2


「保健の先生、いないみてぇだな」

 数分後、保健室に着くと相可おおかくんが言った。


 保健室の中は、薬品の匂いが漂っている。


 ベットにわたしをゆっくり降ろすと、わたしはシューズを脱ぐ。


 相可おおかくんにお姫様抱っこされちゃった…。

 夢の中にいるみたい。


「横にならねぇの?」


「うん…このままの方が呼吸しやすいから…」


「分かった」


 ――――シャッ!

 相可おおかくんはカーテンレールを閉めると、

 ふわっ。

 わたしに布団をかけてくれた。


「ありが…」

 そうお礼を言いかけると、


 ギシッ…。

 相可おおかくんもベットに上がり、隣に腰を下ろす。

 わたしは突然のことに頭が追いつかず緊張で固まる。


「あ、の…」


 なんで隣に?


「ん?」


「布団は…?」


「いらねぇ、隣に枕あるから」

 相可おおかくんはわたしの肩に垂れかかってくる。


 あ…相可おおかくんの肩が当たって…。


「早く寝ろ」

 相可おおかくんはそう言って両瞼を下ろす。


 どうしよう…。


 ぽた。

 わたしの右目から出た一粒の涙が零れ落ちる。

 その涙は、まるで光のように輝いて消えていく。


 嬉しくて胸がドキドキしずきて…寝られそうにない。



黒図くろずちゃん、今日は部屋まで来れたね」

 放課後、カラオケ店の部屋で林崎りんざきくんが柔らかい口調で話しかけてきた。


「うん」

 わたしは短く答えた後、

「保健室で寝られたおかげで…」

 そう付け加えた。


 思い出すだけで顔が熱い…。


 あの後すぐ、保健室の先生が来て、相可おおかくんは教室に戻って行った。


 だから寝られた訳で…。

 保健室の先生が来なかったら寝られなくてここに来られなかったかも…。


 テーブルの真ん中には皿の上に乗ったホワイトチョコと苺が乗ったハチミツトーストが置いてあり、


 その横にナイフとフォークがあり、更にその前にショコラソースが入った翼がついた小さな白い瓶が置かれている。


 飲み物はホットキャラメルマキアートが4つ並んでおり、コップからは白い湯気が出ている。


 飲み物は林崎りんざきくんからのオススメで全員一緒のを頼むことになった。


「ハチミツトーストおいしいっ」

 わたしといばらさんが声を揃えて言う。


 それを見て林崎りんざきくんが、にこっと笑った。

「周りにハートのオーラがキラキラ飛んでるね」


「あぁ、うぜぇくらいにな」

 相可おおかくんが続けて無表情で言う。


「この白い瓶は?」

 わたしが疑問を抱くと、


「あー、黒図くろずちゃんこれはね、魔法の瓶だよ」

 林崎りんざきくんが、さらりと答える。


「魔法の瓶?」


ぎん、やっちゃって」

 いばらさんが言うと、


「はいはい」

 相可おおかくんは白い瓶の蓋を開けて、ショコラソースをトーストの上からかけていく。

 そして切ったトーストをフォークで刺す。


黒図くろず、口開けろ」


「え」


「早くしろ、ソースが垂れる」


 わたしは口を開けると、相可おおかくんが口の中にトーストを入れる。


「どう? 美味いだろ?」


 わたしは顔を熱くしながらコクコクとうなずく。

 そして横に置いてある飲みかけのホットキャラメルマキアートを飲む。


「それ俺の」

 相可おおかくんに言われ、


「え、あ…」

 ますます顔が熱くなる。


「なんだよ、その顔」

 相可おおかくんは爆笑する。


「うまっ」

 林崎りんざきくんもフォークでトーストを食べる。


「お前は食べなくていいから歌え」


「じゃあぎん、デュオしよっか」


「は?」


「よし、歌いまくろう」

 いばらさんが明るい表情で言うと、曲をセットする。


 相可おおかくんと林崎りんざきくんはソファーから立ち上がって前に移動し、1曲目が流れ始めるとマイクで歌い出す。


 相可おおかくんと林崎りんざきくんのデュオ、すごい…かっこいい。


「やるね、銀色狼」


「毒林檎もな」


 2人とも笑顔で…つられてわたしも笑ってしまう。


「はい次、わたし!」

 いばらさんがソファーから立ち上がると相可おおかくん達はソファーに戻り腰を下ろす。

 2曲目が流れると前でいばらさんは歌い始める。


 キラキラしてる。

 いばらさんも歌上手い。

 わたしも歌ってみたいけど、ふかふかのソファーに座ってるので精一杯…。


「次、雪羽ゆきはちゃんの番…」

 いばらさんがそう言いかけると、わたしは驚く。


「…え?」


「え? 名前、雪羽ゆきはちゃんだよね?」


 ――――雪羽ゆきは。お前の名前だろ?


 相可おおかくんの時も驚いたけど…。


 わたしの胸がじ~んと熱くなる。


 いばらさんも名前、知っててくれてたんだ…。


 わたしは、口を手で押さえながら涙を零す。

 その涙が、頬をぽろぽろと伝う。


 いばらさんは動揺する。

「え、どうしよ…泣かせちゃった?」


「名前知ってるって思わなかったから…嬉しくて…」


「同じクラスなのに知らない訳ないじゃん」

 いばらさんは笑いながら言う。


 わたし、こんないい人に嘘をついたんだ。


 わたしの眉が下がる。

 ぽたぽた…。

 わたしの両目から大粒の涙が零れ落ちていく。


「…ごめんなさい」

 わたしが震えた声で謝ると、いばらさんはうろたえる。


「え、何がごめんなさい?」


 わたしは震えた自分の手をぎゅっと握る。


「先週、初めてみんなと一緒にカラオケ店に行ったけど」

いばらさんに、『もしかして体弱かったりする?』って聞かれた時」

「『たまたま体調悪くなっただけ』って答えたけど本当は嘘なの」


 いばらさんは目をパチクリさせる。


「え、嘘? どういうこと?」


黒図くろずは見た目はみんなと変わらないけど」

「生まれつき喘息持ちで体が弱い」

「そのせいで体力はみんなの半分しかなくて何をやってもすぐに疲れてしまう」

「だろ?」


 相可おおかくんが、わたしの代わりに説明するといばらさんと林崎りんざきくんが驚く。


「なんでぎんが知ってるの?」

 いばらさんに続けて林崎りんざきくんが尋ねる。


「あっ、もしかして」

「カラオケ店を出て行った黒図くろずちゃんを追いかけて行った時に聞いたとか?」


「あぁ、そうだよ」

 相可おおかくんが認めると2人は納得する。


 わたしはソファーに座りながら深く頭を下げ、


「ごめんなさい」


 目に涙をいっぱい浮かべ再び謝る。


「わたし、体が弱いの。だから…」


黒図くろず、今日なんで一緒に走ったのか、まだ分からないのか?」

 相可おおかくんが真剣な表情で尋ねてきた。


 わたしは両目をぎゅっと瞑る。

「分かりません」


 相可おおかくんの質問に答えるといばらさんが口を開く。


「友達だからだよ」


 わたしはびっくりして顔を上げる。

「え…友達?」


「なんで嘘つくんだろう? って思ってたけど」

「そういうプライベートなことは言いにくいよね」

「周りがなんて言おうと私は元気とか体が弱いとかそんなの気にしないし」

 そう言ったいばらさんは、とても優しい顔をしていた。


 林崎りんざきくんは穏やかに笑う。

「俺も。黒図くろずちゃんのこと軽蔑なんてしたりしないよ」


 いばらさん…林崎りんざきくん…。


「てか、むしろ」

 林崎りんざきくんの表情が真面目になる。


「可愛いって思ったしね」


 林崎りんざきくんに急にそう言われ、わたしは動揺してしまう。


 相可おおかくんの顔が強張る。

「は?」

「本気にならないタイプが何言ってんの?」


「そうだよ」

「ちょっとりん、どさくさに紛れて雪羽ゆきはちゃんのこと口説かないでよ」

 いばらさんが困ったように笑うと林崎りんざきくんは、ふっ、と笑ってごまかす。


「ごめんね、黒図くろずちゃん」

「困らせちゃったね」


「い、いえ…」


「あっ、そうだ」

 いばらさんが両手をぱちん、と合わせる。

雪羽ゆきはちゃん、ID交換しよ」


「え、いいの?」


「もちろん。ぎんりんいいよね?」


「あぁ」


黒図くろずちゃんなら」


 相可おおかくんと林崎りんざきくんの答えを聞いた後、わたしは鞄のチャックを開けてスマホを取り出す。


 あ…お母さんからトークが…着信履歴も…。

 だけど今日は見なかったことにしよう。


 わたしはいばらさん達とラインのID交換をした。


 今まで両親しか登録してなかったのに一気に3人も増えた。

 相可おおかくんの名前もある。

 嬉しいな。


 わたしは幸せそうな笑みを零す。


雪羽ゆきはちゃん、もうIDも交換したし」

「友達なんだから敬語じゃなくてタメ口でいいからね」

「私達のこと名前で呼んでくれていいから」


「うん、分かった。姫乃ひめのちゃん」

「り、りんくん」

「ぎ…」


 わたしの顔が、かぁぁっと熱くなる。


「やっぱり、相可おおかくんと林崎りんざきくんで…」


「まぁ、それがいいかもね。この2人、ファン多いし」

 姫乃ちゃんが言うと、


 林崎りんざきくんは、ははっ、と笑う。

「ぎ、しか言えてないのに」

雪羽ゆきはちゃん、顔真っ赤」


「ちょっとりん、笑いすぎ」

「てか、私と呼び方被せないでよ」


「友達なんだからいいじゃん」


「じゃあ私は雪羽ゆきはって呼ぶから」


「俺は黒図くろずで」


 姫乃ひめのちゃんと林崎りんざきくんは唖然とする。


ぎん、呼び方変わってないじゃん」

 林崎りんざきくんがそう言うと、わたしが口を開く。


「はい、雪羽ゆきは、マイク」

 姫乃ひめのちゃんにマイクを渡される。


「歌の前に写メ撮ろ。席順で」


 わたし達は席順で座り直し、姫乃ひめのちゃんが鞄からブルーの折り畳み自撮り棒を取り出す。

 そして自撮り棒のケーブルをスマホに挿し、棒を伸ばして短く調整すると、わたし達はスマホを見る。


りん、掛け声よろしく」

 姫乃ひめのちゃんがそう言うと、


「はい、チーズ」

 林崎りんざきくんの掛け声と共に姫乃ひめのちゃんはカメラボタンを押す。


 パシャッ。

 わたしは満面の笑顔を浮かべ、みんなと写メを撮った。


 姫乃ひめのちゃんのスマホの画面には、


 ひまわりみたいに笑う姫乃ひめのちゃん、


 無表情の相可おおかくん、


 満面の笑顔を浮かべた普通のわたし、


 にこっと笑う林崎りんざきくんが映っている。


「後で写メ送るね」

「じゃあ雪羽ゆきは、歌…」

 姫乃ひめのちゃんが、そう言いかけてやめる。


 マイクを持ったわたしの手がかすかに震える。


「みんなありがとう、今日、一緒に走ってくれて…」



 相可おおかくん達の笑顔に包まれて涙が止まらない。

 嬉しすぎて歌えなかったよ。


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