2


 中2の2月。


ぎん、4限の調理実習シチューとロールケーキだってさ」


「めんどくせぇ」


 白のカーディガンに学ランを着たりんと黒のパーカーに学ランを着たぎんが廊下を歩きながら話す中、


「あっ」

 セーラー服にグレーのカーディガン姿の姫乃ひめのが声を上げる。


「やばっ、実習ノート忘れちゃった」

「2人とも先に行ってて。取って来る」

 姫乃ひめのはノートを取りに2年B組の教室まで走る。


 2年B組の教室の中に入ると、自分の机に手を突っ込む。

「実習ノート、あった」


 ガラッ。

 少し開いていた教室の前の扉が全開に開く。


 学ランを着崩した甘い顔の金髪のヤンキーの金多かなた先輩が中に入ってくる。


 この人、ぎんのことを敵対してた…。

 3年A組の金多かなた先輩…。


 え、何?

 近づいてくる?


 怖い、逃げよう。


 姫乃ひめのは実習ノートを持って後ろの扉に向かって慌てて走り出す。


 すると椅子の足に引っかかり、

 ガターンッ!

 姫乃ひめのはその場で転び、椅子ごとドサッと倒れる。


「痛っ…」


 あ、片方のシューズが脱げ…。


 金多かなた先輩が倒れた椅子を起こし、姫乃ひめのの前にしゃがみ込む。


「大丈夫か? 茨姫いばらひめ

 金多かなた先輩は姫乃ひめのの髪に触れ、さらりと流すように手を離す。

「大丈夫、すぐ終わらせるから」

 そう言って金多かなた先輩は、しゅるっとリボンを優しく解き、

 カーディガンのボタンを外していく。


「あ…」


 どうしよう、恐怖で声が出ない。


 カーディガンを半分まで脱がされると金多かなた先輩の唇が耳元に近づいてくる。


姫乃ひめの、好き」


 金多かなた先輩は姫乃ひめのの顔を両手で覆い、唇を奪う。

 片耳につけたゴールドの十字架ピアスがかすかに揺れ動く。


 無理矢理キスされるなんて――。


 甘い顔からは想像もつかない程、とても乱暴で気持ちの悪いキス。

 キスから伝わってくる切なさと痛みに、全身が恐怖で震える。


 キスはどんどん深くなっていく。


「ぁっ…」

 姫乃ひめのの目が涙目になる。


 姫乃ひめのは必死な想いで、強く金多かなた先輩の体を押すもびくともしない。


 やだ、気持ち悪い。

 助けて、ぎん


「おい、俺の姫乃ひめのに何やってんだよ」


 金多かなた先輩は姫乃ひめのから唇を離して前の扉を見るなり不機嫌な顔をする。


「あ? ぎん、邪魔すんなよ」

「てめぇはシチューでも作ってろ」


 ぎんはスタスタと歩いてきて、金多かなた先輩の胸ぐらをグイッと掴むとそのまま殴り飛ばす。


「きゃっ…」

 姫乃ひめのは悲鳴を上げる。


「いってぇ」

 金多かなた先輩はペッ、と唾を吐く。


「あーあ。そんなんだからだめなんだよ、ぎん

好きな女ひめの一人も守れない」


「入学式の時、『俺のぎんになれ』って言ってもお前は拒んだ」

「その結果つけがこれだ」

「俺と仲良くしとけば茨姫いばらひめがこんな姿になることもなかったのに」


茨姫いばらひめぎん達といるべきじゃない」

「一緒にいない方が幸せなんじゃないかな?」


 姫乃ひめのはぎゅっと半分脱がされたカーディガンを掴む。

「…勝手に人の幸せを決めないで」

「私はぎん達といるから」


 金多かなた先輩は切なげな顔をする。


「そうかよ」

「気が変わったらいつでも言ってくれ」

「しらけたから行くわ。じゃあな」

 金多かなた先輩は前の扉から出て行った。


「…やっぱ、お前の後を追いかけてきて正解だったわ」

姫乃ひめの、遅くなってごめん」


 教室の中はしんっとしていて、ぎんの声だけが響く。


 姫乃ひめのは、ほっとすると大粒の涙が零れ落ちる。


「言いたくねぇなら言わなくてもいいけど」

「…あいつに何された?」


「キスだけ…」


「そうか」

「大丈夫か、姫乃ひめの


「大丈夫…じゃないよ」

「“ファーストキスは好きな人”だって決めてたのに…」

 姫乃ひめのは両手で顔を覆って嗚咽おえつする。


 ぎんは真剣な表情を浮かべ口を開く。

「だったらそんなもん」


「今から俺が消してやる」


「え…」


 ぎんは脱げた片方のシューズを手に取り、後ろに回るとぺたりと床にお尻をつけ崩れ落ちたままの姫乃ひめのの足に履かせる。


 窓の外で泡のように溶けやすい雪が降り始めた。


 カチカチカチ。

 教室の時計の長針が動く。


 ぎんは後ろから姫乃ひめのを抱き締め、

姫乃ひめの

 耳元で甘く囁く。


 姫乃ひめのが振り向くとぎんなぐさめのキスをしようとする。


「あ…」


 カチ……。

 教室の時計が12時になった。


 姫乃ひめのぎんの体を押す。


「だめ」


ひめ…」


 姫乃ひめのは顔を背ける。


ぎんのこと“友達として好き”なだけだから出来ないよ」



「――そうやってぎんのこと拒絶した」

 姫乃ひめのちゃんは憂い顔で過去を話し終えると、ふっ、と力なく笑う。


「ほんとうは怖くて出来なかっただけ」


 姫乃ひめのちゃんの目が揺れる。

「…一昨日おとといも保健室で寝てるフリして拒否した」


 胸が、ぎゅっと絞り上げられるように苦しくなる。


 そうだったんだ…。

 やっぱり、キスしようとしてたんだ…。


 姫乃ひめのちゃんは一瞬困った顔をした後、苦笑いした。


ぎんは過去を乗り越えさせる為にキスしようとしたんだろうけど」

「そんなの間違ってる」

「私は好きな人として欲しい」


 相可おおかくんの好きな人は姫乃ひめのちゃんだよ。

 だって姫乃ひめのちゃんが拒否しなかったらキスしてたってことだよね…。


 そう言いたいのに言葉が詰まって言えない。

 だけどこれだけは聞かなくちゃ。


姫乃ひめのちゃんは相可おおかくんのこと今でも好きなんだよね?」

 わたしは勇気を振り絞り、声を震わせながら尋ねる。


「ううん、友達として好きなだけだよ」

「…って言えたら良かったのに」


 姫乃ひめのちゃんは椅子に座ったままじっとわたしを見つめる。

「私、ぎんのことが好きだよ」


 その告白を聞いた瞬間、心が熱くなった。

 わたしの両目にじわり、光が浮かび上がる。


雪羽ゆきはは?」


 姫乃ひめのちゃんが、こんなわたしに本音を言ってくれた。

 なら、わたしもほんとうのことを伝えなきゃだめだ。


 わたしもじっと姫乃ひめのちゃんを見つめ、

 椅子に座ったままぎゅっと自分のスカートを掴むと、必死に声を絞り出す。


「わたしも相可おおかくんのことが好き」


 顔が熱い。

 言ってしまった。

 もう後には引けない。


「じゃあ今日からライバルってことで」

雪羽ゆきはのこと全力で応援するね」


 ライバルなのに応援してくれるの?


「じゃあ、わたしも姫乃ひめのちゃんのこと全力で応援する」


 わたしと姫乃ひめのちゃんは席から立ち上がり、相可おおかくんの席の前に立つ。


 姫乃ひめのちゃんが右手を差し出してきた。

 わたしはその手をぎゅっと握り締める。


ぎん、競争率高いから望み薄いかもだけど」

雪羽ゆきは諦めずにがんばろ」

 姫乃ひめのちゃんは、ひまわりみたいな笑顔を浮かべた。


「うん、姫乃ひめのちゃん」

 そう答えた時、霧雨が止んだ。


 曇り空の間から太陽がのぞくと、ぱあっと一筋のオレンジ色の光が校庭をさす。


 周りや教室が明るくなると同時に、曇り空もだんだんと明るくなっていき、その間に美しい虹がかかっているのが窓から見えた。


「嘘、虹!?」

 姫乃ひめのちゃんが驚くとわたしは目を輝かせる。


「綺麗…」


 空にかかる虹はまるで――――、わたし達を応援してくれてるかのように見えた。


「そうと決まればよし、早速、イメチェンだ」

雪羽ゆきは、スカート長すぎ。短くしよ」

「カーディガンも腰に巻こ」


 急に張り切り出した姫乃ひめのちゃんを見て、つい、満面の笑顔になってしまう。

 姫乃ひめのちゃんが右手に持つ手提げ袋には、ヘアアイロンが入っている。


 昨日は相可おおかくんの隣の席になれただけで充分で、みんなと一緒にいるべきじゃないって諦めようとした。

 だけどもう、わたし、諦めない。


 わたしと姫乃ひめのちゃんは笑い合う。



 相可おおかくん達がいる世界がわたしの居場所だから。


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