第3話:息子が可愛すぎるんだけど



 俺がネトゲを引退して十七年経った訳だが、現在ではCPUそのものがかなり進化している。


 これは、0か1しか持ち得ない『ビット』で計算するCPUに代わり、量子力学的な重ね合わせを用いた『量子ビット』で計算する量子CPUが急速に発達したおかげだ。


 諸々の過程は省くが、俺の息子が小学校に通い始めた頃。


 古典型CPUのトップシェアを誇っていた『イントル』が、持ち前のナノテクノロジーを活用し、量子CPUの小型化を可能にする「トリプルスタックコントロール」という技術を完成させた。


 ――そして。息子が小学三年生になった頃。


 トリプルスタックコントロールを共有している各メーカーによって、小型化された量子CPUに対応できる周辺機器――マザーボード、メモリ、ストレージ、グラフィックボードなども次々と開発され、総重量が20キロ以内に収まる量子CPU搭載パソコンの量産が遂に現実となった。


 古典型でもハイエンドモデルはそこそこの価格だったが、その価格に日本人の平均月収の半分ほどを足せば、性能が異次元レベルの量子CPU搭載パソコンが買えるようになったのだ。


 価格差が平均収の半分なら考えるところだが、収の半分程度であれば、性能差を考えれば悩む必要などないだろう。


 この破壊的イノベーションにより、古典型CPUは瞬く間に淘汰され、それに伴い、フルダイブプレイを主としたバーチャル産業が最盛期を迎えることとなる。


 ◇


 ごめんごめん、なんだか話が逸れてしまったな……うむ、戻そう――


 このゲームでのトークも、チャットと同じように『一般』『個人』『パーティ』『グループ』『ギルド』『メガホン』『エリア』といった種類に分けられているようだ。   


 昔のネトゲでは「チャット」だったが、今は「トーク」と呼ぶらしい。

 まぁ、リアルに声が出るんだから当たり前か。


 しかし、個人トークというのがちょっと気になる。

 トークで「個人」とは……これは耳元で囁くようなものなのか?


 うーん……ネトゲ用語も変わったんだろうな。他のプレイヤーに中身がオッサンだとバレるのは嫌だから、言葉には気をつけないと。


 まぁ、中身はオッサンでも、少女な外見にしているからな。


 ……お察しの通り、息子と一緒にゲームをプレイするという夢のような出来事が起こっているのに、空色の瞳がキラキラな、金髪ロングのロリっ娘アバターを作ってしまったというわけだ。


 まぁ、作っちまったものは仕方ない。

 いつの時代でも、可愛いは正義なんだからねっ!


 ……さてと。確認のため、取り敢えず耳元で囁かれてみるか。


 息子と並んでフィールドを歩いていた俺は足を止める。

「なぁユキ。個人トークで喋ってみてくれないか?」


 町から割と離れたので、付近にプレイヤーはいない。そう、人目につかないということだ。さぁ、さぁ、俺の耳に息がかかるくらい口を寄せ――


「[Fm:ユキ]これが個人トークだよ。この機能はすごく便利だから、父さんも使ってみるといいよ」


 ――⁉ なにこのテレパシー……。


 耳元でもないのに、脳がダイレクトに声をキャッチしているような感覚だ。


 うむむ、耳元で囁かれないのは残念としか言いようがない……可愛い息子の吐息で耳を擽られるのを期待してたのに。


「[Fm:ユキ]何で肩を落としてるんだよ父さん」


 肩も落とすだろ。お前の吐息で耳をふぅふぅされて、女の子みたいに「イヤンッ」ってやりたかったんだから。いや、待て待て。確かにそうだが態度に出しちゃ駄目だった。


「ち、ちょっと俺には個人トークは難しいのかなぁって」

 などと、はにかんだ笑顔で誤魔化してみた。


 ちなみに、音声は自動的に文字に変換され、視界の邪魔にならない場所にチャットログのように表示される。

 それと、送られてきた個人トークのログには『From』を略した『Fm』と付くので、分かりやすくていい。


「[Fm:ユキ]父さん、個人トークは口の動きを反映させないのと、周囲に音を漏らさない仕組みだから、切り替えさえ覚えれば普通に喋るのと同じだよ」


 そうなんだ。俺もやってみるか。

「えっと、これはどうすれば……」


「[Fm:ユキ]個人トークをしたい相手が近くにいて、こちらを見ている場合は、相手と目を合わせて、ダブルウィンクすれば自動的に切り替わるよ」


「ダブルウィンクって、ダブルクリックみたいなものか?」


「[Fm:ユキ]うん、そんな感じ。それと、相手が離れている場合や、こっちを見ていない場合は、エアパネルから相手を選択するんだよ」


「エアパネルって、空中を突っつくと出てくるこれの事か?」


 うんうんと頷いたユキが白い歯を見せる。

「あはっ、これって言われても、エアパネルは本人しか見えない仕様だよ。それと、相手を指定する操作は補助AIが学習してくれるから、慣れれば今の僕みたいにウィンクしなくても相手の指定ができるんだよ」


「ほぉ……なるほどな。よし、早速……」


 今、ユキと目が合っているということは、このままダブルウィンクして喋ればいいんだな。

 ウィンクするなんて少し照れ臭い仕様だな。でも仕方ない――パチッ、パチッ。


 ユキの頭上に緑色のマイクのようなマークが付いた。

 なるほど、これで個人トークが繋がったということか。あとは喋るだけだな。


「[To:ユキ]あー、あー、テステステス。ユキ、聞こえているか? お父さんだ。もしもーし……」


 その瞬間、俺のダブルウィンクがツボにハマったのか、ユキは片手で口を塞ぎ、笑いを堪えている。

 残った手を俺に向け、オッケーのハンドサインを出した。


 俺のトークにはToが付くんだな。

 文字変換されたログ表示は、昔と変わらないからちょっと懐かしい。


 ユキのハンドサインを見た俺は、そのまま個人トークを続ける。


「[To:ユキ]なるほど。耳元じゃなくても囁きあえるのか。誤爆祭りには気をつけなければ……」


 するとユキは今にも吹き出しそうな勢いで口を両手で押さえた。

 肩に掛かるクリーム色の艷やかな髪が細かく揺れる程、肩を震わせて笑いを堪えている。


 俺のウィンク、そんなに変だったのか?


 ……いや、超美少女なロリっ娘アバターでウィンクするお父さん。中身を知ってるユキから見れば、そりゃ滑稽ってもんだ。くっ――。


 ちくしょー! ウィンク設定した奴ー!


「[Fm:ユキ]父さんが、もしもーしとか言ってるからおかしくて。 あははははっ……それに、個人トークを囁きあうとか言う人も初めてだよ。あと、誤爆祭りって何? あははははは……」


 なんだ、ウィンクが原因じゃなかったのか。ホッとした……けど、そんなにおかしかったか?


 ……まぁ、箸が転んでもおかしい年頃だからな。いや、男の子にこの表現は使わないな。


 でもまぁ、ユキのリアルの容姿は女の子みたいな男子。


 ゲームアバターも、翡翠色ひすいいろの瞳と耳の形以外は、リアルの容姿をそのまま反映してる男の娘エルフだから、この表現を使ってもいいだろう。


 うむ、喜んでくれるなら何よりだ。


「[To:ユキ]じゃあ、個人トークはボイスチャットみたいなものなんだな?」

「[Fm:ユキ]うーん、それもちょっと違うかも。」

「[To:ユキ]じゃあ、テレパシーってことでオケ?」


 その瞬間、ユキはとうとうお腹を抱えて笑い出した。


「あはははははっ……もう止めてよ父さん。ボイスチャットとかテレパシーなんて、古典用語で僕を笑わせないでよ。あははははは……」


 古典用語って……。


「ところでユキ、このゲーム、痛みも感じるのか?」


 ユキは笑いながら涙を拭い、息を整えた。


「……ふぅ、ごめんね、笑いすぎて涙が出ちゃった。えっと、痛覚はあるみたいだけど、過度の痛みは精神への悪影響や、最悪の場合、中枢神経の損傷を起こす恐れもあるから、5パーセント未満に抑えられてるよ」


 まあそうだよな。日常的に死と隣り合わせのゲームで滅茶苦茶痛いなんて、余程のドMでもない限り、誰もやってみようとは思わないだろうからな。


「なぁユキ。5パーセントって微妙な数字だと思わないか? 何で0パーセントにしないんだ?」


「それは多分、少しだけでも痛みが無いと、自分がどこに攻撃を食らったか、瞬時に把握出来ないからだと思うよ」


 俺はポンッと手の平を拳で叩く。

「成る程、そういうものなんだな」


「うん。それと以前、瀕死状態になった事があるプレイヤーに聞いたんだけど、瀕死状態でも傷口がちょっとヒリヒリする程度って言ってたから、痛みに関しては心配しなくていいと思うよ」


 俺は大きく頷く。

「うむ、それは安心だ。痛いのだけは死んでも嫌だからな」

「死ぬ方がいいんだ、あははははっ」


 この笑顔がたまらん。

 それに、これほど生き生きとしているユキを見るのは久し振りかも知れない。


「な、なあユキ。リアルでは現在、俺はお前の横で一緒に寝てるんだよな?」

「なんでそんな事を確認する必要があるの? 怖いから一緒のベッドでって言ったのは父さんだよね?」


 まぁそうだった。聞いた俺がバカだった。だが幸せだ。


 うーん、それにしてもユキは可愛いな。そんなに見詰められたらお父さんだって流石に照れる……。


 くーっ、可愛いユキをハグしたい。今すぐ抱き付きたい。ほっぺ付けてスリスリしたい。


「……それとさ、僕のキャラクターネームは名前と同じでユキだからいいとして、父さんは折角の可愛い少女キャラなのに、父さんなんて呼ばれるのは嫌だと思うから、今後はキャラクターネームで呼ぶね?」


 ――なんて出来た息子なんだ! お父さん嬉しくて涙が出そう……あれ? リアルに出てるけど。


 その瞬間――


「――ミリア、下がって!」

「……あ、ミリアって俺――」


 ――バコッ!


 突然の衝撃で視界が真っ赤に染まる。全身が動かない。


 ――バタッ。


『[システム]あなたはレッドスライムの攻撃により力尽きました。蘇生支援が無い場合、60秒後にポータル地点へ転送されます』


 ……スライムごときに瞬殺されたのか、俺。


 くっ……息子の前で恥ずかしい。でもまだレベル1だし、装備も武器も何も持ってないんだから仕方ない。


 ポータル地点で復活したら、ガチャをぶん回して装備を整えないと。







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