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「…あぁ、ちゃんと別れ話して、それで送り届けに来た」

 月沢つきさわくんは無表情な顔で答える。


「別れ話だ? てめぇやっぱもてあそんでやがったんだな!?」


「…そう、俺がこんな女本気になる訳ないだろ」


 ――――グイッ!

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが月沢つきさわくんの胸倉を掴む。


月沢つきさわ、今すぐ殺す」


氷雅ひょうがお兄ちゃん、やめて!」

 私が止めると氷雅ひょうがお兄ちゃんは、バッ! と右手を離す。


「…文句があるならいつでも隣に来い。相手してやるよ」


「は? 隣?」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが聞き返す。


「…あぁ。写メ見せてもらって部屋が隣だって気づいた時、俺も信じられなかったわ」

「…だけど本当に隣だったんだな」


「高校でありすがてめぇにたぶらかされたと思っていたが」

「まさか部屋まで隣…クソがぁっ!」

「ありすをここまで送り届けてくれたことだけは感謝してやる」

「とっとと失せろ。2度とありすには近づくな!!」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは声を荒げながら叫ぶ。


「…誰が近づくかよ、こんな女。こっちから願い下げだわ」

「…じゃあな、ありす」

 月沢つきさわくんはそう言うと隣の部屋まで歩いて行く。


 月沢つきさわくん……嘘だって分かってても胸が痛いよ。


 ――――グィッ。

 氷雅ひょうがお兄ちゃんが私の腕を掴んで引っ張った。


 私が中に入ると、ぱたんと扉を閉める。


「あの、氷雅ひょうがお兄ちゃ…」


「もう帰って来ないんじゃねぇかって思った」

「良かった」


 私の両瞼に光がにじむ。


 氷雅ひょうがお兄ちゃん……。


「…帰らないつもりだった」

「でも、帰ってきちゃった…」

「全部思い出したから」


「…黒坂翼輝くろさかつばき


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは目を見張る。

「お前、あの時、意識失ってたんじゃねぇのか?」


「…意識はあった。だから全部思い出せたの」

氷雅ひょうがお兄ちゃんが黒雪くろゆきの総長になったの、私のせいだってこと」


「お前のせいじゃねぇ。俺が勝手に決めたことだ」


 私は首を横に振る。

「ううん、私のせいだよ。だって総長になった理由、私を守る為だもん」


「あの時、氷雅ひょうがお兄ちゃんとゲーセン行かなかったら暴走族に襲われることもなかった」

氷雅ひょうがお兄ちゃんが黒雪くろゆきの総長にならずに済んだ」

月沢つきさわくんと敵対することもなかった」


 だめ、気持ちが止められない。


「ううん、それだけじゃない」

「お母さんとお父さんが出て行くこともなかった」

氷雅ひょうがお兄ちゃんがカラオケ店でバイトすることもなかった」

「私さえいなければ氷雅ひょうがお兄ちゃんは幸せだったのに!!!!!」

 私は感情を爆発させながら泣き叫ぶ。


「ありす!」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私をぎゅっと抱き締める。


「ふざけんな! ふさげんなよ!!」

「お前がいて幸せじゃねぇって思った日は一日もねぇよ」

「俺はお前さえいればいい」

「お前が傍にいるだけで幸せだ」


 氷雅ひょうがお兄ちゃん……。


「うわああああぁぁぁぁ……」

 私が号泣すると氷雅ひょうがお兄ちゃんは抱き締めたまま私のウィッグを優しく撫でてくれた。


「――――落ち着いたか?」


「うん…」


「この際だからバラすけど、カラオケ店でバイトするより総長の時間のが長ぇし」


「え」

 私は驚きの声を上げる。


「集会とかバイクでカッ飛ばしたり、敵対する暴走族とやり合ったりとかな」


「だから私の部屋で間違えて寝たり、体調悪かったりしたの?」


「あぁ、あん時は、ほぼ徹夜だったな」


 そうだったんだ……バイト疲れかと思ってた……。


 氷雅ひょうがお兄ちゃんは私を離す。


 あれ?

 いつもなら自分からは離さないのに……。


「お腹空いただろ、何が食いたい?」


「いい、今日はもう寝る」

氷雅ひょうがお兄ちゃん、おやすみなさい」


「ん、おやすみ」


 私は部屋に向かって歩いて行く。


 ふと氷雅ひょうがお兄ちゃんを見ると、自分の手の平をただじっと切なげに見つめていた。



 7月13日の早朝。私は部屋のベットの上にいた。


 今日、土曜日で良かった…。

 空腹でちょっとだけ気持ち悪い……。


 …色々なことがありすぎて、あんまり眠れなかったな。

 ベランダにもさすがに行けなかった…。


 顔でも洗ってこようかな。


 私はベットから起き上がって降り、部屋の扉を開け、洗面台まで歩いて行く。


 シャワーの音?


 氷雅ひょうがお兄ちゃん、朝シャンしてる!?


 いつシャワー浴びてるんだろってずっと疑問だったけど、そっか。

 総長は夜中に活動するから、私が寝てる時に浴びてたんだ……。


 あれ?

 スプレーがたくさん置いてある…。


 私はスプレーを一本手に取って見る。


 え、ゴールドの髪染めスプレー?


 きゅっ。

 シャワーの蛇口をひねる音にびくつき、スプレーが右手から滑り落ちる。


 ――――カランッ。


 あ、スプレーが…。


 シャワーの音が止まった。

 ガラッとお風呂場の扉が開く。


 タオルを首に巻いた少し筋肉質な上半身裸でトランクスを穿いた氷雅ひょうがお兄ちゃんが出て来た。


 私は両目を見開く。


氷雅ひょうがお兄ちゃん…なんで黒髪なの?」


「あー、バレる時は一遍いっぺんなんだな…」

 氷雅ひょうがお兄ちゃんは切なげな表情を浮かべ、自分の濡れた前髪に手の平を当てた。


「バレるって…」

「まさか氷雅ひょうがお兄ちゃんが黒に染めてたなんて知らなかったよ」


「は?」


「私に気を遣って染めるのやめて金髪にしててくれてたんだよね?」

「そんなことしなくても言ってくれれば良かったのに」

 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんに笑いかける。


 ねぇ、氷雅ひょうがお兄ちゃん、

 私、ちゃんと笑えてる?


「とにかくTシャツ着て」

 私がかごから取って手渡すと氷雅ひょうがお兄ちゃんは首に巻いたタオルを私に手渡してグレーの長袖のTシャツを上から被る。


「いつも家では長袖Tシャツだね…熱くないの?」

 私は氷雅ひょうがお兄ちゃんの首にタオルをかけながら問う。


「お前が選んでくれた奴だからこれがいい」


 予想外の答えに私は動揺する。

「…あ、髪、早く乾かさないと風邪ひいちゃうよ」


「夏だし放っときゃすぐ乾くだろ」


「だめだよ」

「あ、私がドライヤーで…」

 私はそう言ってドライヤーを取ろうとすると氷雅ひょうがお兄ちゃんに右手を掴まれる。


「乾かさなくていい」


「なんで?」

「妹なんだからもっと頼ってくれても」


「妹じゃない」


 え……?


「俺達は本当の兄妹じゃねぇ」

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