第11話『アサハとソータ』
アサハのチャリティー・ホールには、人目に付かない場所に、あるGM専用の席が用意されている。
壁を背に、誰にも見えず、いつ来たか、去ったか、居るか居ないかも分からない──そんな席だ。
シノンの図書館の奥にも、実はそんな部屋が、ある。読み聞かせの会に居るのか、居ないのかも分からない。壁を背にした、カーテンで区分けられた場所。
どちらも癒やしをただ注ぐ為だけの場所。
受け取ろうと、受け取るまいと、どちらでも構わずに。
──あ。今日は、『居る』……。
アサハは水晶琴を奏でながら、そう感じた。
もう以前ほど荒れなくなった、穏やかな気配。
ただ今日は少し、さざめいている。
ごくニュートラルにチューニングしていた音色を、少しだけ探るように。
深く癒やすように。静かに、穏やかに。変えた。
草木の朝露が、光を浴びて静かに滴る。
朝霧が、恵み深い冷たさを運ぶ。
静かに汲まれた水が、乾いた土に染み込んでいく。
そんな情景を奏で、静かに、全て、水へと還るように。
全ての曲を終えた時。
部屋から去るでなく、追うでなく、静かにアサハを見詰める金色の目があった。
アサハのGM専用エリア。
少し居心地悪そうに、ソータが来客用の椅子に座る。
「本当は今回の外縁部、アサハに来て欲しかった。ん、だが……」
「そう……」
「貧困地区の──亜人種のな」
「ああ。それは……」
「サポートを頼んでも、構わないか」
「はい。勿論」
強いアサハの返事に、即答かよ、と初めてソータが苦笑する。
「レヴィを連れてく。メモリは、不確定要素過ぎるんだが……」
「気になるのね。それに、レヴィ……辛い、かもしれない」
ん、とソータが頷く。そのケアも頼みたそうな気配を感じて、アサハは少し微笑んだ。
「大丈夫。レヴィにも連絡を取るから。メモリ……さんは、大丈夫かな。あの子、来たばっかり、でしょ?」
「なあ。Lv1で俺の技、見える奴が居ると思うか?」
アサハは首を傾げる。
元々、ソータの振るう刀に、動きに、共鳴するような音を見ていた。
ただ、レヴィには振動として感じられるらしい。シノンとマサキは、分からないと言っていた。シビルは──興味深い、とだけ。
「素質……、ある?」
「……。『流れ』が……見える奴が、今更……」
「見つかった?」
「……『外』の奴だ。扱うのは、無理だろうな……」
ソータの返事は、微かな期待を自ら押し殺すようなものだった。
その複雑な思いをアサハは深追いしないことにした。
形にならないものを無理矢理、他者から『音』にさせようとしても、歪んでしまうから。
静かな間の後。ふー、と深い息を吐いたソータが天を仰ぐ。
「ま、アサハに分からないなら、俺にも分かる訳がねえな。成るように成るだろうよ……」
笑って、ソータは立ち上がった。
大丈夫、大丈夫。アサハは心の中で唱える。
立ち上がれるから。何度でも、それまで、支えるから。私が、そうしたいから。
少し悩んで、アサハは。実家に、少しばかりの食材の『仕送り』の、お願いをした。
皆が宮殿と呼ぶ、大仰な硝子の建造物。
青を打ち消すような薄い赤の膜は、特殊な塗料で──内部の植物の成長を促すためのもの。
その実は、温室だった。植物園でもある。二重構造の内部はアリーナであり、バトル用の舞台でもあったが。
実のところ、貴重な外部の植物を保全もしている。
合理性はない。
むしろこんなところより、シノンやアサハのエリアでやるべきだろう。
だからこれはソータの非合理な、いわば趣味だった。
青白い砂漠が夜の光を反射する、ソータのバトルエリア。廃墟が偏在し、凶悪な害獣が闊歩する。
メインエリアの癖に、不要なほど遊びを拒絶した作り。
以前は、むしろ、嘘くさいほど死角や隆起を作り、『遊べる』場所で。
砂漠の要素などほとんど存在しなかった。
──ソータが故郷の記憶に、寄せたのだ。
失われたラングラン。壊れてしまえば簡単に、廃墟と瓦礫、そして水流と砂に埋もれて、消えてしまった。
反省はある。自分が子供の頃、何の疑問も抱かなかった質の高い教育や、調度品、特権化した生活。
あらゆるところで、水資源管理側が優遇されていたのは、確かだ。
より磨き、より高める為。
選ばれた一軍が、隔絶されていたのも、確かだったろう。
こちらが見下していたつもりはなくとも、あちらは見上げていた。
その反面、その『優遇』がなければ為されなかった技術の継承もある。
集中し、鍛錬し、実践を行う余裕が最高傑作と言われる技術の昇華と、頂点とも言われる時代を作った。
短く儚い、ピークアウト。
守られていたからこそ、作れた基礎。今のソータを形作っているのは、その『技術』の記憶と経験だ。
ラングランが、誇り高い技術と伝統、神性を──恨みと憎しみ、汚泥と血で汚し、捨て去った過去は、消せない。
刀を抜く。
砂漠と空の青を映し、ぎらついて光る。天空で、サフィラの光が揺れた。
青白い砂漠が夜の光を反射し──ただただ静謐な世界を破壊する、地響きが走った。
振動が辺りを揺らす。
砂中から、巨大な図体が現れ、輝く両翼が周辺を薙ぐ。
砂竜──サバクリュウ。
──エリアボス、外では希少な『害獣』。
体高12メートルを超える巨躯は、サフィラ粒子を反射して青白く輝いていた。
巨大な図体と牙と口を持つ。周辺の生き物を潰して喰らい尽くす害獣。
「ふん、相変わらずでけぇな」
ソータの冷めた声が、夜気を切る。
砂竜の背が波打ち、無数の鱗が逆立つ。
その一枚一枚が、剣のように研ぎ澄まされた凶悪な飛び道具だ。
「遅い」
放たれた鱗の雨を、ソータは一閃で払う。
刀に纏った水流が青く輝き、軌跡を描く。
「天翔流・双竜破!」
二条の水流が龍となって絡み合い、砂竜に襲いかかる。
腹部の蠢動運動を封じ込めるように、水流が蛇のごとく巻きついていく。
砂竜が轟鳴と共に翼を広げ、再び鱗を放つ。
しかしそこにソータの姿は無い。
「そーら、喰らえ、よっ!」
跳躍したソータの姿が月光に浮かび上がる。
研ぎ澄まされた金の瞳が、獲物を捉えていた。
「天翔流・轟旋演舞!」
青の刀圧を追うように、螺旋状の水流が舞い上がる。
砂竜の翼が千切れ、悲鳴のような咆吼が響く。
「行くぜ!」
刀が纏う青い光が増した。
凝縮された水流の輝きが、巨大な刃となって振り下ろされる。
まっすぐに。
「天翔流・帝翔裂波!」
閃光が青を白に染める。
どおん、と派手な一撃で辺り一帯の砂が吹き飛んだ。
砂竜の姿が、光と共に消えていく。
後には月光に煌めく流砂と、風に舞う砂の雨だけが、静かに降り注いでいた。
──まあ、ありゃ半分以上、八つ当たりだったな、とソータは自省する。
が、今日ばかりは体を動かさずに眠れる自信が無かった。どうも、余計なことばかり思い出しそうになる。
どうせ今夜だけだ。明日にはまた、忙しさに紛れていく。いつものことだ。
GM専用エリアの中庭は、地下廃路とも繋がっている。
移動に楽だから、タイセイ時代からずっとそのままだった。
ガゼボを模した小さな屋根の下、気遣い屋の、おせっかいな誰かが整えたソファに身を委ねる。
紫の布に、金の飾り。思わず少し、口元が緩む。
昔はタイセイの居場所だった。奪った気はない。
変える気もなかったが、いつの間にか、自分が過ごしやすいように変わっていた。
──タイセイ。このコグニスフィアで、憧れていない奴の方が、少ない。
自分にとってはどうだったろう。
最初は敵だった。外敵、と言っても良い。勝ってやる、その思いで生き繋いだ。
今は、どうだろうか。
アイツの後を、きちんと、やれているか。どうだろう、分からない。
これから先の道は、まるで見えないままで居た。
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