第四話 あり得ないえない偶然

 例外的な事なんですが。

 ミカエルのメッセージ付きで新しいミッションが与えられた。

 どうしても早急に潰さなきゃならない人物なんです。同時に並行しての仕事になりますが、あなたならこなせるでしょう。

 ターゲットの顔を見たマリィの頬が強張った。

 それは、マリィにとっての初めての男、二階壮一郎だった。マリィは不審に思った。こんな馬鹿げた偶然があるだろうか。何かがおかしい。組織の中で不穏な動きがあるのではないか。優花と一矢、そして壮一郎が同じ高校の同級生である事など、とっくに調べがついているはずだ。それなのに、敢えて、それも二人同時にぶつけて来る理由はなんなのか。

 しかしながら、与えられた仕事をこなす以外、今のマリィにできる事はない。母の借金は返し終わったが、父の治療のためには特別な環境と先進医療を必要としている。精神の傷痕が父の身体に重大な影響を及ぼしてしまったのだ。

 IT系の社長になっていた壮一郎とは、ベンチャー企業の経営者たちが集まるパーティで接触を果たした。アプローチは容易だった。少し肌を見せただけで簡単に食いついて来た。相変わらずだ。

 初めて抱かれた高校生の時、壮一郎は痛がっている優花には全くお構いなしに、いつまでも行為を続けた。そんな事が何度も重なった。お前は銘器めいきの持ち主だ、最高だ。そう言いながら、壮一郎はへとへとになるまで優花にしがみついていた。

 優花は嫌気がさした。この男は私の体にしか興味が無いのではないか。好きで付き合ったわけではないけれど、どうせなら心まで愛されたかった。一矢の事を忘れさせて欲しかった。

 別れを告げた。壮一郎は激高した。手を上げる事こそなかったけれど、口汚く罵った。そして彼はストーカーと化した。電話やメッセージアプリはもちろんの事、帰り道で待ち伏せされた事も何度もあった。でも、強く拒否できなかった。壮一郎は一矢の親友だったから。壮一郎にキツく当たると、間接的に一矢を傷つけはしないだろうか。それが心配だった。

 あえて遠隔地の大学に入った。ストーカー行為はやんだ。一矢にも会えなくなったが、優花は落ち着いた気分でドイツ語を学ぶ事ができた。

 言語を学ぶというのは、その国の文化を知る事に他ならない。ますますドイツが好きになった優花は、二年間だけだが留学する事ができた。

 まずまず順調に生きて来たと言えるだろう。しかし、卒業して外資系商社に就職し、半年ぐらい経った頃、母が莫大な借金を残して失踪した。人生が大きく揺らいだ。その結果、マリィ・ゴットベルクが誕生する事になる。

 壮一郎といると、無邪気だった高校時代の記憶が蘇って来る。音楽の授業で一矢の曲を歌った事は、今でも大切な思い出だ。壮一郎にストーカーをされた事すら懐かしい。

 すぐにでも抱こうとする壮一郎を粘り強く焦らした。簡単に与えてしまってはガードを解く事ができない。仮にも、絶好調な企業のCEOをこなしている男だ。舐めてかかるわけにはいかなかった。

 もう少し、のところで身をかわしながら逢瀬を重ねた。そしていよいよ決行の日は来た。壮一郎の会社が保有する特別な技術の機密データを入手する事がミッションのかなめだった。彼はいつも小型のノートPCを持ち歩いている。目的のものがそこに入っている事を、マリィは突き止めていた。

 細かな水滴が降り注ぐ音が聞こえて来た。飛びかからんばかりの勢いの壮一郎をなだめ、シャワーを使わせたのだ。そこから先は簡単だ。訓練で身に着けたスキルを活用してセキュリティをかいくぐり、目的のデータのコピーを取った。あとは煙のように消えるだけ、だったのだが、壮一郎は想定よりもかなり早くシャワーを終えて出て来た。それでも、マリィは対処を間違えるような素人ではない。

「早かったのね」

「早いのは嫌いか」

「時と場合によるわ」

「心配するな。たっぷり楽しませてやるから。忘れられない夜にしてやる。俺が欲しくて、その体はむせび泣くようになるんだ。覚悟しろよ」

 初めての男に再び抱かれるのは不思議な気分だった。ダルマ落としみたいに中間を飛ばされて時が繋がった。壮一郎は何も変わっていなかった。

「ん?」

 壮一郎の動きが止まった。

「どうしたの。まさか、終わっちゃったの?」

「ふん、そんなわけないだろ」

 狂ったように壮一郎が動く。高校生の時は不快でしかなかったが、彼もそれなりに経験を積んだのだろう、ぜんぜんだめ、というわけではない。でも、変わり映えはしなかった。

 長かった。ひたすらに。だがマリィはプロだ。余裕でこなした。

 ベッドで並んで天井を見つめた。眠ってしまうかと思ったが、壮一郎は煙草をくわえて何やら難しい顔をしている。

「なあ、マリィ」

「なあに」

「お前、優花だろ」

 マリィは凍りついた。それでも顔には出さなかった。

「こんな時に、他の女の話をしないでちょうだい」

「だよな。そんなわけがない」壮一郎は煙草を灰皿に押し付けた。「でもなあ、そっくりなんだよ」

「何が」

「君に負けず劣らずの銘器めいきだったんだ。それに声もよく似ていて、素敵だった」

 顔は変えたが声は弄っていない。骨格などが変わった事で多少の違いはあるだろうが、基本的には同じだ。

「あら、妬けるわね」

「好きで、好きで、たまらなかった。でも、俺は若すぎた。体でしかそれを表現できなかった。本当は切なくて愛おしくて、ずっと見つめていたかったのに。俺の親友に恋してると気づいていたから、よけいに焦ってしまったのかもしれない」

 意外だ。とてもではないが、そんなふうには思えなかった。欲望のままに優花の体を求めて来るだけの男に見えていた。

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