第35話『幻視と認識』
…………本当に振り込まれている。
翌朝、渋い顔でメモリは預金口座を見ていた。
目覚めはレヴィ邸の自分のベッド、枕元にリンゼイからの贈り物の──『茶』なるもの。
「いち、じゅう……700万……な、ななひゃく、まん……?」
なんだこれ人生が狂う。
名義は全て『リー・リンゼイ』から。
窓の外から平和な、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。
アオイロ渡航費、コグニスフィアへのプレミアムチケット代?が前金代わりだとしても。
残りの報酬、いくらなんでもヤバすぎる。組み戻しを、と思ったが。
──いやこれ、煩悶が、煩悶がきつい……!
助かるなんてものじゃない、というか。思わず預金口座の情報を閉じてしまう。
(明日もっかい見て、同じだったら考えよう)
というか周りにも相談しよう。俺ほんととんでもないことに巻き込まれている気がする。
(そもそも、ロアン・ヴォイドって何だよ。偽名にしても、あんまりだろ)
Lone(孤独な) Void(虚無) 、あるいはLoan(融資) Void(無効)か。
──いや悪意しかねえだろこの名前。融資無効おじさんて。
「うあ~~~ここでタイセイさんの『公認会計士というのは嘘だな』発言が効いてくるの微妙に腹立つ~~~」
『貸付破棄おじさん』からの入金なんて信用に値するものが何一つないんですが?!
頭を抱えて吠えていると、控えめなノックが聞こえる。
レヴィの「あの、……使い時……?」という気遣わし気な声も、重ねて。
「違うよ! おはよう!」
慌ててドアを開けた。レヴィはもういつもの正装である。
「シビルさんから呼び出しです」
*
言葉に従い、時間合わせでシビルのラボに入った。
「やあ! 先日はありがとう、お疲れ様。見送りはしたのにお迎えが出来なくてごめんね!」
快活にシビルが椅子から降りて迎えてくれる。
何か調査中だったらしい。
「さあ先ずはタイセイ君から預かったアンプルをひとつ。こっちで分析して同じ物を精製するよ」
量産しておけば安心だろう? と肩を叩いて来る。
「タイセイさんから、話が?」
「うん。通信をきちんと常設したよ。以前はタイセイ君が渋っていてね、それが急に」
メモリ君がタイセイ君の家を訪ねてくれたお陰かな、と上機嫌でシビルが笑う。
──俺はソータさんの『タイセイの奴、お前にめちゃくちゃ興味持ってる(笑)』を思い出してそれどこじゃないんですが。
本気じゃん!! 嫌だよ!!
「レヴィ」
がし、とレヴィの肩を持つ。
「お前、もっとタイセイさんと仲良くなろうな? 応援するから。な?」
「えっ?! なんですか?! 急に!」
犠牲者は多い方がいいからな……。リスク分散ってやつだ。
「あ! それとシビルさん! これも」
リンゼイから勝手に置いて行かれた『茶』の分析を依頼する。
訳も話して。
「「一人で?!」」
「危険極まりないよ! 金庫をこじ開けるような男なんだろう?!」
「信じられません、無謀過ぎます! 僕の話聞いて無かったんですか?!」
当然、左右ステレオで怒られた。
手紙を取り出して、あいつが一人でって指定してるなら、違える方が危険だと説得する。
「それにしたって、せめて相談くらい」
「そうだよそうだよ、作戦だって一緒に練れただろうに! 水くさいなあ!」
レヴィが耳を怒らせ半目で、シビルが両手を腰に当てて怒る。
何か微笑ましくて、つい笑ってしまった。
「ごめん。でも、即座に命をとられるような状況じゃないと思ったからさ」
「違うでしょう。この一文。進捗とか言う言葉が引っかかったからでは?」
──鋭い、流石レヴィ。
「そもそもの起因が俺の持ち込んだスキルなんだ。その責任は俺が取らなきゃ、って」
「馬鹿言わないで。作ろうとしたタイセイ君、保管して忘れてた私たちにも責任があるに決まってるだろう」
「甘やかさないで下さいシビルさん」
「ともかく、その──まあ、青い子どもの幻視は、なんとかしないとなぁ」
シビルが俄に真面目な顔でモニタを回転させる。
「データ観測系スキルで過去に似た症例を見ていたんだ」
ログを探してたんだよ、とシビルが情報を手繰っていく。
「けど君のように使っている例が少なくてね……」
シビルさんが至極真面目な顔で、向き直った。
「いいかい、余り時間は無い。君の認識領域そのものが、広がっている。ということは、だ」
その言葉にメモリもぞくりとした。
今まで感じられなかった『存在』や『気配』がうっすらと分かる気がしている。
「スキルを使わなくても、その内、スキル無しで『見えて』しまうようになる」
「え? どうしてです? だってオラクルを通さないとスキルは……」
レヴィの困惑に、シビルが優しく微笑んだ。
「ほら、一時『ラングランの水』を使っているんじゃないかと噂になった果実、あっただろう」
「──ラグラージュ、ですか」
「良く知ってるねメモリ君! そうそれそれ」
シビル曰く、その噂が出た瞬間、完売が相次いだそう。
ところが、その後急激に売れ行きが悪くなる。
「物珍しさ、珍奇性のあとの──忌避感だよ。消費者は勝手なものだね。食べて、やっぱりこれはダメじゃないか、と」
レヴィが何か思い出したように、う、と耳を下げた。
「好奇心が満足した後は『不謹慎』だとさ。販売元が慌てて釈明を付けたんだったかな。でも結局売れ行きの回復がほどほどで──今となっちゃ、高級果実として少数生産を続けてるんだっけ」
「僕が昔食べたのは、その……多分売れ行きが悪くなった頃の、ものですね」
「バーゲンセール状態の時かぁ。勝手なものだよなぁ」
少しだけレヴィが耳を傾げる。
「母は、あの頃、唯一の贅沢品だと言ってましたから」
シビルが、優しくレヴィに問う。
「ん~……それは、良い記憶?」
「……ええ」
密やかに頷くレヴィを見て、嬉しそうに養父母を語っているレヴィとは違う、微かな孤独を読み取ってしまう。
(ああ、そっか。レヴィの。きっと、それ。本当の母親との記憶、なんだ)
「まあ、それはともかくね? ──知ってしまったら、知らなかった『感覚』には戻れない。『ラングランの水』、というだけで価値が変わり、違ったと分かっても『買わなくなった層は中々買い戻らない』のさ」
「でもシビルさん、それがどうスキルと関係あるんですか」
「認識だよ。今のメモリ君はまだ『かもしれない』って状態。でもはっきり知ってしまったら……」
あの時『知ってしまったら食べられませんし』と調べることを躊躇していたレヴィを思い出す。
「『使っていない』と分かれば買うだろう? 以降、なんの障壁もなく。金額は別としてね?」
「──うーん。まあ選択肢には」
「幻視に対して、君はまだ『知る』か『知らない』かの境目に居るんだ」
(笑えないな~、これ。つまりは)
「スキル無しで見え始めちゃったら、終わるってことじゃ……」
「理解が早いねぇ。つまりそういうこと。出来るだけ見ないようにしよう、メモリ君」
「調べなきゃ治る可能性もないのに、矛盾してないですかそれ?!」
「まあ、そういうものだよ。その辺は私も頑張って間を取るさ」
「ええ。でも……その、お二人とも。どうして、そんなに?」
レヴィが困惑して、声を掛ける。
「それは、まあ、確かにメモリさんが幻視でおかしくなるって……大変なのは分かりますが」
耳が不安げに下げられ、尻尾がゆらゆらと揺れていた。
何かがおかしいと本能的に察するように。
「まるで何か。命に別状のあるもの、みたいな……言い方では?」
──レヴィに。テーブルGMに、隠しごとは出来ないな。
諦めの気持ちで天を仰ぐ。
シビルが、どうする、とメモリに視線を寄越す。
「ん。話しますよ」
「……そう」
席を外そうとするシビルを、やんわり手で制し。
「レヴィ、お前には隠し事したくないんだ。それに、この先。お前の力も必要になるかもしれない」
「……はい」
「この症状。青い子ども。これを見始めたら──三年以内に狂死する、って」
「さんねん……?」
ふー、とレヴィが眉間を擦る。
「二人して。そういう冗談は止めて下さい。呪いなんてそんな、効果ある訳ないでしょう」
困ったようにレヴィが続けた。
「治療法は? あの薬、使い続ければ良いんですか?」
「違う。レヴィ、ほんとの話。俺も実感してる。多分、俺だと三年ももたないかな……ごめん。頑張るけどさ」
「え? そんな、メモリさん」
レヴィが笑う。
だからそんな訳が、と言って。シビルの顔を見、メモリに視線を戻す。
耳がふわふわと揺れる。
下がったり、上がったり。尻尾も、ゆらゆらと。
「本当のことだよ、レヴィ君。伝承では僅かに記載がある。ソータ君の言い分とも一致する」
シビルが静かに告げる。
ゆっくりと、耳と尻尾が下がっていく。
真剣な空気に圧されたように。
「──え?」
下げられた耳よりもへにゃりと、レヴィの眉が下がった。
意味をようやく理解したみたいに。
「どうして、そんなことに?」
「……さあ。だからそれを、調べてるとこ、かな」
「調べ始めたばっかりだよ。これからまだ何か分かるかもしれない」
シビルが元気づけてくれる。
なんとなくレヴィは泣くんじゃないかと思って居た。けど、そんなことは無かった。
静かに受け止めて、出来ることをやりますよ、とメモリに向かって言う。
(強いな、レヴィ……俺が思ってるよりずっと)
負けてられない、こんなことに。青く光る子供が、背後から窺っている気配を、意識から切り捨てて。
タイセイさん、ごめん。散々な言い方してるけどさ。
無茶苦茶な環境を作って、生き延びて、それでも上手くやっている貴方を尊敬します。
──正直、嫌だけど。
けど。ともかく。なんだって参考に出来ることは、していくしかない。
その覚悟で、付き合おう。
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