア先輩と呼ばせて下さい。僕の事はリュートと呼び捨てにして頂いて構いません」
……ステータス画面から、しっかりキャラ名まで見られてたか。
まぁ、あの凶悪なフィールドボスを、ここまで痛めつけたんだから、正体が気になるのは当然なので仕方がない。それに、これだけ礼儀正しい少年は嫌いじゃない。
「あの、リュート君。戻ってきた皆さんには、私のジョブを内緒にしておいて下さいね?」
リュートが不思議そうな顔をする。
「折角のSクラスなのに、どうして内緒に……あ、いえ。自慢するのが嫌いだったり、目立つのを避けたがる恥ずかしがり屋のプレイヤーもいますからね。分かりました、ミリア先輩に従います。失礼しました!」
うっ……自慢厨の金髪ロングですまん。ズキズキ。
「……あ、有難うリュート君」
リュートは盾を拾うと左手で持ち、右手で剣を抜いた。
「ビートルキングのHPは、まだまだ残っているようですが、傷口を狙って攻撃すれば、時間内に倒せるかも知れませんね」
攻撃を開始しようとしたリュートに声を掛ける。
「リュート君。みなさんが戻ってくるのを待ちませんか?」
リュートがガバっと頭を下げる。
「……はい、分かりました。パーティメンバーにまで気を遣って頂き感謝します、ミリア先輩」
「それと、一つお願いがあるのですが」
「何でしょうか、ミリア先輩」
「ビートルキングをひっくり返しておきたいのですが、気持ち悪くて直視出来ないので、誘導をお願いできませんか?」
「了解です、ミリア先輩」
リュートに誘導され、たこ焼きでもひっくり返すような感覚で、ドッスーンッ! と、ビートルキングをひっくり返し終わった俺は、再び継がれた木の杖に装備し直してメイジに戻った。
◇◆
暫くすると、ポータルで復活したプレイヤー達が戻ってきたが、ビートルキングの無残な姿を見て目を丸くした。
すると、サクラが俺の前に駆け寄ってくるなり睨み付けてきた。
「あたし、丁度あんたの方を向いて死んでたから、ポータルに転送されるまで見てたんだけど……」
一旦、ギリッと歯ぎしりをし、
「何のジョブだか知んないけど、強いジョブなのを隠したままMPKを仕掛けて、あたし達が死ぬのを待つなんて、どこまで汚いのよあんた!」
「え……」
予想外の言葉に面食らう俺だった。
MPKとは、簡単に言えば、MOBを使って他のプレイヤーをキルする行為の事だ。
これは、主にPK仕様ではないゲームで、他人への妨害や不利益を与える為に行われる、極めて悪質な迷惑行為とされている。
俺がMPKを仕掛けた?
いやいや、俺はあの突起物が弱点だと思っただけで、わざと範囲攻撃を誘発させた訳じゃない。決して故意ではないのでMPKの類ではない。
サクラが尚も俺を睨み付ける。
「あたし達が戻ってくるまで待たないで討伐しちゃうなんて……最初からあたし達には、討伐報酬を分けたくなかったって事だよね?」
そこへリュートが駆け寄って来た。
「待って下さいサクラ先輩。ビートルキングはまだ生きています」
再びギリギリと歯を鳴らしたサクラ。
「これのどこが生きてんのよ。どう見たって死んでるじゃないの!」
俺はサクラに顔を向けると、先生に質問する生徒のように片手を上げた。
「あのぉ……ちょっといいですか?」
「何よっ!」
「ひょっとして、ビートルキングのHPゲージを表示してないんですか?」
「そんなの照準の邪魔になるから、あたしみたいに飛び道具を使うジョブは、誰だって表示なんかしないわよ。それと、何度も言うけど、どう見たって死んでるよねこれ」
……やっぱりか。
「いえ、脚と羽だけ破壊して、気持ち悪い背中が見えないようにひっくり返してるだけなので、HPもまだ四分の三以上残ってますけど」
「え、嘘……」
「本当です。確認すれば分かります」
俺の言葉を聞いたサクラが、すぐさまビートルキングに駆け寄った。
「ほんとだ。ぴくぴく動いてるから生きてるわ……勘違いしちゃってごめーん」
ぴくぴくとか言うなよ! 生々しいから!
それにしても、直に確認しなきゃ気が済まんのか……その場でステータス確認すれば済む話だと思うんだが……。
するとサクラは、ボロボロになっている後ろ羽を引っ張り始めた。
「植物の葉っぱみたいに筋が入ってるけど、これって骨なのかな……」
女性のくせに平気で昆虫の羽に触れられるなんて、もしかしてサクラは、ブラックなG虫様と遭遇するという恐怖体験を味わった事のない世代なのか?
……グラマラスなお姉さんアバターのサクラの中身は……小学生かも。
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