2


「こら、相可おおか、起きろ」

 5限。国語の先生が相可おおかくんに声をかけた。


 国語の先生は教科書を開いたまま相可おおかくんの隣に立っている。


「ふぁあ…っ」

 伏せ寝した相可おおかくんが欠伸あくびをし顔を上げると、


「…黒図くろず、こんな奴が隣で可哀相だな」


 国語の先生が、わたしに向かって囁いた。


 先生、なんでそんなこと言うの?

 わたし、相可おおかくんの隣で嬉しくて仕方がないのに。


 すると右隣の席の林崎りんざきくんが、わたしを肩から抱き寄せる。

 わたしは突然のことに驚く。


 え!?

 一体何が…。


「ほんとそうですよね」

 林崎りんざきくんは、にこっと笑う。


「ギャー!」

 林崎りんざきくんファンの女の子達の物凄い悲鳴が上がった。


「女子! 静かに!」

 国語の先生は注意すると林崎りんざきくんを睨む。

林崎りんざき、授業中にイチャつくんじゃない」


「すみませーん」

 林崎りんざきくんがパッと肩から手を離す。


 すると相可おおかくんが、わたしの机に自分の机をくっつけ、わたしの耳元に唇を近づけてきた。


「…黒図くろず、教科書見せろ」


「あ、うん…」


 顔だけじゃなくて全身が熱い。

 どうしよう。

 この席、ドキドキでいっぱいで授業に全然集中出来ないよ。



「――――では、気をつけて帰るように」

 時間は過ぎて行き、帰りのSTショートタイムが終わると、1年A組の壇上で池田先生が言った。


 池田先生は教壇から降りて少し歩き、

 ガラッ!

 前の扉を開け、教室から出て行く。


 それに続いてテニス部の5人の女の子が楽しげに話しながら教室を出る。


 わたしは体のこともあって運動部はだめで、


 文化部の部活に入部しようと思っていたけど、それも両親に反対されて帰宅部に名前を書いて4月の下旬に提出済みで…。


 お母さん、心配性だから早く帰らないと…。


黒図くろずちゃん、帰るの?」

 右隣の席の林崎りんざきくんがそう尋ねてきた。


「あ、はい」


「俺達今からカラオケ行くんだけど良かったら一緒に行かない?」


 まさか、林崎りんざきくんに誘われるなんて思ってもみなかった。

 カラオケ行ってみたいけど体のことやお母さんのこともあるし…どうしよう。


 ガタッ。

 左隣の相可おおかくんは立ち上がり、自分の右肩に鞄をかける。


黒図くろず、来いよ」

 相可おおかくんは、わたしの頭をぽんっと叩き、スタスタと歩いて後ろの扉から出て行く。


 え…。

 一人で出て行っちゃった…。


 林崎りんざきくんが慌てて席から立ち上がる。


「おいぎん、勝手に一人で行くなよ」

「まぁ、ぎんらしいけど」


 林崎りんざきくんは苦笑いを浮かべ、

「ごめんね、黒図くろずちゃん」

 そう謝ってきた。


 わたしは首を横に振る。

 するといばらさんが席から立ち上がり林崎りんざきくんの隣まで歩いてきた。


ぎんが誘うなんてめずらし~」

 いばらさんが、ふふっと優しく笑う。


「そうなんですか?」


「うん。レアだね」

 いばらさんはさらりと言う。


 珍しいんだ…。


「それで黒図くろずちゃん、どうする?」

 林崎りんざきくんがもう一度尋ねてきた。


 相可おおかくんに、

 ――黒図くろず、来いよ。

 なんて言われたら行くしかない。


「行きます」

 ガタッ。

 わたしも席から立ち上がり、灰色のダッフルコートを羽織ってふわふわのマフラーを首に巻き、鞄を右肩にかける。


 林崎りんざきくんは、ふっ、と笑い、わたしの頭をサラサラと撫でる。


「じゃあ行こうか」

 わたしは林崎りんざきくん達と一緒に歩き、後ろの扉に向かって一歩足を前に踏み出した。



 しばらくして、葉二蘭ばにら高校の校門前に相可おおかくんが立っているのが見えた。


 相可おおかくん、なんで…。


「あ、やっぱり待ってた」

 林崎りんざきくんは、にっこりと笑う。


ぎん

 いばらさんがひらひらと手を振る。


「遅せぇよ」

「ほら黒図くろず、行くぞ」


 え…相可おおかくん、待っててくれたの?

 言葉はぶっきら棒だけど優しい。


 わたしは笑みをこぼす。


 相可おおかくんはスタスタと歩き出す。


 わたしも歩き出した。


 相可おおかくんの隣を歩いて校門を出ると左に曲がり、歩道を歩く。

 歩道の左側には木々が生えていて、右側は2車線の道路になっている。


 オレンジ色の夕日、綺麗だな……。



「おい、黒図くろず、大丈夫か?」

 カラオケ店内で相可おおかくんが心配そうな表情で声をかけてきた。


 林崎りんざきくんといばらさんの足がぴたりと止まる。


 店内は色んな歌声が聞こえてにぎわっている。


 葉二蘭ばにら高校から歩いて15分のところにあるカラオケ店まで辿り着けて中に入れたものの、疲れてしゃがみ込んでしまった…。


「えー、何~?」

 他校の女の子達がびっくりしている。


 キラキラでオシャレな受付のロビー。

 大ボリュームの音楽。


 わたし、場違いだ。


 受付の男の店員が駆けてきた。

 店員は耳にイヤホン、シャツにネクタイ、ベストみたいな制服を着ている。


「大丈夫ですか?」


「はい」

 わたしは店員に笑って返す。

 その笑みを見て、店員はほっとする。


 いばらさんが心配そうにわたしの顔を見る。

「あのさ、間違ってたらごめんね」

「もしかして体弱かったりする?」


 突然、わたしはいばらさんにそう聞かれて動揺する。


「え…」


「周りはサボってるって言ってたけど」

「体育、サボってるように見えなかったからさ」


 わたしはへらっと笑う。


「ううん、たまたま体調悪くなっただけ」

「少し休んだら良くなったから大丈夫です」

 わたしがそう明るく言うと、いばらさんはホッと息を吐く。


「良かった」

 いばらさんがそう安心すると、


「…………」

 相可おおかくんは何も言わずにただわたしを見つめる。


 本当のことを言ったら、きっとみんなひくと思う。

 だから元気でいなくちゃ。


「俺、受付してくるね」

 林崎りんざきくんがそう言うと、


黒図くろず、立てるか?」


 わたしは相可おおかくんにコクンッと頷き、ゆっくりと立ち上がる。


 受付の男の店員が林崎りんざきくんに話しかけようとすると、

「私が受付するから」

 男の店員と同じ制服を着た女の店員が横取りする。


「今、受付でキスをして頂いた2名様が当日ルーム料金1時間無料になるキス割と」

「カラオケ歌い放題とソフトドリンク飲み放題の最初の1時間カップル割」

「がありますがどちらに致しますか?」

「キス割がオススメなんですけど」


「キス…」

 いばらさんがそう呟くと相可おおかくんは複雑そうな顔をする。


 林崎りんざきくんがにっこり笑う。

「カップル割で」


「かしこまりました」

 女の店員が残念そうに返すと男の店員が肩をぽんと叩き、


「では3階23号室、ご案内します」

 と言った。


「じゃあ、とりあえず部屋まで行こうか」

 林崎りんざきくんが穏やかな表情で笑った。


 わたしは少し戸惑いながらも、うん、と答える。

 するとピロン♪


 わたしのスマホから音が鳴った。

 わたしはチャックを開けて鞄の中から白色のスマホを取り出して見てみると、緑色にチカチカと光っている。


 もしかして…。


 わたしは恐る恐るスマホの画面をタップするとラインのトークが届いていた。


 あ…やっぱりお母さんからだ。


 わたしはトークをタップし、ラインのトーク画面を開く。


『まだまだ、かかる?』


『今、どこ?』


『体調悪くなったの?』


『お母さん心配です』


『返事して』


 サァッと血の気が引き、複雑な気持ちに駆られる。


 トークだけじゃなくて着信履歴まである…。


 どうしよう…。


 嘘付いてもバレるかもしれないし、

 「今、友達とカラオケ店にいる」なんて返信したら、きっと怒られて放課後遊ぶの禁止にされるかも…。


 じゃあ既読スルーのまま乗り切る?

 …乗り切れそうにない。


黒図くろず、どうした?」

 相可おおかくんが隣からコソッと聞いてきた。


「なんでもないです」


 みんなとカラオケしたいけど…。


 わたしはスマホで文字を入力していく。


『違う、元気だよ』

『今から帰るね』


 そう返信すると、


『分かりました』

『気をつけて帰っておいで』


 お母さんからトークが返ってきた。


「あの」

 わたしは相可おおかくん達に呼びかけ、ペコッと軽く頭を下げる。


「え」


黒図くろずちゃん、急にどうした?」

 いばらさんに続けて林崎りんざきくんが尋ねてきた。


「みんな、ごめんなさい」

「用事が出来たので帰ります」


 わたしは鞄を右肩にかけたまま、

 ――――タッ!!


「ええ!?」


黒図くろずちゃん!」


 いばらさんと林崎りんざきくんの叫び声が後ろから聞こえる中、一人走ってカラオケ店から出て行く。



 わたしはスマホを鞄の中に入れてチャックを閉めながら一人で歩いて帰る。


 涙が止まらない。


 行きは相可おおかくんの隣歩いてた。

 でも今はひとりぼっち。


 あともう少しで相可おおかくん達とカラオケ出来たのに――――。


黒図くろず!」

 後ろから叫び声が聞こえた。

 わたしはハッとする。


 まさか…。


 わたしはゆっくり振り返ると、驚きの余り絶句する。


 相可おおかくん!?


 ガシッ!

 え、後ろから駆けてきた相可おおかくんに腕掴まれ…。


 わたしは相可おおかくんに寄り掛かる。


 相可おおかくんはハァハァッと息を切らしながらも心配そうな表情をわたしに向ける。


「おい、大丈夫か?」


 気遣う相可おおかくんの顔が、わたしの両目にくっきりと映る。


「…………」

 わたしは何も答えない。


「おい! 黒図くろず!」


 名前を呼ばれ、ハッと我に返り、相可おおかくんから離れる。

 だけど相可おおかくんは腕を放してくれない。


「あ、もう大丈…」


「なんで泣いてんの?」


 話しても無駄だって分かってる。

 それにもし話したら、ひいて二度と話してくれなくなるかもしれない。

 だけど生意気かもしれないけど、


 相可おおかくんだけには分かって欲しい。


 わたしは口をゆっくりと開く。

 視界がぼやけ、きらきらと光が揺れて――――。


「…わたし、見た目はみんなと変わらないけど」

「生まれつき喘息持ちで体が弱いんです」


「そのせいで体力はみんなの半分しかなくて…」

「何をやってもすぐに疲れてしまうんです」


 相可おおかくん、どう思ったかな。

 信じてもらえず、「あざとい、甘えんな」って言われるだけなのかな。


「…やっぱりな」


「え?」

 わたしはびっくりする。


姫乃ひめのがさっき言ってた通り」

「俺も体育、サボってるようには見えなかった」

「詳しい事情は分からないけど、体弱いんだろうなってずっと思ってた」


 その答えを聞いたら、

 ――――ぽた。ぽたぽた。

 涙が次から次へと溢れ、止まらなくなった。


 相可おおかくん、ちゃんとわたしのこと見ててくれてたんだ…。


「あの…、このことは秘密にして下さい」


「ふたりだけの?」


 わたしの顔が、かぁっと熱くなる。


「はい」


「俺はいいけど」

 相可おおかくんが真剣な表情で尋ねてきた。


黒図くろず、お前は本当にそれでいいのか?」


 どうしてそんなことを聞くの?


「はい」


 わたしは相可おおかくんが分かってくれただけでもう充分…。


「みんなにバレたっていいじゃねぇか」

「俺は気にしねぇし」


「でも…」


「あー、面倒臭ぇな」


 わたしは突然の相可おおかくんの言葉にショックを受ける。


 うん、やっぱり、そうだよね。

 弱いわたしと関わるの面倒だよね…。


「そう思ったのなら、もう構わないで下さい」


「は?」

 相可おおかくんは怪訝けげんそうな顔をする。


「構うよ」


「え…」

 わたしは腕を掴まれたまま立ちすくむ。


「俺が黒図くろずを守る」

「これからもずっと」


 優しい夕日の光が、わたし達をそっと見守るように、暖かく照らす。


「なん…で?」

 わたしは弱弱しい声で尋ねると相可おおかくんが優しく微笑む。



黒図くろずが隣の席だから」


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