第4話 妹の襲来

 しばらくするとニナは外出も許されるようになった。もちろんミシェルの監視付だが。


 行動の制限は囚われの身であることを感じさせて憂鬱になったが、ニナはあきらめがついているので悲愴になることはなかった。

 むしろミシェルの方が鬱々と沈みこんだ。


 ミシェルはニナを外に連れ出すたび、ためらいながら鍵のついた部屋に戻し、罪悪感に苛まれていた。

 ニナが進んで監視下に置かれようとすることに安堵を見せるものの、一方で、安心する自分を嫌悪していた。


「慈愛深い女神のようなあなたに、こんなことをしている自分が許せなくて。

 前のような生活に戻りたいのに、あなたを信じ切れない自分が情けなくて。

 浅ましくて醜くて。吐き気がします」


 ミシェルは青い顔で口元をおさえた。目の前にある朝食はほとんど減っていない。


 頬が一月前より痩せてしまっているのを、ニナは痛々しく思った。

 いまだに任務と個人的感情に折り合いを付けられないミシェルが気の毒だった。

 このままでは倒れてしまいそうな様子だ。死んでしまわないかハラハラする。


「考えたくないけど、ミシェルにもしものことがあったら、私、ほかの――」

「絶対ニナより先には死なないです。死んでも死なないです」


 論理の破綻したことをいいながら、ミシェルは食事に食らいついた。

 ミシェル以外が看守になるのは不安なので、ニナは安心した。


「ミシェル、このところよく町に出掛けているみたいだけど、使徒のお仕事は?」

「サボっているわけではありませんよ。今はたまたまこの町が任務地なんです。

 町を“真実の目”のメンバーがうろついているという話があって」


 “真実の目”というのは異世界転生者をリーダーとする組織だ。

 “真実を視る力によって人々を正しい方向へ導く”という信条を掲げ、最初の頃は隠れた悪事を暴いたり、未解決の事件を解決したりしていたが、だんだんその力を脅迫に使うようになり、今では存在を迷惑がられている。


「リーダーが死んで組織が崩壊したという話を聞いたので、元メンバーが行く当てを探してさ迷っている最中なだけかもしれませんけど。警戒しておくに越したことはありませんから」


 さんざん名残惜しそうにしながら、何度もニナを振り返りながら、ミシェルは出勤していった。


 そうしてまた塔を登る靴音が聞こえてきたのは夕方だった。

 ニナは夫を出迎えるために立ち上がったが、肩透かしを食らった。

 やってきたのはミシェルに似てはいるが違う人物だった。


「アナイスお姉さま」

「お久しぶり、ニナ……一月ぶり……? なら、久しぶりともいえないのかしら……難しいわ、あいさつって……」


 双子だけあって容貌はミシェルと似通っているが、雰囲気はまるでちがう。

 凛々しく前を見据える兄に対し、妹の方は夢を見ているようにぼんやりしている。口調もおっとりだ。


 ニナは狼狽した。ここにやって来られるのはミシェルと、ミシェルに許されたメイドだけだ。

 ミシェルの許可を取って特別に来ているのかと思ったが、そうでもなさそうだ。

 アナイスの背後に、鍵束をもって後ろめたそうにしているメイドがいる。


「アナイスお姉さま、ここにいらしてはいけません。先日のお手紙に書きましたけど、私は今、病気なんです。人に感染する。だから」

「ウソはだめよニナ……私は全部わかっているわ……」


 アナイスはためらうことなく距離を詰め、白く繊細な指先で義妹のあごを取った。


「本当は何ともないのでしょう……? 兄に命令されてウソをついているのでしょう……?」

「いいえ、本当に。病気で」


 見破られていることに驚くが、真実は口にできない。懸命に否定する。

 しかしメイドが白状してしまった。


「アナイス様のおっしゃる通りです。病気はウソです。

 ある日突然、若様は奥様をここに閉じこめてしまって。人とは会わせないで、私どもとも話させないで、人とのやりとりも監視して。

 旦那様と同じです。正気の沙汰とは思えません!」


 メイドは両手に顔を伏せて泣き出した。

 アナイスはニナの手を取り、美しい瞳に憂いを浮かべる。


「ニナ、怖い思いをさせてごめんなさい……やっぱりうちの血筋は変なのね……」


「変?」


「うちの家系はね……何かに熱狂的になりやすい気質というか血筋みたいで……。

 最初にこの塔の部屋へ入れられたご先祖様はクライス教の熱烈な信者で……熱心すぎて過激すぎて教会からも疎まれるようになって……ここに幽閉されたような人なのよ……。

 困ったことに恋人や配偶者に異常に執着することもあって……父も母をここに幽閉していたわ……」


 ニナは絶句した。道理でミシェルがこの部屋を案内したがらなかったわけだと納得する。


「母は病死ということにされているけれど……本当は父のふるまいに耐えかねて、そこから」


 アナイスはただ、塔の窓を指差した。


「兄は何度も父のようにはなりたくない、絶対にならないと言っていたから安心していたのだけれど……ダメだったのね……」


 深々とため息を吐き、アナイスはニナの手を引いた。


「遅くなってごめんなさい……今すぐここを出ましょうね……」


「誤解です、そういうことでは全くないんです。

 変な話ですけど、ここに閉じこもっているのは半分私の意志というか。

 自分で納得してのことなのでご心配なさらないでください」


 ニナは忠実に使徒の責務を果たしている夫をかばったが、よけいに旗色を悪くした。重症患者を見る目をされる。


「ニナ、辛かったのね……そう思わないと耐えられなかったのね……大丈夫よ、私があなたを守るから……」

「ミシェルが私をここに隔離しているのは、私が、私が――」


 足早に階段を上がってくる靴音がした。

 アナイスよりも重い足音。ミシェルだ。ニナは強引にクローゼットに押し込まれる。


「じっとしていて……私が兄を説得するから……けはいを悟られないでね……」


 クローゼットは一部が格子状になっており、中から部屋の様子がうかがえた。

 ミシェルはきょろきょろと部屋の中を見回している。


「……ニナは?」

「見損なったわ、兄様……お父様のようにはならないとおっしゃっていたのに……」


 ミシェルは妹と議論をしなかった。踵を返す。


「ニナ! ニナ!」

「やめてお兄様……ニナをお母様のような目に遭わせるつもりなの……?」


 アナイスは兄の腕をつかんだ。相手は手出しを不快そうにする。


「ニナは母のようにはなりませんよ。彼女は私のしたことを許してくれました。彼女は違う」

「バカなこといわないで……そんなのは兄様が怖いからよ……身勝手に都合のいい解釈をしないで……」


「私も最初は疑いました。

 でも、本当なんです。ニナは私を恐れずすべてを受け入れてくれました。

 ニナは特別です。特別な人間なんです。私たちには計り知れない人、女神です」


 うっとりと、熱っぽく、恍惚と、ミシェルはいう。


 ニナの言葉で表現したなら完全に“イっちゃってる”顔だった。


 アナイスの表情が死んだ。兄を見る目が虚無だった。


「――“裁きの火よ、神の名のもとに正義を果たし給え”」


 別人の口ぶりで、アナイスは高らかに呪文を唱えた。

 神術によって起きた紅蓮の炎がミシェルが包む。


 ニナは悲鳴を上げそうになったが心配無用だった。

 やがて炎が収まると、ミシェルが体にも服にもダメージを負うことなく立っていた。

 妹の所業に、額に青筋を浮かべる。


「なんてことするんですか。私でなかったら死んでましたよ」

「いけない、私ったら無意識に……目の前に大きいウジ虫がいたから……」


「そこの窓から放り投げて反省するなら投げてやるんですけどね。それくらいで悔い改めるようなかわいげはないですもんね、アナタ」

「兄様の顔をしたウジ虫が何かしゃべってる……怖い……」


 一触即発の空気で兄妹はにらみ合う。


 一方、ニナはクローゼットの中で頭を抱えていた。

 ようやく自分の盛大な勘違いに気付いた。

 ミシェルが自分を監視していたのは異世界転生者だからではなく、アナイスの言うように行き過ぎた好意からだったのだ。


(じゃあ、あの部屋は――)


 ミシェルの部屋に隠されていた、自分に関するものばかりが集められていた異様な小部屋。

 刑事が事件に関するあらゆるものを収集し記録し手がかりにし証拠にするようなものだと思っていたが、あれは。


 前世にあったぴったりの単語を思い出す。


(ストーカー?)


 全身が総毛立った。

 アナイスは兄の顔面に紙を押しつける。


「兄様……ニナを愛しているというなら離婚届を書いて……」


「アナイス、ニナはどこです?

 あなたには理解できないようですが、私たちは心から愛し合っているんです。

 あなたの手出しはただただ余計なことです。これ以上邪魔をするなら、兄妹でも容赦しませんから」


「自信がないの……?」

「はい?」


「私はお兄様が離婚届を書いて……ニナがサインしなかったら……二人の仲を信じるわ……。

 だから書いて……? お兄様はニナの愛を信じているのでしょう……?」


 挑発するような物言いだった。

 ミシェルは視線で射殺す勢いで自分の片割れをにらみつけたものの、紙を取った。

 必要事項を書き殴り、妹の顔面に押しつけて返す。


「いい機会です。ニナがサインしなかったら、私もニナを信用してこんなバカげた生活はやめます」


 アナイスはクローゼットを開けた。が、妻の姿を求める兄の行動を邪魔した。

 義妹を背にかばい、兄のことは戸口へとおいやる。


「お兄様は出て行って……大きなウジ虫がそばにいたのでは、離婚したくてもできないかもしれないでしょう……?」

「いいかげん人を虫呼ばわりするのはやめてもらえます?」


「そうよね……ウジ虫に失礼よね……考え直すわ……」

「直すのはその考えです」


 しぶしぶ出て行くミシェルと、ニナは視線が合った。

 なんと声を掛ければいいのかわからなかった。


 また後で、とも、さようなら、とも。

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