愛が重い夫と、それに気づかない転生妻
サモト
第1話 隠し部屋
夫の隠し部屋は“私”であふれていた。
*****
ニナが隠し部屋を見つけたのは偶然だった。
夫の部屋に置き忘れた本を取りに入り、壁際の棚がずれていることに気がついた。
位置を直そうと近づいて――隠し部屋の存在を知ったのだ。
入ってみて、ニナは驚いた。出会ったのはまず“自分”だ。
正確には鏡写しのように精巧に描かれた己の全身絵。しかも等身大。
まじまじと絵を観察する。
栗色の髪と目。背は高くもなく低くもない、太ってもやせてもいない、十八歳の娘。かわいいと褒められはするものの、美人と褒められたことは一度としてない、取り立てて絵にすることもない容姿だ。
着ているものも珍しさはない。シンプルなシャツにスカート。頭にスカーフを被り、手に藤カゴを下げ、服が汚れないようエプロンをしている。教会へ奉仕活動に行くときの服装だ。
全身絵の他にも絵があった。入って右に横長い部屋は、正面の壁が絵で飾られていた。大小色々で服装やアングルも違うが、モデルは一人だ。
(なんで私ばっかり……?)
たくさんの“自分”がいるのは異様な光景で、ニナはターンして顔をそむけた。
絵と反対側の壁には棚があった。
上段にぬいぐるみが規則正しく陳列されている。
ニナにはすべて見覚えのあるものだった。夫と結婚する前、まだ顔見知り程度の関係だったころ、教会のチャリティーバザーで販売していた自作の手芸品だ。
(親戚の子供にあげるっていって買って行ってくれていたのに。なんでここに飾ってあるの?)
腑に落ちないものを感じつつ、一段下に目を移す。
彩色美しい木箱に手紙がきれいに立てて収納されていた。差出人を確認すると、すべてニナだ。
(私も夫の手紙を取っておいてあるけど……)
不審なのはささいなメモ――明日の十時におうかがいします――といった他愛のないものまで保管されていたことだ。
しかも折れたり破れたりしないよう、厚紙に挟んで。
こわごわ別の段の宝石箱をのぞいてみる。
ハンカチが出てきた。失くしたと思っていたお気に入りのレースハンカチだ。
壊れたペンや歯の欠けたクシがあった。これも元はニナのもの。
茶色い髪の毛の束を発見したところで、ニナは棚から飛び退った。
(なんなの、ここ!?)
部屋の奥には小さな机と椅子があり、革張りのノートがおいてあった。
悪いことをしていると思いながら、ニナはページを開く。
『〇月〇日 ニナは友人とお茶会。この土地にもなじんできたようだ。良かった』
『〇月△日 今日のニナは体調が悪そう。外出を控えるようにいったけれど、こっそり近所の子供と遊んでいたもよう。ニナは嘘をつくとき声がわずかに高くなるのでわかりやすい』
『〇月×日 ニナが寝言で男の名前をつぶやいた。尋ねたらはぐらかされた。声が高かった。怪しい』
『〇月□日 ニナが――』
ニナニナニナニナニナ。どこのページもニナのことばかりだ。
ノートには日々の記録だけでなく、ニナの身長や体重、経歴や趣味といったことも記されていた。
親兄弟や親戚の名前、友人や知人の名前もメモされている。
(なんでここまで私のことを?)
小さな隠し部屋をぐるりと、改めて見回す。
(これってひょっとして)
ニナは棚に陳列されている、自分の作った手芸作品を見つめた。
冷汗が流れる。
(私が異世界からの転生者だってバレてる?)
平凡な自分にある唯一の非凡。
そうに違いない。でなければ、あの夫がこれほどまでに自分に執着する説明がつかない。
青い猫型ロボットに黄色い電気ネズミ、体重がリンゴ三個分の子猫など、子供が喜ぶと思って作った著作権の侵害甚だしいぬいぐるみは、こちらの人々には不評だった。
褒めて買って行ってくれたのは夫だけだ。
(なんて優しい人なんだろうって感謝していたけど、ちがったんだ。あれは私が異世界出身者であることの証拠集めだったんだ!)
それを踏まえれば、この変な部屋も理解できる。
机の上にあったノートにニナのことばかりが書かれていたのは、ニナの動向を逐一監視している結果。
壁一面の肖像画はいざという時の手配書用。等身大の全身絵まで用意してぬかりがない。
棚に集められていたニナの私物は、いざというときニナの居場所を追跡するためのものだろう。
ニナの転生した世界には、神術や魔術と呼ばれる魔法が存在している。人を探す魔法には探す相手の持ち物や、髪といった体の一部が必要だ。
(私、監視されていたんだ……)
この世界で、異世界からの転生者は神や救世主と敬われることもあれば、邪神や悪魔と嫌われることもある。
不運なことに、ニナの生まれ落ちた国は転生者を嫌う方だった。国の信奉している宗教、クライス教の方針だ。
転生者のもたらす知識や常識は良くも悪くも世の中に影響を及ぼす。
転生を機に強大な魔力や、人並み外れたスキルを持ち合わせる転生者もいる。
禍福を兼ね合わせた存在なので警戒されてしまうのだ。
たとえニナ自身は前世同様普通の人間で、平和な人生を歩みたいと思っていても。
(だから怪しまれないよう熱心に教会に通って、奉仕活動もがんばってきたんだけどな)
司祭もニナのことを良き信者と信頼してくれていたので安心していたが、見通しが甘かったようだ。
「……見てしまったんですね」
ニナは思わずひっと悲鳴を漏らした。
隠し部屋の入口に人が立っていた。
太陽のように輝かしい金色の長い髪に、晴れ渡った空のような碧い目をした、すらりと背の高い青年。
一年前に結婚したニナの夫、ミシェルだ。
ミシェルはいつも陽だまりのような穏やかな笑みを浮かべているが、今はちがった。天使のように美しい顔は、悲しげに曇っていた。
「ミシェル、仕事、は? 今日は帰れないって、知らせが、さっき」
「そうなんですけどね。一目でもニナの顔が見たくて。寄ったんです」
ニナの足がガクガクと震える。
ミシェルの職業は騎士だ。しかもただの騎士ではない。
騎士の中でもとりわけ優秀な者だけがなれる“
武術にも神術にも長けた悪魔討伐のスペシャリスト。
教会から聖なる剣を授けられた神の戦士。
つまりニナの天敵だ。結婚してから知った。
(どうしてミシェルみたいな良くできた、できすぎた人が私と結婚する気になったか不思議だったけど。やっと謎が解けた)
転生者――クライス教における悪魔を監視するためだったのだ。
伴侶になってしまえば相手に悟られず見張りやすい。
(今までも、今みたいに「早くニナに会いたくて」って予定外に帰って来ることがよくあったけど、あれは私が不審な行動をしていないかの抜き打ちの調査だったのかもしれない)
ニナはごくりと唾を呑みこんだ。
「ミシェル……」
私を殺すの? とは怖くて尋ねられなかった。
ミシェルは無表情だった。青い目が危険に光っている。獲物を見つめる獣のように。
無意識に一歩下がると、一歩詰められた。
さらに下がれば、さらに近寄られる。
ニナの背中が壁に当たると、ミシェルは壁に右手をついた。
息がかかるほどの耳元でニナにささやく。
「逃がしませんよ?」
それでもニナが往生際悪く逃げ道を探すと、ミシェルは左手も壁についた。
ニナの体は壁とミシェルの間に閉じ込められる。
「……私を、どうするの?」
「それはあなた次第ですね」
まだ危険な状態ではあるが、ニナは肩の力を抜いた。
(よかった。すぐに殺されるわけではないんだ。
おとなしくミシェルの言うことを聞けば生きられるのかもしれない)
横抱きにされると、ニナはすなおにその首に腕を回した。
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