第3話 懺悔

 ニナの幽閉生活は本人の予想より快適だった。


 食事はきちんと用意されたし、衣類やシーツ類も交換されて清潔を保たれた。痛めつけられることもなかった。足を拘束した以外は、ミシェルはニナをていねいに扱った。


 苦痛なのは外に出られないことと、ミシェル以外とは会話ができないことだ。

 ニナが塔の部屋に移ったのは伝染性の病気にかかったせい、とされていた。

 メイドは身の回りの世話をしにきてくれるが、必要最低限の会話しかせず、用事が終わったらすぐに出て行ってしまう。


 さみしいが、転生者と知られて避けられるよりはましだ。

 メイドはニナを気の毒そうにしていた。声に出さずとも、雰囲気で伝わってきた。

 もし隔離の理由がもし転生者と知られていたら同情なんてされなかっただろう。

 頻繁に差し入れられるお菓子をありがたくいただいた。


 おかげで、ニナのお腹まわりは由々しき事態になった。

 むにむにとお腹のお肉をもみ、悲壮な顔でミシェルに訴える。


「部屋の中だけでも自由に動けるようにして。ミシェルの足がつぶれるわ」

「そんなにヤワではないので大丈夫です」


 ひざにニナをのせたミシェルは、平然と応じる。


「私を窓も扉も通れないくらいの肉だるまにするの!? そういう魂胆!?」

「肉だるまなニナですか……それはそれで良いしれませんね」


 ほほ笑まれて「なんという鬼畜」と戦慄したが、最終的に乙女の切実な願いは叶い、足枷は外れた。ニナの日々の従順な態度も功を奏したようだった。


(この生活になってからやたらと触れ合いが多いけど……一体なんなんだろ。

 悪魔なんて触りたくないものだと思うけど)


 ニナは頭をなでてくる使徒を不審にした。


(なでることで弱体化を狙っているとか……?)


 悪魔は転生者だけでなく、邪な異形も含まれる。そちらの方が一般的な悪魔で、聖水や神の祝福を受けた武器が有効だ。祝福を受けて戦う使徒もしかり――ニナにはまったく効果はないが。


「そうそう、ニナ。アナイスから小包が届きましたよ。出張土産だそうです」

「アナイスお姉さまから? 嬉しい」


 アナイスはミシェルの双子の妹だ。同じく使徒で、各地を飛び回っている。

 ニナのことを実妹のようにかわいがってくれており、二人は気軽に手紙や物をやりとりしていた。


 小包を受け取って、ニナは愕然とする。


(――ひどい。勝手に)


 小包はすでに開封されていた。添えられている手紙も。


「ニナ、お風呂が好きだったんですね。知りませんでした」


 プレゼントは有名どころの石鹸といい香りのするサシェだった。

 手紙には、ニナのお風呂好きを踏まえてお土産を選んだ旨が書かれている。


(検閲するなんて)


 思わずミシェルをにらんだが、なんの恥も後ろめたさも感じていない相手の様子に、だんだんと意気消沈した。


(囚人だもの。そういうものよね)


 ニナは模範囚を心掛けていたので、義姉への返信は封をせずミシェルに託した。

 文句の一つもなくそうしたことに、ミシェルは少し目を見張る。


「ねえ、ミシェル。私みんなに“伝染性のある不治の病にかかったので、二度と会えません”ってお手紙を書いておいた方がいいかしら?」

「はい?」


「私、世間と縁を切らないといけないのでしょう?」

「別にそこまでして欲しいとは思っていませんけど!?」


 ニナの提案に、ミシェルは目をむいていた。

 バツが悪そうにうなだれる。


「ニナ……信じてもらえないでしょうけれど、私、本当はあなたと前と同じように暮らしたいんです」

「前と同じに?」

「普通の、世間一般の夫婦のように暮らしたいんです。こんなことはせず」


 ニナの茶色い目をしばたかせた。


「隠し部屋を見られた時は必死で。私の正体を知ったあなたが離れて行ってしまうことが耐えられなくて、強引なことをしてしまいました。

 今となってはとても後悔しています」


 ニナは内心、首をひねった。

 相手が離れていく心配をするのは、むしろ悪魔であるニナの方のはずだ。


(ミシェルは監視役でなくずっと私の夫でいたかったの……?)


 ニナはミシェルのひざに乗せられている理由を考え直した。

 これはいわゆる夫婦のスキンシップというものだったか。


「……私のことが憎くなったのだとばかり」

「まさか! 好きです。自分ではどうしようもないくらいに」


 思い詰めた声で告白され、抱きしめられる。

 ニナの脳内で結婚式のときの鐘の音が再現された。


(ミシェルが私と結婚したのはただ任務を果たすためだと思っていたけど、そんなことなかったんだ。ちゃんと気持ちがあってのことだったんだ)


 心臓がドキドキした。頬に血が上る。熱い。


「すみません、ニナ。怖がらせてしまっていますよね。

 囚人のように扱っていたら、愛なんてあるのか疑って当然ですよね。

 好きなのにこんなことをするなんて、矛盾していますよね。

 ……どうして私はこんなふうなんでしょう。こうはなるまいと思っていたのに」


 ミシェルの腕に力がこもる。痛いほどの抱擁だった。


「でも、それでも私はあなたを離せない。最低ですね」


 自嘲まじりの独白は、聞いている方が辛くなるほど苦しそうだった。


 ニナはミシェルの背に手を回した。

 相手を責める気持ちはこれっぽっちもない。

 ミシェルが自分の自由を奪うのは仕方のないことではないか。仕事なのだから。

 個人的な感情を押し殺して、世の平和のために責務を果たす。使徒の鑑だ。


「ミシェル、どうかそんなに自分を責めないで。私は幸せだわ。あなたような人が夫で」

「いいんですよ、軽蔑して。気持ち悪いでしょう」


「夫婦だっていうなら、私あなたに……キス、してもいい?」

「――っ!?」


 信じられないことを聞いた、というようにミシェルは硬直していた。

 頬に口づけると、しばらく呆然としていた。


「あなたは――あなたはどうしてそんなに――」


 優しいんですか、というセリフはかすれ、ほとんど声にならなかった。


「――ひゃっ!」


 ニナは頓狂な声を上げた。

 突然ミシェルに左足を取られ、足先に口付けられたのだ。


「ミシェル、そんなところ! 汚いっ、汚いから!」


 ミシェルは制止に耳を貸さなかった。

 妻の足からビーズのついたサテンの靴を取り去り、もう一度その足先にキスした。


「あなたの体に汚いところなんて一つもあるわけないでしょう」

「あ、り、ま、す、よ!?」


 ニナは一音一音を大事に発音した。

 頬をまっ赤にしてミシェルの手の中から左足を抜こうとするが、抜けない。

 夫はしつこく足にかまってくる。


「あなたの体についたものなら泥でも金粉に思えます」

「ひいっ!?」


 足裏を舌が這った。湿った生々しい肉の感触に、ニナは背筋が粟立った。

 足指の間にも薄いピンク色の肉は割って入ってきた。指を口にふくまれた段に至っては、ニナはもはや声を失くした。

 幽閉も拘束も検閲も受け入れてきたが、さすがにこれはヒいた。


 迫ってくる夫を、血の気の失せた顔で見上げる。


 彫刻のように整っている顔は、頬がばら色に上気して生き生きとしていた。

 浮かぶ微笑は穏やかで幸せに満ち足りている。

 長いまつ毛の奥にある澄んだ碧色の目は、熱っぽい。ただただニナだけを熱く見つめている。人生でこれほど熱心に見られたことはないと断言できる熱視線だ。


 ニナはどこか夢心地な夫の様子を、前世の語彙で簡潔に表現した。


(なんかイっちゃってない――?)


 細身とはいえ、のしかかられれば使徒として鍛えられている成人男性の体は重い。

 触れ合った肌は布越しでもわかるほど熱かった。

 指先に手の甲に手のひらに。形のいい唇が触れる。


「私は幸せ者ですね。天には我らが主が、地上にはあなたが。あなたは私の地上の女神です」


 腕に肩に頬に頭に、あらゆるところに唇で触れられる。

 ニナは圧倒されて反応することを忘れていた。ただぽかんとミシェルをながめて、されるがままでいた。


(何か……何かがおかしい、ような……)


 ミシェルと和解して事態は確実に好転しているはずだ。

 しかし自分がずぶずぶと、何か取り返しのつかない底なし沼に沈んでいっているような不安がぬぐえなかった。

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