第10話『過去と布石』

「警戒を。ここからは、本物の危険地帯です」


 空気がひりついている。

 治安が悪いという言葉の意味を直ぐに体感した。

 エイシュトンを降りた途端、暴力の気配が肌を刺す。

 破壊された壁、朽ちた工場跡。干されたぼろ布の向こうから、姿なき視線が這う。

 

 よそ者を、遠巻きに観察する視線。

 『データ解析』で生体反応を見れば、思った以上に数が居る。


「どっちだ、レヴィ」

 ソータの声に、レヴィが空気を読むように前進した。

 メモリは『データ解析』を展開する。生体反応は思った以上に多い。


「あ、待ったレヴィ──」

 制止の声も遅く、どごっと横の壁が崩れた。

 巨大な影が躍り出る。狼の亜人種──というより! ライカンスロープ! 完全な人狼だ!

 襲われかけたレヴィは軽く身を躱し、予測していたように距離を取った。


「てめえら、誰に断ってこの先に行こうとしてるんだぁ?」

 みしみしと腕を鳴らす。獣性剥き出しの威嚇。


「落ち着いてください。僕も亜人種です」レヴィが前に出る。

「はあ? 耳隠し──ああ。ちっちぇえ毛玉か。麝香系が来るトコじゃねえぞここは」


 そう言われた途端、レヴィの背がぐわっ、と高ぶりった。爪を伸ばす。

(え、ちょっと待て。いまの侮辱か? 亜人種煽り全然分かんねえ!)


「これだから。デリケートさのカケラも無い尻尾振りどもは──」

「ああ? お高くとまりやがって!」


 メモリは思わずソータを見た。「どういう状況です?」

「じゃれあいだ」端的な返事。


 殴りかかってきた人狼の攻撃を避け、レヴィが鼻先を引っ掻く。

 細い血の筋が舞う。ぎゃん!と情けない悲鳴と共に人狼が後退した。


「うーわ、容赦ねえな」

 その一撃で、戦意数値が急落する。

 戦意:58%→5%


 最初から威勢とは裏腹な数値。一方レヴィは70%。

「メモリ、何『見て』るんだ?」

「戦意です。数値化されて」

「へぇ……」ソータが顎を捻る。「そういうもんが数値化出来るのか」


 少し言いづらそうに首筋を掻く。

「──見なくても分かるだろうが。これも『流れ』と一緒かよ……」


「あんまり動揺しませんよね、ソータさん」

「……動揺? 俺が動揺する必要性、あるか?」


 してどうするんだとでも言いたげな首の傾げ方。その仕草に、妙な説得力があった。

 そもそもこの人、自分の強さを疑問視したことすら、ないのかもしれない。


(すみません本当はもっと色々見えるけど、それは、言いづらい)

 正にその動揺度だとか、不安度だとか。指摘されるのもするのも躊躇われる数値が、幾つか。


 それでもソータが恐ろしいのは、動揺度も平時は2~7%程度、不安度に至っては4~5%を切るかどうかで安定しているところだ。

 外縁だからかもしれないが、完全にゼロになることはない。警戒は高めで、適度な緊張を保っている。

 

 レヴィは反対に折々で激しく上下していた。10%~80%と怒ったりご機嫌だったり、忙しい。

 表に出さないようにはしていても、耳だけは隠し切れていないのがご愛敬だが。


 そうこうしてる間にレヴィが人狼を追い詰め終わっていた。


 ぶつぶつ文句を言う狼男は、ロイと名乗る。

 この辺の自警をしているらしく、怪しい奴らと見做して脅しに掛かってきたそうだ。

 「人さらいが出るって言うからよ。そいつらの仲間かと」と。

 攫われた子どもを保護していると話し、無事食事を楽しんでいる映像を見せ、ようやく警戒が解かれる。


 ブロック塀で囲まれた先には、雨染みの目立つ建物。むき出しの地面に汚いボロ絨毯。

 雨露を凌げるかと言われれば疑問を呈する程の屋根とも言えない屋根。

 カビ臭さと、虫か、何らかの臭気。──なんだ、ここ。汚い。

 

 眉を潜めたメモリに呼応するように、苦々しい言葉が重ねられる。


「コグニス……なんとかの奴らが、何を──」

 ロイの言葉が途切れる。視線の先でソータが帽子を脱ぎ、刀を持ち替えたところだった。


「あ? お前、……ソータって……『光刃の』……いや、まさか」

 ここでも名が通っているらしい。そうだ、と刀の周りに光を集める。ロイの目が輝いた。


「うおおおおお!!! なんだよ先に言ってくれよ!! 変装か?! もしかして隠れて──」

 ロイの大喜びに、ソータは視線を揺らし、額を掻く。

「配給は俺じゃない、別の奴がやる。ただ時間はかかるぞ、待てるか?」

「待てっつてもよぉ、ソータの名なら、そりゃあな!!」


 ソータの左手を拝むように両手で包み、ロイが感謝を告げる。尻尾がぶんぶん振れていた。

 その名に対するソータの気配は何か、沈んでいた。GMになるのを渋ったというのは、それでだろうか。

 外縁を見捨てた──そういう後ろめたさがあるのかもしれない。


(あれ、でも……なんだ? それだけじゃない、ような)

 疑念をより深くメモリは考えた。似ているものは。──もっと深い罪悪感、後悔、……贖罪。『名を残すのは自分ではなかった筈だ』という──。

 無意識に、データ解析のスキルがそれを数値化しようとする。途端。


「──い、っつ……!!」


 目の前が真っ暗になる。

 視界が闇に染まり、頭を絞り上げられるような痛みが襲う。

 重く叩かれるような、音ならぬ衝撃を頭に受け、メモリは膝を付いた。

 辛うじて、データ解析スキルを閉じ、痛みに耐える。


 立っていられない。

 ぐわんぐわんと視界が歪み、レヴィの慌てた声が水中のようにぼやぼやと遠く聞こえ──。

 

 

 気が付くと、サフィラ粒子が深い青を彩る夜になっていた。


 誰かの手が額に当てられている。

(ああ、あのまま気を失ってたんだ)


 起き上がろうとすると、額に置かれた手が外された。

 治療系のスキル──だろうか。薄く凍るような、冷たい湿度の余韻が残る。随分楽になっていた。


「起きたか」


 ソータだった。ボロ布の上にソータのマントを敷いて、そしておそらくレヴィのケープも重ねて、寝かされていた。レヴィの姿は──見当たらない。


「すみません、俺、足引っ張ってますよね」

「いや。スキル展開で色々見てたんだろ。使いすぎだ」

「いや、そんな」

「ランク上げて、少しづつ慣らして行く方がいい。地味だがな」

 

「まあ地味は得意ですよ。そっちの方が向いてるかも」

 そういうメモリの軽口に、ソータが軽く顔を背けた。


「は。基礎は、大事だぜ」

 ソータが月を見上げる。その瞳が、黄金に輝いた。

 亜人種とは違う、何か特異な光をたたえている。

 

「昔は『流れ』って呼んでたんだ。サフィラ粒子なんて味気ねえ名前じゃなくてよ……」

 どこか懐かしむような、でも二度と戻れないものを見るような目で、ソータが遠くを見つめた。

 おそらくラングランでの呼び方なのだろう。

(粒子ではなく、流れ、か。波、弦が震えるような──波及する、何か。そうか、実態はそうなのかもしれない)


「お前にだけ話しておく」

 思索に入りかけたメモリに、ソータの声が落ちる。


「昔、一度だけ『外』の仕事を受けた。宇宙航路の仕事。表向きは略奪船の取り締まりだったが、実態は密輸だった」

 ソータは口元に苦い笑みを浮かべる。

「15、6歳の頃だ。船ごと切り捨てられて、仲間は全員死んだ」


「あの、それって……」

 どう考えても犯罪行為だ。こんな話を聞いていいものかと、メモリは躊躇う。


「失敗の上に、時効だ」ソータが月を見上げる。その黄金の瞳に、何かが宿る。

「あの時、ボロ船に通信が入った。『生き残れ、救助船が向かっている』とな」


「救助船が?」

「ああ。下手くそな三文芝居だよ。『偶然の混線が繋がった』とか言いやがって」

 ソータの声に皮肉が滲む。偽装して、声も話し方も変えていたが、と。

「あれは絶対にタイセイだ。奴は普通じゃできない通信網を持っていた。この星の外とも繋がってたんだ」


(そんなことが……でも、漂流船にピンポイントで通信を? 確かに異常だよな、それは)

 メモリの頭の中で、疑問が膨らむ。

 どう考えても、密輸船に繋げられること自体、おかしい。


「このことは、未だに俺以外誰も知らない。他惑星系じゃどうか知らねえが、少なくともアオイロでは」

 ソータはメモリをじっと見つめる。

 目の前の男が一体どんな人生を歩んできたのやらと、寒々しい程の差を感じてしまった。


「ソータさん。……どうして、それを、タイセイさんがやったと? 偶然の方がまだ……」

「分かる。分かるに決まってんだろ、誰と話してるかぐらいは。なんでお前らは分からないんだ?」

 ソータは苦笑を浮かべる。

「お前も分かるんだろ。データ観測とやらで、普通は見えないものが見えるんなら──そのうち分かる」


 立ち上がったソータの背中が、月明かりに浮かぶ。

「ただ覚えとけ。無理はするんじゃねえ。長期戦になってもいい。絶対に潰されるな」

 そう言い残してソータは立ち去った。

 

 早く回復しろ、そこに寝とけ、という事だと受け取って、休む。

 外縁部二日目の夜は、そうして更けていった。



 早朝。メモリは外縁調査の報告をコグニスフィアへ送信する。

 居住痕跡32名、平均身長95cm、未成年者率85%──。

 狭いエリアに、これだけの子供たちが。


 一人黙り込むレヴィにソータが声をかける。

「思い詰めんなよ」

「はい、すみません。つい……」

 レヴィの尻尾が小さく震える。メモリと目が合い、困ったように微笑んだ。

「僕もカドハシ家に入る前は、貧困層だったので」


「え」

「支援は、僕がやりたいんです。僕は教育を受けられた。だから、この子たちにも……」

 僕は恵まれていましたから、とレヴィの言葉には悲壮感がない。ただ淡々と、自分のやるべきことを語っていた。


「よし」ソータが立ち上がる。

「支援物資の運び込みに、道が塞がってる。ここがこうも酷くなったのは、主要道が封鎖されてたからだ」


 レヴィの耳がピンと立った。

「支援物資、ですか?」

「そ。あと、コグニスフィアの支援部がここの子どもたちの受け入れを決めた。アサハが炊き出し部隊で、シノンも同行する」


 その言葉にレヴィの表情が明るく輝く。

「ソータさん!」

「うるせえ」マントの下から刀を取り出し、肩に担ぐ。「行くぞ。俺たちにできることは、たったひとつだ」


 帽子の鍔を上げ、にやりと笑う。

「道を塞いでるヤツをブッ倒しに行く。──お前ら、どうする?」


 そんなもの。

 行くに、決っている。

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