1章 コグニスフィア・チュートリアル編

第1話『アオイロへようこそ』

 青く輝く通路の先で、宇宙船が静かに佇んでいた。


「これは、君の人生を変える切符になる」

 殆ど誰も知らぬ辺境惑星への定期便──奇妙な組合わせである。

(アオイロ行き、か)

 柔らかい笑顔で見送りにきた、裕福な身なりの男。


 そして、高額チケットを手渡されるメモリと、観光地アオイロへの搭乗口。


 ……不備があれば攻めどころ、と思いきや余りにも否応なく手配が完結し。逆に、退路を断たれた形になっている。

(この男の背後って本当に、一体なんなんだ?)


 メモリの不審な眼差しを一顧だにせず、リンゼイは青い箱をメモリのポケットに滑り込ませた。

「最初に出会ったその『案内人』に使うこと。これが僕からの、ただ一つの指示」


「案内人……って?」

「説明が足りなくて申し訳ない」

 リンゼイの声が、どこか懐かしむように揺れ、搭乗ゲートへ背中を押される。


「僕が書き換えて、安全化を施してある。絶対的な味方を、君に与えるはずだ。君なら、きっと──」

 その言葉の続きは聞けなかった。

 扉が音もなく閉まり、青い光の中へと飲み込まれていく。


(……これを使え? その割に使い方すら)

 ポケットから取り出した親指の先ほどしかない、緻密な模様が入った青い箱。

 何処をどう弄ってもほのかな明滅を繰り返すだけで、反応がない。説明が足りないとはその通り。

 

 だったら使わなくてもいい、とメモリは判断した。

(俺のことを調査済みなら、──俺が危険な物を容認できる訳ない、って知ってる筈だ。それなのに、どうして……)




 十数時間後。

 深い群青の輝きに満ちた通路を抜けると、世界が一変していた。


「うわ……」

 光が溢れ、メモリは思わず手で目を覆う。


 光に慣れるに従い、目の前に広がる光景に息を呑む。

 無数に舞うランタンが空を彩り、歩くたびにふわりと足元で青い砂が光の波紋を描く広場。

 空気には、甘い果実、スパイス、そして潮風を思わせる香りが溶け合い、鼻腔をくすぐる。

 

 獣耳や翼を持つ者など、様々な姿の人間が行き交っている。

 中央の噴水からは青い液体が空高く舞い、光る霧となって降り注ぎ、虹色に瞬いている。まるで星屑が舞っているかのようだ。

(すごい……綺麗だ……)

 機内で調べる時間もあればこそ──重力すら少し軽く感じる。


(ここはもう、別の惑星……違う星なんだ、本当に)


「はい、動かないでください」

 背中に硬いものが押し付けられ、冷や汗が背筋を伝う。

 まさか、銃口? 警備システム? それとも──。


 視界に入ってきたのは、右目が赤紫、左目が紫がかった青の色違いの瞳。

 紫がかった癖のある髪が風に揺れ、チャコールブルーのスーツに身を包んだその姿は、細身ながらも彼の上品さを演出している。


「メモリ・オージュさんですね?」


 金の装飾が施された短い杖を手にし、悪戯のリアクションを期待した表情で覗き込む。

 そして何より──ふわりと長く揺れる紫色の尻尾、つんと立った三角の猫耳。


「案内人のレヴィです。コグニスフィアへようこそ!」

 にっこりと無邪気な笑顔を向けられた。小さな牙が少し覗く。

 が。メモリの反応の薄さに、まずかったかな──とでも言いたげに耳が下がり、ぴくぴくと震えた。


「えっと、そう、だけど……。ごめん、その耳とか尻尾って……本物?」

 メモリの最近の環境では見慣れないほど、表情が豊か過ぎて態度に戸惑ってしまう。

 初対面の相手って、こんな馴れ馴れしいものだったっけか。

 

 は、という風に口を開けた後──「本物です本物です!」とレヴィが慌てて耳を後ろに倒す。


「いやはや、すみません。僕のは比較的皆さんのより、よく動くようで」

 照れ臭そうにしながら耳を撫でつけた。一歩引き、ちら、とこちらの様子を窺っている。


「ここの人たちって、耳とか、羽とか生えてるのが普通なの?」

「ええ──、いえ。僕たち『亜人種』は、全体の二割程度ですかね」

 そこで気づく。

 リンゼイに渡されたあの青い箱が、懐で微かに温かい。一瞬意識を奪われるも、直ぐにレヴィへと向き直り。


「なんだっけ、えーと。亜人種?」

 獣人とまではいかない感じ、なのだろうか。

「じゃあ、開拓者の子孫ってことか?」


 以前何処かで聞いたことがある。開拓を進める為に獣人の要素を敢えて取り込んだ惑星がある、と。

 ただ彼らはとても生存的に危うく、危険性も指摘されていたはずだが──。

 けど、目の前のレヴィからそんな不安は感じられない。


「はい! そうです、そうなんですメモリさん。ご理解が早いですね!」

 レヴィが両手を広げて尻尾を揺らす。

 その仕草は誇らしげで、朗らかな喜びに溢れていた。


 レヴィの案内で進む道は、徐々にその姿を変えていく。

 トランプ柄の石畳。穏やかな色合いの、それでいて少しづつ奇妙な街並み。

 赤と黒の王冠型街灯、ハートの窓枠、赤い煉瓦の建物が並ぶ。

 どこか懐かしい、おとぎ話のような風景だった。


「綺麗な──街並みだな、ここは」

 メモリの言葉に、レヴィは尻尾を嬉しそうに揺らした。

「光栄です。ここが僕のエリアですので」

 とレヴィが控えめに言う。僕のエリアとはどういうことだろう、住居ということか──と考えて居ると。


「まあ、まずはご体験を」

 イタズラっぽく、にやりとレヴィが笑った。


 音を立てて重厚な木製のドアを開けると、落ち着いた雰囲気の人々が談笑しながら、それぞれ遊戯に興じている。

 高級ホテルのカジノを社交場にでもしたかのような広間だった。

 古めかしいランプの灯りに照らされ、所々に設えられた丸テーブルでは、様々なゲームが繰り広げられている。


 賭博の場と大きく異なるのはその和やかさ。皆、楽しげながらものんびりと。カードや駒を動かしながら、入ってきたレヴィに気付いて顔を上げる者も居る。手を振ったり視線で会釈するものも。


「御覧の通り、ここは遊戯区画テーブルゲームエリアです」レヴィが杖を軽く回しながら説明する。


「コグニスフィアには6つの区画があり、それぞれに、僕のような『ゲームマスター』が一人ずつ」


 空いたテーブルの上でカードがふわりと宙に浮き、光の粒子となって実体化した。

 小さな騎士が剣を振るい、魔法使いが杖を振る。まるで物語の一場面のように、カードの絵柄が命を持って躍動していた。

 

「凄い……生きてるみたいだ」


「ええ。僕たちGMゲームマスターは、それぞれの能力をもって、区画エリアを管理する存在です」

 レヴィが中央の木製テーブルへと手を引き、メモリを導く。


 誇らしげに語られた意味は今ひとつピンとは来ないが、この魔法のような体験を導くのが、その役割なのだろう。──これが、案内人ということか。


「今日は特別に、メモリさんだけ、と」

 レヴィがウインクをしてみせると共に、周囲の喧騒が遠ざかっていく。

 人々の姿が消え、しいん、と二人きりの遊技場が出来上がる。蛍のような光が辺りを舞う。そう、僕は魔術師ですから、とレヴィが笑った。


「では。ようこそ、『紫の魔術師ぼく』の遊戯卓へ」

 

 レヴィが杖を掲げると、小さな雷が走る。

 ぱらぱらとカードが舞い、緑のフェルトの上で踊り始めた。

 騎士が剣を構え、王が宝杖を翳す。ハートの女王が優雅に微笑み、道化師がふざけた一礼を。レヴィがカードを纏めると、輝く粒子になって消える。


「さ、物は試し……僕と一緒に、遊びませんか?」


 レヴィの言葉と共に、ゆらり、と視界が溶けた。

 磨き上げられたチェックタイルの大理石に、華美な装飾が施された水仙紋様の壁、神と御使いの舞う天井画。

 何処かの王宮を思わせる広いホールに景色が塗り替わる。

「う、わ」


「ハイアンドローで!」

 レヴィの目が肉食獣のように輝いた。


 宣言と共に、レヴィの元へと巨大なカードが降りてくる。

 メモリの隣にも──そして、黒く煌びやかなカードの背面を盾に、若々しい騎士装束の、少年が。

 カードの内側で、にこり、と小さな短剣を掲げる。

 レヴィもカードの黒幕の内側に、誰かが居るかの如き会釈をして。お互いの手札は見えないようにされている。


 が、メモリのカードの数字を見れば『スペードの、エース』。

 数が強さのルールでは──。

(うわ、負け確じゃん……)


 くす、とレヴィが笑う。向こうはメモリの反応を見て、勝ちを確信したようだった。

「おやおや? 勝負になりませんか? それでは、ハウスルールを変えましょう。エースは11、ジャックと同等です」


 レヴィが宣言した途端、小さな少年騎士がぐん、と育つ。

 黒い鎧の騎士となって威風堂々と、メモリの前に立ち上がった。長剣を掲げ、悠然と構えを取る。


 レヴィが杖を振るい、カードを一歩分、進めた。

「それでも、ジョーカーは最強ですが」笑うレヴィの手の内は見えず。

 この分では、エースであることまで相手にバレて居るのだろう。


「──とはいえ、『ゲーム』です。命を賭けるやりとりではいけない」


(この言い方、絶対ジョーカーだろ、あれ!)

 と、思うが。何かが引っかかる。

「では。ドローしますか?」


 ふと、メモリは思い出す。

(あの人が言っていた『最初に会った案内人に使え』って『スキル』──)

 レヴィの柔らかな笑顔が、妙に胸に刺さる。


 誘うように、レヴィが手を広げた。

「ハイアンドローは、数字が大きい程強い。次に、貴方の手元に来るのは、クイーン? キング? どうでしょうね?」


 ちらりと黒騎士を見て、メモリは自分の直感を信じた。

「いや、このカードで!」

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