第37話 裏切りの語り部
「私は戻らない。」
凛音の冷たい声が静寂の中に響いた。
短刀「千雪」が鋭い軌跡を描き、目の前の幼き千雪を真っ二つに斬り裂く。
刃が振り下ろされた瞬間、鏡は粉々に砕け、無数の破片が淡い光を放ちながら暗闇に溶けていった。消えゆく破片に映るのは、雪華国の穏やかな日々——温かな家族の笑顔、無邪気な自分、そして失われた未来。
「これでいい。」 凛音は震える手を握りしめ、静かに呟いた。
その時、足元に一つの光る欠片が現れる。
それは脈動するように微かに光りながら、まるで彼女を呼ぶかのように震えていた。
「これが……執念……」
凛音は欠片を拾い上げ、その暖かな光に一瞬だけ胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
深く息を吐き、短刀を収めようとしたその瞬間——
「久しいな、雪華を滅ぼした張本人よ。」
背後から響いた冷たい声に、凛音は即座に振り返り、短刀を構え直した。
黒いローブに身を包んだ男がそこに立っていた。長い袖の影から覗く鋭い目が、凛音をじっと見据えている。
「……宰相。」 凛音の声は低く、憎悪が滲んでいた。
「覚えていてくれて光栄だよ、亡き姫君。」
宰相は冷笑を浮かべ、一歩ゆっくりと前に出る。その動きには一切の焦りがなく、あたかも全てを支配しているかのような余裕があった。
凛音は冷ややかな視線を宰相に向け、短刀を握る手に力を込めた。
「お前の母が余計なことをしなければ、雪華はもっと穏やかに消えたはずだ。それを汚したのは、お前の存在だ。」
宰相の声は嘲笑を含みながらさらに低くなり、冷気のように周囲に漂う。
「お前の母が何をしたか、全て理解しているのか?」
その言葉に、凛音は一瞬だけ眉をひそめたが、冷たく切り返す。
「くだらない。」
だが、宰相はその一言を気にも留めず、言葉を続けた。
「彼女は雪華国を裏切った。この国を滅ぼすために、白澜国と手を組み、毒を撒いた。そしてその結果、雪蓮は枯れ、国も滅んだ。」
凛音の瞳が微かに揺れる。だがその光はすぐに鋭さを取り戻し、再び冷たく輝いた。
「母上の罪も、お前の行いも、全て私は受け止める。だからこそ、私はここにいる。」
彼女の声は低く静かだったが、その言葉の一つ一つには、強い覚悟と決意が込められていた。
宰相の笑みがさらに深まり、彼はゆっくりと指を鳴らした。
暗闇の中から数人の部下が現れ、凛音を取り囲むように移動する。
「私一人だと思って、油断したか?」 宰相は嘲笑を浮かべながら言うと、部下たちが一斉に武器を構えた。
凛音は瞬時に反応し、短刀を振り抜いた。最も近くにいた一人の武器を弾き飛ばし、その勢いでさらに一歩踏み込む。
「……くだらない。」 冷たく呟きながら、敵の間を滑るように移動し、一人ずつ正確に仕留めていく。その動きには迷いがなく、刃の軌跡はまるで風が描く線のように鋭く速かった。
次々と倒れていく部下たちを見ながらも、宰相は、まるで余裕があるかのように、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「さすがは殺し屋、と言ったところか。」
その言葉が響いた瞬間——。
「ピシュッ!」 鋭い音とともに、壁面から毒矢が次々と放たれた。それは、まるで狩るべき獲物を狙う蛇の牙のように、凛音に迫る。
「……!」 凛音は毒矢の動きを察知し、即座に短刀を構え直したが、その数と速度は想像以上だった。反射的に身を引き、次の一手を考えようとした瞬間——。
「待て!」
遺跡の外から響いた声。その声とともに、一筋の影が空間を裂くように飛び込んできた。
洛白だった。
洛白は一瞬も迷うことなく、振り抜いた手に握られた剣で毒矢の軌道を逸らし、さらには矢の放たれる壁面に正確に武器を投げ込んだ。一瞬の衝撃音とともに、矢の機構が止まる。壁面から冷気が漏れ、音だけが静かに消えた。
「洛白……何をしている?」 凛音は驚きと怒りが混ざった視線を向ける。「私一人で十分だ。」
洛白は息を整えながら彼女に向き直り、穏やかだが鋭い目で彼女を見つめた。
「一人で抱え込むのは勝手だが、死にに行くのはやめてくれ。」
「これは私の戦いだ。」 凛音は冷たく言い放ちながらも、視線はわずかに動揺を見せた。
「分かっているさ。でも、外で待っていられない。守りに来た。」
洛白の言葉には迷いがなかった。その隙を突くように、宰相が再び冷たい笑みを浮かべる。
「……ほう、こんな所に現れるとはな。お前がここにいる理由を知ったら、皇太后さまはさぞお怒りになるだろう。」
洛白は眉をひそめる。「何を言っている?」
宰相は嘲笑を浮かべ、肩をすくめた。「まあいい。貴様の役割など、所詮使い捨てだ。」
——その言葉が、耳に突き刺さるようだった。だが、彼は表情一つ変えず、凛音の前に立ち続けた。
宰相が手を振ると、壁面が崩れ始め、無数の氷刃が轟音と共に降り注いできた。
「これは……!」 洛白が驚きの声を上げたが、凛音は冷静に短刀を構え直し、低く言った。 「機会を逃すな。」
氷刃と迫り来る敵の中、凛音と洛白は息を合わせ、次々と襲撃を切り抜けていく。凛音の刃が正確に敵を貫き、洛白もまた、その動きに合わせるように素早くカバーする。だが、遺跡全体が崩れ始め、二人の立つ場は徐々に危険を増していった。
「見事だ。」 宰相は最後に冷たい声を響かせながら、闇の中にその姿を消していった。 「だが、お前たちの居場所など、どこにもないのだ。」
「雪蓮の力を蘇らせても、それは新たな破滅を呼び寄せるだけだ。」
戦闘が終わり、辺りの静けさが戻る。 凛音は息を整えながらも、冷ややかな視線を洛白に向けた。 「次は勝手に踏み込まないで。」
洛白は肩をすくめ、苦笑を浮かべた。 「はい、はい。肝に銘じておきますよ。」
その時、龍がひょいと洛白の肩に乗り、じっと意味深な視線を向けた。
「血筋という鎖は、どんなに逃れようとしても絡みつくものだ。お前の選んだ道がどんなものか、いずれ彼女にも分かるだろう。」
洛白が眉を寄せ、疑わしげな顔で龍を見た。「何のことだ?」
龍は鼻で笑い、肩の上で小さく尻尾を揺らすと、答えを避けた。 「まあ、いずれ分かるさ。せいぜい自分の力で証明するんだな。」
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