第31話 浮遊し太清を翔り、汝の欲するままに

凛音が試練から戻ると、雪蓮が静かに光を放ち始めた。

その未だ閉じたつぼみがわずかに開き、淡い紫色の光が洞窟内に溢れ出す。


龍はその光景をじっと見つめ、低く呟いた。


「雪蓮が反応している。この花は、お前たちの試練を認めたようだ。」


光が次第に強まり、つぼみの中央から二つの結晶がゆっくりと浮かび上がった。

柔らかな輝きをまとった結晶は、空中で静かに佇んでいる。


洛白は一つの結晶を手に取り、目を閉じてその感触を確かめた。


「……この感覚、ただの力ではない。もっと深い……何かがある。」


彼の言葉には、どこか切なさと迷いが滲んでいた。


凛音もまた、そっと手を伸ばし、もう一つの結晶を掴む。

その瞬間、視界が一瞬歪み、まるで別の世界へと引き込まれるような感覚が凛音を包み込んだ。

そこに広がるのは、凛音の知らない光景だった。

洞窟の奥深く、龍が苦しそうに身体を丸めている。その周囲には枯れ果てた雪蓮が散らばり、淡い光を失った花々が静かに朽ちていく。龍の呼吸は弱まり、孤独と悲しみが洞窟全体に染み渡っているかのようだった。


「……これは……」
凛音は結晶を握りしめたまま、息を呑むように呟いた。


次の瞬間、幻象が消え、洞窟の現実が凛音を包み込む。

結晶の温かな輝きが彼女の手の中で脈動しているかのようだった。

凛音はそれをじっと見つめ、静かに顔を上げる。

「これは……あなたの心なんですね。」


龍は長い間、沈黙を保った。

じっと凛音を見つめるその目には、何か計り知れない思いが滲んでいた。そして、やがて静かに小さく頷く。



「そうだ。この結晶は、わしの心――その欠片だ。わしの力そのもの、そして、わしの記憶だ。」


「じゃ、いらないわ。」



凛音の言葉に、龍の驚きは隠しきれなかった。


「その結晶があれば、清樹君だけでなく、どんな命でも救える。それでも拒むのか?」


凛音は結晶を龍に返し、はっきりとした口調で答えた。


「それでも、私はあなたの心を奪うつもりはない。」


「私が欲しいのは雪蓮の力。それで十分。なぜ花が完全に咲かないのか、その理由を教えて。」


龍は凛音の言葉をじっと聞きながら、その視線に深い思慮を漂わせた。

そして、低い声で静かに告げた。


「その毒がまだ残っている。お前たちの試練を通じて見た過去に、答えはあるはずだ。」

凛音は小さく息をつき、拳を強く握りしめた。


「毒……」
彼女の瞳には、揺るぎない決意が灯っていた。
「解決してみせる。」


洛白は横で静かに頷き、「私も手伝う。清樹を助けるためにも。」と口にした。


凛音は龍に視線を向け、問いかけた。
「あなたも一緒に来てくれる?」

龍は短い沈黙の後、低く呟くように答えた。


「わしは、この洞窟を離れることはできない。この地に縛られている……だが、わしの力の一部をお前たちに貸すことはできる。」


そう言うと、龍の身体が柔らかな光を放ち始めた。

その光はゆっくりと形を変え、主躯から分離されていく。

そして、その一部が小さな龍の姿へと変化し、宙に浮かんだ。


その小さな龍は、全身が淡い氷のように透き通る青い鱗で覆われており、柔らかな冷光を放っていた。

額には美しい雪花の模様が刻まれ、頭部には氷の羽根のような翅が左右に広がっている。その翅が動くたび、細かな結晶の光が周囲に散らばった。尾の先には小さな青い氷晶がついており、軽やかに動くたびにキラキラと輝いている。

まるで雪夜に生まれた精霊のような姿だった。


「この姿でなら、お前たちと行ける。わしの力を無駄にするなよ。」

小龍は軽やかに宙を舞い、ふわりと凛音の肩に降り立った。

彼の姿は小さくなったが、その眼差しにはどこか威厳が残っている。


肩に乗った小龍は、少し不機嫌そうに尻尾を揺らしながら呟いた。


「勘違いするな。お前たちのためじゃない。」

その言葉に、凛音はニコっと笑って答えた。

「それでも、一緒にいてくれるんだね。」


清樹は少し寂しそうに周囲を見渡しながら、ぽつりと呟いた。
「龍様……消えてしまったの?」

凛音はその声に振り向き、肩の小龍を示すように微笑みながら答えた。
「消えてないよ。ここにいる。」

清樹は目を丸くし、凛音の肩を指差した。
「え?全然見えないけど……」
彼の声は疑いというより、純粋な好奇心に満ちていた。


「ここにいるよ、ほら、ちゃんと座ってる。」


清樹は目を凝らし、一歩近づいて凛音の肩をじっと見つめる。


「でも、全然見えない……触ったら分かるのかな?」


そう言うと、清樹はそっと手を伸ばしたが、空振りしたように何も触れることができなかった。


「何してるの?」と小龍が小声で呟き、尾を軽く振ると、一瞬、清樹の手をかすめるように冷たい空気が流れた。


「うわっ、何か冷たい……これが龍様?!」清樹は驚いて手を引っ込めた。


凛音は小さく笑いながら、清樹に言った。
「見えなくても、ちゃんと一緒にいるから心配しないで。」


小龍がやれやれといった様子で尾を振りながら、少し得意げに言った。


「いいよ。わしの身体の一部だ。普通の人間には見えないのだ。お前みたいな小僧が見られるわけがない。」


「な、なんだよそれ……!」清樹は少し不満げに呟きながら、未練がましく肩のあたりを眺めた。


龍はふわりと尻尾を揺らしながら、凛音の肩で居心地よさそうに目を閉じた。


凛音がふと思い出したように小龍に問いかけた。


「ちなみに、龍、名前は何ですか?」


小龍は一瞬ピタリと動きを止め、プライド高そうに胸を張りながら答えた。


「名前は龍だ。」


凛音は少し呆れたように言った。


「それは名前じゃないよ。じゃ、浮遊フユウはどうですか?浮遊し、太清タイセイカケり、ナンジホッするままに。洞窟の束縛を打ち破って、自由にあちこち旅するって感じでね。」


「おいおい、浮遊太清だと?いきなりそんな壮大な名前をつけるとは、度胸があるな!」

小龍は驚いたように尻尾を振り、凛音の髪の一束を軽く引っ張りながら続けた。

「そもそも、どこにわしに名前を付ける権利があるんだ、お前に!」


その光景を見ていた洛白は、ふと口元に微笑みを浮かべた。

その瞬間、小龍の目が僅かに鋭くなり、洛白に視線を向ける。


……まさか、この男がわしを見えているのか……いや、勘違いかもしれん。

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