第29話『蒼ノ呪』

「引退について、もう一つ理由はあるんだ」

 タイセイは昨日の天気でも話すような調子で切り出した。

「ジョーとの外見年齢の差がね」


 ミスタ・オーナーがマスクを着け始めたのは、最初は大会での気恥ずかしさからだった。

 それが徐々に日常的になり──。


「私が若く見えすぎる。亜人種説が出回っているのは知っているよ」

「違うんですか?」

「人間種だ」タイセイは静かに答えた。「私自身も信じがたいがね」


「養父の研究か」ソータがタルトを口に運び、甘さに顔を歪める。

「……味濃すぎだろ……朝っぱらから……」


「父は実父のことを知っていたようだが、何も語らずに逝ってしまった」爽やかに語るタイセイの言葉が、朝の空気を重くする。

「墓まで持って行くと。その通りになってしまったな」


(本人は吹っ切れてるのかもしれないけど、どういう反応したらいいんだよこれ)


「笑って言うことじゃねえだろ……」

 突っ込んでいけるソータさんに尊敬の念を抱かざるをえない。

 そしてみっちりと木の実が詰まったタルトも、本当に朝から重い。


「父は人間だったんだろうね。母は亜人種だったそうだから」タイセイが自身の長い髪を手に、誇らしげに語る。

「この髪は母譲り。亜人種だった彼女に、少しでも似ていればと」


 それ以外は──似ていないのだろうか。

 

「じゃあ、タイセイさんの親御さんって何系の亜人種なんですか?」

 何気なく聞いてしまってから、不味かったか? と焦る。

 にこ、とタイセイが屈託なく笑いかける。


「熊だよ」


「──なるほどなーー!!!!!!」


 思わず大声で反応してしまった。

 なるほどいい体躯、でかくて速い、獰猛さ、凶悪な強さ、蜂蜜推し、鹿肉のシチュー、ジビエに貯蔵庫! 木の実シリーズ!!

 家づくり=巣作り!!

 な・る・ほ・ど・なー! 熊! 言われて見れば確実に熊!!

 髪の毛の尻尾、完全にミスリードじゃねえか!! むしろなんで伸ばしてんだよ!!

 

 けど、熊かー……。


「……熊かよ……」


 ソータさんも知らなかったらしい。



 洗い物を手伝いながら、メモリがタイセイに話しかける。

 何してんのって俺も何やってんだろって思ってる、あしからず。


「あの、昨日言っていた『惑星文明監視局』って──」

 中央公安は聞いた事がある。けど、惑星間や文明間の戦争犯罪絡みの問題調査が多い筈だ。凶悪犯罪者が星間を渡って逃げたとか。

 ここに今、そういう戦乱はない──筈だ。だから、消去法で、残りの方。


 皿を棚に戻していたタイセイが、何かを思い出すように目を瞑り、額を押さえる。

「正直な話、監査に入られたとしても致命的な問題は無い筈だ」


 些細な漏れがあったとしてもね、と続ける。

「文監──惑星文明監視局としても、リンゼイ氏の行動は異色だな」

「そう、ですよね……」

「何か別のものを炙り出そうとしているようにも思えるね」


 スキルを使う必要があったとして、とタイセイが続ける。


「聞いたところ、レヴィ君が被害に遭うと決まっていた訳ではない。直前まで、シノンかアサハ、シビル、……そしてマサキ君との調整が曖昧だったようだ。というよりもソータがやる予定だったようだがね」


「ソータさんが、案内……?」

 ちょっと動揺した。人当たりの面で他のGMのが明らかに良さそう。

(あの人、なんか独特の直感で危なそうな気配を感じてたのか……)


「指名はなかったらしい。おそらく『誰でも良かった』のだろう」


「……へえ」

 そんな事でレヴィを巻き込んだのか、と誰に対してとも知れず向かっ腹が立つ。


「これはリンゼイ氏にとって『誰に使っても結果は同じ』という事だ」

 レヴィ、シビル、マサキ、シノン、アサハ、ソータ。誰であっても。


「ここだよ、メモリ君。対象は変数だ。誰に使っても同じ結果を導かねばならない」

「え、っと、それは。どういう?」

「誰であろうと同じことになる『結果』それこそがリンゼイ氏の目的の筈だ」


 タイセイさん頭良いな。

 言ってることは分かっても、いまいち「それが、どう?」という感想しか出てこない。


「GM全員個性強すぎて、同じルートになる結果が俺、全然思いつかないっす……」

 だって全員、例えばナッツタルト渡しても違う反応するじゃん!!

 実物にまだ会ったこと無いけど、マサキGMとか見ただけで「要りません」って言いそうだし!!


「私にはなんとなく分かる気がするんだがね。だとしても──」


 タイセイが再び目元を押さえ、息を吐く。

 また、オーバーフローが来そうなのか。


「うん、式は見えた。しかし」

 壁に背を預ける。

「──そこにまた『何故?』が生まれるんだよ……」


 タイセイが虚空を見詰め、しみじみとそう告げた。

 それ以上、タイセイは語らず。


「もう少し時間が欲しい。向こうへ帰っても私と連絡が取れるようには手配する」

 とだけ、タイセイは約束した。



「ソータ、君にも少し話が」


 とタイセイがソータを外に連れ出す。

 おそらく聞いてはまずい話だろう。


 家の中に残されたメモリは、なんとなく落ち着かない気分を抱えていた。

 窓から差し込む陽光が妙に明るく感じられ、つい目を細める。


 ──なんか、変だ。

 背筋がぞわりと粟立つ。

 

 何かが、すぐ近くで自分を見ている。

 が、見回したところで、特に何かが見つかる訳でもない。


 無意識に、『オブザーバーズ・アイ』を展開する。

 世界が歪んだ。

 ザッピングされるような視界の乱れ。


「    こ  ん   に   ち   わ    ?   」


 青く光る子どもが、真っ白な瞳で笑いかけてくる。

 逃げる間もなく、視界が溶けた。

 

 

  ── ザッ ──

 

 

 視界が溶ける。


 青い砂漠。白い空。消失する重力。

 笑い声の渦に巻き込まれ、世界が水色に染まる。

 目を焼くような美しい文様。感覚の消滅。

 

 許され、溶かされ、混ぜられ、個が消え。

 意識だけが風に抱かれて、落ちゆく。花の香の光が集い、回る。

 体がどこにあるのか、手足の感覚さえ定かではない。

 蕩ける快感と共に、自我が溶けていく。


(切れ、切れ、切れ──!)

 最後の理性で、スキルを切断する。

 ただ頭の片隅で、必死に『切れ』という警告が鳴っていた。


 ──漆黒。


 気付けば床に倒れていた。吐き気。混濁。

 まるで腐海に沈められたようなおぞましい感覚に、喉から嗚咽が漏れる。

 

 泥のような空気。痛い、焼ける。汚泥の中で藻掻く。

 

「ごほっ……!」


 立ち上がろうとして気づいた。

 腕の関節が、逆に曲がっている気がする。

 いや、そもそも上下の感覚が定まらない。

 世界が、自分の体が、狂っている。


 ──落ち着け。落ち着け、これは、錯覚だ。


 理性で分かっていても、感覚が追いつかない。

 椅子に掴まろうとした手が空を切り、体勢を崩す。


「メモリ!」


 駆け寄る人影。

 知っているはずなのに、誰なのか分からない。


 体を起こされる。

 知っている、頭では認識している。


(けど)


「……メモリ? おい、メモリ!!」


(誰、だっけ、これ……)

 切迫した表情の誰か。

 覚えがある、知っている筈なのに──記憶と現実が噛み合わない。

 

 横から誰かが覗き込む。

 瞼をめくられ、触れられ、首筋に冷たい感触を感じる。

 

 怒鳴り声と、どこか落ち着いた話し声。

 視界が徐々に暗転していく中。

(ああ、これが、狂うってこと、か……)


 そんな確信めいた絶望が頭をよぎった。



 ──あれ?


 意識が戻った時、陽は既に西に傾いていた。

 微妙に首が痒痛い。

 

(タイセイさんの家だ)

 リビングから何かを話し合っている声がする。


 ──思い出した。

 スキルを使って、あれを見て。錯乱状態に陥ってしまった、らしい。

 記憶はある。

 

 ──けど、あの幻覚の直後は、本当にどうにかなってた。

 

 首を掻く。四角いシール。注射のあと、みたいな。

「いて」


 ソータさんの顔すら、誰か分からなかった。

 狂う、という言葉の意味を、重みを、じわじわと感じる。


(なんだったんだ、あれ……)


 酷い感覚だった。浮遊感と、全身を溶かされるような恍惚感のあと──地獄に叩き落される。

 これは、狂う。

 

 長くて、三年?

 

 いや、無理だ。そんなにもたない。耐えられる気が、しない。

 一回で十分に叩きのめされている。これが死ぬまで繰り返されるのか?

 

 ぞ、っとした。

 

 首を掻く。

 痛みはある。痛むならまだ、痛覚はある筈だ。

 リビングへ進む。暖かい光に目を細めた。


「──おう。起きたか」


 ソータの顔が苦々しく、労しげだ。

 机の上に古びた本と書物が散逸している。


「何が起こったのか、聞かせて貰えるかい、メモリ君」


 タイセイの顔には笑顔がない。

 オーバーフローを抑えながらで、その余裕もないのだろう。


「やれることはやる」

 ソータの声に、いつもの荒々しさはなかった。

 

「メモリ、お前がラングランの呪いを継いだなら──お前も、ラングランの人間だ」

 ソータの目が淡く、金色に底光りをしていた。

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