第2話 幽閉
隠し部屋を出ると、ミシェルは二人の住んでいる城の塔をどんどん登っていった。
たどりついたのは、塔のてっぺんにある鍵のついた部屋だ。
(ミシェルが見せてくれなかった部屋だ)
この城はミシェルの父、グラン伯爵から新居として与えられたものだ。
引っ越してきた日、ミシェルは地下牢も宝物庫も隠さずニナに見せてくれたが、塔の部屋だけは「見るほどのこともないから」と見せてくれなかった。
(まさか拷問部屋とか?)
手に汗を握って、ミシェルが部屋の鍵を開けるのを見守る。
覚悟を持って中をのぞくと、最悪の想像は外れた。中はホテルのスイートルームのように整っていた。
壁には淡い黄色の壁紙が貼られ、床には草花模様のじゅうたんが敷かれている。全体的に温かみのある雰囲気だ。
ベッドにクローゼット、ソファといった家具も用意されていて、どれも彫刻が細かく贅沢なつくりをしている。
太陽の昇る方角には祭壇があり、毎日の礼拝も行えるようになっていた。
「今日からここで生活してもらいます」
ニナは戸惑った。地下牢に入れられてもおかしくない身の上だ。こんな上等な部屋で生活させてもらえることが信じられなかった。
「最初にこの部屋を使ったのは我が家の先祖です。故あって捕らえられ、晩年は幽閉生活でした。以来、貴人を幽閉するために使われています」
貴人の幽閉部屋に入れられるということは、ニナはまだミシェルの妻ということだ。
(悪魔が妻だったっていうのは外聞が悪いからかな)
なんにせよ心ある扱いをされて、心が少し軽くなった。
浅かった呼吸がようやくいつも通りになる。
けほっと小さく咳が出た。部屋は整っているが、長いこと使われていなかったのでほこりっぽい。ミシェルがすぐに窓を開けた。
高い塔の上なので、当然のことながら眺望が良い。
城はなだらかな丘の上にあり、郊外のブドウ畑までもが見晴らせる。
眼下に広がるのは木とレンガで作られた白い漆喰壁の家々。砂岩で作られたバラ色の聖堂。夕陽にきらきら輝く運河。何度でも見惚れてしまう風景だ。
ニナは思わず身を乗り出し、ミシェルに引き戻された。
ベッドに座らされ、手早く右足首に金属製の環をはめられる。足かせだ。かせに付いた鎖は、重厚なベッドの柱につながれている。
「妙な気は起こさないでくださいね」
窓の前に立たれ、ニナは目をぱちくりさせた。
(妙な気って、窓から飛び降りるということ?)
したくない。全然したくない。
自殺する気はまったくないので、ニナはこくこくうなずいた。
「……本当はずっとこうしたかったんです」
ひざまずいたミシェルが、無粋なアクセサリーのついた足をうっとりとなでる。
ニナは背中に怖気が走ったが、気持ちは分かった。見張る側にしてみたらそうだろう。行動を制限していた方が楽だ。
従順さを示そうと、左足も差し出してみる。
「……こっちも、はめる?」
「そうですね。当面は」
ためらいなくもう片方も拘束され、ニナは胃が重くなった。
生きられるとしてもこの先いったいどんな目に遭わされるのか。
「……う、打ったりするの?」
恐怖と緊張で口がすっかり渇いている。
前世の中世であったという、魔女狩りのような目に遭わされないかと不安でしかたない。
「がんじがらめに縄で縛ったり、鞭で打ったり……ロウを垂らすとか、するの?」
「しませんよ!? こんなことをしておいて何ですが、私そんな趣味まではありません」
力いっぱい否定され、ニナはほっとした。
幸せそうに足を拘束してきたので人を痛めつけるのが趣味ですとカミングアウトされる可能性を危ぶんでいたが、杞憂だったらしい。
「ニナ、いったいどこでそんな変なことを覚えたのですか……?」
「結婚式のとき、使徒の方々がそういうこともするといっていたから」
「どこの変態か知りませんが、ソレには二度と絶対金輪際近づかないように」
ミシェルはニナのあごを取った。
説話でもするように、ゆっくりはっきり妻に言い聞かせる。
「あなたがこの部屋でおとなしくしていてくれるなら、そのうち枷も外しますよ。
逃げようとしたら……自分でもどうするか分かりませんけど。
言うことを聞いていただけますか?」
ニナは間髪入れずに承諾した。
悪魔狩りのスペシャリスト相手に逃げる自信なんてこれっぽっちもない。従うに限る。
「……幻滅したでしょう?」
ぽつりと零された言葉に、ニナは小首をかしげた。
幻滅した、とは。意味が良く分からない。
(夫婦だって信じ切っていた私を裏切ったから?)
もちろん恨んでいる。だまされていたと知って悲しかった。
「ニナのことならなんでも知りたいんです」
「ニナが他の人と話していると不安で……」
「子供はもう少ししてからでもいいですか? ニナと二人きりの生活を楽しみたい」
これまでミシェルにささやかれた言葉の本当の意味を考える。
ニナのことをなんでも知りたがったのは、監視対象だったから。
ニナが他の人と話すのを嫌がったのは、転生者という悪魔から人々を守るため。
子供……悪魔との子供なんて欲しくないだろう。
甘い言葉と信じて浮かれていた自分が虚しい。
(ぜんぜん気づかなかった。……すごいな、ミシェル)
使徒としての任務を果たすため、悪魔と結婚したことにも感嘆する。
(騙されていたのはショックだけど、私も転生者だって黙っていたからお互いさまか。
ミシェルの方が一枚上手だったって話だよね)
ニナは負けを認め、ミシェルに穏やかにほほ笑みかけた。
「幻滅なんてしてないわ。今このときでもミシェルは私の中で勤勉で高潔な騎士様よ。
私のことはどうか気の済むようにして。悪いようにしないと信じて従うから」
「――っ!」
ニナの許しに、ミシェルはよけいに苦しそうにした。顔を逸らす。
「あなたは本当に優しい方ですね。
母が早くに亡くなった話をしたとき、あなただけです。私に同情したのは」
ニナは記憶をたぐった。
(なんていったっけ? “子供を残して亡くなるなんて、お母様も心残りでしたでしょうね”?)
思い出して身が縮む。
ニナにとっては大失敗だった。あれは正しいなぐさめではなかった。
「おかしななぐさめだと思いました。母は早くに神の御許に呼ばれたのです。栄誉なことです。辛いことではない」
ミシェルの言う通りそれがこの世界の、クライス教での適切な励まし方だ。
早く死ぬ人は神様に愛された人。良い人だから神様に呼ばれた。名誉なこと。
ニナはそれをうっかり忘れていて、安易に前世でよく使われていたお悔みを使ってしまった。
ミシェルにおかしそうにされ、焦ったことばかり覚えている。
「でも――思ったんです。そんなふうに考える人は、きっと簡単に大事な人を置いていったりしないのだろうって」
ひざまずいているミシェルは、両腕でニナの両足をつかまえた。
母のひざにすがる子供のように、ニナのひざの上に顔をうずめてくる。
ニナはなんとなくそうしてあげた方がいい気がして、金色の髪におおわれた頭をなでた。
「……いやにおとなしいんですね。
普通もっと嫌がったり、泣いたり、私を避けようとしたりするものだと思いますけど」
顔を上げたミシェルは不審そうだった。
まったく抵抗しないので、かえって怪しまれている。
(ちょっとは逆らった方がいいかな)
思案していたら、だしぬけに中性的で美麗な顔が近づいてきた。
唇が触れそうになり、とっさに体を押し返す。
「ごめんなさい、びっくりして」
意図せず逆らったニナは後悔した。
(ひいっ、怒ってる! 怒ってる!)
立ち上がったミシェルが、憮然とした面持ちで見下ろしてくる。怒っていると整った顔は石のような冷たさがあって怖い。ニナは二度と逆らうまいと誓った。
「私は出かけますが、召使に様子を見に来させます。妙なまねはしないでくださいね」
部屋に鍵をかけて、ミシェルは仕事へもどっていった。
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