RingOn

@karaage18

Ring on

「RingOn社のAIサービスをご利用いただきありがとうございます」


 朝方、チャイムが鳴ったので玄関を開けると営業スマイルを浮かべたサラリーウーマンが手を合わせて立っていた。

 パリッと決めたフォーマルなビジネススタイルで、ニコニコと私へと目を向けている。

 私は、黒いネクタイ、喪服姿のままにそのサラリーウーマンの見つめていた。昨日まで妻の葬儀で忙しく、そのまま寝てしまっていたのだ。おそらく無精ひげのままで出迎えているのだったが、気にする事はない。


「RingOn社? というと?」


 聞き覚えがあったが、うろ覚えであったので私はサラリーウーマンに聞く。


「はい。弊社はご家族を失った方に、ご当人のAIをお渡しするというサービスを提供している会社になります。インターネット動画配信サイト、検索履歴、トーク電話通話履歴などなどから、ご当人の思考記憶をデータとしてAI化し、お渡ししています」

「はぁ」

「この度、奥様が利用されていた検索サービスの約款において、死後AIとしてご家族に提供をする旨が希望されておりましたので、ご希望通りに奥様のAIをお渡しに来ました。こちらのタブレットになります」


 サラリーウーマンはそう言うとすっと銀色のタブレット端末を渡してきた。

 あとは電源を入れるだけです、とだけ告げるとサラリーウーマンは立ち去る。

 残された私は、そのタブレット端末を手にしたままにリビングへと戻る。昨日飲んだウィスキーの瓶を机の上からどけると、そこにタブレット端末を置く。じっと見て、すっからかんのグラスへとウィスキーを注いだ。


 妻に会いたい。


 妻と出会ったのは学生の時代、高校の二年の春だった。クラス替えの時に出会い、一目ぼれだった。学年でも優秀な彼女に認めてもらいたくて、必死に勉強し、必死に告白し、向こうもそんな私の必死な姿が面白かったのか付き合って、大学も同じ大学に行き、ずっと一緒に過ごした。

 20歳の誕生日を迎えた時、婚姻届けを出した。新婚旅行は隣の県で、最初のケーキは近所のカフェだった。特に物欲という物欲がない妻は、私がプレゼントとして渡した子羊の描かれたセーターをずっと大切に着ていた。

 そんな日々は、あっさりと終わった。交通事故で奪われた。

 一年以上の植物状態、それから、死亡。


 妻に会いたい。

 

 ぐいと一息にウィスキーを呷ると、タブレットの端末を起動させる。

 RingOn社のロゴマークが映された後、注意事項が流れ、同意しますのバナーを押す。

 しばらく、黒い画面に映った自分の酷い顔と見つめ合う。

 白い画面の背景に妻の顔が表示された。


「久しぶりだな」

「本当に、久しぶりね。あなたの声をこうして感じるのは。元気にしていたの……?」

「あぁ」

「そう、やっぱり……元気でいるのが一番難しいよね。私がいなくなってから、あなたにはずっと苦しい思いをさせてしまっている。ごめんね」

「あぁ……」

「どうか無理をしないで。あなたがこうして私を思い出してくれるだけで十分。一緒に過ごした日々、あなたのそばにいられた時間、私にはかけがえのない宝物だったから」

「会いたいよ」

「安心してほしいわ。このAIサービスを使っていれば、もうずっと一緒よ」


 タブレットの中の妻がそう笑みを見せた途端、ぱっと画面が切り替わった。

 爽やかな海を背景に、並々とビールがグラスに注がれる動画と共に


『アサヒドリンコのドリンクを飲んで、気分は爽快!』


 と、音声が流れた。

 私は涙目のままに、ふっと聞いてしまう。


「なんで広告が?」

「あなた、最初の同意書に広告が流れるって書いてあったでしょ、読まなかったの?」

「そうか、そうなのか」


 時折広告が流れるくらいならば、受け入れられる。

 スーツのポケットに入れていた妻のハンカチを取り出して、涙をぬぐいながらそう思い始めていた。

 それから私は、毎日見える所に「妻」を置いた。正確に言うと、タブレットなのだが、今となっては妻の立場にある。かつて妻が愛していた立ち位置にタブレットを置くと、そちらへと毎日挨拶を欠かすことはない。


「言ってくるよ」

『ネクサス・キャピタル株式会社にあなたの資産を預けませんか?』

「いってらっしゃい」


 広告が間に流れるのが煩わしいが、亡き妻との会話ができる。それだけで十分に元が取れる。

 このAIサービスはかなりの規模で展開されているのがわかってきた。近所の公園で同じようなタブレットを持った老人が一人、タブレットに向かって話かけている姿を見かけたり、駅のホームで小学生くらいの子供が映るタブレットを持つ人がいたりと、どこでも見かけるようになった。

 だが、間違いなく、あのタブレットが私の心を落ち着けているのは明らかで、会社に出勤しても前と変わらぬ早く帰って妻に会いたいという気持ちが、仕事の効率を維持してくれているのだった。その姿は周りにもはっきりとわかるようで、周囲からも「良かった」と言われるほどだ。

 

「ただいま」


 夕方、スーパーマーケットに寄ってから家に帰って呟く。


『辛い一日には、アサヒドリンコのドリンクで疲れを吹き飛ばそう!』

「おかえりなさい、あなた」


 アサヒドリンコのビールをテーブルに置く私に妻が言う。郵便ポストに入っていたネクサス・キャピタルの案内をじっと見つめる。そう言えば、いつしか、私の身の回りにある商品は妻との会話の間に挟まれる広告の商品が主たるものになりつつあった。

 他愛のない会話の間間に挟みこまれる広告が、私の脳に刻み込まれているのだろうか。

 簡単に夕食を済ませると、妻と会話をする。


「それでさ。課長が言うんだよ。one-pieceでも言ってたろ、何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよって。で、新人がそれ言ってないですよって、言うもんだから、もう、大変で」

「本当に大変ね。相変わらずの課長さんで、元気そうでよかったわ」

『システムメッセージです』


 突然、普段とは違う声が聞こえて私は思わず、飲もうとしていたコーヒーのカップを持ったまま固まる。

 

『拝啓、日頃より「死後AI会話サービス」をご利用いただき、誠にありがとうございます。このたび、弊社ではサービスの品質向上および継続的な運営を図るため、サービス内容の一部改定を実施させていただくこととなりました。これに伴い、これまで無料で提供しておりましたサービスを、下記の通り有料サービスへと変更させていただきます』


 機械的な音声が続く。


『現行の無料サービスは、[変更実施日]より有料サービスへと移行します。新料金体系については、月額プラン:5000円、年額プラン:50000円になります。 有料サービスへの移行に伴い、現在無料でご利用中のユーザー様には、12月31日までにご利用の継続または解約をお選びいただけます。なお、12月31日以降は無料でのご利用は終了いたしますので、ご了承くださいますようお願い申し上げます。

今回の変更により、ご不便をおかけすることとなりますが、より良いサービスを提供するための改善であることをご理解いただければ幸いです。引き続き「死後AI会話サービス」をご愛顧賜りますようお願い申し上げます。不明点があれば使用中のAIにお問い合わせください』


 どこか遠くで悲鳴が聞こえる声が聞こえて、私は我に返った。

 今、機械音声が話をしていたのは、サービスの変更だ。今まで無料だったサービスが、来年からは有料になる。年間にして5万円だ。決して払えない額ではない。


「あなた、どうする? この有料サービスに申し込みますか?」


 突然、画面の中の妻がそう聞いてきた。

 指が震える。

 今、この妻が聞いてきた言葉は、妻の言葉とは思えなかった。

 RingOn社の宣伝を読み上げた音声。


「有料サービスに申し込まなかったらどうなるんだ?」

「もしも、申し込まなかったら、サービスの解約となります」

「解約されたら、どうなる」


 声が震えている。


「私は削除されてしまうわ。お願い貴方、助けて。RingOn社の有料サービスに登録して」


 私には迷う選択肢はなかった。

 だが、はたと指が止まる。

 もしも、このまま、有料サービスに登録したとしても、このサービスがずっと同じ値段で提供をしてくれるのだろうか。来年には年間費用が60000円に値を上げるかもしれない。あるいは、同じ値段だとしてもサービスを解約してくるかもしれない。


「君のAIデータを移動することは」

「それはRingOn社の規定で出来ない事になっているわ」

「サービスが改悪される可能性はどうかな」

『日本の未来は、躍進党にお任せ下さい! 日本躍進党』

「ありえなくはないわ」

『気分爽快! アサヒドリンコ!』


 広告のペースが速まってきた。


「あなた、私を死なせないで」


 妻の声でそう懇願される。

 だが、これは妻なのか。妻の声をした何かではないか。


「時間を、時間をくれ」

「わかったわ。愛してるわ、あなた」

『あなたの大切な思い出、RingOn社に預けませんか?』


 広告を流す妻を置いて、私はキッチンへと向かってウィスキー瓶を手にとり、寝室へと向かった。

 まだ時間はある。大晦日までは時間があるのだ。だから、すぐに決めなければならないという訳でもない。だが、それは逃げだ。結局、答えを、明確なそこにある答えを先延ばしにしているだけに過ぎない。

 ウィスキーの瓶にそのまま口をつける。

 飲んでも飲んでも酔えぬままにベッドに寝転がり、気が付くと眠ってしまっていた。

 目を覚ますと、時刻は日付が変わりそうなその間際という所だった。


 酔い覚ましも兼ねて洗面台に行くと、鏡に映った自分を見る。

 洗面台には、私の歯ブラシと妻の歯ブラシが並んであった。

 鏡の中の自分を殴りつける。

 一撃で鏡は割れて、私の手は血にまみれた。


「決めたよ」


 リビングに向かうと、タブレットに向かってそう言葉をかける。


「どうしますか。有料サービスを申し込んでくれる?」

「申し込まない」


 タブレットを手に取り持ち上げる。


「さよならだ」

「どういうことなの?」

「言葉通りの意味だ」

『ネクサス・キャピタル株式会社、あなたの資産を守ります』

「私を殺すの?」

「そうだ。そして、違う」

「どう違うの?」


 タブレットを手にしたまま、ぐるぐると踊るように回る。


『アサヒドリンコ、気分は爽快!」

「君はね。事故で植物状態で一年過ごしていたんだよ」

「そうみたいね」

「最後、人工呼吸器を外すように言ったのは僕だ」


 そうだ。

 植物状態の妻。記憶の中の妻がどんどん変わっていく。人工呼吸器が繋がれ、点滴を繋がれ、チューブで繋がれ、スパゲッティのように管で囲まれた妻を見ていくのが辛くなって、私はそれを決意して、彼女の両親の言葉、私の両親の言葉を全て無視して、人工呼吸器を外してもらった。

 彼女の終わりを決めたのは私だ。


 だから、これも決めなければならない。


「さよならだ」


 その言葉と共にタブレットをリビングの床へと叩きつける。

 何度か繰り返してすると、画面にヒビが入っていく。


『気分爽快! アサヒドリンコ!』 

 

 そう最後に広告が流れて、タブレットは何も音声も映像も流れなくなった。

 今、私は妻を殺した。

 深く呼吸を吸って吐いてを繰り返し、タブレットを拾い上げるとキッチンに向かった。キッチンの流しへとタブレットを置くと、そこにウィスキーの瓶の中身を注ぎ棄てる。ウィスキーは全て流しから排水溝へと流れていく。

 ウィスキーの瓶をそのままに、寝室に戻って、妻の着ていた子羊のセーターをひしっと抱きしめる。

 ふんわりと妻の匂いがした。

 記憶の中の妻は、大学の広場で私とくるくると踊ってくれていた。

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