第5話 置き忘れた温もり

 壮一郎そういちろうのミッションを続ける一方で、一矢かずやとも関係を深めていった。一矢かずや壮一郎そういちろうのように単純な男ではない。より慎重さが求められた。

 盗作を疑われる曲の情報は組織から示されていた。マリィから見て、盗作かどうかはぎりぎりのラインだと思えた。

 たまたま似てしまった、という可能性はあるだろう。一般的な音楽の場合、音はたったの十二種類しかない。ドレミ、と上がっていってシまでの七つ、そして黒鍵が五つ。合わせて十二だ。オクターブ違いはあるけれど、基本的にそれだけしかないものを組み合わせて音楽はできている。

 それに、コード進行や対位法など作曲技法にはセオリーがあって、すべての部分が完全にオリジナル、というのはありえないと言っていい。文学の場合に例えるなら、Aという作品に「花がきれいだ」と書いてあり、Bに同じ文が出てきたら、それは盗作なのか、と言うのに似ている。

 特徴的な部分がそっくりだったなら、その疑いはより強くなるだろう。しかし、なにをもって特徴的とするのか。どのぐらい近かったらそっくりだと言えるのか。判定は難しい。

 そういう意味で、一矢かずやが盗作をしたのかどうか、マリィには判断がつかなかった。それはそうだ。専門家が分析をしても判別できなかったからこそ、マリィに出番が回ってきたのだから。あとは、彼自身が意図的にまねたのか否か、が分かれ目となる。結局のところ、一矢かずやの中にしか絶対的な答はない。そこを突破するのが今回のマリィの仕事だ。

「すごい部屋ね。なにに使うのか、さっぱり分からないものだらけよ」

 一矢かずやの自宅の中には作曲用のスタジオがあった。大きなミキサーを中心に、スピーカーが何セットも並んでいる。正面には巨大なモニターが数台設置され、手前に音楽用とPCのキーボードが二段に積んである。足元にある数個の黒い箱はPCだろう。

 そのほか、周辺に立てられたラックには用途不明の機材がぎっしり詰まっていた。それらすべてを包み込む部屋の壁は、複雑な凹凸おうとつをつけられた木製だ。床には毛足の長いブラウンのカーペットが敷かれている。天井から吊り下げられた、玉子の殻のようなオブジェは残響を調整するための反響板だろう。

「最初はパソコン一台とキーボードひとつから始めたんだけどね。気づいたらこんなことになっていたんだ」

 マリィは、一矢かずやの部屋で歌の練習をしたときのことを思い出していた。僕は作曲家になる。そう言って目を輝かせていた一矢かずやが、その夢を叶えて目の前にいる。できることなら、そっとしておきたかった。

「作曲って、どうやってするの? 私には、見当もつかないんだけど」

「簡単だよ。降ってきた音を捕まえて、五線紙に並べるだけさ」

「天才なのね」

 マリィは目を見開いた。

 一矢かずやは照れたように笑った。

「わざとかっこつけて言ってみたけど、完全に嘘というわけでもないよ。音が降ってくる、というのは閃きを得るという意味だ。それを材料にして、精密機械のごとく組み立てていくのが作曲という作業なんだよ」

「偶然、ほかの人の曲に似てしまったりはしないの?」

 一歩、踏み込んで様子を探ってみた。

「ある。よくある。知らないうちに、いろんな音楽が耳に入ってくるからね。それを自分が思いついたと錯覚してしまうことは珍しくない。だから、注意深くなければならない。昔はそのあたりはおおらかだったらしいけど、今は権利関係にうるさい人が多いんだ。まあ、どっちがいいのかは意見が分かれるところだろうけど」

「あまり窮屈だと生きづらい。でも、作品のオリジナリティを踏みにじられたくはない」

「そのとおりだ。よく分かってるね」

「もしも、あなたの曲を誰かが意図的にまねしたら、つまり、盗作をしたら、どうする?」

 一矢かずやは一瞬、目をそらした。

「どう、か。とりあえず、ショックを受けるだろうね。頭にもくるだろう。法的な手段を検討するかもしれない。そのときにならないと分からないけど」

 盗作、というキーワードに対し、はっきりとやましさを感じさせる反応は見られない。

「ただ、ね。作曲は孤独にプレッシャーと戦う作業だから。どうしても上手くいかないとき、誘惑にかられてしまうことはある。あの曲のあそこをいただいたら、ちょうどいいのに、とかね」

 両手を軽く上げ、一矢かずやは笑った。

「でも、盗作をしたことはないんでしょ」

 笑顔が消えた。

「できたての最新作を聴いてみる?」

 そう言って一矢かずやはPCのキーボードに手を伸ばした。しっとりとしたピアノソロのイントロに続いて、せつないボーカルが入ってくる。徐々に編成が大きくなり、リズムがダイナミックに刻まれて、サビへ。

 隙がない。まぎれもなくプロの仕事だ、と思えた。しかし、音楽室で優花ゆうかが歌ったものの方が、何倍も温かみがあったような気がする。マリィは、自分の気持ちが沈んでいることに気づいた。

 一矢かずやは夢を叶えたけれど、それと引き換えになにかを失ってしまったのではないか。それは、マリィがお金のためになくしたものと、どこか似ている気がした。

 マリィは視界が揺れるのを感じた。しかし、泣いている場合ではない。

「素敵な曲ね」

 それは嘘ではなかった。しかし、本心でもない。

「本当に、そう思ってる?」

 マリィの心を見透かしたように、一矢かずやは重い声でつぶやいた。

「自信がないの? 一矢かずやさん」

 力なく笑い、一矢かずやはマリィの手を取った。見つめる。抱き寄せて口づけた。

「君とはもっと早く出会いたかった。誤解しないで聞いてほしい。君を見ていると苛々するんだ。どうしてかは分からない。嫌な感じがするんじゃないよ。可愛くて、穏やかで、優しい。そして、温かいんだ。それこそが今、僕にいちばん欠けているものかもしれない。どこかに置き忘れた素直な心と温もりを、君には感じる。それが僕を落ち着かなくさせる」

 なぜだ。そう言って首を振り、一矢かずやはマリィを抱きしめた。そして耳元でささやいた。

 ――僕は、他人ひとの音楽を盗んでしまった。

 マリィは顔を上げた。そこには、なんの表情も浮かんではいなかった。

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