1章 『コグニスフィア・チュートリアル』

第1話『水流いなし』

■001


 深い群青の輝きに満ちた通路を抜けると、世界が一変した。

 光が溢れる。

 久しく見ることのなかった、生命を帯びた色に溢れる世界だ。


「うわ……」

 メモリは思わず手で目を覆った。

 慣れない明るさに瞬きして、足元から広がる光景に息を呑む。


 ──中央広場。


 紺碧から水色へと刻一刻と色を変えるサフィラ粒子が、生きものの呼吸のように空間を満たしていた。

 故郷では見たこともない光の粒子が、まるで天の川のように美しく瞬き、彼の目を奪う。


 その光は波のように緩やかに明滅を繰り返し、見上げる者の心まで包み込む。

 宇宙そのものが息づいているかのよう──いや、もしかしたらその表現すら生ぬるい。

 ここには、確かに意志を持った何かが存在している。

 

 頭上では柔らかな天の布が、生きた光となってたなびいていた。

 広場の中央に据えられた巨大な水晶が内部から神秘的な輝きを放ち、その傍らでは青く輝く噴水が躍動するように水を弾けさせている。


 そして、そこを行き交う人の姿に、メモリは目を疑った。

 背に生えた羽。狼のような耳を持つ奇妙な存在──人間そのものなのに、違った特徴を持つ人々が混じっている。

 メモリの、これまでの常識を大きく揺さぶる姿だった。


(これが独自の進化? ──全員じゃないけど、ところどころ……?)


 惑星『アオイロ』。

 あの謎の銀髪の男に手渡されたチケットと、送り込まれた船そのままに降り立った場所。

 そこは、以前の場所とは確かに違っていた。


 色合いも、香りも、空気も人も、──何もかもが。

 管理され規格化された日常からは想像もつかない世界が、そこにはあった。


「本当に、ここが……」


 呟きが漏れる中、広場の中央で一際存在感を放つ人物が、誰かを待つように立っている。

 

 手元の端末を見て、不意にこちらを向いた。


 上質なチャコールブルーのスーツに身を包んだその人物は、右目が赤みを帯び、左目が青みがかった紫の瞳。

 人間の耳よりやや上に出た三角形の耳が、紫色に跳ね回った長めの髪の間からひっそりと覗いている。

 

 毛艶の良い長毛の尻尾がふわりと揺れた。


 にこやかに手を差し伸べ、「メモリ・オージュさん、ですね?」と確認される。

 

「ようこそ、アオイロ最大のゲームワールド『コグニスフィア』へ!」

 優美な身のこなしで一礼し、最初の印象よりも愛嬌のある表情をして、にっこりと笑う。


「本日の案内人は、テーブルGMの僕、レヴィと申します」


 男性と見えるも、一瞬判断に迷うような柔らかな表情。

 細身の体格に相まって、より一層その両義性が際立つ。

 むしろ性別より年齢もあやふやだ。少年か、美女か、青年か、少女なのか。


(えっ、これ、こういう時、どう接すれば失礼にならないんだ……?!)

 思わず視線が彷徨いそうになる中、レヴィの不思議な色合いの瞳が優しく微笑んだ。


「……驚きました?」

 不思議な色合いの双眸がメモリを見つめる。

 猫の眼差しを思わせる、ゆらゆらとした瑞々しく深い瞳。


(うわ……瞳も人間とは、違う?)


 幻想的に揺らぐ青い光。それを映す、左右違った紫の虹彩。


「綺麗……」


 思わず漏れた言葉に、レヴィの耳がピクリと動く。


「えっ?」


「わ! いや、あの、この場所が、とても……!」


 慌てて言葉を濁すメモリに、レヴィは静かに頷いた。


「はい。ここは夢と現実が溶け合う場所ですから」


 言葉に添うように、周囲のサフィラ粒子が一層鮮やかに舞い始める。

 ──水と反応して光を放ち、安定するんだっけ。じゃあこれは、水蒸気?


(不思議だな……)


「レヴィ、さん、……って、男性?」


 躊躇いがちに尋ねると、レヴィは意外そうな表情を浮かべた。


「はい? そうですよ?」


「そうなんだ! 教えてくれてありがとうね!」


 メモリは内心で胸を撫で下ろす。失敗する前で良かった。

 でも。──男か~……。そっか。なんだ……。


 にこにこと微笑んだレヴィは、「こちらへ」と手招きする。

 大きく口を開けば、細めの牙が少し覗く。深く柔らかな紫色の仕草は、どこかチェシャ猫を思わせた。


「どうか、メモリさん。『コグニスフィア』を楽しんでいってくださいね」



 案内役、レヴィに連れられてタイルの道を進んでいると、やがて青白い砂漠に出た。

 

 砂に結晶が混じっているのか、時折きらきらと光を映す。

 天と地で相互に光が揺らめいて、不思議な遠近感を作り上げている。

 

 硝子作りの植物園の扉を開き、内部へとメモリを迎え入れる。


「砂漠はバトルエリアですが、この植物園の内側がアリーナになっていて──」

 レヴィの言葉が途切れた。

 

「ああ、良いタイミングですね」


 指差された方向に目をやると、空いっぱい、目の前までを含み、青白い光の満ちる砂漠が映っている。


 ──これが、Augmented Reality(拡張現実)──ここまででも、あちらこちらで魔法のようにエフェクトがかかってはいたけれど。

 ここではまるで目の前に『有る』ような、巨大スクリーンだった。


 ちょうど走って届くかどうか、という程よい距離で、映像が空転する。

 鳥の視界、俯瞰距離。


 その視線の真ん中に、一人の男が佇んでいた。

 黒羽織が風にたなびき、後ろで束ねた淡い金髪が揺れる。

 

 現代風な素材を使いつつも様式は『古』──新しくも、古い伝統をも繋ぐ、奇妙な装束。

 

 すこしづつが噛み合わず、それでいて総体の和が纏まるシルエット。

 その姿には不思議と、構えた長い刀も『合って』見える。


「ソータさんの『暴れ水流バトル』が始まります!」


 レヴィの声に合わせたように、地表が、一瞬青白く輝く。

 

 その直後。

 突如として、轟音、地響きと共に激しい水流が砂を割って噴き上がった。

 

 水流が生き物のように混ざり合い、砂と水が巨大なうねりと共に空を隠す。

 石英や砂を含んだ水はぎらぎらと輝きながら壁となり、勢い、ゆっくりと天の頂に届く。


 メモリが思わず声を上げた。

「あぶなっ……!」


 あんなものの真下に居ては、落ちて来た水と砂礫で砕かれてしまう。


「ご安心を。ソータさんの水流術は『奇跡』をこの目で見れるようなものですから──」

 レヴィの声はにこやかに、落ち着いている。


 その言葉が終わるか終わらぬかの内に、男が刀を抜いた。

 一閃。横に。光が一列に飛ぶ。

 

(え……?!)


 見ているものが信じられなかった。

 根元から水が割れ、輝きながら弾け、崩れ、光の亀裂と共に水塊が分割されていく。

 

 水が火花を散らす、などという信じがたい光景。

 

「何、これ、映像技術──?!」


「いえ、ここはそのままです」

 レヴィは惚れ惚れとするように見上げたまま。尻尾が楽しむように跳ねている。


(そのまま?! いや、そんな訳──)


 残る水が天から落ちて来る。

 分かたれた水流とはいえ、十分な脅威。それが、地に向かい加速度を付けて落下してくる。

 

 怒り蠢く龍が落ちるように──しかしそれも、ひとつ、ふたつと切り裂かれていく。


「さあ、やるか」


 ソータの囁くような声が響き、次の瞬間──彼の姿が消える。跳躍。

 まるで残る水を駆けるように、水流のうねりより、想定より、遙かに高く。

 

 暴れる水柱を切れば、刀が描く軌跡に合わせ、水塊がぶつかり合う。

 繰り出される剣圧が水を絶ち、荒々しい力に狂う水流が、刀捌きにいなされるように、美しい曲線を描く。


 光り、爆ぜる、水との躍り。

 メモリは息を呑んだ。地に落ち砂を抉る水流があまりにも生々しい。

 その癖、ソータの手に掛かれば柔らかな衣のように変化していく。

 

 まるで水を従えるかのような舞い。

 一体なにをどうしたものか、自在に水を操っているようにしか見えない。魔法だった。


(一体何を、どうやればこんな……?)


 暴虐な筈の水流は、ソータの腕、刃先にかかればたちまち繊細な芸術へと変貌していく。

 彼の動きに合わせて時に激しく、時に繊細な水の流れへと治められる。まさに、奇跡の技。

 

 まるで荒れ狂う神を鎮める、舞踏のようだった。

 最後の水流がたおやかな湧き水へと変貌したことで、演舞は終わりを告げる。

 

 こちらに向き直って一礼するソータの姿に、観客から大歓声が上がった。


 映像が終わり、本人がエリアに登場する。


「皆、楽しんでってくれ!」


 軽やかな声でファンに応える一方で、その金色の瞳がレヴィとメモリの方に止まった。

 ふ、と笑い、こちらに向かってくる。


 映像で見た時よりも、さらに精悍な印象を放っていた。

 

 ──強い。この人は、強い。なんの違和感も無く確信する。

 ただ腕力や腕っ節という事でなく、生存本能的に。

 熾烈な生死の場をくぐり抜けてきた存在、という気がしていた。


「レヴィ、案内ご苦労」

「いえ、お気になさらず」


 金の視線がメモリへと移る。ヒヤリとする一瞥だった。


「……凄かったです」


 何か言わねばと絞り出したメモリの言葉で、ソータの厳しさが緩み、苦笑する。


「凄い、か……これは──」


 何かを言いかけて、止まった。

(今、ショーじゃない、って言いかけたような?)


「……いや。この星で、水は命だ。それだけは覚えておいてくれ」


 どこか厳かな空気が流れ、メモリは息を呑む。

 ──見世物の演技者ではない、言い知れぬ重みがあった。

 

 メモリは異国どころかまるで違う星に来たのだということを、ここに入った時より、レヴィと会った時よりも何故か強く感じた。

 人の持つ重みや、雰囲気が、まるで今までの人生とは違う『空気』を持っているように、感じられたのだ。


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