4

 ――――今、分かった。


 “氷雅ひょうが、ふたりで生きろ”


 黒坂翼輝くろさかつばきのあの言葉は、

 氷雅ひょうがお兄ちゃんの“女”としてふたりで生きろって意味だったんだ。


 黒坂翼輝くろさかつばき氷雅ひょうがお兄ちゃんの気持ち、知ってたんだ。


「本物の兄貴になって守ってやりてぇって、金髪に染めたあの日からずっと」

「だから」


「お前が泣いてんの見るとたまんねぇんだよ」


 ――――グイッ!

 右腕を掴むと氷雅ひょうがお兄ちゃんはそのまま私の部屋に入っていく。


「え、え、氷雅ひょうがお兄ちゃ…」


 ドサッ……。


 え…ベッドに押し倒されて……。


「もう兄貴じゃねぇ」


 あぁ、氷雅ひょうがお兄ちゃん、本気、なんだ。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの望むことは全部してきた。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんのこと嫌いじゃない。

 すごくすごく大事。


 だけど、

 私、月沢つきさわくんが……。


 “…ほどいて欲しかったの、俺じゃなかったんだな”


 月沢つきさわくんの言葉を思い出す。


 見えないのに、鞄の中のアイスキャンディーがタオルの中で溶けていく感じがした。


 私の両目から光が消える。


 月沢つきさわくんのところへはもう、戻れない。


 それに、ここで拒んだら黒雪くろゆきを選んだことが嘘になる。

 下手をしたら殺されるかもしれない。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは黒いゆるTシャツの裾のリボンに触れる。

 それだけで体がびくついた。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの両目に前髪がかかる。


「……ありす」

「嫌なら全力で拒否れ」


 こんなこと、言わせるなんて。

 私、ほんとにひどくて、悪い偽者の妹だ。


「…ありす?」


 私は涙を零しながら満面の笑みを浮かべた。


「……いいよ」

「心に絡まったリボンほどいて」


 しゅるっ。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは裾のリボンをほどく。


 ギシッ…。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは顔の横に流れる金髪の上に優しく右手を置くと唇を近づけてきた。


 大丈夫。

 きっと、ぜんぶ気持ち、受け入れられる。


 ふわっ。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんの唇が私の唇に触れた。


 ぶっきら棒なキスされるって思ってたのに、

 なんて甘くて優しいキスなんだろう。


 唇が離れて、またキスが降ってきて。

 涙が止めなく流れる。


 何度キスされても拒否れない。

 ぜんぶ受け入れるって決めたから。


 …ううん、それだけじゃない。


 だってキスから痛いくらい伝わってくるんだもん。


 私のことが“大事で大好き”だって。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの舌が絡まってきた。


「ん…ぁっ……」


 深く、甘く、絡まる。


「ふあっ……」


 も、だめ…。

 だけど言えない。


 私は我慢して、ぎゅっとグレーの長袖Tシャツを掴む。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの方が苦しいと思うから。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは唇を離すと親指で私の涙を拭き取る。


「……っ」


 やばい、息が上手く出来ない。


「はぁっ…ひょう……」


 あ…、髪、くしゃくしゃっと撫でられ…。

 それだけで呼吸が落ち着いていく…。


「ありす、大丈夫だ」

「こんくれぇで、どうにかなったりしねぇから」


 呼吸が落ち着くと、氷雅ひょうがお兄ちゃんは私のゆるTシャツをずらす。


「…!」


 右肩が出ると、氷雅ひょうがお兄ちゃんは、私のうなじをじっと見つめる。


 あ……月沢つきさわくんのキスの痕見られ……。


「下手くそが」


 え?


「消さねぇよ」

「お前の大事なもんは全部受け入れる」


 光が両目から零れた。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは月沢つきさわくんのキス痕の隣に深くて甘いキスを落とす。


 その瞬間、鞄の中のアイスキャンディーがタオルの中で完全に溶けた気がした。


 ふ…っ。

 目の前が真っ暗になり、私は意識を失った。



 ……あれ?

 電車の中……?


 書庫蘭しょこら高校の制服を着た金髪の私と黒髪の氷雅ひょうがお兄ちゃんが恋人繋ぎしてる。


「なんで同じ制服着て…」


「寝ぼけてんのか?」

書庫蘭しょこら高校で出会って今日で付き合って1年だろ」

「だからお前が一緒に帰ろうっつったんじゃねぇか」


 あぁ、そっか、これ、夢だ。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんが違う人に拾われて、

 書庫蘭しょこら高校で出会ってカレカノになる、そんな甘い夢。


「ありす、目閉じろ」


「え、ここで?」


「やっぱしねぇ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんがぶっきら棒に言うと私は目を閉じる。


 あ、唇に甘いキスされ……。


「んっ…」


 いいなぁ、こういう未来だったら良かったのに。


 どうして私達は血の繋がってない兄と妹なの?

 偽者の兄と妹なの?


 どうしてよぉっ…!!!!!


「…ありす?」

「なんで泣いて…」


 私と氷雅ひょうがお兄ちゃんの“好き”は違う。


 分かってるくせに、


 氷雅ひょうがお兄ちゃんを失いたくなくて、

 私はキスを受け入れた。


 ずるくて汚い私。


 こんな自分なんて嫌い。

 大嫌いだよ。


 でももう、一度壊れた関係は元には戻らない。


「こんなの、間違ってる」


 男の氷雅ひょうがお兄ちゃんなんて見たくなかった。


 偽りでもいいから、

 兄と妹としてずっと一緒にいたかったよ。


「傷つけてごめんね、氷雅ひょうがお兄ちゃん」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんと私の手が離れた。



 7月14日の朝。目を覚ますと氷雅ひょうがお兄ちゃんに抱き締められながらベットで寝ていた。


 え、もう朝?


 氷雅ひょうがお兄ちゃん!?

 なんで一緒に寝て……。


 あ…そっか、私、途中で意識飛んで眠っちゃったんだ……。


 眠っちゃう前は一緒に寝てなかったはずなんだけど、どうしてこんなことに……。


 あんな夢見たせいか、氷雅ひょうがお兄ちゃんいなくなっちゃったんじゃないかって一瞬焦ったけど、一緒にいてくれて良かった……。


「んんっ…せみうるせぇ」


「…!」


 やばい、起きる!?


 気まずい。

 寝たふりしよう。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんのまぶたがゆっくりと持ち上がった。


「……もう朝か」

「…ありす、まだ寝てんのか」


 どうしよう、氷雅ひょうがお兄ちゃんの声聞いただけで涙が……。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは親指で涙を拭き取る。


「泣いてんじゃねぇよ」

「もう何もしねぇから心配すんな」


 氷雅ひょうがお兄ちゃん……。


「…やべぇ、バイトの時間だから行くわ」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが起き上がろうとする。


 私はぎゅっとグレーの長袖Tシャツの袖を掴む。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんはポンポンと頭を叩くと、そっと私の手を下ろす。


 あ……。


 起き上がり、ベットから降りて少し歩くと氷雅ひょうがお兄ちゃんは扉の前で立ち止まる。


「…夜には帰るから朝飯と昼飯は自分の好きなの食え」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは扉を開け、部屋から出て行った。

 ぱたん、と扉が閉まる。


 私はベットからゆっくり起き上がって降りると、鞄のファスナーを開けタオルを見る。


 包んだ袋はぐにゃぐにゃで中のアイスキャンディーは完全に溶け切っていた。


 私は鞄を開けたまま学習机の卓上ミラーを見る。

 金髪を退けるとうなじが映った。


 あ…月沢つきさわくんのキス痕だけじゃなくて、

 隣に氷雅ひょうがお兄ちゃんのキス痕が残って……。


 見ていられなくて卓上ミラーを倒し、鞄のファスナーを閉め、再びベットに横たわる。


 私はベットの上で静かに泣いた。



 そして気づけば夜になっていた。


 朝と昼は食べる気になれなくてマスカット味の飲むゼリーで済ませたけど、

 氷雅ひょうがお兄ちゃんはまだ帰って来ていない。

 このまま帰って来なかったらどうしよう。


 ガチャッ。

 玄関の扉が開く音が聞こえた。


 氷雅ひょうがお兄ちゃん、帰ってきたみたい。

 良かった……。


 そう思うも顔を合わす気になれず、部屋から出られない。


「…ありす、起きてるか?」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが廊下から声をかけてきた。


「……うん」


「すぐ晩飯作る」


 氷雅ひょうがお兄ちゃんの足音が遠ざかって行った。


 それから30分経っても氷雅ひょうがお兄ちゃんは呼びには来なかった。


 おかしいな…いつもならもう呼びに来てるのに…。

 あ、もしかしてまた倒れて……。


 私は扉を開け、キッチンまで早足で歩いて行く。


 カレーの香り?


 鍋の蓋を開けるとカレーが入っていた。

 カレーはしゃびしゃびで、炒めて煮た豚こま切れ肉に玉ねぎとえのきだけが入っていた。


 これ、氷雅ひょうがお兄ちゃんと一緒に食べた10分で出来るカレー…。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは?


 居間のテーブルを見ると手紙が置いてあった。

 私は右手に取って見る。


『ありす、本当は俺も金髪のお前が嫌だった。


 前にも話したが、俺は天涯孤独で聖アイス教会の前で捨てられ、お前の両親に拾われた。

 綺麗な黒髪だったからだ。


 お前さえ生まれて来なかったら俺は黒髪のまま両親に愛され、

 自分を偽って生きなくて済んだ。


 自分を偽って生きるのがたまらなく嫌だった。

 だからこれからは黒雪くろゆきの総長として一人で生きて行く。


 お前とは血の繋がりがねぇ。


 一緒にいても偽物なのは変わらねぇ。

 俺達はただの他人だ。


 ありす、

 お前はもう暴走族とは関係ねぇ。


 お前はお前の人生を生きろ。』

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