第35話 凛音の告白
「先ほど手に入れたのは『決断』の欠片だ。」
凛音と洛白がその言葉に耳を傾ける。龍はさらに続けた。
「だが、最後の核心の欠片――それは最も重要なものだ。そしてその場所は……」
言葉を切り、龍の黄金色の瞳が遠くを見据えた。
「雪華国の宮殿の遺跡だ。雪華国の終焉が始まった場所であり、答えのすべてが眠る場所でもある。」
「宮殿……」小さくそう呟いた後、凛音は視線を逸らし、すぐに平静を装った。
「行くしかない。どうせ、いつかは向き合わなければならないんだから。」
その声はどこか自分に言い聞かせるようだった。
洛白は何も言わず凛音の横顔を見つめたが、黙ったまま傍に立ち続けた。
一方で、雪山の麓にある洞窟付近――。
李禹は地面にしゃがみ込み、残雪の中に散らばる松の針葉を拾い上げていた。
「瘴気が消えた……?」
数日前まで重く漂っていた毒の気配が、今では嘘のように薄れている。
彼は立ち上がり、洞窟の外に目をやった。風が吹き抜け、清らかな空気が森に戻りつつあるのを感じた。
「何か起きたな……確認しておかないと。」 軽く荷物をまとめ、李禹は雪山の方向へ足を向けた。
雪山の斜面を進んでいくうちに、遠くから人の話し声が聞こえてきた。
――白澜国の軍勢か?それとも……?
彼は慎重に岩陰に身を隠し、様子を伺う。その中に見覚えのある人物がいることに気づいた。
「……凛律様?」
驚きと困惑を抱えながらも、李禹は足早にその場を離れ、凛音たちの拠点へと急いだ。
戻るなり、彼は息を整えながら状況を伝えた。
「瘴気が完全に消えたみたいだ。森全体が落ち着いてきたけど……雪山で白澜国の人たちが動いている。凛律様もその中にいて、何かを探しているようだった。」
凛音はその言葉を聞いて、何も言わなかった。 その沈黙を破るように、龍が口を開いた。
「波乱は風に乗ってやってくるものだ。だが、それで進むべき道が変わるわけではない。」
突然聞こえた低い声に、李禹は驚いて振り返った。
「……誰だ!?」
周囲を見渡しても、声の主らしき姿は見当たらない。
「落ち着いて、李禹。」凛音が短く言う。
李禹は困惑した表情を浮かべたが、近くにいた清樹が歩み寄り、洞窟で起きたことや毒瘴の消失、そして結晶について簡潔に伝えた。
日差しが斜めに差し込む林間で、凛音は前方から聞こえてくる足音に気づいた。
振り返ると、見慣れた姿が木々の間から現れた。
「お兄様……?!」
呼びかけると、凛律が微笑んだ。
だが、凛律の方が、よほど動揺しているようで、すぐには答えられなかった。
目の前の大切な妹は、手にいくつもの包帯を巻き、肩を痛そうに手で支えているようだった。その顔には疲労と衰弱の色しか見えない。
そして、いつもなら真っ先に駆け寄ってくるはずの彼女が、今はその場に立ち尽くしている。その笑顔にはどこか冷静すぎて、偽物のように見えた。
「久しぶりだな、音ちゃん。」
彼の声は穏やかに聞こえたが、その奥には震えるような感情が込められていた。
「お兄様、何をしているの、こんなところで?」
凛音の問いに、凛律は肩をすくめる。
「国境の問題で調査に来たついでだ。お前がここにいると聞いて、様子を見に来た。」
彼の声には、柔らかさと同時に兄としての強い意志が滲んでいた。
「……お兄様、私には話さなければならないことがあります。」
凛音はふと視線を外しながら、木立の奥へとゆっくり歩き出した。
凛律は驚いたように一瞬固まったが、すぐにその後を追った。
いつもなら彼女が傍に来るはずなのに、今回は一定の距離を保ったまま歩き続ける――その微妙な変化が、凛律の心にわずかな違和感と不安を残した。
凛音は背を向けたまましばらく沈黙し、静かに息を整えるように深呼吸をした。
「私は……父様の本当の娘ではありません。」
その言葉は鋭い刃のように凛律の胸を貫いた。
「どういうことだ……?」 凛律の声が低く震えた。
「私は雪華国の生き残り、元王女です。母上は元々白澜国の人でした……でも、私を守るために、母上は雪華国の雪蓮に毒を入れたんです。その毒は解けることなく、国全体を蝕み、滅ぼしてしまいました。私のせいで、皆、死んでしまったんだよ。」
その告白は冷たい風のように静寂をもたらした。
凛律の表情は驚きから混乱へ、そしてやがて苦しみへと変化した。
記憶の断片が蘇る――幼い凛音が見せていた無邪気な微笑、彼女の剣術への情熱、そして時折見せる絶望のあの目。
「あの時、そうだったのか……」 凛律は呟いた。
凛律は激しく息を吐き出し、拳を握りしめた。
「そんなこと……どうしてずっと一人で背負っていたんだ!なぜ私に言わなかった!」
彼の目には悔しさと悲しみが滲んでいた。
凛音はその怒りを静かに受け止めるように彼を見つめ、淡々と答えた。
「だって、お兄様には関係のないことだから。」
その冷静すぎる言葉に、凛律は抑えきれない感情を爆発させた。
「関係ないわけがないだろう!お前は……私の大切な妹だ!」
凛音は一瞬目を閉じ、短く息を吐いた後、視線を凛律に向けた。
「私はお兄様の妹じゃない。音ちゃんでもない。本当の私の名前は……千雪だよ。」
凛律はまるで胸を直撃されたかのように硬直し、言葉を失った。
「違う。いえ、それは事実かもしれない。でも、私にとっての妹は、ずっとお前だけだ。血の繋がった妹は気の毒だったと思う……けれど、彼女は病弱で一度も会うことはなかった。音ちゃんという呼び方なんてどうでもいい。私にとって大切なのは、ずっとお前だけだ。」
凛音は顔を上げ、ほんの少し悲しげな笑みを浮かべた。
「お兄様のそういうところ……本当にずるいんだから。」
声には少し震えが混じりながらも、彼女の瞳はまっすぐ凛律を見据えていた。
「私は、雪華国の遺跡に行きます。そこにすべての答えがあるから。」
凛律は一瞬黙り込んだあと、首を振った。 「それなら、私も一緒に行く。」
だが、凛音はすぐにそれを拒絶した。
「お兄様、これは私の道です。お兄様には白澜国を守る責任がある。それに……私が生きてここに戻れなかったら、せめてお兄様が白瀾国を守ってくれることがお父様の願いでもあるはずです。」
その言葉に、凛律は何も言えなくなった。だが、視線を逸らすこともできなかった。
「待ってる、必ず帰ってこい。」
凛律は最後にそう言い、凛音の頭にそっと手を置き、無理に笑顔を作った。
「お兄様、お願いがあります。」
凛律は少し驚いたように眉を上げたが、黙って続きを促した。
「辺境近くの村の難民たちを、どうか助けてください。彼らを安全に暮らせる場所に安置してほしいのです。そして……傭兵団も、決して善人ではありません。お兄様なら、皆の安全を守れるはずです。」
その言葉に、凛律はわずかに微笑みを浮かべながら頷いた。
「心配するな。蓮殿下がすでに人を派遣して、辺境の村や雇われ兵団の残党は片付けたそうだ。お前は自分の目標だけに集中すればいい。」
凛律は少し間を置いてから、険しい表情で続けた。
「それと……白瀾国の宮廷も最近は穏やかじゃない。蓮殿下の周りで何か動きがあるかもしれない。戻ったら十分気をつけるんだ。」
その言葉に、凛音は唇を少し噛んだが、結局何も言わなかった。
凛律が一歩踏み出し、去る直前にふと振り返った。
そして、洛白と目が合う。
言葉は交わされなかったが、それだけで何かが伝わった気がした。
焚き火のそばで、凛音たちはついに宮殿遺跡へ向かう準備に取り掛かっていた。
「ここに長くいるのは危険だな。」
李禹が火をかき立てながら、周囲を見渡して言った。「最近、怪しい人影が増えてる。」
凛音は清樹の包帯を巻き直しながら、小声で言った。 「そっちも含めて急いだほうが良さそうね。」 洛白は頷き、道具を整えながら鋭い目で焚き火を見つめた。
龍がその様子を見守っていたが、不意に口を開いた。
「宮殿遺跡の欠片……それは血と雪の試練を象徴する。そこには、彼女の運命を揺るがす何かが待っている。」
冷たい風が木々の間を吹き抜け、月光が静かに彼らの足元を照らしていた。
それぞれの心に秘められた思いを胸に、彼らは次なる試練の地へと歩みを進める。
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