第5話 閉塞の剣客

 幽谷とも奈落とも呼ばれた谷が、幾つも並ぶと言われる暗黒山脈に、この世で最初の剣――「日蝕」が眠っている。

 神話にて紡がれた宝剣たちは、その原型がある場合が稀に存在する。

 「日蝕」はその神話に登場する一振りの長剣で、変哲なき剣である。

 されどその剣は神グラムがその血で鋳造したとされており、魔剣や神剣のような異能はなくとも、その存在だけでその他全てを凌駕すると囁かれている。

 その後名を変えて複数の神話に登場し、その内最後の記述にて、地上の賢者ヤルタが地面を割って地獄を露わとし、「日蝕」を目に留まった天まで届く槍のような山の頂上めがけて投擲したとされている。

 その槍のように突き立った山が、暗黒山脈にはある。文字通り天まで届いているとされ、その頂上は誰にも知られていない。

 それは高すぎるあまり、暗黒山脈の位置するガリアード大陸全域から望む事ができる。

 晴天の日、空に向かって伸びる一条の白線があれば、それこそがバベル山である。

 誰もが「日蝕」を欲してバベル山に足をかけ、そして奈落へと落ちて死んでいった。

 それでも「日蝕」へと羨望は止まず、現在でもバベル山に挑む冒険者が後を絶たない。

 ここに、王命で死地に踏み入った近衛騎士団の一団がいる。

 豪雪の隘路を手探りで進む。足を踏み外せば地獄への奈落が顔を表す。

 

 「絶対魔法をかけた方がいいだろ!凍えて死んじまう!」

 

 「隊長!」

 

 だがそのリーダーは首を振る。


 「魔獣……それに盗賊がこの周辺にはいる。そんな強力な連中に魔力を使うべきだ。それにバベル山の麓にも辿り着いていないんだ。ここは耐えて乗り切れ!」


 「クソったれが!死ぬような役目を俺たちに押し付けやがって……!」

 

 一団は精鋭と同義ではない。

 無茶な命令を誰が聞き入れるかの責任の押し付け合いののち、不運にも最弱の一団が選ばれた。


 「とにかく、ここで気を張らねばいけないのは魔獣だ。特に雪の魔獣と閉塞の剣客に気をつけろ!」

 

 ――閉塞の剣客。

 

 暗黒山脈で度々目撃される、数世紀前の伝統衣装を着た謎の剣士である。

 三艇の異形の剣と吹けば飛んでしまいそうなほどにほっそりとした全身は、誰もが震え上がるような亡霊にしか見えない。

 その正体は誰も知らないが、魔獣の幽霊族に分類される。

 世界的に有名な都市伝説として知られているが、これは実在する。

 山脈に入る最後の都市に入った時に酒場の店主より告げられた。騎士団は度肝を抜く事態に戦慄し、その半数が逃げ出した。

 ちなみにこの暗黒山脈は入ったら帰ってこれないような死地ではないため、その生還者から話が聞けるらしい。

 なお、生還率は一割を切る。

 先達の残した魔術痕が、道標となって一団を導いていく。そして崖のエリアを抜けると、豪雪が嘘のように回復し、曇天の下、見渡しの良い山麓を歩む。


 「ここなら、魔獣の接近も探知し易そうですね」


 「ああ。こんな天候で麓までたどり着ければ良いのだがな」

 

 幾多の山を越え、崖に差し掛かってもめげずに足を進めた。

 そして、目前にバベル山を望む。

 眼下を見るとそれは垂直に等しい奈落であり、バベル山に行くにはこの奈落を抜けなくてはならない。


 「底が見えない……まさか本当に地獄へ?」


 「ありえん。冥界と繋がっているのならとっくに魔皇が復活して世界を支配してる」


 「ここを進むしかないのですか?」


 「見たところ橋も見えない。ここを進む他あるまい」


 「隊長!」


 「なんだ。あまり大声を出さなくても聞こえて――」


 「魔獣です」

 

 目にした直後、天候が荒れ始めた。

 強い吹雪が吹き荒れ、視界を雪が覆う。

 敵影は一つ。

 細くゆらゆらと動く影が、ゆっくりとこちらへ歩いている。

 足音も立てず、それは確実にこちらへ向かってきている。頭に巨大な傘――表現のしようがない――を被っているようで、視線は合っていない、


 「警戒体制!防御陣形を取れ!」

 

 各自が剣を引き抜き、その敵へ向ける。

 震える剣先は……おそらく寒さによるものだ。


 「まさか本当に……?」


 「だがあれは魔獣だ。魔獣ならば殺さなければならない」

 

 しかし、一つの疑問が生まれた。


 「もし剣客が魔獣ならば、死んだら蘇らないのでは無いでしょうか?たとえ幽霊族でも、核を潰せば死ぬわけですし、何度も遭遇するようなものならとっくに攻略されているはずです」

 

 一人の団員がそう言った。

 しかし、別の考え方もできる。

 別に戦わずすれ違ったのかもしれない。

 あるいは戦闘を避けたのかもしれない。

 若しくは――


 「戦ったことのある者は一人残らず殺された。その可能性もある」

 

 そして、目前へと剣客は迫ったのだ。


 「絶対にこちらから攻撃するな!素通りに越したことはないからな!」

 

 だが、剣客は立ち止まった。

 所謂菅笠がもたげ、ようやく騎士団の隊長と視線が合う。


 「…………剣」

 

 それだけ呟いて、剣客は風のように駆け出す。

 吹雪を掻き散らす勢いを持って猛進し、地面を強く抉る。

 誰もが剣を構え、そして剣客へと剣を据えた。

 空振り。

 そしてもう一つ気がついた事がある。

 遠目よりも、この剣客の身長は低い。それこそ、子供並みに。


 「なん、だと……」

 

 剣客は誰も斬ることなく、背後の奈落へと飛び込んでいったのだった。

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