3章 元天才CEOが残した謎編

第12話『タイセイを「体験」する』

 コグニスフィア帰還後。

 まずメモリは、タイセイという元CEOの事を調べることにした。

 これだけ言及されているタイセイそのものを知らなければ、話にならないと考えたからだ。


「それならシビルさんのところへ行きませんか?」とレヴィが提案する。

「文字通りの『体験』をするのが良いかと」

 何故か含みのあるにんまり笑いで、連れ出された。


「いいよぉ~、疑似体験システム。体験料払ってね」

「お金かかるんですか?!」

「そうだよ。うちの経理部はかなり厳しいんだぞ!」

 シビルが怒ったフリをして、笑う。

 

 シュン、と軽い音を立てて開いた扉の先には、青く光る円形のフィールドがあった。

 サフィラ粒子密度が異様に高く、足元にスモークを焚かれた中に居るような感覚だ。


「メモリさん、僕も見学させてくださいね。観客サイドに居ますから」

 期待に満ちた眼差しでレヴィがすり寄ってくる。なるほど、これが目当てか。タイセイを観戦しつつ同時に俺のリアクションを楽しもうと。レヴィは嬉しそうに後ろへ待機した。


「メモリ君は真ん中に居てね~」

「これってレヴィの迷宮みたいな、インスタンスじゃないんですか?」

 模様付きの手袋を嵌め、薄いゴーグルをかける。

 どう考えたってコグニスフィアの中なら、こんな大げさな装置は必要ないはずだ。

 

「追体験だと色々技術制限があるんだよ~。面倒だけど、規則に従って~」

 シビルが申し訳なさそうに言う。


「メモリさん。そのまんま体験しちゃったら、ショックで心身異常に至る方もおられるので! あえて薄くしたスープみたいなものです! 安心してご体験くださいね」


「その情報、余計に不安になるって!!」

 ブツン、と突然視界が暗くなった。暗闇から、ぼんやりと足元が明るくなる。

 タイル目地が見え、辺りの光景がホールに変わった。

 広い観客席の方から「メモリさん頑張ってー!」というレヴィの声が聞こえた。そちらを振りむこうとするも、向けない。

 

(え?)

 視線は目の前に集中している。

 黒い籠手、体格の良い長身。茶褐色の髪は無造作に後ろで纏められ、亜人種の尾のように流されている。──タイセイだ。


「ようこそ皆さん! 準決勝トーナメント、こちら対戦者の──」


 スポットライトが当てられる。酩酊感のある暑さと、自身の視界に入る腕。きらきらとサフィラ粒子が光り、紙吹雪が舞う。

 不思議と熱狂が湧き上がってくる気がした。

 周囲の歓声、期待と羨望の視線。強者同士の対峙に、否応なく盛り上がりを見せる会場。


 手を振って歓声に応えながら、司会の男──白手袋に気取ったハット、フルフェイスマスクには落書きのような笑い顔が書かれた男を見る。やあやあどうも、と手を広げるジェスチャーでうやうやしく一礼され。亜人種としても最高峰と自負する己の強さを讃えてくる。


 太く締まった腕には虎模様の産毛がうっすらと生え、硬質で滑らかな爪は自慢の武器だ。

 腕力、膂力共に申し分なく鍛え上げて来たもの。

 何ら臆するところはない。相手はただの、人間種。

 がちりと奥歯が鳴る。牙も爪もない、身体も劣るたかだか鍛えた程度の人間種に負けるものか。

 

 ──自然と、メモリは対戦者とも一体化していた。

 開始の合図に、まずはストレートに殴り掛かる。

 スピード、重さ、申し分ない一撃。確実に当てる、容赦ない一打。それが。

(な?!)


 タイセイはこちらに向いたまま、何故か躱されて居た。

 歯応えのない空気を打った感触に、次、と二打目を叩き込む。

 これだけ間合いが詰まって居ればどうしたって避けようがない。


 が、その二撃目は何故か思った以上に深く、まるで何かに後押しされたかのように沈み過ぎる。

(居ない?! そんな馬鹿な、この一瞬で)


 亜人種でもこの速さで動けるのは、猫か鳥か──後は、なんだ。

 惑乱の中、背後にぞっとする気配を感じ、飛びのいた。タイセイが居る。

 何の感情も見えない顔で、こちらの出方を見るように。

(あ……)

 不意に意識が軽くなる。メモリ自身の感覚が戻った。

(恐怖が閥値超えでもしたか、チャンス!)データ観測スキルを展開した。


 視界に広がる情報を読み取り、タイセイの身体能力の高さに驚く。しかし、それ以上に。

 

 タイセイ 動揺度:0%

(嘘だろ?! ゼロなんてあり得るのか?!)

 対戦者と動揺がシンクロしてしまう。あ、と思った瞬間には、衝撃が来た。


「ぐ、うっ……!」

 腹部への重い一撃。気付けば倒れ込んでいた。逆光のタイセイは何も変わらぬ冷静な目をしたまま。

 バトルへの熱も、勝利への欲望も感じられない、冷めた目で。二撃目を叩き込む。馬鹿な、と驚愕が襲う。本当に人間を相手にしているのか?

「──!!」

 余りの衝撃、痛みに内臓がのたうち回る。嘔吐感に胸を押され──


「ストップ! ちょっとまった!! メモリ君引き摺られ過ぎ!!」

 ぱ、と視野が明るくなる。大会のホールが消え、青暗い靄の空間に戻された。

 胸を押さえ、蹲る。いつの間にか酷く汗をかいていた。驚いた顔でレヴィが駆け寄って来る。


「メモリさん? 大丈夫ですか?? そんなに合うなんて」

「う~んやっぱりまだ制限具合が難しいな……」

 シビルが近寄ってきて、メモリは慌てて姿勢を正す。

「大丈夫です。ただの体験なので」

「そう? でも体験とはいえ、精神的なダメージって見えない分、大きいからね」

 年上の女性研究者らしい、落ち着いた眼差しでシビルが確認してくる。

 恥ずかしながら、その優しさに少し緊張が解けた。

「大丈夫です」

 思わず声が上ずる。立ち上がって深呼吸をすると、頭がクリアになってきた。

 なるほどショックで心身に異常を来すかも、という意味がよく分かった。

 装置を付けなきゃ体験出来ない、のではなく安全のためにチェック装置が付けられている。


 暴走した鹿の害獣の事件を思い出す。

(洗脳とか支配とか、憶測やデマが沸き起こる訳だ……ゲームなら、遊戯なら。安全でなきゃいけないんだから)


「まあ、ちょっと吃驚しただけで。続きを……」

 メモリが立ち上がってそう告げると、シビルが慌てて止める。

「いやいや! 流石に御薦め出来ないよ!」


「あの、でしたら、反対側の、タイセイさん視点なら大丈夫じゃないでしょうか」

 レヴィがおずおずと言う。薦めた責任を感じているのか、耳が随分下がっていた。

 それでも、楽しんで欲しいと思っているらしい。

 対戦相手側からだと威圧感を感じるかも、でも逆なら、だとかをどうこう言っている。

「うん、じゃあそれを」

「もう……、やる気だなぁ。三倍遅くして再生なら許可出来るけど」

 それでいいです、と引かない姿勢を見て、シビルが「モニタリングは続けるからね」と念押しする。

(あ、そうか。これもシビルさんやレヴィ側からしたら、『俺の』観察ってことになるのか)


 ──まあ、問題行動をする気はない。


 ふ、と視界が再び暗くなった。

 目の前に虎の亜人種が居る。

 スキルで読み取れば、動揺度は既に30を超えており、熱気に呑まれているのが分かった。

 

 右からの一撃。躱す。既に左の拳を見て動いている。

 掌底で相手の重心をずらす。服の布地に力が伝わり、相手は気付かないまま傾く。

(こんなことしてたか?! 気付かなかった!)


 僅かな操作。姿勢と、力の誘導。社交ダンスのように相手を導き、後ろに回り込む。

 相手を踊らせているような、力の配分。完璧な隙が生まれる。

 す、と腕を下ろし。全て計算し尽くした一撃を、叩き込む。


(これが、あの時の……!)

 全てを淡々と、最小限の力で。

 どっ、と汗が流れる。まるで機械だった。感想を纏める間もなく、辺りがふわりと明るくなる。


「はい、終了。どう、メモリ君」

 声だけは明るく、シビルが顔を覗き込む。目が心配そうに揺れていた。


「──凄かったです。タイセイさん、って」

 笑いながらゴーグルを外すと、レヴィが身を乗り出してきた。


「でしょう?!」


「これ……人間の感覚じゃないですよ」

 メモリは震える手を見つめる。

 人間としての性質が、根本的に違う。まるで計算されきった、機械だ。感情制御システムを使ってバトルをしているのかという程。いや、聞いた事はあるのでは。


 アスリートの試合で、加虐的に興奮しすぎる性質の選手に導入されたことがある、とか。動揺を抑えるまでが精神性だとも、病状と見做すべきでは、とも。

 その是非は一時的に盛り上がった筈だ。


 ただ、それは致命的な問題を生んだ。

 導入された選手の意欲が減退し、結局表舞台から去ったのではなかったか。


 よくわからない興奮と緊張で、どくん、どくんと心臓が鳴る。


(けど、そうするにはタイセイさんは既に強すぎる。引退したのは、まさか、同じことが? けど感情制御システムをこの辺境で扱える程──設備も回路も、構築されてない筈だ)


 戦いへの執着も、勝利への渇望もない。

(なにか、違う。もっと先を……目指すものが別にあったのか……?)

 

 ソータの言葉が脳裏によみがえる。

 ──あいつ何が楽しくてやってたんだろうな。


 タイセイという存在が、ひどく不気味に感じられた。

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