5


 私の両肩が震える。


「ひどい…ひどいよ…」


 ……なんで、


 お母さんもお父さんも、


 氷雅ひょうがお兄ちゃんも、


 手紙残すの?


「どうせ出て行くんだったら黙って行ってよ!!」


 一度壊れた関係は元には戻らない。

 だから夢の中で、


 氷雅ひょうがお兄ちゃんと私の手が離れた。


 そして“現実も”


 これからどうしよう。

 バイトして一人で生きて行けるかな……。


 ふたりでも、だめだったのに?


「…結局、私もひとりでもふたりでも生きて行けないんだ」


 なら、どうする?

 氷雅ひょうがお兄ちゃんを追いかける?


 せっかく突き放してくれたのに?


「……突き放す?」


 あ……。


 私は自分の口に左手を当てる。


 もしかして昨日、氷雅ひょうがお兄ちゃんが告白したのも、

 キスしたのも、この手紙も、

 全部私に嫌われる為だったの?


 ――――本物の兄妹の絆を守りたかった。


 だから例え“偽物”でも妹として、

 ずっと守ってきた。


 なのにさよならなんて、


 このまま、

 終わり、だなんて嫌だよ。


 私は手紙を持ったまま、玄関まで駆けて行き、裸足のまま扉を開けて外に出る。


 5階から下を見ると、黒のバイクが走っていくのが見えた。


氷雅ひょうがお兄ちゃん!」

「やだ、一人にしないで!!」


氷雅ひょうがお兄ちゃん!!!!!」


 私は無我夢中で泣き叫ぶ。


 隣の部屋の扉が開く。


 黒のTシャツにネイビーのTシャツを重ね着し黒のスキニーパンツを穿いた月沢つきさわくんが出て来た。


「…星野ほしの!」


 え、月沢つきさわくん!?


「なんで……」


「…なんでじゃねぇわ」

「…部屋までお前の声聞こえたわ」


 あ……。


「…どうしたんだよ?」


氷雅ひょうがお兄ちゃんが…出て行っちゃった」

「きっと教会に行ったんだと思う」

「行かなきゃ」


「…おい!」


 私は裸足のままエレベーターまで駆けていく。


 月沢つきさわくんが追いかけて来て私の右腕を掴む。


「…待てって」

「…お前、裸足のまま教会まで行くつもりなのか?」


「放して!」

「早く行かないと氷雅ひょうがお兄ちゃんが…」


「…星野ほしの、落ち着け。冷静になれ!」

「…そもそも教会ってどこの教会だよ!?」


「聖アイス教会」


「…は? 聖アイス教会!? 何キロあると思ってんだよ?」


「分かんない。だけど大丈夫、行ける」

「だから放して!!」


「…星野ほしの!」

 月沢つきさわくんは私をぎゅっと抱き締める。


「…分かった。俺が聖アイス教会まで連れてってやる」





 それから月沢つきさわくんと一緒に靴を取りに戻り、10分後。


 マンションのバイク置き場に野良のふっさふさのブタ猫がいた。


「…板壊したの、こいつ」


「え……」


 まさかこんなところで遭遇するなんて。


 月沢つきさわくんは白いヘルメットを私の頭に被せる。


月沢つきさわくん、もう大丈夫。あとは自分でやるから…」


「…俺がやるから黙って」


 月沢つきさわくんは白いヘルメットの顎下のハーネスのベルトを私の首元で固定するとシールドを降ろす。

 そして私を持ち上げてリアシートにまたがらせる。


 全部やってもらっちゃった…。

 触れられたとこ、ぜんぶ熱い。


 月沢つきさわくんもシートに跨り、キーをひねると甲高い爆音が響き渡る。

 私はバイクの車体につかまった。


「…星野ほしの、どこ掴まってんの?」


「大丈夫、このまま走って」


「…は? 危ねぇだろ、早く俺に掴まれ」

 私はバイクの車体に掴まるのをやめ、ぎゅっと月沢つきさわくんの腰に両手を回す。


 心臓、壊れそう。

 こんな密着したら、だめ、なのに。


 月沢つきさわくんのバイクが走り出した。





 15分後。聖アイス教会の前に着いた時には雨が降り出していた。


 鐘楼しょうろうが乗った双塔と繊細な装飾が施された入口上部の尖頭せんとう形窓が見える。


 その前に濡れた黒のバイクが停まっていた。


「このバイク、氷雅ひょうがお兄ちゃんの…」


「…だな」


 月沢つきさわくんの腰に回した両手が震える。

 その両手に月沢つきさわくんは右手を重ねた。


「…星野ほしの、濡れてる」


月沢つきさわくんも…」


 月沢つきさわくんは重ねた右手を離す。

「…早く降りて行け」


「……うん」


 私は両手を離す。

「……月沢つきさわくん、連れて来てくれてありがとう」


 お礼を言うとバイクから降りて、階段を駆け上がっていく。


 月沢つきさわくんは両ハンドルに体重をかけて伏せ寝する。

 ぽたぽたと前髪からしずくが垂れていく。


「…分かってた」

「…あいつらの絆を壊すことなんか出来やしないって」



 階段を上がりきると、


 キ…。

 聖アイス教会の扉をゆっくりと開ける。


 中はゴシックで四方をステンドグラスに囲まれ、茶色の椅子が両側にずらりと並んでいた。


 氷雅ひょうがお兄ちゃん、シスターさんと何か話してる?


「…そう、この教会の前に捨てられた赤ん坊は貴方だったのですね」

 若いシスターが自分の両指を絡めたまま話しかける。


「あぁ、俺はもう一人で生きて行く」

「あいつのところには一生戻らねぇ」


 なんで…そんなこと言うの?


「お迎えが来たようですね」

「人はそう簡単に一人では生きられないものよ」


「おふたりに神の御加護がありますように」


 若いシスターは祈りを捧げると部屋に入っていく。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんとふたりきりになった。

 外の雨の音だけが聞こえる。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私に背を向けたまま立っていて、何も発してはくれない。


氷雅ひょうがお兄ちゃん!」

 私の声がしんとした教会の中に響き渡る。


「…何追いかけて来てんだよ」

「もう兄貴じゃねぇって言っただろ!」


「っ…」


「…無理矢理キスしたんだぞ?」


 私は首を横に振る。

「違う、無理矢理じゃない」


「違わねぇ」

「キメェだろ。早く帰れよ」


「帰らない」

 私は強く言い切る。


「……手紙読んだよ」

「金髪の私、嫌だったんだね」


「あぁ」

「お前うぜぇし、うっとうしいんだよ」

「小さい頃から毎日毎日、お前の面倒ばっかで、だりぃんだよ」

「だから今すぐ失せろ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは冷たくぶっきら棒に言う。


「やだ!」

 私は駆けていき後ろから抱き締める。


 涙が頬を濡らしていく。


「気持ちに答えられなくてごめんなさい」

「傷つけてごめんなさい」

「ひどくて悪い偽者の妹でごめんなさい」


「あー、謝んじゃねぇよ! うぜぇな!」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが抵抗すると、


 ぐらっ。

 私はバランスを崩し、床に倒れた。


「あり…」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはそう名前を言いかけ振り返りそうになるも、ぐっとこらえる。


 私は立ち上がり、後ろから抱き締め返す。


「私のこと嫌いでいい」

「大嫌いでいいから!」


「だからうぜぇって言ってんだろ!!」


「きゃっ!」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんに抵抗され、私はまた床に倒れる。


 それでも茶色の椅子に掴まって立ち上がり、

 今度こそ離れないように後ろから今ある全部の力で強く抱き締めた。


「一人に…しないで」

「置いて…行かないで」


「血の繋がりなんかどうだっていいから」

「傍にいてよ……」


「……大事なの」


氷雅ひょうがお兄ちゃん!」

「離れたくないよぉっ……!!」


 私が必死に泣き叫ぶと、ずるっ。

 その場で滑るように崩れ落ちた。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは振り返る。

「ありす!」


「あ…氷雅ひょうがお兄ちゃん、やっと見てくれた…」

 ふわっと笑うと氷雅ひょうがお兄ちゃんは強く私を抱き締める。


「ありす…悪かった」

「俺が間違ってた」


「離れねぇ、もう絶対離さねぇ」

「俺がありすを守り続ける」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは静かに涙を流す。

 中央のステンドグラスが美しく光り輝いた。


「俺達は偽りじゃねぇ、本物だ」

「これからもずっと“本物の兄と妹”だ」



 その後、シスターが部屋から出て来てお世話になり、雨が止むと私達はシスターに頭をぺこりと下げ、聖アイス教会を出た。


氷雅ひょうがお兄ちゃん、オレンジジュースと西洋のお菓子美味しかったね」


「美味しかった、じゃねぇ」

「シスターがお前の具合心配して持って来てくれたんだろうが」


 ひえ、いつものぶっきら棒な氷雅ひょうがお兄ちゃんに戻ってる……。


「…貸して貰ったタオルで一応、髪と体拭いたが風邪ひいてねぇか?」


「うん、大丈夫」


「そうかよ。それでお前、ここまでどうやって来たんだ?」


 私はぎくりとする。

「あ、えっとタクシーで」


「嘘付くんじゃねぇ」


「…… 月沢つきさわくんにバイクで送ってもらいました」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは、はぁ、と息を吐く。

「別れたんじゃねぇのかよ」


「別れたけど……ご、ごめんなさい」

「近所迷惑も考えずに無我夢中で叫んでたら月沢つきさわくんが隣の部屋から出て来てそれで……」


「…惚れた女の為なら、例え別れてもなんでもするってか」

「…食えねぇ奴だ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはボソッと呟く。


「え?」


「なんでもねぇ」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは黒のバイクのシートとリアシートに触れる。

「乾いたみてぇだな」

「他はまだ少し湿ってはいるがまぁ大丈夫だろ」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは黒いヘルメットを私に手渡す。


「帰んぞ」


「うん」


 黒いヘルメットを被り、顎下のハーネスのベルトを首元で固定するとシールドを降ろし、自分でリアシートにまたがった。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんも軽々シートに跨るとキーをひねる。


 甲高い爆音が響き渡り、私はぎゅっと氷雅ひょうがお兄ちゃんの腰に両手を回すと、

 輝く夜空の下で、黒のバイクが走り出す。


氷雅ひょうがお兄ちゃん」


「あ? なんだよ?」


 私はぎゅっと氷雅ひょうがお兄ちゃんの腰に回した両手の力を強めて満面の笑みを浮かべると、小さな声で呟いた。


「……大好き」

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