2


 それから時間は過ぎて行き、昼休み。


 ――――バシャッ。


「…あっ!」

 1年A組の教室でわたしはアップルティーを右隣の林崎りんざきくんにかけてしまった。


 間違って倒してしまうなんて…。

 机のアップルティー、なんでふたをちゃんと閉めておかなかったんだろう。


林崎りんざきくん、ごめんなさい」


 林崎りんざきくんは、にこっと笑う。

「いいよ、大丈夫だから」


「でも…」


「りんりん、大丈夫!?」

 あずさちゃんが慌てて駆け寄って来た。


「ハンカチで拭くね」


「いや、いいよ。自分で拭くから」


 普通なら怒ってもおかしくないのに、

 林崎りんざきくんがモテるのは、こういうところなんだろうな。



 放課後、右肩に鞄をかけ、わたしは一人で校庭を歩いていた。


 姫乃ひめのちゃん達にファミレス誘われたけど、用事があるからって嘘ついて一人で帰ることにした。


 今日は慣れないことイメチェンしたり、


 あずさちゃんにキスされてるところなんて見たりしたから林崎りんざきくんにアップルティーかけてしまった。


 明日からは普通の黒ずきんに戻ろう…。


「黒ずきんちゃん!」

 突然、後ろから声をかけられた。


 わたしは、びっくりする。


 え、あずさちゃん?


 駆けてきたあずさちゃんは息を整える。

「良かったぁ、まだ帰ってなくて」

「ちょっとお話しない?」



「黒ずきんちゃん、はい」

 体育裏であずさちゃんは缶のアップルティーを手渡してきた。


「昼休み、アップルティー飲めなかったでしょ?」

「一緒に飲も?」


「あ、うん…」


 体育裏に移動したのはいいけど、まさか、アップルティー手渡されるなんて…。


 てっきり、林崎りんざきくんのことで嫌味言われると思ってたのに。


 あずさちゃん、ほんとはいい子なのかもしれない。


 プシュッ。

 わたしとあずさちゃんは缶のふたを開け、アップルティーを飲む。


「黒ずきんちゃん、3日前の化学の授業の時はぁ、無視しちゃってごめんね」

「りんりんと教室でふたりきりでいたのが、ちょっとだけムカつきました」


「…?」


 …あれ?

 なんだろ?

 体が急に熱くなって…。


「今日はぁ、イメチェンして、りんりんに『かわいいね』って言われて」

「写メまで撮ってもらえたのに」


「りんりんにアップルティーぶっかけるし」

「私とりんりんのキス、盗み見るなんてぇ」


 わたしの顔が青ざめていく。


 え、バレて…。


 あずさちゃんの両目から光が消える。

「ほんと何様?」


「あ…」


「ほんとぉ、ゆりにはがっかり」

「黒ずきんちゃんのこと排除してくれるって思ってたのに」

「もぉいい。私がやるから」


 ジジジ。

 あずさちゃんがわたしの鞄のチャックを開け、投げ捨てた。


 ――――バサッ。

 地面に落ち転がった鞄から教科書が何冊か飛び出す。


 あ、教科書が…。


 わたしはアップルティーを右手に持ったまま鞄を取りに行こうとする。


 くらぁっ…。


 あ…れ…。


 わたしはその場に崩れ落ちた。


 あずさちゃんがわたしの右手からアップルティーを奪い、


 ――――パシャッ。

 自分の飲みかけのアップルティーと一緒にわたしの頭の上からかけていく。


 かけ終わるとパッと手を放し、アップルティーをそれぞれ地面に落とす。


 カンッ、と転がるアップルティー。


 あずさちゃんは自分の口に手を当てて驚いた表情を浮かべる。


 綺麗に塗られた爪のマニュキアがキラキラと光り輝く。


「やだぁ、髪の毛びちょちょ~」

「もう、やられたくなかったらぁ、りんりんに近づかないで」


「それ、こっちの台詞なんだけど」


 わたしの後ろに腕を組んだ林崎りんざきくんが立っていた。


 サァーッ、とあずさちゃんの血の気が引いていく。

「ぁ、りんりん…」


「何やってんの?」


「黒ずきんちゃんが…悪いんだよ?」

「私のりんりんに…アップルティーかけるから」

 あずさちゃんは声を震わせながら言う。


「は?」

 林崎りんざきくんの顔が悪魔のような怖い表情に変わる。

「いつから俺、あずさのものになった?」


「知ってたよ」

「りんりんはぎんくんと同じで誰のものにもならないって」

「だけど、私、本気でりんりんのこと…」


 林崎りんざきくんは冷たく笑う。


「本気ならいらない」


「っ…」

 あずさちゃんの両目からぶわっと涙が零れ落ちる。


「りんりんのバカッ」

 あずさちゃんは走って逃げて行った。


「雪羽ちゃん、大丈夫?」

 林崎りんざきくんが自分のブレザーのポケットからハンカチを取り出し、わたしの髪や制服を優しく拭く。


「あ、うん…」

 そう言ってわたしはなんとか立ち上がるも、


 ぐらぁっ…。

 ふらつき、林崎りんざきくんが体を支える。


「ごめんなさ…はぁ、はぁ…」


「雪羽ちゃん?」

 林崎りんざきくんは転がっているアップルティーを見る。


「なるほどね、これが原因か」


「鞄…」


「待ってて、取って来る」

 林崎りんざきくんはわたしをその場に座らせ、鞄を取りに行く。


 教科書を全て拾い鞄の中に入れ、チャックを閉めると鞄を左肩にかけ、歩いてくる。


 林崎りんざきくんはわたしの鞄を左肩にかけたまま首に手を回させ、


 わたしの腰に手のひらを当て、もう片方の手で足を持ち上げ、そのままひょいっとわたしをお姫様抱っこする。


林崎りんざきく…」


「もう黙って」

 林崎りんざきくんはわたしをお姫様抱っこしたまま歩き出す。



 しばらくして林崎りんざきくんは保健室の中にわたしをお姫様抱っこしたまま入る。


 ベットまで歩いて行き、わたしをベットに優しく降ろす。


 横になるわたしに林崎りんざきくんは布団をかけてくれた。


雪羽ゆきはちゃん、ごめんね」

「アップルティーの中にALCアルコール5パーセントの酒が入ってたみたい」


 そうだったんだ…。

 飲む前にちゃんと見れば良かった…。


 あ、頭がぽーっとして…。

 夢の中にいるみたい。


 今なら聞ける気がする。


「一つだけ…聞いてもいいですか?」


「何?」


林崎りんざきくんは、なんで恋愛に本気にならないんですか?」


 林崎りんざきくんの顔が真剣な表情に変わる。


「本気だよ」

「入学式の時からずっと」


「隣の席になってからも」


「今もぎゅって抱き締めたいくらいに」


 窓の外から見える夕日が静かに沈んでいく。


 ギシッ…。


 え?

 唇が近づいてきて…。


 あ…甘い禁断の果実の香り。


 暗闇が空を覆っていき、

 駆けてくる足音が近づいてくる。


 え、夢なのかな…?


 わたしは布団をぎゅっと抱き締める。


 だって林崎りんざきくんが、わたしにキスしようとするはずないもん。


 開いた扉から誰かが保健室の中に入ってきた。


「…なんで入ってくるかな」

 林崎りんざきくんは開いた扉を見る。


ぎん


黒図くろずが心配だからに決まってんだろ」

 相可おおかくんはクールな表情で言う。


 相可おおかくん?

 何か話して…。

 あ、だめだ…もう何も考えられない。


「心配だから高校に戻ってきたら」

「体育教師の日向ひゅうがが『誰だ? 飲酒した奴は!』って叫んでて」


日向ひゅうがが手に持ってた缶のアップルティー見た時」

保健室ここだと思った」


 林崎りんざきくんはフッと笑う。

「さすが、銀色狼だね」


「本気にならないタイプが何してんの?」

「お前、どういうつもりだよ」


「どういうつもりって、ただ真似しただけだけど?」

「保健室でぎん姫乃ひめのにしようとしたことをね」

 林崎りんざきくんは、にこっと笑う。


黒図くろずだけだと思ってたがお前も見てたんかよ」


「何年付き合ってると思ってんの?」

「見なくても分かるよ。ぎんのことなら」

「知ってるでしょ? 俺が“悪い男”だってこと」


「――――そうだな」

「お前は悪い男で誰よりも“一途”だ。中学の時も今も」


 林崎りんざきくんは相可おおかくんから一瞬目を反らす。


「心の中では決めてるくせに」


「2人を振り回して」

「そろそろ雪羽ゆきはちゃんか姫乃ひめのかはっきりしたら?」


「このままだといずれ2人とも失くすよ?」


「お前みたいに?」


「じゃあぎん、俺行くね。後よろしく」

 わたしの頭を優しく撫でると、林崎りんざきくんは相可おおかくんに近寄っていく。


 そして、すれ違う瞬間に言った。


雪羽ゆきはちゃんはお前に渡さないよ」


 林崎りんざきくんは開いた扉から出て行った。


 相可おおかくんと林崎りんざきくん、何か話してたけどよく分からなかった…。

 でももう、いいや。


黒図くろず

 相可おおかくんが優しく呼ぶと、わたしは必死に声を絞り出す。


ぎんくん」


 相可おおかくんが驚いた表情を浮かべると、

 わたしは寝ながら相可おおかくんに向かって震えた手を伸ばす。


 相可おおかくんはその手を掴んで握る。


 安堵あんどの涙が浮かび、そのまま両目を閉じていく。


 ぽたっ、と右目から一粒の涙が光のように輝いてこぼれ落ちる。



 相可おおかくんが手をぎゅって握ってくれたから。


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