2.洗 浄
でんでんみかん
2.洗 浄
誰もいない廃虚の一角に、その事務所はひっそりと存在していた。事務所の名は「幽霊成仏社」。モノノケである担当者「みずほ」と同じくモノノケの黒猫「さくら」がそこで働いていた。二人とも少し変わった能力を持っており、現世に何か思い残しがあり、成仏できない幽霊たちの願いを叶えるのが彼らの仕事である。
「みずほー、みてみてー。実は、さくらは手を触れずに物を動かせるんだよー!」
さくらは楽しげに笑い、机の上にあったノートを宙に浮かばせた。
「いや、そんなのモノノケなら誰でもできるでしょ」とみずほは冷静に答えた。
「うっ、なんで知ってるんだよ。」
「いや、みずほもモノノケだから…。」
「そうだった…。」さくらは少し恥ずかしそうに顔を俯けた。
「まあ、みずほくらいのレベルになると、透視や瞬間移動もできるんだけどね。」みずほはさらりと言い放った。
「さくらは体が小さくて妖力が少ないから、そこまではできないんだよ!」
「まあ、さくらは体も心もちっちゃい小動物だしね。」
「やかましい!!」さくらはぷくっと頬を膨らませた。
その時、事務所の扉がギィッと音を立てて開いた。依頼人だ。
青白い光をまとった一人の年老いた男性が入ってきた。彼は幽霊であり、名を白鷺(しらさぎ)と名乗った。
「はじめまして、私は白鷺と申します」と彼は静かに頭を下げた。
みずほとさくらは白鷺を椅子に案内し、話を聞き始めた。
彼の話は、クリーニング店を営んでいたころの思い出から始まった。白鷺は、生前、60年以上も家族で続けていた老舗クリーニング店の店主だった。若い頃から父親の後を継ぎ、毎日ひたむきに洋服を扱い続けてきたのである。町の人々の大切な洋服を預かり、丁寧に手入れし、戻す――それが彼の日常だった。
クリーニング店をオープンした当初は、店が人で大繁盛するほどの混雑ぶりだったらしい。しかし、時の流れは進み、最近は「ファストファッション」という、最新の流行を取り入れながら低価格に抑えた衣料品を、短いサイクルで世界的に大量生産・販売する方法が主流となった。よって、「たとえ服にシミが付いたとしても、クリーニングに出さずに捨てて、新しい服を買えばいい」と、クリーニング店に来る人はほとんどいなくなってしまった。彼の店も閑古鳥が鳴くようになった。
そんなとき、入り口のベルが小さく鳴り、幼稚園生くらいの女の子が不安そうに入ってきた。
「おじいちゃん、これ…なんとかなる?」
彼女が手にしていたのは、薄汚れたワンピースだった。鮮やかなピンク色だったはずのその服は、泥やシミで覆われていた。
「大事な服かな?」と、白鷺は優しく尋ねた。
女の子は、小さくうなずいた。
「これ、お母さんに作ってもらったの。でも、この前、転んじゃって…。」
「大丈夫。ワタシに任せなさい。」白鷺はにっこり笑い、女の子を安心させた。
その日の夜、白鷺はいつも以上に丁寧にそのワンピースを洗い、手で一つ一つのシミを取り除いていった。生地を傷つけないように細心の注意を払いながら、彼の手は長年の経験に支えられて動いた。彼にとってそれは単なる「仕事」ではなく、女の子の思い出や愛情が込められた服を守ることだった。
次の日、ワンピースは見違えるようにきれいになった。白鷺は店の窓越しに外を見ながら、返却を待っているかもしれないあの女の子に思いをはせた。「こうして人の役に立つことで、自分も誰かに繋がっているのかもしれない」と感じた。
しかし、なぜか頼みに来た女の子は、ワンピースを取りに来なかった。
その子は、1週間、1ヶ月、半年、、、一年経っても受け取りに来ない。店では、長期間受け取りに来ない服は処分する決まりがあった。しかし、どうしてもそのワンピースだけは捨てられなかった。女の子の顔が浮かんで、心に引っかかってしまったからだ。そうこうしているうちに、今度は自分の寿命が来てしまった。
白鷺は深いため息をつき、静かに続けた。「私はその女の子がなぜ戻ってこなかったのか、それを知りたいのです。そして、彼女にワンピースを返して成仏したい…。それができなければ、私はこの世を去ることができません。」
みずほとさくらは互いに顔を見合わせた。モノノケとして人々の未練や悲しみを感じ取ることには慣れているが、今回は何か特別なものを感じる気がする。
みずほとさくらはじっと話を聞き、静かにうなずいた。
「なるほどね。あなたが知りたいのは、なぜその女の子が来なかったのか、そしてどこにいるのかということですね?」みずほは鋭く問いかけた。
「そうです…。私はずっとその答えを探していました。でも、自分だけではどうしてもわからなくて…。」白鷺の声には悲しみが滲んでいた。
「任せてください!」さくらが元気よく答えた。「私たちがその女の子を見つけ出します。そして、真実を明らかにしてみせます!」
白鷺の顔には一瞬、安堵(あんど)の色が浮かんだ。しかし、依頼の先に待ち受ける真実が、彼にとってどれほど残酷なものであるかは、まだ誰も知らなかった…。
依頼を受けた二人は、早速調査を始めた。
まず、白鷺が営んでいた町のクリーニング店へと瞬間移動で向かう。現場を訪れることで、過去の記憶をたどりやすくなるため、白鷺も一緒に連れて行った。白鷺の姿は人間には見えないので、町で幽霊騒ぎになることはないし、モノノケであるみずほとさくらも、みずほは人間のふりを、さくらは黒猫のふりをしていればいいので、問題はない。
みずほとさくらが「人探し」を頼まれたときには、「過去の記憶透視」、「痕跡調査」を必ず行う。
まず、みずほは霊力を使って過去の記憶をたどり、女の子が訪れた日の出来事を透視した。確かにあの日、小さな女の子がワンピースを大切そうに抱えてクリーニング店に入る様子が浮かんだ。しかし、その後の彼女の足取りが急に途切れてしまう。みずほの能力でも、その先はわからなかった。
「何かがこの子を途中で止めたんだ…。」みずほは低く呟いた。
次に、さくらが自慢のモノノケの直感で町中を駆け回った。彼は匂いを嗅ぎ分けながら、過去の霊的な痕跡を追いかけた。町中を駆け回ること2時間、町の外れにある廃病院にたどり着くと、そこで一つの真実に気づいた。
「みずほ、ここに来て!」さくらが叫んだ。
みずほが駆け寄ると、廃病院のベッドに小さな女の子の幽霊が座っていた。暗い表情で、静かにベッドに座るその姿は、確かに白鷺の語った少女であった。
春の日差しが優しく街を包む日、6歳の誕生日を迎えた舞衣は、おしゃれな鮮やかな花柄のワンピースを誕生日プレゼントとしてもらった。裁縫が得意な母の手作りである。舞衣はそのワンピースに一目惚れした。なぜなら、ワンピースの柔らかな布地には、鮮やかなピンクと紫の花が美しく咲き誇っていたからだ。
それからというもの、舞衣はほぼ毎日そのワンピースを着るようになった。よほどお気に入りらしい。ワンピースのフィット感は完璧で、思い描いた以上に美しい。
ある春の日、舞衣はお気に入りの花柄のワンピースを着て、近所の公園を歩いていた。母が誕生日に作ってくれた大切なもので、舞衣はそれを着るたびに特別な気持ちになった。しかし、遊んでいる最中に転んでしまい、ワンピースが泥まみれになってしまった。体は無事だったが、舞衣は大好きなワンピースが汚れてしまったことにショックを受けた。
「お母さん、どうしよう…」
舞衣は母と相談し、自分でクリーニング店に持っていくことに決めた。そこが、舞衣と白鷺の出会いの場となる。白鷺はその老舗クリーニング店の店主で、何十年もの間、人々の大切な服を丁寧に手入れしてきた職人だ。
「大丈夫、私に任せて」と白鷺は優しく笑い、舞衣のワンピースを預かった。
彼はその夜、いつも以上に丁寧にシミを取り、ワンピースを元の美しさに戻そうとした。舞衣の思いが詰まったその一着を守ることが、白鷺にとっては仕事以上の使命になったのだ。
問題はその後だ。舞衣がワンピースをクリーニング店に出しに行って帰ろうと、信号待ちをしていたとき、突然、背後から大きな音がした。振り返る暇もなく、猛烈な衝撃が彼女を襲った。意識が遠のいていく中で、彼女の視界には買ったばかりのワンピースが宙を舞っていたような気がした。
そう、舞衣は交通事故で死んでしまったのだ。
しかし、舞衣はワンピースのことが気になってしまい成仏できなかった。舞衣にとってあのワンピースは、肌身離さず持っていた相棒とも言える存在である。それなのに、相棒とこんな簡単に会えなくなるなんて…。「もう一度あのワンピースを着たい」。その思いが消えず、舞衣は幽霊となり、この誰もいない廃病院で1人さまよっていたらしい。
「キミ…」白鷺は驚きの声を漏らした。彼の手には、あの花柄のワンピースが丁寧に包まれていた。
「キミに、このワンピースを返したい。もう一度、それを着て笑ってほしいんだ…。」舞衣の目に涙が浮かんだ。彼女はゆっくりとそのワンピースを受け取り、思い出が一気に蘇るのを感じた。事故で命を落とし、成仏できずにいた舞衣にとって、このワンピースは最後に残された絆のようなものであった。
「ありがとう…」舞衣は静かにワンピースを抱きしめ、その体が少しずつ薄れていった。
「これで、私も安心して成仏できます。探偵社さん、ありがとうございました。」白鷺もほほ笑みながら、やがて光の中に消えていった。
こうして、涙を流しながらも、彼女は成仏することができたのだった。また、依頼者である白鷺も、ワンピースのことがわかって安心したのか、成仏していった。
ファストファッションの影響か、最近減っていく一方であるクリーニング店の役割は「服を綺麗にすること」だけだろうか。注文された服には注文者の思い出や愛情が詰まっている。そんな思い出を傷つけることなく「守る」こともクリーニング店の大切な役割ではないだろうか。
「ふと思ったんだけど、今回私たち、あまり活躍してない気がするんだよね…。」
みずほはさくらを見つめて、ぼそりと呟いた。これでは感動的な雰囲気が台無しである。
2.洗 浄 でんでんみかん @DendenMikan
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